地下のジャズ喫茶、変わらない僕たちが居た
仕事から帰ると妻はソファに寝そべり、両手でスマホを持って見つめていた。
ソファの片隅にはブランド品の紙袋。クリスチャン・ディオール。
晩御飯に吉牛を頼まれ、テイクアウトの袋をテーブルに起きながらコートを脱いだ。
妻は顔を上げない。
「晩飯、買ってきたよ」
「…ん? ああ、おかえり」
妻はスマホから目を離さない。ちらりと覗くとメルカリの画面が目に入る。
微かな舌打ち。SOLDの赤白文字。
「クリスチャンディオールはもう死んだよ」
「はっ?」
妻は初めてこちらを見た。
すっぴんの薄い眉。鼻の傍、細やかなニキビがあった。
「デザイナーのクリスチャンディオールはとっくに死んでるってこと」
妻は微笑を浮かべる。
「だから何?」
そう言って妻はメルカリに向かいなおす。
短パンからスラっと伸びた長い素足は欲望に塗れていた。
「クリスチャンディオールはとっくにもう死んでるんだよ」
僕は妻が聞こえないほどの小声で繰り返した。暗唱するように。
それでも妻は再びクリスチャン・ディオールの紙袋を並べるだろう。
無地の袋から吉牛二つを取り出すと、割り箸が入っていないことに気が付いた。
仕方がないのでキッチンへと向かう。
”あの子はまだ元気かい”
その間、頭の中で歌詞がリフレインする。
自分が弱虫であることを噛みしめながら、俯く暇もなく箸を取りに行く。
そして仕事のことを考え、木漏れ日に夜がやってきた。
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