明らかにやばめな封印をされている女の人の封を解いたら気に入られる話
澱粉麺
一つ目の紐: たべる
少年がそこに迷い込んだのは意図的ではなかった。否、ある意味では意図的だった、のかもしれない。非日常を求めて、何かが起こりはしないかと思っていくあても無く山道を歩き回っていたことは。
彼のその望みは叶う事になる。
藪蚊にあちこちに噛まれながら、雑草の山を歩いていくその先で、少年は非日常の光景に出会う事になる。
忘れられない、異常の味を堪能する。
山中にある、ぼろけた小屋。
そんなものは、誰かが組み立てたはいいが何に使うかも考えてなかった、考えなしの産物としてそこらにある。
だが目の前のものには、しめ縄と、何か難しい文字が書いてあるお札が木目が見えなくなるほど夥しく貼られていた。
少年には何を書いてあるかはわからなかった。
ただ、これは目的があって建てられた古屋だとはわかった。
だからその扉を開けてみた。
そこに、何か変なものがあることを望んで。誰かが捨てたポルノ・雑誌でもいい。不法投棄された化学物質でも良ければ誰かが隠した一財産でも、ちょっとした楽しみになるものだったなら。
縄を手持ちの小さな鋏で切ってぎい、と開けた扉。
その中には光源は一つもなく、とても暗く。
少し慣れるまでは歩き出せなかった。
「おや、きみは…?
随分可愛いお客さんが来たものだね」
女の人の声。
とても可愛らしい声だった。鈴が転がるような、明るい声。暗闇からそれが聞こえるという事そのものが、異常ではあった。
ケータイ電話で光源を作りはしなかった。
それは少年が思い付かなかったのか。
もしくは、それを無粋と思ったのか。
そっと、その声の持ち主に触った。
瞬間、その女性の全体像が不思議とわかった。
表に貼ってあった札と、同じような文字。
それがびしりと肌に書き込まれている。
そして、表にあったしめ縄よりも倍に太い赤い縄。
それが七本、彼女を縛り上げていた。
四肢に一本ずつ。胴体に二本。首に、一本。
吊られ引っ張られ、折れる角度で。
「まあ、誰でもいいかな。ねね、ちょっと頼みがあるんだよね。
どれか一つでもいいからさ、私のこの縄を取ってくれないかな?」
少年はそれを聞くや否や、すぐ踵を返した。扉に向かって走ろうと足に力を込める。
「あら、ちょっと、ちょっと待ってよ。ほら、言う事聞いてくれたらお姉さんが『いいこと』してあげるよ?それに大人の言うことはもっとちゃんとお話を聞いたりさー…」
きぃ、きぃ。
古びた蝶番が揺れる音だけが響く。
そこに少年の気配は既にもう無かった。
「ちぇっ、残念」
『女性』は少し開いた出口を恨めしげに暫く眺めていた。開いた扉から入ってくる蝉の音を羨むように。
そうしていると、しかし。そこにまた予想外の来客がやってくる。
「…ん?」
息を切らした、先ほどの少年だった。
その手にはさっきまで無かったもの。目の荒い鋸を持って。
そしてその鋸で少年は、腕に付いた縄をごりごり、ごりごりと削り始めた。ゆっくり、それでいて確実に。
ごりごり。ごり、ごり。
暫く休んでから、また、ごりごり。
長い長い時間がかかる。
その間に二人は少しだけ会話をした。
寡黙なまま切る少年に、女性が声をかけて。
「それ、取りに行ってくれてたの?
ありがとうね、ぼく」
「さっきのはさみじゃ切れないと思ったから」
「そっかそっか」
ごり、ごり。
少年の手には鋸の大きさは余る。汗だくになりながら、水筒の水を飲みながらまたゆっくり引き始める。
非力であろうとも、だんだんと縄は細くなっていく。
その度に、女性の笑みは深くなっていく。
「きみは怖いもの知らずだね。
それに、危機感がないみたい。普通、こういう怪しい大人にあったら怖くて逃げるくらいじゃなきゃだめだよ?」
「うん。お姉さんは怪しいっていうのは、おれみたいな子どもでもわかった。だけど、いいよ」
「だって、いいことしてくれるんでしょ?」
こりこり、こり。音が軽くなっていく。切られる縄が細く、切られる面積が少なくなっていることを表している。
じっと、女性が少年の顔を眺めていた。
「ふーん?
ただのエロガキ…って訳でもないみたいだね」
「…うふふ、面白いなあ。
思春期男児特有の拗らせとか安っぽいペシミズムでも無く、本当に死んでもいいと思ってるみたいだ。いや、希死念慮というよりも…」
じっと覗かれた目から心が読まれるような感覚。暗い、暗い黒い目に心の内側を覗かれる感覚。ただ少年にはそれは気持ち悪くはなく、むしろ心地よかった。
こりこり、こり、ぷち。
右手の縄が、いよいよ千切れる音。
瞬間、少年は尻もちをついてしまった。
疲れて、転び込んでしまったのだ。
暫くその場で大の字になって動けないほどの疲弊。
「あは。今は右手の縄だけで限界かあ。
でも、十分だね」
すっかり暗順応した少年には、今や女性が克明に見えていた。だから、それは見間違いや幻影ではなかった。
ずる、とその女の人が増えたのだ。
まだ吊るされているそれと、右手の陰から現れた、女性。それらは二人ともこっちを眺めていた。
「あはは、うふふふふ!
あー、ひっさしぶりのちょっとの自由!
すごいすごい、たまらないなあー!」
少しだけ透けて見える後ろ。
そこに残っている女性。そっちには肌に文字が刻まれていて、もう一人の外を走る方にはその文字はない。
びゅんびゅんと飛び回るもう一つのお姉さんと、小屋に貼られていた札が全て枯木のようにボロボロに朽ちたことも、少年にはどうでもよかった。ただ、嬉しそうにはしゃぐ姿を見て、少し嬉しかった。
「はー、お待たせ。さて、約束は、約束だ。
お姉さんがいいことをしてあげよう。
さあ、ぼく。私になんでも言ってみて?」
「……なんでも、いいの?」
「うん、なんでも」
「……なら……」
……少年は、願いを言った。
…
……
「お邪魔しまーす。お母さんは?」
「いない」
「ふーん?お父さんは?」
「死んだ」
「そっかー」
すっかり暗くなった外から戻って、家に電気を付けた。初めて、明るい下で見たお姉さんの姿をまじまじと見て少年は少しだけ気まずくなってしまった。
じっとりと、墨汁や闇よりも濃い綺麗な黒色の胸元までかかる黒髪と、それよりも黒を湛えた美しく大きな瞳。それでいて、局部や胸部を辛うじて隠すような、朽ちたような過激な格好が少年を少し赤面させた。
その様子を見てか、くすり、と優しく微笑んでから彼女はそっと手を少年の眼前に翳して。次にそっと翳した手が上がった時には、既に衣装は普通の服姿に早変わりしていた。
「それじゃ、きみの願いを叶えようかな」
女性は、そのまま少年の手を取って家の奥に行った。
案内してもらいながら、先に。
…台所に。
…
……
「さ、どうぞ!」
「チャーハンなんだ」
「…うー…ごめん。なんでも、なんて言ったけどわたしずっと閉じ込められてたから、料理なんてこんなのしかできないの」
血が通ってないような真っ白な顔を、ぽっと赤くして恥ずかしそうにする姿を横目に、少年は目の前の料理に齧り付いた。
「わわ、無理して食べなくていいよ。
もっと勉強してから新しいもの作るから」
「ううん。おいしいよ、おねえさん」
「そう?ならよかった!」
少年が提示した願い。
それは、『お姉さんにおいしいものを作ってほしい』だった。それを言われて女性はきょとんと呆れて、それから大笑いして、ならば調理器具があるきみの家に連れて行って、とここまできたのだ。
気づけば、エプロンの姿になっている。その服はどこから持ってきたの、とは少年は聞かなかった。
「しかし、変わってるね。きみ。
なんでもって言われたらもっと色々あると思ったんだけどな。お姉さん、ささやかなお願い初めてだ」
「そうなの?」
「うんうん。きみは生きるのはそこまで大事じゃないみたいだけど、食べるのは好きなんだね」
「うん。食べるのは好き。おいしいから」
「んふふふ、そっかあ。
わかるわかる。おいしいのっていいよね」
それから、おかわりを二回ほどして。
少年は腹一杯になってから横になった。
女性はそれをずっと笑って眺めていた。
「ねぇ。
もう一つお願い、いい?」
「ん、料理が微妙だったし…特別にいいよ」
「お姉さん、名前なんてよべばいいかな。
おれ、知りたいよ」
また、そのような些細な願い。
今度は困ったような笑顔を浮かべた。
泣きぼくろを、とんと押さえるような動き。
こめかみにかかった黒髪がさらりと揺れた。
「んー、いお、いう、いえ…
イエト…そだな。家戸お姉さんって呼んでよ」
「いえと、さん」
「はい、いえとですよ?」
「うん。いい名前、いえとさん。
ねえ、いえとさん」
「なあに?」
「おれをころすんでしょ?
なら、今お腹いっぱいの時にやってほしい」
女性…イエトは、その要請にまた笑った。
くすくすと笑ってから、少年の唇を指でつまむ。
「…ね。お姉さんからも一ついいかな?
きみの名前、教えてもらっていい?」
「…慈英」
「ジエーくんか。うん、かっこいい名前」
そう言うと、家戸はそっと慈英を抱きしめた。
乳房に顔をそっと押し付けられて、少年はびくりと少しの間もがいていたが、途中から観念したように動かなくなってしまった。
「そう、本当は殺すつもりだったの。だけど、どうしよう。お姉さん、ジエーくんの事すごく気に入っちゃった」
「むぐ…ころさないの?」
「それはまだわからない。
けど、もうちょっと遊んでいたいな」
ぱっと、抱擁から解放されて。
少年はそのままぼうと女性を眺めていた。
物騒な言葉など聞こえてないかのように。
イエトの手が、ゆらゆらとゆらめいたのを見ても、驚くことなどないというように、ぼうと眺めていた。
「右手だけだと、これくらいの時間が限界みたい。
このままだと、お別れだねジエーくん」
「……」
「……ねえ、ジエーくん」
「また、明日もおいでよ」
「うん」
「紐を一つ一つ、切ってほしいな。
そうしたら、もっと遊べるから」
「その時は…
また、『いいこと』してくれる?」
「うん、もちろん。
だから、またね」
ちゅ、と。
首の後ろに口付けをしてから。
その幻影はさらりと消え失せた。
ただ残るのは、少年の腹の中の焼飯と。
うなじに残る唇の感触だけだった。
じんじんと痛むような、潤んだ感触。
誰もいない家の中、少年が一人鼻歌を歌った。
明日からの、七本の非日常を謳って。
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