序章

「その愛を言い値で買おう」


目の前には物語から抜け出てきたような王子様がいる。

目映いばかりの艶やかな金色の髪に、空の青を映しとったかのような真っ青な瞳。

宝石をちりばめたかのようなキラキラしい容姿は、視線を向けることすら庶民には躊躇われるほどである。

長い脚を優雅に組んで、かけている椅子にふんぞり返っている姿ですら、一枚の絵画のよう。


いや、実際彼の身分は元王子で、それに匹敵する財力は有している。

つまり一国に並ぶほどの大金持ち。いわゆる大富豪である。


ダミュアン・フィッシャール。

二十三歳という若さで巨万の富を築いた若き公爵である。

噂だけは聞いていた。それはもう数々。

庶民といえどもお貴族様は話題に事欠かない。その頂点に君臨するような相手である。


そんな雲の上のような存在に呼びつけれて、今こうして自分が対面していることすら信じられないというのに、そのうえかけられた言葉の意味がわからない。


「おい、聞いているのか? それとも聞こえなかったのか」


尊大さを隠そうともせずに、彼は形の良い薄い唇を動かした。

彼の後ろから誰か別の人が話しているわけではなさそうだ。

つまり、公爵本人が話している。

貴族は庶民にはよくわからない感覚で動いている。理解できないし、理解したいとも思わない。そこには明確な線引きがある。


だから、貴族なんて大嫌いなのだ。

庶民が感情がないとでも思っているのだろうか。

金を出せば、なんでも思い通りにできるって?

――残念ながら、今のリリィは金のためなら、なんでもできるのだけれど。


そう覚悟してこの場に立っている筈だった。

わかってはいるが、彼はなんと言ったのだ。


「お前のその尊い愛を言い値で買ってやるから、俺を愛するんだ」


どうやら聞き間違いでも、言い間違いでもないらしい。

愛、である。


リリィは売れる物はとにかくなんでも売ってきた。

それでも足りないほどに、今はとにかくお金が欲しい。


孤児院で逞しく育った庶民のリリィは、とにかく金が必要だった。

というのも、極貧の孤児院は今、立ち退きを迫られている。

途方に暮れるような借金を返さなければ、明日にも建物の取り壊しが決まるほどなのだ。


切羽詰まっていて、藁にもすがる思いである。

体を売れと言われたらいくらでも売るつもりだったけれど、これはちょっと予想していなかった。実際のところ、凹凸の乏しい折れそうなほどに細いリリィの体にどれほどの需要があるのかはわからなかったが。


だからと言って、これはない。


愛である。


とにかく思うのは一つだけだ。

ぽかんと口を開けて、間抜け面を晒しながら。


――本当にお貴族様の考えることって謎だわ……っ!

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