グリムストーリー 〜物語の中で役割を与えられなかった者〜

灰冠

第一章 シンデレラ

第1話 シンデレラ

『あなたはの人間よ』


 脳裏に浮かぶのは、かつて愛した人から最後に告げられたその言葉だった。


 物語が完結することなく崩壊した世界で、最愛の人に言われた言葉はまるで呪いのようにグリムの記憶に深く刻み込まれていた。


「その通りだ……」


 記憶の中でこだまするその言葉にグリムは独り言のように答える。



 燃え盛る処刑場を背にグリムは一歩、また一歩と鉛のように重く感じる足を動かしてその場から立ち去ろうとする。


 体はまだ動く、しかし心は限界を迎えていた。



 背後ではこの世界を救い、人々に聖女と呼ばれた一人の女性が業火に焼かれて殺されていた。


「この魔女め、当然の報いだ!」


「ようやく死んでくれた、これで私達は救われる」


 人々の声が聞こえてくる。その誰もが彼女の死を望んでいた。


 聖女を殺したのは他の誰でもない、彼女の事を聖女と持て囃していたこの世界の人々だった。


 彼らによって世界を救ったはずの聖女は最後に魔女と呼ばれ、そして今まさに殺されたのだった。



 仕方がない、なぜならばこの世界は初めからそうなのだから。


 仕方がない、なぜならば彼女は殺されるまでが世界になのだから。



「…………」


 外の世界から来たグリムはこの世界でただそれを見ている事しかできなかった。


俺は一人の人間を助けることが出来なかった……俺は一体何の為に生きている?」


 全ての生き物は生まれた時から世界に役割を与えられる。それがこの世のことわりである。


 しかし、グリムは生まれた時、与えられなかった。



 いくつもの世界を旅してきた。世界に役割を与えられなかったグリムの存在価値は誰に聞いても、どこを探しても見つからなかった。


「…………」


 遂には言葉を発する気力さえなくなった。この世界はじきに完結し、やがて消失する。このまま世界と共に消え去るのも構わないとさえ思えた。


 しかし……


『私の分まであなたは生きて』


 聖女の最後の願いはグリムが生きる事だった。


 彼女の願い通りに、せめてこの世界で消えない様に、壊れかけた心と体で無理やり世界を分かつ境界線を越えた。



「………………」


 境界線を越えた先でグリムは倒れこむような形で樹にもたれかかった。

 

 体はもう動かなかった。



 境界線を越えたこの世界がどんな物語なのかはわからない。誰も近寄らない世界の端でひっそりと息を引き取る……それがグリム・ワーストの最後だと、そう受け入れてゆっくりと瞼を閉じた。





「……私がシンデレラだったら」


 樹の反対側からそんな声が聞こえてくる。


 後になって思い返すとこの声の正体こそ、グリムが生きる意味を教えてくれた彼女との初めての出会いだった。




   ◆◆◆



「シンデレラ」


 あるところに、シンデレラという名前の娘がいました。


 幼いころに母親を亡くしたシンデレラは父親が再婚した義母と連れ子の姉達に毎日いじめられて過ごしました。


 唯一の血の繋がりを持った父親が亡くなってからしばらくして、町の近くにある大きなお城で王子様が舞踏会を開くと町中にうわさが広がりました。


 王子様のお妃になるために町中の娘たちはドレスを着飾り、舞踏会へと向かいます。


 舞踏会に憧れていたシンデレラ。しかし彼女はいじわるな義母や姉達に命じられて家中の掃除をしていたので、全身が灰にまみれ、更に参加するための衣装もなく、舞踏会当日は留守番を命じられました。


 悲しみ一人家の中で泣いていると突然魔女が現れました。


 魔女はシンデレラに魔法をかけるとぼろぼろの衣服は純白のドレスに変わります。


 追加で魔女は豪華な馬車と白馬を用意する事で舞踏会へ参加するための準備を整えました。


 夢に見た舞踏会に行けることを喜ぶシンデレラ。


「12時を過ぎたらすべての魔法が解けてしまうからそれまでには帰ってくるように」


 と魔女は説明をしました。


 お城に到着したシンデレラはその美しさでその場にいた人たち全てを魅了し、王子様からダンスに誘われました。


 幸せのひと時に包まれ、時間を忘れたシンデレラ。12時の鐘の音がなると魔女に言われた言葉を思い出して慌ててお城から離れます。


 シンデレラに恋をした王子様は後を追いかけましたが、すでにその美しい姿はなく、お城の外には彼女が履いていたガラスの靴の片方だけが残されていました。


 翌日王子様は先日舞踏会にガラスの靴を残した娘を妃にすると宣言し、衛兵達は彼女が残したガラスの靴がぴったり入る女性を探しました。


 町中の娘たちがこぞってガラスのくつを履こうとしましたが、ぴったりとはまる女性は現れませんでした。


 誰もが諦めかけたその時、最後にシンデレラが履かせてほしいと願います。


 いじわるな継母や姉たちは舞踏会に参加していないお前は履くだけ無駄だと愚痴をこぼしますが、シンデレラの足にガラスの靴はぴったりと入りました。


 王子様は恋をした女性が見つかったことを喜び、すぐにお城に招待しました。


 そしてシンデレラは王子様の妃となり、お城で幸せに暮らしました。



    ◆◆◆



「薄汚れの醜い女め!あなたがいなければ私たちはもっと幸せに暮らせたのに!」


 家の中では今日も怒号が飛び、罵られた少女が肩をびくっと震わせた。


「いいかいシンデレラ、今日私が家に帰ってくるまでには必ず掃除を終わらせるんだよ。埃一つ残したら、ただじゃ済まさないからね!」


 怒鳴るようにシンデレラと呼ばれた少女は消え入りそうな声で「わかりました」と言うと雑巾を持って床の掃除を始めた。


(……本当に様になっているなぁ)


 シンデレラの姉、正確には血の繋がっていない義理の姉は日常化されたその風景を見てため息を吐く。

 シンデレラからすると義母にあたるあの人物の態度は半分演技であり、半分本心だった。


(それもそうよね……与えられた役割がよりにもよってなのだから)


 生まれたその瞬間から損な役割を与えられているのだから態度にもでるだろう。

 本来演じなければいけない役割と相まって、より完成度の高い「意地悪なシンデレラの義母」になっていた。


「あなたもまだ無理に従い続けなくてもいいのよ」


 母が家を出ていったのを確認してから姉は心配するようにシンデレラに話しかける。シンデレラは姉の言葉を聞きながらも手を止めることはなかった。

 ただ下を向いて無言のまま雑巾で床を拭いていた。


「物語が動き出すのは舞踏会が開催される日にちが決まってからよ。まだ役に身を要りすぎる必要はないと思うけど?」


「わ、わたしは元々こういう性格なので……ごめんなさい」


 シンデレラは頭を伏せたまま姉に謝罪する。この世界に生まれてから共に暮らし始めて分かってはいたが、彼女は気弱な性格だった。


「お、お姉さまこそ、この会話は危険です。その……役割に反していると、お姉さまが……」


「さっきも言ったでしょ。別にこの程度なら大丈夫よ、私ははしないわ」


 今心配されるべきは不遇な扱いを受けている彼女のはずなのに、それよりも姉の身を案じてくれた。本当に優しい子だと姉は思った。


 燃えたりはしないわ、という自分で言った言葉に対して姉は笑ってしまう。


『意地悪なシンデレラの姉』という役割を与えられたぐらいなら、いっそのこと役割に反して燃えてなくなったほうがいいのかもしれない……


 良くない考えを振り払うようにシンデレラの姉は自身の頬を軽く叩いた。


「私も出かけるから、無理はしないようにね」


「は、はい。ありがとうございます、お姉さま」


 シンデレラの言葉を背に姉は家の外へと出た。


「お姉さま……か」


 家の扉を閉じた姉はシンデレラに言われた言葉をぽつりと繰り返す。


『シンデレラ』という物語において、名前を与えられる者は主人公しか存在しない。


 ほかの主要と呼べる役者である王子様や魔女等にも名前はなく、ただの名称しかなかった。


 名前がある事をうらやましいと思った事は何度もあった。


 物語は主役がいるだけでは成立しない。その周りに主要な役者がいるだけでも足りない。ほとんど物語に影響を与えない役無しの人々がいてはじめて世界は成り立つ。


 町の住人という本当に演じる価値があるのか怪しい役割を与えられた者たちが多いこの世界の中で、認識される役割がある自分は幾分か幸せだ……シンデレラの姉はそう思いこんで今日まで生きてきた。


 外の日差しがまぶしくて姉は手で太陽を隠す。

 輝きに思わず目を背けそうになる。その光はまるでシンデレラみたいだった。

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