与太ガラスのショートショート探求室

与太ガラス

底が見えない竹馬

 「なあ、お前、竹馬得意だったよな?」

 小学校からの同級生の翔太からLINEが届いたのは昨日のこと。いつの話だと思いながらもやりとりをしていると、どうも渋谷に新しいアトラクション施設がオープンしたらしい。「底が見えない竹馬」だという。たかが竹馬だろ?と思ったけど、これがやたらと流行っているらしい。

 「面白そうだから行ってみようぜ」と言われ、あまり気乗りしなかったが、数日前に彼女と別れた俺を気晴らしに連れ出したいんだろうと思って、翔太の提案に乗ることにした。

 「一回2,000円は高いだろ?」と愚痴をこぼしながら、翔太と二人、行列に並んでいる。翔太によると口コミによる評判も高いが、リピーターもかなりの数がいるという。そう思うと2,000円はギリギリ再訪できる値段設定か。

 ようやく自分たちの順番になって中に入ると、そこで翔太とは分かれることになった。なんだ一人プレイなのか。

 通されたのはフィットネスルームのような空間で、まずハーネスのようなものを装着させられた。安全性を確保するためとはいえ、そこまでするか?

 入り口からすぐの所は他よりちょっと高くなっていて、ちょうど竹馬の足を置くところとフラットになる。そこに立つと目の前に固定された竹馬がセッティングされる。すると登場したのがVRゴーグルである。やはり子どもだましか、と半ば冷めながらも仕方なく竹馬に乗ってゴーグルを装着した。

 すると目の前に山水画よろしく中国の山奥のような急峻な山々の映像が現れた。かなり標高の高い所で、手元には竹馬だけがある。おそるおそる足下を覗き込むと、10メートルぐらい下から先は真っ白で何も見えない。振り返ろうとしたが、バランスを崩すのが怖くてそれは諦めた。

 これが映像だとわかっていても萎縮する。足下が不安定だからだろう。でも大丈夫、バランス感覚には自信がある。さっきバカにしたハーネスが今ではやけに心強い。このハーネスが現実と自分を繋ぎ止める唯一の蜘蛛の糸なのかもしれない。良くできたアトラクションだ。改めて前を向くと、30メートルほど先に切り立った崖があり、目線と同じぐらいの高さに洞穴が空いている。なるほど、あそこがゴールか。私は気を取り直して竹馬を走らせてゴールへと向かう。

 バサバサバサ!大きい羽音に振り向くと、目の前に鳥が迫っている。あ、と思った時にはバランスを崩していた。まずい、死…。そこで映像が途切れ…。

 「はーいお疲れ様でしたー!」

 係員の声が聞こえ、ゴーグルが外される。私は床とスレスレの所で宙づりになっていた。死の恐怖と安堵感が一瞬で全身を駆け抜けた。私はもう、このアトラクションの虜になっていた。

 「もう一回!もう一回お願いします!」私は我を忘れて叫んでいた。

 「ごめんなさーい、リプレイの場合はもう一度並んでいただくことになっておりまーす!」係員のマニュアル対応で急に恥ずかしさがこみ上げた。

 「おう、すごかったな!クリアできたか?」

 合流した翔太は興奮気味に感想を求めてきた。私は感想も言わずに

 「なあ、もう一回やらないか?」と口走っていた。

 「おいおい、一回でハマッちゃったのか?あーでもこの行列だぜ?」

 行列は来た時よりも伸びてすでに3時間待ちとなっている。仕方ない、今日は諦めるか。

 「あ、これ時間制ってのもあるんだ」翔太が指さす方を見ると【1回2,000円】の下に【30分10,000円】とある。いい値段設定だ。失敗しても連続でプレイできることを考えれば高くはない。私は日を改めて、次の休日に備えることにした。

 仕事をしている間も「底が見えない竹馬」への気持ちは高まっていた。おそらく攻略するには何度もプレイしなくてはいけない。クリアを阻むギミックは鳥だけではないはずだ。まだ一度しかプレイできていないのがもどかしい。ネットを見れば攻略法は出てくるだろうが、それではただのネタバレだ。自力で攻略しなければ面白くない。

 そして次の休日が来た。翔太は来なかった。どうせプレイ中は一人なんだから関係ない。朝イチで着いたのに既に列はできていた。30分は待っただろうか。

 私は係員に「時間制で!」と言って一万円札を手渡した。

 「かしこまりました。それでは30分間お楽しみください。なお注意事項ですが…」

 係員はまだしゃべっていたが、私は適当に聞き流してプレイルームへと乗り込んだ。ハーネスを付けられて、ゴーグルをかけ、竹馬に乗ると…。

 次の瞬間、私がいたのは林立する高層ビルの真ん中だった。あ、ステージが変わるのか。おそらく幾つかあるステージからランダムでひとつが選ばれるんだろう。これでは対策もできない。なるほど底が見えないゲームだ。

 ゴールは少し先にあるビルの屋上だろう。ギミックに注意しながら、ゆっくりと歩き出す。突然の突風。やはり、ビル風か。だがそこは想定内。2本の竹馬を少し広げてひたすら耐える。次に来たのはヘリコプターだ。頭上から猛烈なスパイラルの風が吹きつける。また風か。これにはもう耐えるしかない。

 スタートから半分を過ぎた頃、小さい点のようなものが4つ、こちらに向かって飛んでくる。

 なんだ?虫?いや、これは…ドローン!?

 4機の小型ドローンが私の周りを飛び交い、ぶつかってきた。直接攻撃ありかよ!というツッコミも虚しく、あわれ私はバランスを崩して竹馬を離してしまった。

 気付いたら宙づりの状態で現実に戻っていた。係員の姿はない。時間制だと係員は来ないのか。まあこっちの方が集中できる。時間が来たら止められるのか?そういえばちゃんと説明を聞かなかったな。まあいい。時間も限られているし、今は竹馬に集中しよう。

 次に自分が立っていたのは暗い洞窟の中だった。洞窟の中央に、煌々と一本のロウソクが灯っている。下は、一面に水が張られている。当然ながら水底は見えない。地底湖か?

 今までのステージと少し雰囲気が違う。静かだ。ゴールはあのロウソクだろう。暗い洞窟の中、水の音を聴きながら竹馬を進める。ロウソクに目を凝らしながら、集中して進んでいると、神経が研ぎ澄まされていくのを感じた。

 すると暗い視野の中に、ふと別れた彼女のエリカの姿が浮かんできた。ばかな、そんなはずはないと思いながら、エリカを見つめる。別れる前日の出来事だ。あの日、仕事で遅れてきた彼女に、私は苛立ちを隠せなかった。その態度をエリカは気に入らなかったんだろう。次の日に電話で別れを切り出された。でもこのときにはもう、関係は冷え切っていた。別れの原因はもっと前にある。

 今度は休日に着飾ったエリカの姿が現れた。このあたりで、これはVRの映像などではなく、自分の頭で思い浮かべたものだと気づく。理屈はわからないが、演出として作られたこのVR空間と竹馬の操縦に集中している状態が、人間の集中力を極限まで高め、深層心理が表出しているのではないだろうか。これが偶然なのか、アトラクションデザイナーが意図しているものなのかはわからない。だが、【底が見えない竹馬】を説明するには十分だ。

 エリカとのショッピングの思い出が蘇る。一緒に選んだ洋服、ちょっと高めのランチ、そして、走り去る彼女。あれ、なんでエリカは走って行ったんだっけ?私は思わずエリカを呼び止めながら右手を前に出してしまった。竹馬から手が離れ、バランスを崩す。

 「ちくしょう!やっちまった!」

 現実に戻った私は大きい声で独り言を叫んでいた。幸い係員はいない。まだ時間はあるんだろう。私はすぐに竹馬へと戻る。あの日、あのときだ。あの記憶を取り戻せれば、別れた理由をもう一度思い出すことができる。こんなところで自分にまだ未練があったことを自覚するとは思わなかった。でももしチャンスがあるなら、もう一度やり直したい。

 それから私は、何度も何度もやり直した。もう一度あのステージにたどり着くまで。あの日の記憶を取り戻すまでーー。


 「なお注意事項ですが、30分経ちましてもお客様が戻られない場合は、自動延長となります。お客様がプレイ中に呼び止めますと危険ですので、係員が終了を促すことはありません。お時間にはくれぐれもご注意ください」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

与太ガラスのショートショート探求室 与太ガラス @isop-yotagaras

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ