第58話フリュクティドール⑫・悪役令嬢の嘆き悲しみ

「ジャンヌ。私は君を心から愛しているよ」


 まさかの告白ぅ!?


 いい雰囲気なのは分かるよ。でも『双子座』だと各攻略対象から告白されるのは断罪イベント手前の時期だから真冬。まさか真夏に前倒ししてくるなんてさすがに予想外だ。それだけ王太子殿下の想いが強かった、のかな……?


「……シャルルが私を? ご冗談でしょう?」

「冗談なものか。私は本気だよ。生涯君と添い遂げると今すぐ神に誓ってもいい」


 ジャンヌは「私もです」と答えて殿下を喜ばせられた。「光栄です」と会釈してあくまでも婚約者としてだって振舞えた。「急に、困ります」と恥じらいを見せて更に殿下の心を惹きつけられただろう。けれどそのどれもジャンヌは取らなかった。


 彼女は、情熱的に取られた殿下の手を振り払ったのだ。


「何を今更、都合の良い言葉を……」

「ジャ、ジャンヌ?」

「愛しているですって? シャルル・ド・ヴァロワ王太子殿下がこのジャンヌ・ドルレアンを?」


 ジャンヌは微笑を絶やさなかった絶世の美女とも言われた整った顔を憤怒で歪め、慈愛に満ちていた眼を大きく開いて、目の前の殿方を睨みながら立ち上がる。あまりの豹変ぶりに王太子殿下は戸惑いを見せるばかりだった。


「今までどれほど貴方様に尽くしてきた私を、愛していますと何度も告白した私を、助けてと離れないでと懇願した私を! 最後には見捨ててきたくせにッ!」

「何を言っているんだいジャンヌ? 私は君から告白された事なんて――」

「何が愛していますよ! 私が最も聞きたかったお言葉を貴方様はいつもいつもあの女にばかり送っていたでしょうよぉ!」

「――ッ!?」


 ジャンヌは手にしていた本を思いっきり王太子殿下に投げつけた。王太子殿下もさすがで咄嗟にそれを受け止めてテーブルの上へ置く。大声を張り上げたジャンヌは肩で息をして、なおも殿下を凄まじい形相で睨んだままだった。その目から大粒の涙をこぼして。


「ジャンヌ……」

「近寄らないで!」


 王太子殿下も立ち上がってジャンヌの傍に寄ろうとしたけれど、当の彼女は振り乱した髪を整えようともせずに部屋の出入口を指差した。


「……出て行って」

「嫌だよ」

「出て行ってって言っているでしょう! シャルルの顔なんかもう見たくもない!」

「少し落ち着いて。ちゃんと話をすれば――」

「このっ! 出て行けって、言っているのよ!」

「ジャンヌ!」


 王太子殿下を追い出そうと突き出したジャンヌの両手を王太子殿下は手首から掴む。ジャンヌの勢いは彼の脇に逸れて、そのまま体勢を崩して傍らの寝具に横たわる形になった。殿下もつられて体勢が崩れ、そのままジャンヌに覆い被さる形になった。


 『双子座』では王太子殿下が「すまない」と謝ってメインヒロインが「いいんです」と恥ずかしがるシーンなのだけれど、ジャンヌは無言で王太子殿下を見ようともせず、逆に王太子殿下はジャンヌしか目に映らないかのように情熱的に見つめ続ける。


「君が思う私……と言うよりシャルル王子がどういった形で君を傷つけたかは分からない。けれど私は違う。君を傷つける真似はしないし、君に嫌な思いだってさせない」

「私が抱くシャルルが……?」

「私は……強いけれど弱いジャンヌをずっと守りたいんだ!」


 私は王太子殿下の告白に感無量だった。私が書き綴ったどの王太子殿下とも異なる、創造主の手を離れて独り立ちした彼がとても嬉しかった。思わず口を抑えていなかったら歓喜の声を挙げていたに違いない。

 だって彼は、目の前で悲劇的結末しか迎えられない悪役令嬢へこれほどまでに恋を抱き、愛を捧げているんだもの!


 ただ、そんな王太子殿下の想いとは裏腹に、ジャンヌは瞳だけを動かして彼を見つめた。その顔には狂気を孕んだ笑みを張りつかせて。


「あぁ、そうだったのですねシャルル。これはとんだ失礼を」

「ジャンヌ……?」

「折角期待して頂けて申し訳ありませんが、私は貴方様が思う程綺麗ではありませんよ」


 その動作は瞬間的だった。ジャンヌは身を翻し、王太子殿下は驚きのあまりに成すがままで、瞬きをする間に体勢が入れ替わった。すなわち王太子殿下が寝具で仰向けになり、ジャンヌが彼に馬乗りになる形に。


 魔法を使っているのか、ジャンヌが自分の首筋から胸元を通して縦一直線に指を走らせると、その跡を辿るように寝巻が切れていく。そしてその肌を露わにすると、今度は王太子殿下の服へと指を走らせ、同じように切り刻んでいった。


「折角私の部屋へいらっしゃったんですもの。歓迎して差し上げます。何、私とて殿方の楽しませ方は心得ております。極上で甘美なひと時を味わっていただけるかと」

「ジャンヌ、止めるんだ……!」


 ジャンヌを押し退けようとする王太子殿下の首筋に彼女は手刀を当てた。淡く輝きを放っているようだから、光の魔法で鋭利な刃物のようにさせているのかしら? その瞳に怒りと憎しみと、そして悲しみを湛えさせながら。


「汚して、傷つけて、犯して差し上げます。貴方様を? いいえ違います」

「ジャン、ヌ……!」

「貴方様が恋心を抱くジャンヌ・ドルレアンその者をね――!」


 それからの彼女は淫らの一言に尽きた。確かに今のジャンヌは穢れを知らない純粋無垢な公爵令嬢だけれど、蓋を開ければ数々の破滅で凄惨な経験を積んでいるんだ。まだ学生の身分である王太子殿下は長きにわたり培った技術、勿論不本意に得たのだけれど、の前には成す術がなかった。


「ふ、ふふふっ。あっはははは!!」


 狂気に満ちた高笑いをさせながら殿下の欲望を受け止めるジャンヌの姿は、美しいとさえ思えた。


 それを傍観していたわたしは頭を抱えていた。このままでいいのか? 人を呼んで止めさせた方がいいのか? それともこれまでの努力をふいにしてでもわたし自身が止めるべきか? 考えれば考えるだけ深みにはまっていって答えが見いだせなかった。


 ……いや、駄目だ。こんなの間違っている。殿下についてはこの際棚上げするとして、他ならぬジャンヌの為にならないんだもの。


 だって、今のジャンヌはとっても苦しそうじゃあないか――!


「ジャンヌ!」


 決心を固めて乱入しようとした直前だった。

 殿下がジャンヌを抱き留めたのは。


「シャ、ルル?」

「ごめん、気付かなくて! 君がこんなにも苦しんでいたなんて、こんなにも思い悩んでいたなんて、そしてこんなにも嘆き悲しんでいたなんて……!」


 殿下は窓の方に背を向けていたのでその顔を伺えなかったけれど、その背中は打ち震えていた。ジャンヌからは狂気が抜け落ちて、見開いた目の瞳だけを動かしてシャルルを見つめる。


「自分の事ばかり考えていた。君が言うように上辺の君ばかりに見惚れていた。確かに私が思い浮かべていたジャンヌと君とでは違いがあったとは感じる。けれど!」

「けれど……?」

「私は君の喜びも、悲しみも、苦しみも悩みも痛みも全部抱きかかえたいんだ! この気持ちに嘘偽りはないし、決して揺らがない!」

「……っ!」


 その時ジャンヌは一体どのように思ったんだろう? 感じたんだろう? これが単純に私の作品だったら色々と書き綴れた。わたしも様々に想像を膨らませる事は出来る。けれど……そのどれもで表しきれないんだろうな、きっと。


「う……あぁあ、ああぁぁあああああっ!!」


 泣いた。ジャンヌが。大粒の涙を流して。大きな声を挙げて。

 そんな泣き崩れるジャンヌを王太子殿下はただ静かに抱き留め続けた。


「……帰ろうかな」


 もうこれ以上見る必要は無い。ここに留まる理由も無くなった。

 後は二人に任せればいい。大丈夫、絶対に悪いようにはならない。


 だって王太子殿下……いや、シャルルがジャンヌの全ての感情を受け止める姿のなんと素晴らしい事か!


 わたしはそのまま二人に背を向けてから闇夜へと姿を消し、この地を後にした。

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