第5話「灰色の世界が見えなくなる」
「
「はい」
「っ」
名前を呼ばれることが嬉しい。
次に与えてもらえる言葉を期待するように、私は手に力を込めながら
「
「……こういう行為は、はしたないものですか?」
嫌われたくないから、尋ねる。
嫌われないように、振る舞いたいから。
でも、すべて尋ねるのは何かが違う気がする。
そんな心の引っかかりが、私のことをだんだんと弱くする。
「雨依様に不快な想いをさせるつもりはなかった……」
「……家族」
雨依様が笑ってくれなくなったから、謝罪の言葉を述べる予定だった。
でも、雨依様の口から零れた家族という言葉が……。
「俺と羽乃架さんは……家族だから」
どうしようもなく、嬉しかった。
「だから」
楽しい時間は終わりを告げたはずなのに、私の心は苦しみを感じ始めていたはずなのに、私の時間は再び幸福という感情に包まれていく。
「だから何も問題はないよ」
雨依様は、自分は魔法使いだと仰っていた。
魔法使いさんには、心を読む魔法が使えるんですか?
雨依様は、どうして私の心をいつも救ってくれるんですか?
雨依様は、どうして私を安心させるための方法を知っているんですか?
「肩もいいんだけど……」
でも、やっぱり楽しい時間は長く続かない。
私は多分、幸せになることを許してもらえない。
「膝を借りてもいい?」
「…………」
「っ、そうだよね。ごめん、調子に乗った……」
心臓が、痛い。
どうしてか分からないけど、痛い。
「どうぞ……」
自分はほかの子と比べると体が弱い方だなって認識はあったけれど、心臓まで弱くできているとは思っていなかった。
「私の膝なんかで良ければ……使ってください…………」
これが、物語の世界の出来事だったら。
「……嫌じゃない?」
「……思っていません」
ここから、恋の物語が始まっていくのかもしれない。
そんな、妄想。
「命令に従わなきゃいけないとか、そういう考えは……」
「雨依様の言葉を……命令と思ったことはありません……」
心臓が、痛い。心臓が、壊れそう。
「膝枕……お願いしてもいいかな」
「……はい」
馬車に乗せてもらってから、幸せな時間を過ごしすぎたのかもしれない。
心臓が締めつけられるように苦しくなってしまうのは、私が幸せになろうとしてしまったからかもしれない。
「少しの間だけ……」
これは、罰。
「……ありがとう……
名前を、呼び捨てにされた。
雨様は呼び捨てにするつもりはなかったと思うけど、眠りの世界に誘われた雨依様は私のことをさん付けしなかった。
ただ、それだけ。
そういう事情があってのこと。それは分かっているのに……。
(どうしよう……)
名前を呼ばれるのも、私を求めてくれるのも。
すべてが嬉しすぎて、どうしたらいいか分からなくなる。
「おやすみなさい」
心臓が痛い。
心臓が壊れそう。
それなのに。
「
雨依様に、触れたい。
雨依様に、もっと触れてもらいたい。
「羽乃架さん」
「はい……」
緊張のあまり、心臓が止まりそうになった。
家族に膝枕するだけのことで心臓が止まるわけがないと分かっているけれど、本当に心臓が止まるんじゃないかってくらい。
初めての移動は、私の体を疲労困憊状態へと追いやった。
「体、伸ばそうか……」
「はい……」
目的の場所である雨依様のご自宅に到着した私は、雨依様にエスコートされるかたちで馬車を降りた。
とてもぎこちない挨拶をする羽目になり、人に体をお貸しするなんて慣れないことはするものではないということを学ぶ。
(でも……)
体が動きやすくなるように、腕を大きく伸ばして深呼吸をした。
(後悔は……してない……)
仮眠をとられた雨依様の表情が、ほんの少しすっきりしているように見えたから。
雨依様のお役に立てたのなら、私の体がどうなろうと構わない。
「顔を上げられるようになったら、顔を上げてくれるかな」
雨依様の立ち居振る舞い。
そして、国にお仕えしている魔法使いさんだという点。
この二点から、雨依様がお金持ちに該当される方だとなんとなく予想できていた。
予想はできていたけれど……。
「ここが、夜舞病棟を出た後……羽乃架さんが暮らす家になります」
解れた体で、ようやく首を動かせるようになる。
雨依様に指示された通りに顔を上げると、そこにはまるでお城以外にたとえようのない建物がそびえ立っていた。
「…………」
「そうだよね……普通の人は言葉を失うよね……」
まるで物語の世界に登場するお姫様が暮らしていそうな、女の子の憧れが詰め込まれたお城のような外観に私は目を奪われる。
「このお城みたいな住居は母親の趣味で……」
「お母様……」
「いつか生まれてくる娘のために張り切ったらしいんだけど、女の子には恵まれなかったらしくて……」
いきなり多くの情報を手渡されたような気がする。
また、雨依様に尋ねたいことが増えた。
でも、私の中に疑問が生まれたことに、雨依様は恐らく気づいていない。
「羽乃架さんを迎え入れることができて、母も凄く喜んでいるよ」
女の子には恵まれなかったらしい。
らしいっていう言葉は、まるで雨依様とお母様の間に繋がりがないような印象を私に与える。
「玄関まで少し歩いてもらってもいいかな?」
雨依様が、手を差し伸べてくれる。
そんな些細なことにも、喜びを感じてしまう。
けれど、それは玄関に辿り着くまでの間だけ。
その間だけは、雨依様と手を繋ぐことを許してもらえるということ。
「羽乃架さん?」
雨依様にとって手を繋ぐという行為は、何も意味を持たない。
それなのに、私だけは手を繋ぐという行為に意味を持つ。
「案内を……お願いします」
「うん、喜んで」
どうやって開けるのか分からないくらい巨大な扉が開かれて、私はまるで舞踏会が開かれるような広いホールへと招かれた。
想像していた玄関とはまったく違うものが待っていたことに、自分の想像力なんてものは役に立たないのだと学ぶ。
「やあやあ、初めまして」
満面の笑みという言葉の見本となるような。
そんな眩しすぎるくらいの笑みを浮かべた男性が、私を屋敷の中へと迎え入れてくれた。
「あ~、想像以上だよ! 期待以上だよ!」
頭を抱えるように、顔を覆うように、解釈できない言葉を声にする男性。
言葉の意味を理解しようと努めてみようと意気込むと、雨依様が私の肩を軽い力でトンと叩いた。
「羽乃架さん……気にしなくていいよ……」
「あの……?」
「一応、羽乃架さんの兄になる予定の人……将来的に……」
「お兄様……?」
ぽつりと零したはずのお兄様という言葉に、目の前の男性は反応した。
「
聞き逃してくれても構わないくらいの小さな声だったはずなのに、お兄様……になってくれる予定の男性は驚く速さで立ち上がった。
「僕が作ったワンピースを妹に来てもらえる日が来るなんて……」
男の人は穏やかな笑みを浮かべて、両手を広げて……両手?
「抱き締めても?」
「あ……はい」
「蒼生くん! 羽乃架さんも……」
雨依様が私たちの行為を止めようとする声が聞こえるけど、突然のことに戸惑った私はお兄様の望むままに抱き締められた。
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