二学期

第67話ヴァンデミエール①・想定外の登場

 創造主としての記憶を持つメインヒロインのカトリーヌ。

 断罪と破滅を繰り返す悪役令嬢のジャンヌ。

 二人が手を取り合えば怖いモノなんて何もない。

 だってこれから起こる事象のほとんどを把握しているんだもの。


 メインヒロインは役目を放棄して攻略対象から極力離れる。悪役令嬢もメインヒロインに悪意を振りまかずに攻略対象に目を付けられないようにする。メインヒロインと悪役令嬢が親密になればほら、もう断罪される理由なんて無くなってしまうでしょうよ。


 懸念は勿論ある。攻略対象とのイベントフラグを悉くへし折ってきたわたしだけれど、ラウールさんやアルテュール様についてはイベント外で仲良くなってしまった。彼らが悪役令嬢に敵意を抱かないように注意を払う必要がある。

 逆にジャンヌの方は脚本上では婚約破棄してくる相手、つまりシャルル王太子殿下と関係を深めている。ジャンヌが焦らして誑かした結果なんだけれどいい方向に転がっているみたい。この調子で行けばメインヒロインなんて気にもかけなくなるでしょう。


 二学期が始まる前なのにすこぶる順調って言っていいでしょうね。

 消化試合はさすがに言い過ぎだけれど山は越えたんだって少し安心していたぐらい。


 ――だから、彼女の到来はあまりにも驚愕の事態だった。


 ■■■


 建国節が終わると長かった夏季休暇もとうとう終わる。私世界だと大学生の夏休みぐらいの期間だったかしらね。わたしはその間アランソンへ旅行に行った以外はほとんど王都に留まっていた。しかも夏期講習とか立法府でのお仕事見習いとかで正直学園生活より忙しかった気がする。


 インターンシップもどきを終えたわたしは立法府の文官の方々から温かい拍手を送られた。花束も貰っちゃったし立法府の制服も頂いてしまった。普通だったら退職する際に会社の備品は全て返却するものじゃあないかって言ったのだけれど、


「立法府はカトリーヌを待っている。期待しているぞ」


 だなんて旦那様から激励を受けてしまったら意地を張る理由も無くなってしまった。ここまで期待されているんだから『双子座』の物語とか関係無しに自分の将来の夢を叶えるべく邁進したいところね。より一層学業に精を出さないと。


「じゃあ行きましょう、カトリーヌ」

「うん、行こうかジャンヌ」 


 いつものように、けれど夏季休暇を挟んでいるから二か月強ぶりに、わたし達はオルレアン邸から馬車に乗って登校した。休み明けのジャンヌは何だか落ち着かない様子だった。気持ちはわかるけれどわたしは夏期講習も通っていたから久しぶりって感覚がないのよねー、羨ましい。


 通学の混雑でやや渋滞した学園前の通りを抜けて正門から入る。さすがに学園内敷地での駐車は厳禁。馬車は基本的に送り迎えの時間帯に各学生のお屋敷と学園とで往復している。公爵家とてその例にもれず、御者を務めていたクロードさんはこのまま帰る予定だ。


「それではお嬢様方、行ってらっしゃいませ」

「ええ、いつもご苦労様」


 恭しく一礼したクロードさんはわたし達が歩みだしたと同時に馬車の御者席に軽やかな跳躍で飛び乗り、姿を消していった。毎度思うんだけれどクロードさんを始めとしてオルレアン家の方々に付いている侍女の戦闘……もとい、身体能力が高い気がするんですけれど。


 校舎へと向かう道では顔馴染みの方々に挨拶を交わす。さすがにこの時間帯だと向かい側からやってくる学生はいない。学年が一番下な上に身分も平民なわたしは大抵廊下でも道でも脇にどかないといけないのよね。面倒臭いけれどそれが階級社会の礼儀ってものだ。

 一学期までなら社交辞令的な朝の挨拶を交わして終わるばかりだった。ジャンヌったら王太子殿下を始めとしてほとんどの方とは最低限の関わりしか持たなかったし。わたしもジャンヌと付き合っていたから誰かが寄ってくるわけでもなかったし。


「おはようございます、カトリーヌさん」


 けれど今日からは違った。

 わたしの隣まで駆け寄ってきたのは金髪碧眼の美青年だった。甘くも凛々しい整った顔立ちをさせた彼はやっぱり華奢な身体つきをさせていた。けれど以前みたいな深窓の令嬢って程の貧弱さは感じず、やや活発な印象を覚えた。


「アルテュール様、お久しぶりです」


 一ヶ月以上ぶりにお会いする公爵子息のアルテュール・ダランソン様は学園の男子指定制服に身を包んでいる。男装の麗人ってよりは女の子が男子の格好をしているって比喩がお似合いな気がする。尤も、近寄って細部を観察すれば彼もまた立派な男性なんだなって思えた。


「今日からは学園に通われるんですか」

「はい。母の容体も落ち着いてきましたので、そろそろ他の方と一緒になって学ぼうかと」

「わたし達は同じ年齢ですから一学年に転入するんですよね」

「はい、そうなりますね。右も左も分かりませんが共に学べて光栄です」


 『双子座』でのアルテュール公爵令嬢も一学年に転入してくるけれど教室は別になるのよね。その流れに沿っていてもらいたいものだ。だってアルテュール様と過度に親睦を深めると彼のルートに沿ってジャンヌが断罪一直線に急降下していくかもしれないし。

 あと光栄ですだなんてにこやかに言ってくださるけれど、むしろ一般庶民風情が尊き公爵子息と同じ学び舎にいる事が出来て光栄ですなんじゃないの? 普通逆でしょうよ。長い監禁生活で貴族としての誇りに欠けるのかもしれないけれどさ。


「ところでカトリーヌさん。一つ質問よろしいですか?」

「はい、何でしょう?」

「前々から思っていましたが、どうしてそう私を警戒するんですか?」


 アルテュール様は攻略対象の中でも小柄な方で私が水平に視線を向けると大体アルテュール様の唇近くになる。王太子殿下なら胸元ぐらいだったっけ。そんな彼はやや前かがみになってわたしの瞳を覗き見てきた。


「……気のせいではありませんか?」

「いえ、気を悪くしたなら謝罪します。私も上手くできないのですが、どうもカトリーヌさんは私から一歩退いている気がしてならないんです。最初に宮廷舞踏会でお会いした時も、図書室でもそうでしたね」


 良く観察している。役者でもなし上手く取り繕ったつもりでも違和感無く振舞えなかったか。区別なく人と距離を近づけないようにしているジャンヌとは違う。わたしは攻略対象に限定してかかわりを持たないようにしているものね。


「私の振る舞いが何か気に障ったなら改善します」

「いえ、アルテュール様は何も悪くありません。非があるとしたら間違いなくわたしの方でしょうから」

「私がカトリーヌさんの好みに当てはまらないのです?」

「それも違いますね。失礼を承知で申し上げるなら、貴方様はわたしの好みの範疇ですよ」


 アルテュール様については私の趣味が色濃く反映されている。悲惨な過去とか境遇とか宿す狂気とかを纏めた物語上の立ち回りもそうだけれど、外見と性格をね。女装したらとてつもなく可愛い、けれど男性としての格好をすれば男の娘なんかじゃなくて紳士であり騎士。この絶妙な平衡は匙加減に苦労したものよ。

 そもそもソレ関係無しにわたしはアルテュール様は好ましく思っている。彼は自分の胸の内を明かしてくれたし秘密だって隠さなかった。そして彼は少なからずわたしに好意を抱いている。それを心地よいと思ってしまうのは決して悪くはない筈だ。


「ではどうして?」

「勝ち取りたい未来があるからです。大切な人の、ね」


 けれどそんな淡い感情とは明確に線引きしておきたい。悪役令嬢の破滅に攻略対象が関わるなら、いくらアルテュール様であってもわたしは避けなきゃいけないんだ。そしてどんな因果関係があるか分からない以上はうかつに口にも出せない。

 アルテュール様はわたしの決心が固いと見て取ったのか、背筋を正して前を向いた。けれどその瞳と口元は決して諦めに染まってはいかなかった。


「カトリーヌさんの大切な人なら私も守りたいと思います。悩んだ時があったら声をおかけください。必ず貴女の力になりますから」

「ありがとうございます。困っちゃったらそうしますね」


 そこからは談笑が弾むだけになった。アルテュール様はわたし達がアランソンを訪問してから今までずっと高等教育を受けていたらしい。今までの遅れを取り返さん勢いだったので凄く疲れたって仰っていた。兄の嫡男が健在な以上彼は公爵家を継げないのだけれど、別に後継ぎを競う気は微塵も無いらしい。

 平民のわたしに告白なんかして一代限りの名誉貴族にでもなるつもりか、って聞いてみたら、別にわたしと一緒なら平民になってもいいですよ、って悪びれも無く言ってきた。司法府に務めるのもいいかな、って未来像を練るアルテュール様に向けてジャンヌが不機嫌に目を据わらせていた件は気付かなかったふりをしよう。


「仲良き事は美しき事かな、とは言うけれどねえ」

「ジャンヌだって王太子殿下とアレからも順調に交際を続けているそうじゃないの」

「……本当、不安になってくるぐらい穏やかね」

「ソレ口に出したらまずい類の……」


 教室の中は相変わらずな感じで、わたしとジャンヌは授業開始まで二人して喋り合った。やがて攻略対象でもある担任教師のレオポルド先生がやってくる。始業を知らせる学園の大鐘が敷地内に鳴り響き、いよいよ二学期が始まる……筈だった。


「それでは授業の前に転入生を紹介する」


 などと言ってこなければ。


 先生に招かれて教室に入って来たのは花が咲き誇ったように可愛らしい女の子だった。カトリーヌが磨けばみんなの目を惹く美人だけれど地味子って感じなのに対して、彼女は愛嬌が良く誰からも何からも愛される感じ。

 一目見て分かった。彼女は悪女でも親友でも脇役でも端役でもない。カトリーヌとはまた違った作品でメインヒロインに据えられるような人物だった。そして彼女は晴れやかな笑顔でわたしを卒倒させる程衝撃的な名を口にした。


「アルテミシア・ド・ブルゴーニュです。皆様どうぞよろしくお願いします」


 次回作メインヒロインの名を――。

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