残暑
未来の先の合わせ鏡: 蒼い宙と君を見る
一つ選択が違えばそこには万華鏡のように、細石雪のように。ささめく未来がある。砕けた結晶よりも多く。ただ不粋なれど、それらを眺める事を望むのならば、それは許されうるか。分からずとも、ただ想像のみに残したくとも。だけれどそれは覗きたくあるものだ、
…
……
それは、怒り顔の未来のその先。
怪物が身勝手に死体を眷属に変えた悍ましい未来の、その先のことだ。
「うわわわ、わわわぁ!」
「あははは!違う違う、そこはもう少し力を抜いていいんだよ!じゃないとそんな風にとんでもない速さで…ぷっ、あははは!」
「わ、笑ってないで止めてえええ!」
びゅん、びゅんと不規則な動きをする蒼白い光点。宇宙を観察する者がいれば、その異常性の満ちた光と動きを、凶星の瞬きとして、背筋に寒気が通っただろう。そしてそれをまた、イエトが聞けばからからと声をあげて笑ったろう。なんてことはない。ただまだ、慣れていない旦那の、へろへろの動きだというのに。
「私たちはもうその速さにそうやって怖がる必要もないんだけど…どうしても人間の時の感覚が残っちゃうとねー。
まあ、ゆっくり慣れてこうね、ジエーくん」
「ひぃ、ひぃ…う、うん……」
姫抱きをされ、その手の内の中で目を回して息を切らしていた慈英。正確には、慈英少年であった人外なのだが、便宜的には慈英少年だ。どうせ、人であった彼を知るものは最早いないのだが。
「ごめん、なさい。
何度も何度もたすけてもらっちゃって…」
「んーん、大丈夫!むしろ筋が良い方だと思うし、なんてったって、夫婦っていうのは助け合うものでしょ?だからこれでいいんだよ、ダーリン」
「…う、うん」
「…おや。まだこの呼び方に慣れないの?ジエーくんったら。全く照れ屋さんだなあ。いやいや、それよりおませさん、かも?」
怪物が、彼を戯けて呼称して。その呼ばれ方にどうしても顔を逸らす、少年。そうした所でぐいと無理矢理イエトの方を向かされてしまうし、何より首元や髪がちかちかと点滅して、その感情の揺れを隠すことはできない。
病魔も無い、飛び回れて、何よりイエトと共にいられる。文句の無い身体だけれど、本当にただそれだけ。それだけは自分の体が嫌だった。
「…仕方ないじゃないか。
だって、おれなんかがこんなひとと夫婦になっただなんて。分かってても、まだ慣れないよ」
「あ。それ」
「?」
「それ、禁止。『おれなんかが』って言葉はもう言わないようにしようね」
珍しく、少し不機嫌そうな顔でイエトはこつんと額で額を打った。大袈裟に身を引いた少年を、今度は軽く微笑んで眺めた。哀しみや喜びというよりは、不機嫌を隠す為の膜のような笑み。
「私のお婿さんには、それに相応しい口ぶりをしてもらわないとね。だからもっと自信を持って、胸を張りなさい。じゃなきゃ、いつか愛想をつかしちゃうかもよ?」
私が好きになった人を卑下するのは、例えその好きな人自身であっても許せないという、醜い本性。それをひた隠し、イエトは上記のように嘯いた。そしてそれは、結果的に効果が覿面で。
「!…それだけは、いやだ!
おれ、がんばるよ!おれなんかに出来るかはわからないけど…っああ、い、今のは無しで…」
「ふふっ、ふふふふ!ジョーダン、じょーだん。そんなに焦ることはないし…くくっ。ごめんね。お姉さん嘘つきなんだ。ぜーったい真実にならない事も言うようなね」
煙に撒くような、少し胡乱で、遠回しな言い草。それこそが彼女の本性に近しくて、そしてまた故にそれを隠して接する存在は彼女にとってはどれほど特別なのかという証座となる。
「何があっても、どうあっても。誰がなにをしようと、私がこれから先、きみに愛想をつかすとか、嫌いになるなんてあり得ないんだよ。理解してくれたかな?」
「……!うんっ!
おれも、おれもだいすき!
ずっと、ずっと愛してるよ!」
ぎゅっと。嬉色のまま飛んで、イエトの頬に頬ずりをしながら抱きしめた。今までの、病魔に侵されては出来ないその動きで甘える姿は、まだヒトの子供だった名残を思い出させる。
「……っと。ちょっと離れてもらっていーい?
ちょっと用事を思い出しちゃって、ね」
「あ、うん。
………ごめん、なさい。
急にその、抱きついちゃって…」
露骨な話題の転換に、機微に聡い少年は悟ってしまう。今の妻の言動は、自分の行動に困った故のものである、と。
そっと、俯いて手を離そうとする慈英。哀しそうに後退りをしようとしたその姿に、今まで彼が出会ってから、一番焦った様子でイエトは振り返ってかがんで、視線を合わせて必死に話しかけた。
「なっ、違、違う違う!!
その!今のは迷惑なんじゃなくってさ!むしろすっごく可愛くて、嬉しかったよ!だけどほら、そのさ!」
…彼女の嘘が、もう一つ。
それは言語による即物的な嘘ではない。
態度の嘘。それはつまり、『猫を被る』というような意味合いのこと。虚偽というよりは、ただ表層を誤魔化すということではあるが。
つまりなんだと言うと、つまるところは。彼女はこんな平然と、彼を導くような口ぶりをしてはいるが。頼れる年長として、恐ろしき人外としてそうなったばかりの彼をリードしてはいるものの。結局のところ。
「……あはは。私もはずかしいんだ。私も、慈英くんが旦那さんだってことに、慣れてなくって照れくさいの」
いつもの、微笑み顔。顔を赤くもせず、少年のようにちかちかと明滅もせず、世辞のようにすら見える発言。
だけれどそれは、同族になったという神秘か、心を通わせた牧歌的な愛か。少なくとも、慈英はその照れてる、という言葉が真実であることがすぐにわかった。
なぁんだ、と少年は心から安堵した。
自分だけではない。
お姉さんも、まだ慣れていないのだ。
自分と一緒に、同じ道を歩めるのだと。
そうだ。まだ、慣れていないのならば。
幾らでも、これから距離を詰めていけばよい。
光年の長さが彼らを隔てた距離だとしても、ゆっくり、星の流れる早さで距離を縮めればいい。スロー・ペースと光速の合間で、その倒錯した因果と関係に慣れればいい。
なんていったって、時間は幾らでもある。
村が滅びようと星が滅びようと、銀河が消え去ろうとも。次元の中で寄り添い合い続ける。時がいくら流れようとも、互いの眼を見つめ続ければ永劫だろうと足りはしない。あなたの魅力を見つけ尽くすまでには、幾度世界が滅びようとも到底足りはしない。
故に愛する傍らと、またたきあえるのだ。
「…いえとさん、もう一度かがんで」
「…ん」
少年はただちゅっと、鼻先にキスをした。
少し前ならば。もう、どうせすぐに命が終わるならばと自棄じみた勇気を出すことができたけれど。ずぅと横に居れるのだとわかった今は、ぷるぷると震えながらの、これが精一杯。
髪が、頬が、蒼くちかちかと明滅した。
彼の妻のように、それを隠せは出来ない。
「……つ、つづきは…また、今度しようね!
…ま、まま、まいはにー!」
「……くっ。ふふ、うふふふ。
了解、私のかわいいかわいい、旦那さま」
さあ。
そうしてまた、彼らのレッスンが始まる。
黒い黒い天蓋のカーテン・コールの上で、蒼光の瞬きが幾度も幾度も、パニックの挙動を起こしては、一つとなった。
どれほどそれをしていたろうか。
それは、わからない。
だけれど彼らには関係のないことだ。
どうにせよ、ずっと一緒にいるのだから。
いられるのだから。
…
……
「…ねえいえとさん。照れても光るのを隠すのってどうやればいいか教えて」
「ん。はずかしそーにチカチカするキミの姿が可愛いから教えてあげなーい」
「………いじわる…」
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