11.「刑事コロンボ」
「とんでもない! ヴィクターさんが犯人だなんて、あたしはちっとも考えちゃいません。あなたは医者だし……、つまり腕のいい外科医であり、そしてこれだけ大きな病院の経営者でもある。だから、金になんか困っちゃいないんで。つまり、そもそも動機がありゃしないんだ」
「もちろん、私にはアリバイもあるし、その……、ご存じの通り、証人だっている。その気になれば、一ダースだって用意できるくらいだ。それに、動機がそもそも全くないときている。コロンボ君、これ以上、いったい何を探そうというんだい?」
「ええ、そうです、おっしゃる通り……。ただ、どうしても一つだけ、気になる点がありましてね」
「気になる点? ……というと?」
「まあ仮にですよ、仮に、被害者のトーマスさんがこのバスタブから逃げようとしたら――、つまり裸のまんまで……、無我夢中になってね」
「そりゃあ当然、そうなるでしょう。何しろ、命を狙われてるのだからね」
「ええ、背後からは例のナイフを持った、男か、……あるいはその、……もしかすると女かもしれませんが、とにかく追いかけてくる」
「君は実に想像力の豊かな人だ、コロンボ君! 確かに追いかけたのは、男性ではなく女性かもしれない。ひょっとすると、頭のおかしな老婆だったのかもしれないぞ?」
「困ったな……、そのご意見は有難く頂戴したしますが……、からかわないで下さいよ」
「はっはっは! これは失礼、コロンボ君! どうか僕の意見には構わずに、君の興味深い話を先に進めてくれたまえ」
「ま、その犯人に追われていた訳です、トーマスさんが」
「裸でね」
「ええ、裸で。必死になって、おそらく走って。しかしこの、その後で—―、一体、どこからどうやって逃げたのかわかりませんが、確かにいなくなってる。つまり、……遺体がどこにも見つからないんで」
「警察はいったい、何を調べているのかね?」
「ええもう、この部屋を隅から隅まで探したって、さっぱり見つからないもんでして……」
「何も? 何も、手がかりがない?」
「服も下着もそのまんまで、家に戻った形跡もない。あの奥さんはどう見たって、嘘なんかつけやしない人でしてね」
「そりゃあ不思議な話だ!」
「ええ、どうも腑に落ちませんで。しかもその、バターの塊が現場の床に落ちてたっていうのがね……、こりゃもう……、こっちとしちゃあ、お手上げなんです。前代未聞と言っていい。こんな事件は初めてなんで」
「そりゃあ僕だって驚いたさ!」
「えっ?」
「あ、いや、その……、うん、つまり、つまりだ、その話を最初に君から聞いた時にはね。そりゃあ驚いた。そうそう、何しろバターの塊なんだからね。……そう、僕としても信じらない思いだったのだよ、そうだろう? コロンボ君?」
「全くおっしゃる通りでして……、無理もありません」
「はーっはっは!! むしろ、こんな奇妙な出来事があるなら、犯人にとってはかえって有利かもしれないぞ?」
「と言いますと?」
「何しろ、あり得ない展開が犯行現場で起きているのだから……」
「ええ、あり得ない……それでもう、お手上げって訳なんでね」
「犯人はそのあり得なさの分だけ、得をしているかもしれないぞ?」
「やけにヴィクターさんは犯人の肩を……」
「いやいやコロンボ君、これはいわば職業病のようなものなんだ。仮説として検討してみたいだけ、それだけの、ちょっとした……そう、ものの見方の訓練ってことさ」
「確かに犯人の側からすりゃあね……、こいつは警察よりもずっと何かを知っていて、気づいてるかもしれないんで」
「あっ、そうそう! これから学会で、貴重な症例の研究発表があるのをすっかり忘れていたよ! それじゃ、コロンボ君!」
「こりゃすっかり時間を奪ってしまって、どうも」
「いや、気にしないでくれたまえ! 僕としては楽しく様々な仮説を聞かせてもらった、貴重な時間だったよ!」
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