第19話 殿下の婚約者


 こちらに歩いてきた男女はやはり僕たちが目当てな様で目の前で足を止めた。


「ご歓談中失礼いたしますわ。わたくしサイレス家が長女ミリアリアと申します」

「同じくサイレス家嫡男、弟のディクスと申します。ご同席よろしいでしょうか?」


 そう言って形式ばった丁寧なカーテシーで挨拶された視線の先は僕だった。

 サイレスと言えば国でも上位の強さを誇る侯爵家。

 しかもサイレス家の長女と言えば、皇太子殿下の婚約者。


 面倒な相手が来たものだという想いにも駆られるが、礼儀を弁えた挨拶をされては無下にもできないと、こちらも丁重に言葉を返した。


「これはご丁寧に。グランデ家三男、リヒトです。

 お二方と直接お話しするのは初めてですね。どうぞ宜しく」


 と、国の所作に則って礼を返す。


「先日は皆さまのご活躍のお陰で救われました。伏して御礼申し上げます」


 辺境伯現当主が居るからか、大仰に頭を下げる彼女。


「いえ、それほどにお気になさらず。我々も生き残る為にやったことですから」


 確か、彼女はさっき『ご病気が治られて』とか言っていた子だな。特に意識して注目したことは無いが、まともそうなご令嬢のイメージがある。


 しかし彼女がここに来る理由に心当たりがない。

 殿下の差し金だろうか……

 でもそれなら同行者は殿下自身になるんじゃないか?

 取り巻きも居ないし、殿下が来ているのにエスコートが弟というのも少し不思議だな……


 そうして思考していると向こうから話を振られて視線を向けた。


「その、突然で申し訳ないのですが、お聞きしたいお話がございまして―――――――――」


 と、言い難そうに続けられた言葉を聞いていけば、予想外の内容で困惑させられた。


 どうやら殿下が他の女に入れ込み始めているそうで、前回の襲撃で城に呼ばれた僕らに何か聞いていないだろうかという話だった。

 何やら今日のエスコートすらもその女性を誘ってのことだと聞いて僕も驚かされた。


 最初はミリアリア嬢たちに警戒していた面持ちのリーエルとエメリアーナだったが、恋バナに興味が出たのかちらほら話に入り始めている。

 丁寧な対応の相手だし彼女たちとの交流は練習相手に丁度良いと思いつつも話を広げる。


「ミリアリア嬢からは不快感よりも状況や原因を把握したいという感じしかしませんが、やはりあれは好きになれない感じなのでしょうか?」


 試しに殿下をあれと言ってみたが、彼女はニコリと笑うだけに留めた。

 やはり彼女に殿下を慕う気持ちはあまり無さそうだ。


「ゴホン……政略結婚ですから、とだけお返ししておきますわね。

 ですがこのままいけば皇太子妃となる以上、黙ってあの方をお支えせねばなりません。

 そう思ってはいるのですがお相手がサンダーツ家のご令嬢で、どうにも何とも言えないお方でして……」


 チラリ、と彼女の視線の向けた先を目で追えば、挨拶を終えた殿下の腕に絡みつく幼げな馬鹿っぽい女性が見えた。

 もう頬ずりするほどに完全に抱き着いていて、殿下も手を回して抱き返している。


 なるほど。

 挨拶が終るまでは距離を置いていたのか。


 でも、それは何の意味も無いと思うのだけど……

 こんな所で婚約者を差し置いて当然の様にあんな風にしちゃってる訳だし。


 そのご令嬢に対してミリアリア嬢が何とも言えないと評したのも理解した。


 かわいいと言う者が居ても否定するほどでもないが、あの何も考えていない顔は確かに何とも言えない。

 パッと見だと純真そうに見えるのに娼婦の様な空気を醸し出す絡み方。


 まあ、口で表せば下品になるので淑女として『何とも言わない』が正しそうではあるが。


「ええと、あの方は側妃の候補として決まっていらっしゃるので……?」

「いいえ。その様な話はこちらには何も……」


 その話を聞いて少し安堵した。

 サンダーツ伯爵と言えば内乱を起こした領地の領主。

 もしサンダーツ伯爵家が側妃の座を得ようものなら、泥沼の争いが生まれて益々国家の情勢が怪しくなって何ら不思議は無い。


「相変わらずクズね。あの男……」とエメリアーナがご立腹を示すと「全くだ」とディクス君もそれに続いた。


 どうやらエメリアーナと一緒でお姉ちゃん子らしい。


「姉さんがお国の為と心を折ってまで受けてやった婚約だってのに。

 その上で蔑ろにするなんてどれだけ馬鹿にしているんだよ。絶対に許せない……」


 と呟きつつ鋭い視線を送っていた。


「あんなのとの婚約なんてやめて正解じゃない! 理由が出来て良かったと思えばいいのよ!」


 弟君の同意を得て鼻息荒く言葉を続けるエメリアーナだが「お国の為を想えばそうもいかないのです……」とミリアリア嬢が言う。


 国の為か……この言葉に意味があれば彼女は馬鹿じゃなさそうだな。


「キミはこの国の情勢を正しく理解しているんだね」と、声を返せばリーエルが「どういうことですか……?」と問いかけてきた。


 この国の長は弱い。残念ながら一枚岩じゃないどころではないのだ。

 ロドロア侯爵がいくつかの領地を抱き込んだだけで独立しても対抗できると踏んでしまうくらいには弱い。

 現在は過去の威光に縋ってギリギリの所で生きながらえているだけとも言える。


 それを支える柱がグランデ公爵家とラキュロス公爵家だが逆に言えばそれしか支柱が無い。

 両家は単体の家としては秀でているところがあるものの派閥としては大きくない。


 それに宰相閣下はもう家督を譲っているし、現ラキュロス公爵は中立を示している状態。

 恐らくは宰相閣下に気を使っての中立だと思われ、引退して暫く経てばどうなるかはわからない。


 それじゃ足りなすぎるからこそ、もっと支えが欲しいと国内で組まれた縁談だと思われる。


 ロドロア候が独立宣言をし、反対方向ではサンダーツ伯爵家が内乱により領地を一つ奪ったばかり。他のきな臭い場所にも刺激を与えた事だろう。

 サンダーツ家は大義名分を掲げ、戦ったのは正当なものと主張しているがグランデの諜報によれば自作自演だろうという見解。

 そもそも大義があったとて領土を奪って自分のものにするというのは許されない行為なのだが、国も『言う事を聞かない』で済ましまかり通ってしまっている状況。

 それに加えてサンダーツ領は軍拡を急いでいるとも聞く。


「あの令嬢が殿下を心酔させ側妃になれば、サンダーツ家は国家の中枢に入り込み殿下を傀儡にしようと企てる可能性が高いと思うのは妥当な見解だろう?

 問題続きで監視の目が緩んでいる隙に好き勝手やろうとしているんじゃないか、という話」


 と、疑問を浮かべていたリーエルに僕の予想を話す。


 伯爵家の令嬢ならば普通は婚約者がもう居る筈であり、それが家の意向である場合が殆ど。

 あれほどに派手に動いているならば伯爵の同意の元で仕掛けているのだろう。

 そう考えると娘を皇太子妃、もしくは側妃に据え皇太子への強い発言権を使い中へと入り込み、じわじわと実権を奪っていくことが目的と考えるのが妥当ではないかと思う。


 ただ国の中枢に入りたいだけかもしれないが、国内で勝手に自作自演の戦争を始める輩だ。

 疑わしいと思われる段階でもう警戒は必要だろう。


 そうした諸々をリーエルに向けて伝えているとミリアリア嬢が我が意を得たりと頷く。


「はい。私もそれを懸念しております。

 もしそうであれば、その策謀が成立した時には私はもう亡き者となっているでしょう。

 ですからサイレス家に居て自由に動ける今、動かねばならぬのです。

 その為にも少しでも情報が欲しく……」


 どうやらまともに物を考えられる学生もいる様だ。

 同年代を社会を知らない子供の集まりだと侮り過ぎていたかもしれない。


「わかりました。

 少しでも聡明な方に皇太子妃の座について頂くのはこちらの願いでもあります。

 私が掴める情報くらいであればご協力致しましょう」

「おお、有難い! 声を掛けるのを心底迷っていた姉さんの背を押して、本当によかった!」


 そう弟君が言うと「や、やめてディー!」とミリアリア嬢が何やら焦っている。


 んっ?

 声を掛けるくらいでなんでそんなに……


 と首を傾げれば、どうやら悪評を聞かないふりをして黙っていた事に自責の念があったらしく、自分が助けなかった相手に助けを請うのが恥ずかしいと考えていたらしい。


「いえ、あの空気の中で助けに入ってはご自身のお立場を無駄に落としていただけかと……」


 そう。学院内の大半が見下した視線を向けていた。

 それに火を付けたのが皇太子と言える状況。

 逆に皇太子の婚約者が近づいて庇ってしまう方がよろしくない。


 世の中そんなに綺麗ごとばかりでは上手くいかないのだ。

 見る目が無いだの自覚が無いだのと言われるだけで何も変わらなかったと思われる。


 そう思っての言葉だったが「申し訳ございません」と目を伏せるミリアリア嬢。


「ミリアリア様、リヒト様であればきっといい様になさって下さいますよ。

 わたくしもお力になりますから。どうかお顔をお上げくださいまし」

「そうよ。こいつが本気で動けば大抵の事はどうにかなるわ。

 だからどうしたいのか望みを言っておきなさい!」


 待て。そこまでするとは言ってない。

 情報を流してあげるくらいはかまわないって話だったでしょ?


「辺境伯様にエメリアーナ様まで……

 勉学から武力、容姿に至ってまであまりに一変した様を見て何かがおかしいと感じておりましたが、やはりグランデ様はそれほどの御方なのですね。

 では不躾ながらお願い申し上げます。この国を……帝国の立て直しをお手伝い下さいませ」


 うへぇ……考え得る中で一番の難題きたぁ。

 これ、無理って言う空気じゃないけど、実際難しいんだよな。

 空気を崩してでも言うしかないかぁ……


「あの、立て直すには後継があの方では不可能です。潰さぬようにするのが精一杯かと……」


 現皇帝陛下は正直に言って流されやすく少し頼りないが悪人ではないと感じている。

 恐らくだが、そうした本質を感じ父上も支えているのだと思われる。


 しかし、先々兄上に代替わりしたとしてあの皇太子を支えるなど不可能だ。

 互いに自分本位な行動しか取らないと思われる。

 陰で許せんとか言って足の引っ張り合いをするに決まっている。

 そうしてグランデが皇家から離れたと周知されればかなりの確率で国が致命的に割れることだろう。


 皇太子は取り繕って一見真面そうに見えるが、酷く身勝手な人間だ。


 僕は成績は悪かったが問題など起こした事もなく授業も普通に受けていた。

 だというのに何か問題があればすぐ僕を容疑者の様に言うし、発言には常に棘を感じていたので多少の観察はしている。

 その結果、僕だけじゃなく誰彼構わず人を貶めて自分を上げる事を是としていることを知った。


 僕らは強さを見せたのでこれからはより取り繕おうとするだろうが、心根がよろしくなければ頭も悪いことはもう理解している。

 襲撃の件で戦えないのに剣を奪おうとした事や、公の場で皇帝陛下に自分も活躍したと人の功績を奪うような見え見えの嘘の報告をした事でも明らかだ。


 取り巻きたちは口止めできても僕らが言わないとも限らないだろうに。

 目の前で堂々と陛下に報告してたからな……


 故に彼が帝位を継いだとなれば皇帝が無茶苦茶やる中、皇后と宰相で派閥の者たちを使いどうにか支えるという形で一杯一杯だろう。


 まあ、殿下は自分の意見が通らないと権力で脅し始めるタイプだからそれも難しいが……


「その、もしやグランデ様はもうお諦めに?」

「いいえ。諦めるなら諦めるでその後も領民を生かす手立てが要ります。

 それが詰まるところまで行かねばその言葉は口にできませんので」


「あっ、あなたは生粋の貴族……なのですね」と、驚いた顔を見せるミリアリア嬢。


「どうでしょうね。

 私は領民と互いの相互利益で成り立っていると思っているが故ですから。

 綺麗に言えば助け合いですが、ちゃんと打算もありますので」

「その、打算とは……お伺いしても宜しくて?」

「ええ。勿論構いません。特段おかしなことでもありませんし。

 ただ、領地を綺麗に整えて領民の生活を楽にしてあげれば、その後は自堕落に生きさせてくれるだろう、という打算です」


 悠々自適という言葉を使っても良かったが、あえて自堕落と言ったからか彼女は目を丸くしたあとクスクスと上品に笑った。


 とても綺麗な佇まいでの微笑。

 表情から仕草からしてまるで淑女のお手本と言わんばかりだ。


「エメリアーナ、これだよ。淑女はこう! お願いだから頑張って真似てね?」


 と切実にお願いすればスパーンと頭を叩かれた。『なんで私に言うのよ!』と。


 加減を覚えたのか全く痛くはなかったが『ちょっと!? ここ、公の場! 加減してもダメ! ダメだからな!?』と、小さな子に躾をする様に言い付ければ彼女はつーんとそっぽを向いた。


 そんな僕らの様が滑稽だったのかミリアリア嬢やディクス君も笑い、深刻そうな空気が霧散していく。


 そうして話に目途が付き、ずっと二人と話している訳にもいかないのでここからはハインフィード辺境伯家とサイレス侯爵家の間での手紙のやり取りにしましょう、と頼んだ。

 それならば下種の勘繰りをされないでしょう、と。


 それから幾人かに襲撃の件でのお礼を言われて特に中身の無い言葉を交わす程度に留まった。

 しかし社交パーティーだからか襲撃の件があるからか、ある程度は丁寧な対応を受けて、それに合わせて返す程度に収まったので気持ちよく会場を後にする事が出来た。


「ふーん。まあ、偶になら悪くないわね」とエメリアーナさえもが口にしたくらいには満喫できた様だ。





 そうして学院を出た後、僕らは真っ先に父上の所へと向かった。

 もう紹介も済んでいるので二人も連れての話し合いだ。


 会って早々、父上は僕らを三度見くらいして僕とリーエルが痩せた事に驚愕しつつも、とても喜んでくれた。


 その後、父上の方から新薬の事を色々と聞かれた。

 現在の販売状況。製造できる量や外に出せる量など。

 父上はハインフィード家の利権に不躾に踏み込むような真似をする人ではないので、取引としてどういう形にするか、という話し合いだ。

 現状試作段階で今は一日頑張って百が限界だが、もう試作段階を終えたので量産の為に設備増加に動けば一日千でも余裕でいけるだろう、と話せば目を剥いていた。


「まあ、まだ世に出してもいないので設備投資もできずに足踏みしている状態ですけどね」

「いや、それでいい。焦っても碌な事にならん。しかしそっちでもよくやっている様だな?」


 カールから定期報告を受けているのだろう。

 父上はほくほく顔でお褒めの言葉をくれた。


「父上が手を貸してくれているお陰ですよ。カールの存在はとても大きい」

「あの、わたくしも公爵閣下には深く、深く感謝しております!」

「はっはっは、そんな堅苦しく話す必要はないぞ。もうお義父様でもいいんじゃないか?」


「まだ早いわっ!」と何故かエメリアーナが父上に言い、僕は笑ってしまった。


 キミ、本当に馬鹿じゃないの?

 父上は公爵だよ?

 なんでそんな強気に言えるんだよ。


 だが、内々の場で険のある物言いじゃないからか不思議と互いに気にした様子は無い。


 その後は、真っ赤になったリーエルが「行く行くはお義父様と呼ばせて頂きたく存じます……」と恥じ入る様に言う姿が本当に可愛くて、僕と父上でほっこりと彼女を見詰めた。


 そうした歓談の後、ミリアリア嬢の相談についての話を出す。

 当然、エスコート相手をサンダーツ伯爵家の令嬢に変え、社交パーティーにて周囲の視線も物ともせず絡み合う程にイチャついていたことも合わせて伝えた。


「な、なにぃ……何をやっておるのだ殿下は! それが本当だとかなりまずいぞ。

 わかった。こちらでも監視の目を入れるし陛下にも伝えておこう。

 だがサイレス候にはあまり悪いようには言わんでくれ。今あそことの仲違いは洒落にならん」

「確かにそれはそうですが……もう騙す以外に取り繕う方法が無くないですか?」


 そう。全生徒の前での話。もう公の事実なのである。

 僕が柔らかく包んで話せば皇太子側としか見えないのだ。

 その時点で信頼に値する情報ではないと僕なら踏む。


 父上から話を通す形にしますか、と問えば「うぐぅ」と珍しい唸り声を上げた。


「その、それに繋がる話で父上に一つお聞きしておきたいことがあるのですが……」


 と、聞き難い話をしなければならなくて自然と表情が歪む。


「どうした……お前が動じている様を見せるのは珍しいな。なんだ?」

「私はこのままいけば近い将来、国が亡ぶ可能性が割と高いと思っております。

 もしそうなった時、父上は最後まで付き合うおつもりですか?」


 グランデ公爵家は皇家を支える派閥の筆頭だ。

 立場的にも簡単には逃げられないが、最後まで付き合う必要はないとも思う。


 そう思っての問いかけ。だが、聞いた直後父上の目が据わった。


「民を守り導くのが我らの使命である。悪戯に国を脅かすのは許さんぞ」

「ええ。当然、国取りになど想いを寄せてはおりません。

 しかしそれを成さんとする力ある者が現れれば、簡単に討たれる程に弱く見えます。

 そして正直なところ、そうなった時に身を焦がしてまで皇家を救うつもりはありません」


 父上は僕がそうした想いを描いていないと知ったからか、少し疲れた顔で息を吐く。


「まあハインフィードはそれでよい。内乱には終始関わらん事を示すくらいが丁度良かろう」

「あの……問いには答えて頂けませんので?」


「お前が動かんのなら何故知る必要がある」と眉間に皺を寄せる父上に「親の安否を憂いてはいけませんか?」と正面から問う。


「あ、ああ、そうか。そういう話だったのか……

 すまんな。下の子にそんな心配をされているとは夢にも思わなくてな。

 上の子ですらさっぱりわからん顔したままなんだが……」

「確かに。情勢関係だと姉上ですら難しそうな話ですものね……」


 姉上は優秀だ。しかし浅く広くな人でもある。

 見目も麗しく社交的で色々なことを知っているのでどこに行っても人気者だが、専門的な知識は修めていない。


 それはそれとして、ともう一度どうなんですかと父上を見据える。


「見捨てて欲しい、という顔だな?」

「ええ。それが一番手間が掛かりませんので。

 陛下なら話を聞いてご一考頂けるのでまだしも殿下を支えるなんて無理ですよ。ほんとに……」

「むぅ。確かに結構な残念さがある。内面までは知らぬが殿下はそう思うほどに酷いのだな……

 であれば確かに滅びの予見もするか。

 大した諍いも無しに入れ替える事になるのなら喜んで受け入れるのだがなぁ。

 しかし、先ほども言ったが国を脅かすのはならんのだ。

 一度体制を崩すということは国の枠組みを全て取っ払うものとなる。

 国内外の信用全てに罅を入れ、国内での全面戦争に近い事態となるだろう。そうなれば必ず他国も入ってきて押しつぶされる。

 故にそれは民の大虐殺の様な所業とも言えるものだ」


 そう言われてみて、起こり得る未来として考えてはいたもののはっきり想像してみると背筋が凍る。

 歴史を鑑みれば他国の軍が村や町を落とし凌辱して荒らしまわる、そんな様が容易に浮かぶ。

 やっぱりあれを矯正して支えていく方向しか無いのだろうか……


 そう考えていたが、それを物ともしない者が声を上げた。


「それはリヒトが悪い訳じゃない! 適当やってきた皇家と反乱を起こす奴の責任でしょうが!

 罪の無いお姉様が不具合をずっと抱えて堪え続けたけど何も変わらなかったわ!

 今までの功とか言ってダメな奴を信じたら馬鹿を見るだけなの!

 うちの状況聞いてるんでしょ!?」


 確かにその通りでもあるのだが、父上が言っているのは兵士を含めた無辜の民を安易に犠牲にする選択は出来ないという話だ。

 つまりはどうしてもやるしかない状態まではやるな、という事である。


「いや、エメリアーナ……それも間違ってはいないけどハインフィードとは状況が色々と違う。

 家令の時の様な処罰はできない。対処法が誰かがちゃんと躾けるくらいしか無いんだよ……」


 今の段階で全面戦争しましょうは民の為にもダメだよ、って話だとエメリアーナに説明する。


「じゃあ、それやればいいじゃない!」と彼女は何故か頬を膨らませる。


「ふむ。教育か……最近では一般教養ですらサボっているらしいからな。

 常識的なやり方では難しいだろう。しかしあまり強引なやり方をさせて歪まれてもなぁ」


「何故、サボる事を許しているのでしょうか……」と僕はごく自然な疑問を投げかけた。


「陛下が強く言わぬお人だから、だな。私とて皇太子殿下にやれと言える立場におらぬ。

 陛下か皇后陛下が仰って下さらねば、誰も強くは言えんのだよ。忠言はできてもな」


 ああ、うん。やっぱり諦めた方がいいんじゃない。この皇家……

 だって父上、忠言は散々したって顔してるもの。


「そう言えば、皇后陛下は表に出てきていませんが……」

「うむ。お体が弱くてな……故に御子が一人しか居らんのだ。可愛くて仕方ないのだろう」


 側妃を迎えて皇子を増やした方が良いと思うのだが、側室は皇太子殿下が安泰な内は取らないと皇帝が決めているそうだ。


 そ、そう……

 危機感すら持たせられないのね……


「とりあえず父上の御心はわかりました。僕もできるだけ添う様に心掛けましょう」

「うむ。悪いが頼むな」


 そう言って話を楽しい雑談に切り替えて言葉を交わした。

 父上の目が据わった辺りからリーエルが恐縮しちゃってたので僕も気持ちを切り替えたかったのだ。


 しかし父上は体制を打倒する気は一切無しか。まあ僕も自分から動く気なんて一切無いけど。

 ミリアリア嬢には悪いけど、本当に軽い情報だけ渡して様子見になりそうだなぁ……


 そんな思いを浮かべたまま僕らは雑談を終えてお屋敷へと戻った。




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