第3話 奇跡

 霊力には黒瘴気こくしょうきを浄化する以外にも、いくつか特別な力がある。


 一つは身体能力を強化する力。霊力を体に巡らせるほど、肉体を変質させ、通常では考えられない身体能力を得られる。また、治癒能力も向上させてくれる。


 二つ目は物質の性質変化。主に物体の硬化などに使われるが、特殊な物質に霊力を流し込むと、特異な現象を引き起こす事ができる。


 そして三つ目は霊装れいそう。霊力を具現化した武装であり、心身と霊力を鍛える事によって、火炎をおこしたり、雷を操ったり、物を浮かせたり、と異能を宿す。


 霊装の種類は一般霊装、固有霊装、特殊霊装の三つに分けられる。


 一般霊装は異能を宿していない霊装であり、固有霊装は種族限定の異能である固有能力を宿した霊装を、特殊霊装は個人限定の異能である特殊能力を宿した霊装を指す。


 つまり、霊力をどれだけ保有しているか。そして霊装の異能がどれだけ強いか。それが強さとなる。黒瘴獣こくしょうじゅうと戦う力となる。


 だからこそ、僕たち鼠人族は最弱だ。


 小柄で力が弱く、どの種族よりも圧倒的に霊力の保持量も成長ポテンシャルも低く、固有能力も≪危機感知≫という自身に及ぶ危害を直感的に感知できる異能だ。


 弱く、臆病で、逃げ足だけは早い最弱種族。髪や瞳の色があおい灰色でなくとも、鼠人族は迫害されていただろう。


 対して、最強と謳われる種族がいる。


 素の身体能力が高いのはもちろん、霊力の保有量も成長ポテンシャルも高く、最強と謳われる固有能力を持つ。


 竜人族だ。


「ホムラ君! 大丈夫っ!?」

「だ、大丈夫……」

「なら、良かったわ!」


 黒瘴こくしょう竜のブレスをくれないの剣で切り裂いたローズは僕の返事にほっと胸を撫でおろした。


 瞬間、黒瘴こくしょう竜が爪を振り降ろしてくる。

 

「グァアアアーーー」

「くっ」


 ローズが剣で黒瘴こくしょう竜の爪の攻撃を防ぐが、竜の一撃は重い。竜人族の身体強化をもってしても、押し負けてしまう。


 僕はポーチに手を入れ閃光手りゅう弾を取り出し、同時にローズに叫ぶ。


「横に跳んで目を閉じて!!」

「ッ」


 僕の言葉に反射的に横に跳んだローズに合わせて、僕は閃光手りゅう弾のピンを抜き、黒瘴こくしょう竜に投げつける。


「グガァアアーー!」


 閃光手りゅう弾が着弾すると同時に、猛烈な閃光が周囲一帯を埋め尽くし、黒瘴こくしょう竜が大きく怯んだ。


 その隙に僕とローズは黒瘴こくしょう竜から逃げようとするが。


「ッ!」

「チッ」


 僕たちの逃走経路を塞ぐかのように、半径百メートル程度の黒瘴灰こくしょうはいの壁が現れた。僕たちは閉じ込められたのだ。


 小さく舌打ちをした僕は、ローズに責めるように尋ねた。


「なんで来たのっ?」

「なんでって、ホムラ君を助ける――」

「頼んでない。さっき助けてくれたことは感謝するけど、僕のせいでローズが死ぬのは嫌だ」

「ッ」


 ローズは僕の言葉に息を飲み、言い返す。


「なんで私が死ぬって決めつけてるのよ! 大体、あの時、少しでも抵抗してれば助けられたのよ!」


 僕が霊航機から放り出された時の事を言っているのだろう。確かにあの時、僕は一切の抵抗しなかった。していたら、たぶんローズたちが助けてくれただろう。


 でもそれじゃあ駄目なんだよ。


「……最弱種族の僕でも囮くらいはできるんだよ。僕の命で、みんなの命が救われるんだよ」


 特に、僕を庇ってくれた人たちには、ローズには生きて欲しいから。


 僕は閃光手りゅう弾の怯みから回復しはじめた黒瘴こくしょう竜を睨む。


「だから、逃げて。ローズなら、竜人族のローズなら今からでも――」


 最弱種族の僕でもローズ一人を逃がすくらいなら――


「いやよ!」


 ローズが僕の言葉を遮った。


「確かに私では黒瘴こくしょう竜に勝てないわ! でも、ホムラ君を見捨てて逃げるなんて私の誇りが、夢が許さない! それに彼らも助けたい!」


 ローズが黒瘴こくしょう竜の近くで倒れている聖霊騎士四人を見やった。ローズは僕だけでなく、僕が見捨てた彼らの命まで救おうとしているんだ。


 どうしようもない想いが込み上げてきて、ローズに怒鳴ってしまう。


「我が儘だよ! 現実を知らなすぎだ! 全員が助かる奇跡はないんだよ!」

「いいえ、あるわ。起こすのよッ!」


 リンッと叫んだローズは紅の刀身の剣に霊力を注ぎ込んだ。


 剣は紅に輝き、ローズは紅の光で作られた竜の翼を生やす。紅の剣は、竜の力をその身に降ろす≪竜の祝福≫という固有能力が宿った固有霊装だったのだ。


 ローズは紅に輝く竜の翼を羽ばたかせ、黒瘴こくしょう竜に向かって飛翔する。


紅蓮ぐれん流――烈火断撃れっかだんげきッッ!!」

「ガアアーー!!」


 ローズの上段から振り降ろされた剣が、黒瘴こくしょう竜が振り上げた竜爪と激突する。黒瘴こくしょう竜が少しだけよろめく。


 その間に竜の翼で空を打ったローズは、倒れていた聖霊騎士たちを紅の光で包み込み、≪竜の祝福≫の浮遊の力で僕の傍まで移動させたのだ。


 しかし、その代償は大きい。


「グルァーーー!!」

「きゃあっ!!」 


 聖霊騎士たちを離脱させるために意識を割いていたローズは反応が遅れ、黒瘴こくしょう竜が放ったブレスを完全に躱せなかった。ブレスが肩を掠り、血が噴き上がる。


「ローズ!」

「大丈夫よ! それよりも私を信じなさいッ! 君が捨てようとした命、私に預けなさい!」

「何を……」

「必ず時間を稼ぐわ! だから、それまで彼らを死なせないで! みんなで生き残るのよ!」


 僕への怒声と共にローズは黒瘴こくしょう竜へ走り出す。膨大な霊力で強化した身体能力で、剣を振るって黒瘴こくしょう竜と戦う。


 だが、両者の間には猫と鼠ほどの差があった。いくらローズが剣を振るおうとも、黒瘴こくしょう竜の体には傷一つつかない。


 逆にローズの体には傷が増える。血を流し、土に汚れ、ボロボロとなっていく。


「ハァァッッ!!」

「グラァアアアッッ!!」


 それでもローズは裂帛の叫びをあげ、黒瘴こくしょう竜に立ち向かうのだ!


「〝浄灰結界〟っ!」


 分かってる。奇跡など無いのだと。過去が囁く。


 けど、ローズが黒瘴こくしょう竜と戦ってしまった以上、彼女を逃がすことはできなくなった。


 なら、もう彼女の言葉を信じるしかない。一か八かに賭けるしかないんだ!


 僕は自分を起点にドーム状の霊力の結界を張り、空から降ってくる黒瘴灰こくしょうはいを防ぐ。


 そして聖霊騎士たちを見やった。とても酷い状態だった。


 意識はなく、体のあちこちが大きな切り傷があり、血が溢れていた。しかも、黒瘴灰こくしょうはいによる火傷で皮膚が大きくただれていた。


「確か中級の治癒霊薬があったはず!」


 ポーチを漁って薬品が入ったいくつかの小瓶を取り出し、彼らに振りかける。するとパァーと彼らの体が淡く輝き、流れ出る血の量が少しだけ収まった。顔色も僅かだけどよくなった。


「“鬼鈴きりん”・≪回癒≫!」


 僕の右手首に両端に鈴が下がった赤い組紐が巻きついた。


 それは“鬼鈴”という特殊霊装であり、僕の命を何度も救ってくれた≪回癒≫という回復能力を高める特殊能力を宿している。


 だから、彼らの命も救って!


 僕は祈るように“鬼鈴”を通して聖霊騎士たちに霊力を注ぎ、癒しを施していく。


 治す必要はない。というか、僕の霊力では瀕死状態の人を完全に癒せない。


 けど、ローズは言った。時間を稼ぐと。それは、聖霊騎士団が助けに来るまでの時間だ。


 なら、僕はそれまで彼らの命を繋ぐんだ!


「くっ……」


 霊力は生命力の源とも言われており、体内にある霊力が少なくなればなるほど、虚脱感が激しくなる。しかも、その状態が長く続くと全身に痛みが走るのだ。


 瀕死状態の人を生かすためには、大量の霊力が必要となる。


 だから、僕の霊力は数分もせずに底を見せ始め、激痛にあえぐ。酷い虚脱感に襲われ、意識が朦朧とする。


 けど、ローズはもっと苦しんでるんだ。痛みに耐えて血にまみれて、黒瘴こくしょう竜と戦っているんだ。


「僕がっ、諦めるわけにはいかないんだッ!」










 そしてそれから数秒か、それとも数分。もしくは数十分。時間感覚も薄れるほど、極限の中で僕は治癒をつづけた。


 けど。


「もう、だめ……」


 生命維持に必要な霊力さえも使い切り、僕の意識は遠のき始めていた。


 ドォーーーーン!!


 突如、轟音と共に遠くの上空で花火のような光が輝いた。同時に、霊航機特有のエンジン駆動音がかすかに聞こえた。


 聖霊騎士団が、来たんだ……。 


 奇跡が、起こったんだ……!


 遠のいた意識で僕は喜び、そしてローズの方を見やって息を飲んだ。


「あ」


 ローズは膝をついていた。霊力はもう無いのだろう。霊装である紅の剣を消えていて、今にも倒れそうな状態だった。


 そして、黒瘴こくしょう竜のブレスがローズに迫っていた。


 死んでしまう。僕が諦めた奇跡を掴み取った彼女が死んでしまうっ。


 だから、僕の命! 霊力をよこせッッ!!


「“焔月えんげつ”・≪刹那の栄光オーバー・クロック≫ッッ!!」

「グアァ?」


 シャンッと鈴の音が響くと同時に、僕は黒瘴こくしょう竜のブレスを切り裂いた。黒瘴こくしょう竜は困惑に喘いだ。


 それを無視して、僕は前に倒れそうだったローズを支えた。おっぱいを触ってしまったが、これは仕方ないと思う。


 ローズが朦朧とした様子で黄金の瞳を僕に向けた。


「ホムラ……くん? たすか……ったの?」

「そうだよ。聖霊騎士団が来たんだ。ローズは奇跡を成し遂げたんだ。凄いよ。本当に、凄い」

「そう。よかった……」


 僕の言葉を聞いてローズは小さく微笑むと意識を失った。


「お疲れ様。本当に、ありがとう」


 僕はローズをゆっくりと寝かせ、頭を撫でた。


 黒瘴こくしょう竜を睨んだ。


「グルゥゥゥーーー!!」


 僕に困惑していた黒瘴こくしょう竜は聖霊騎士団の気配を捉えたのだろう。勝てないと悟ったのか、慌てて翼を羽ばたかせて逃げようとする。


 だが、ローズをここまで傷つけたお前を逃がすわけがない! 一矢を報いなければならないッ!!


「≪刹那の栄光オーバー・クロック≫、一閃ッッ!!」


 ぬるりと輝く青みがかった灰色・・・・・・・・の刀身。


 音よりも速く黒瘴こくしょう竜の懐へと踏む込んだ僕は、抜刀した。


「グァ?」


 黒瘴こくしょう竜の片翼を根元から斬り落とした。


 黒瘴こくしょう竜は最初、自身の片翼が斬り落とされたことに気が付かなった。けれど、次の瞬間、大きく叫ぶ。


「グガァアアアアーー!!」


 なんだ、お前はッ!? 取るに足らぬ生き物だっただろう! どうやって我の翼が切り落としたんだッ!!


 叫ぶ黒瘴こくしょう竜の眼にはそんな感情がありありと浮かんでいた。


 そして僕は黒瘴こくしょう竜を一瞥すると、寝かせていたローズを抱きかかえその場から離脱した。


 同時に、


吶喊とっかん!!』


 周囲を囲っていた黒瘴灰こくしょうはいの壁を切り裂いて、幾人もの聖霊騎士たちが突撃してきて、黒瘴こくしょう竜を封じ込める。


 それを見た僕は安堵して。


「あ、やばっ」


 寿命とか命とか、そういうのから無理やり霊力を生成したせいか、ブツンッと意識を失った。 

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