第5話 お城へ

「ちゃんと時間通りね」


 リオンはうんうんと頷き、感心したようなそぶりを見せる。昨夜言われた通りにグリムは朝7時ちょうどに酒場の前で待っていた。


「お前に言われたからな」


 グリムが酒場を出た時には既に町中の人間が各々活動を始めていた。

 シンデレラといえば夜に大きく物語が動き始める印象が強い。町の人々も生活の基本は夜型かと思っていたが、このシンデレラの世界は比較的朝から賑わっていた。


「お前じゃなくて、リオンでしょ。あなたがつけた名前じゃない」


「なんだ、気に入ったのか」


「べ……別にそういうわけじゃないわよ!」


 リオンはそう言うとくるりと反対側を向いて歩き始めた。


「今日はどこかに出かけるのか?」


 置き去りにされると思ったグリムは慌てて追いつき、足並みを揃えた。


「舞踏会のダンス練習で夕方までレッスンよ」


 リオンはグリムの問いにさらっと答える。舞踏会と聞いてこの世界がシンデレラの世界である事をグリムは再認識する。


「舞踏会に行くやつは皆こういった努力をしないといけないのか」


 シンデレラの物語の中で切っても切り離せない一大イベントである舞踏会。今までにも別のシンデレラの世界に訪れた事のあるグリムだったが、舞踏会の為に人々が下準備をしている世界は初めてだった。


「別に強制じゃないわ。やりたい人だけがやってるだけ」


「そうなのか」


「ただ私は……与えられた役割は最大限果たしたいだけよ」


 リオンは力強くそう言った。彼女を見るとその表情は真剣そのものであり、緋色の眼は熱を帯びるように煌めいていた。


「……与えられた役割か」


 彼女の言う与えられた役割というのは間違いなく『意地悪なシンデレラの姉』の事だ。

 その役割がどういったものか、最後にはどのような結末を迎えるのか……シンデレラの物語を知っているグリムは彼女に対して上手な返し方が思い浮かばなかった。


「なによ、複雑そうな顔をして、まさか私に同情でもしているのかしら?」


 していないといえば噓になる。しかし肯定すれば今の彼女の行いを否定してしまうような気がしてグリムはやはり何も答えることが出来なかった。


「大丈夫よ、私は自分に与えられた役割を最後まで演じて見せるわ」


 彼女はにこりと笑って見せた。その言葉は本心から出ている物であるとグリムは理解したが、それと同時に彼女の笑みは作りものであることも分かってしまった。


「それなら……ダンスの練習を怠るわけにはいかないな」


 グリムなりの最大限気の利いた言葉をかけるとリオンはその通りよと親指を立てる。


「それこそ、舞踏会に参加した人たち全員を私の踊りで魅了させるつもりよ」


 リオンはにやりと笑って見せた。その笑顔は先ほど見せた作り物ではなく、昨日の酒場でも見せた彼女の無邪気な笑顔だった。


「……ん?待てよ、そうしたら俺は今日、リオンの舞踏会の練習を眺める為に朝早くから呼ばれたのか?」


「まさか、そんなわけないでしょ?」


 リオンはそう言ってびしっと歩いている方向の先を指さす。


「あそこに大きなお城が見えるでしょ」


 人差し指の先を見ると町の中からでも大きなお城の頭の部分を見ることが出来た。


「あそこが舞踏会の会場ってわけか」


「そうよ、そして当然王子様もあそこに住んでいるわ」


 王子様。シンデレラの物語に欠かせない役割を持った人間のひとりであり、物語の中では舞踏会の夜、シンデレラに見とれてダンスを申し込み、最後には町中から彼女を探し出して婚約する。シンデレラの物語を知る者ならば誰もが知っている人物である。


「一応王子様に挨拶にでも行ってきなさい」


「俺の意思は考慮してくれないのか?」


「どうせあなた暇でしょ?」


 リオンは一言で理由を告げる。確かにこの世界でやることが決まっているわけではないが、わざわざ朝早くから離れた城を目指す理由もなかった。


「ちゃんと理由はあるわ」


 俺の顔を見て納得していない事を見抜いたリオンはすぐに言葉を続ける。


「あなたがこの世界で不審者だと思われないように、先に王子様に謁見してこの町を自由に歩き回る免罪符を得る為よ」


 リオンの話を聞くと町の安全を取り締まっている衛兵たちは王子様の命令で動いているらしい。外の世界から来たグリムが潔白であることを先に示した方が良いとのことだった。


「それに、ほら……外から来た旅人にはもあるじゃない」


 リオンは歯切れの悪そうに話す。その理由を聞こうとしたその時、今まで歩いていたリオンの足がぴたりと止まり、体の向きを90度変えた。

 彼女の向いた方向を見ると大きな一軒家が建っていた。


「私はここで舞踏会の練習をしてるから、さぼらないでお城に行きなさいよ」


 言葉をかける間もなく「それじゃあね」とリオンは家のドアをノックしてすぐに中に入っていった。


    ◇


「さて……」


 このまま町中を探索してみるのも悪くはなかったが、彼女の言葉を無視するわけにはいかないと思ったグリムは城を目指して歩き始めた。


 辺りは明確な役割を与えられていない人々が平穏な日常を過ごしていた。


 魚をくわえて逃げるネコを追いかける店主と衛兵、それを見て笑う町の子供たち。ベンチには老夫婦がたわいのない談笑をしている。


 物語の中で普段の日常を意識して演じている人々はほとんどいない。世界の中で演じなければならない明確な役割を持っていない人間たちは自然と生活を続けるだけでそれ以上の行為を望むものは殆どいない。


 けれどもその逆、世界から物語に関わる役割を与えられた人間はその役目を全うしようと努力する者もいる。リオンがまさにそのような人間だった。



 どちらも共通して与えられた役割からは決して逸脱しないように生きている。



 この場所がシンデレラの世界と呼ばれているように、この世にはたくさんの世界が存在している。それぞれの世界には物語が存在し、人々は世界によって与えられた「頁」に書かれた役割を担っている。


「頁」それは物語を完成させるために必要なものであり、すべての人間が生まれた時から所有している命と対等の価値を持つものである。


 それぞれの「頁」にはその人間が物語の中で何を演じなければいけないのか、簡単な絵と文字で役割が書かれている。


 世界に与えられた役割に背いたと認識された人間は普段は体内にしまっている「頁」が燃えて焼失してしまう。


「頁」を恐れ、手放そうとする者も世界の中にたまにいる。しかし、「頁」は体の外に出すことは出来てもその所有者から離れることは不可能だった。


 それゆえに人々は死なない様に「頁」に記された役割を演じながら生きている。

 城を目指しながら歩く中、ふと初めてリオンと出会ったときに割れた言葉を思い出す。


『燃える心配がなくてうらやましいわ』


 彼女の言う通り、グリムは「頁」を持っていない。ゆえに焼失することはありえない。

 しかし、「頁」を持たない事は果たして幸福なのか……グリムは分からなかった。


「……なぜ俺は世界から役割を与えられなかった?」


 その問いの答えをグリムはいまだに見つけられなかった。


 幾つもの世界を旅する中でいつかはその答えが見つかるのか。

 それとも永遠に答えを得られないまま世界をさまよい続けるのか。


 最初に生まれ育ったあの世界で、大切な人に言われた言葉こそが自分自身の存在の答えなのだろうか。


 目を閉じれば鮮明に思い浮かぶ白亜の城。そして深い森の中、小鳥の囀に交わるいくつもの小さな声。そしてその中でも一段と優しく響くあの人の呼び声。



「……おーい、お兄さん、そんなところでぼーっと突っ立っていると馬にひかれるぞー」


 自身の記憶の中に深く潜りかけたその時、街道の端で立っていた男に呼びかけられた。


「この道は馬車が通るから真ん中で立ってるのは危険だって知らないのか?」


「あぁ、すまない。考え事をしていた」


 グリムに声をかけた男はいぶかしげな表情をするが特に気にすることもなくそのまま歩いて行く。


 リオンと別れてから城を目指してまっすぐに歩いていたグリムは気が付けば町の外れまでたどり着いていた。


 町を出た直後、猛スピードで走る馬車とすれ違う。先ほど声をかけてきた男が言った通り、あのまま道の真ん中を歩いていたら馬車にひかれていたかもしれない。


 町の外にでるとお城の全体像をはっきりと見ることが出来た。しばらく歩けば町から城までたどり着きそうだった。

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