第8話 抜きの日

 俺は大学の敷地に入ったところで、走るのを止めた。


 どうせ遅刻は確定なのだ。


 急いだところで何も変わらない。


 校舎に入って廊下を歩く。

 廊下を走るなというのは古くからの教えでもある。


 ハッと思い出してカバンの中を探る。


 なぜか遠い昔の記憶が蘇っていた。


 水筒を取り出し、水を一口飲むと、少しだけ手のひらに垂らす。

 そーっと上に掲げ、皿に持っていき、ピシャリと叩く。


 昔はよくわからない理由で、炎天下の中、皿を濡らさぬままトラックを何周も走らされたものだった。


 今は水分補給が重要と認識され、水を飲んだり皿を濡らしたりできるようになったと聞く。


 そういえば、うさぎとびも効果がなくてリスクしかないと聞いた。

 時代が変われば常識も変わるものだ。


 などと考えていると、遠くでガチャリと音を立て、ドアが勢いよく開いたのが見える。


 白衣姿の男が飛び出して来た。


「教授! 遅いですよ!」


 助教の三好君だった。

 廊下の真ん中で腕を組み、仁王立ちをしている。


 俺は所構わずピシャピシャ皿を叩く。


 いつもそんな調子だから三好君はその音を聞きつけ、すぐに俺の居場所を察知する。


「遅刻するとメッセージしたはずだが?」

「皆、待ってると返しましたよね!?」


 俺はポケットの携帯を取り出す。


 確かに、そのメッセージはあった。


 どうも走っていると着信に気づきにくい。


「すまん」


 今日が「抜きの日」ということも失念していた。


 早足で三好君のところまで行く。


 ドアの前には「尻子玉研究室」の文字が掲げられている。


 俺の城だ。


 三好君とたった二人の研究室ではあるが、大切な場であることに変わりはない。


 ドアを開け、先に入る三好君に続いて中に入ると、三人の男女がソファに座っていた。


 彼らは一回五千円でケツを差し出す者たちだ。

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