第十二話   元荷物持ちの力は規格外

 僕は自分の首筋に飛んできた斬撃をじっと見つめる。


 ほぼ予備動作もなしに抜刀した成瀬さんの腕前は相当なものだった。


 それだけで成瀬さんが一流の「居合いあい」の使い手だとわかる。


「居合」もしくは「抜刀術」と呼ばれる刀を使ったその技は、刀を鞘に納めた状態から抜刀し、目の前の相手を斬りつける技のことを指す。


 記憶喪失だった僕にダンジョンのことを始めとして様々なことを教えてくれた亮二さんも、この「居合」の使い手としてC級探索者の間では有名だった。


 だからだろうか、僕は成瀬さんの早業を前にしても驚かなかった。


 いや、違う。


 僕は「居合」のことを知っていたから驚かなかったんじゃない。


 成瀬さんが放ってきた「居合」がだと瞬時に気づいたからだ。


 そしてそれ以上に、成瀬さんの動きがひどく遅く見えたからでもある。


 これまでになかった異様な経験だった。


 僕の目には成瀬さんの動きがひどく鈍重に見えていた。


 成瀬さんは柄に手をかけたあと、腰を開いて右半身になった。


 そのときに発生した力で鞘を引き、腕力ではなく刀自体の重さを最大限に利用して抜刀。


 1秒あるかないかの間に、僕を斬りつけてきたことも見えていた。


 以前の僕だったら本当に何もできなかっただろう。


 成瀬さんの動きが遅く見えることもなく、ただただ「居合」の速さに反応することができずに呆然としていたに違いない。


 けれど、今の僕には


 なので僕は静かに心を落ち着かせ、半円を描いて繰り出された成瀬さんの「居合」に対して事が過ぎるのをじっと待った。


「どうして動かなかったの?」


 青光りする刀身が首の皮1枚の場所でピタリと止まったとき、動作の途中で厳しい表情になった成瀬さんがたずねてくる。


「どうしてって……本当に斬るつもりはなかったんでしょう?」


 僕はあっけらかんと訊き返す。


 成瀬さんは僕を斬り殺すつもりなど微塵もなかった。


「居合」の動作は見惚れるほど無駄がなかったものの、不意をついてまで僕の首を刎ねてやるという殺気が全然なかったからだ。


 だから僕はわざと反応しなかった。


 じっとしていれば成瀬さんが絶対に刀を止めてくれる確信があったから。


「ふふ、やっぱり本物のようね」


 成瀬さんは再びニコリと笑うと、ゆっくりとした動きで納刀した。


 静寂に包まれていた室内に「チン」という音が鳴る。


「本物?」


「ええ、そうよ。イレギュラーを素手で倒す荷物持ちなんて、わたしが知る限りではダンジョンには1人もいない。となると、あなたが人間に化けている特殊な魔物という可能性だってあった。それこそイレギュラーとかね」


 これには僕も大きく目を見開いた。


「そんなわけないじゃないですか。僕は正真正銘の人間ですよ……というか、ここはどこなんです?」


 ようやく気がついたのだが、今の僕はあのイレギュラーを倒したところでぷっつりと記憶がなくなっていた。


「ここは協会の本部よ。それであなたは〈発勁〉でイレギュラーを倒したあと、電池が切れた人形のように気を失ったの」


 成瀬さんはその後のことも教えてくれた。


 配信を通じて近くにいた他の探索者パーティーが救助に来てくれて、怪我をした成瀬さんや僕をこのダンジョン協会本部へと運んでくれたという。


「そしてあなたが眠っている間に身体を精密検査させてもらったんだけど、間違いなく正真正銘の人間だって判明したわ」


「せ、精密検査?」


 成瀬さんは「そう、精密検査」と微笑んだ。


「血液検査や超音波検査、他にもCT検査やMRI検査もさせてもらった結果、どの検査をしてもあなたが魔物だという証拠は出てこなかった。だから、その結果にひとまず安心したわ。あなたが本物の人間でよかったって……でもね」


 成瀬さんはやや鋭い視線になる。


「そうなると、やっぱり腑に落ちない。あなたはこれまでに1度も協会に探索者として登録したことはなく、半年ほど前に探索者斡旋所の1つに「身分証なしの荷物持ち」として登録しただけ。これってどういうこと?」


 僕は返答に困ってしまった。


「え~と……どうと言われてもそのままの意味なんですけど」


「ふざけないでちょうだい。常識から考えてただの荷物落ちがイレギュラーなんて倒せるはずないでしょう。しかもあなたはA級以上の上位探索者たちだけが習得を許可されている【聖気練武】を使った。この【聖気練武】は人間なら誰でも習得が可能だけど、力の存在に気づいて物理的な作用が生まれるようにするには、きちんとした手順を踏んだ上で血反吐を吐くほどの鍛錬をしないといけないのよ」


「つまり?」


 成瀬さんは察しなさいとばかりに息を吐く。


「要するにあなたは一体何者で、師匠は誰なのかってこと? いるんでしょう? あなたに【聖気練武】を教えたA級かS級探索者の師匠が」


「いえ、そんな師匠はいません。でも、記憶のない僕に色々なことを教えてくれた人はいました」


 成瀬さんは小首をかしげた。


「記憶がないって……あなた、イレギュラーを倒したときの記憶がないの?」


 あっ、ちょっと言い方がまずかったかな。


 僕は「そういう意味の記憶がないってことではなく」と前置きしたあと、別に隠している必要はないと思って成瀬さんに正直に話した。


 半年前に自分の名前以外の記憶をなくした状態で、亮二さんにダンジョン内で拾われてから成瀬さんと出会うまでのことすべてを。


 僕の話を聞き終えた成瀬さんは、口をあけてポカンとした。


「え? じゃあ、あなたは本当に誰にも師事せず【聖気練武】の力に目覚めたというの……いいえ、そんなことはありえない。ありえるはずないわ。そんなのはもう規格外よ」


 そう言われても困ってしまう。


 本当に突然にその【聖気練武】という特別な力に目覚めたのだから仕方がない。


 それでもあえて言わせてもらうと、数馬さんがリーダーを務めることになった【疾風迅雷】からクビと追放されたあとに使えるようになった。


 まさか、数馬さんたちからの暴力によって覚醒したのだろうか?


 う~ん、何か違うんだよな。


 僕は自分の右手を見つめると、下腹に意識を集中させて右手に力が集まることをイメージする。


 ズズズズズズズズズ…………


 すると下腹にお湯が溜まるような熱さを感じ、同時に僕の右手を包む黄金色の光が見えてきた。


 そんな黄金色の光は熱さも冷たさも感じないが、筋肉の力とはまったく異質で物理的な作用を生み出す力があることはひしひしと感じる。


 この状態で軽くコンクリートの壁を叩けば難なく表面を穿てるだろう。


 僕は黄金色の光に包まれている右手を固く握る。


 不思議な光景だった。


 こうして【聖気練武】という力が使えるようになった今だから思うのだが、もしかすると僕は最初からこの【聖気練武】を使えていたのかもしれない。


 もちろん、何の根拠もないことだ。


 しかし、なぜか僕にはそう強く思えた。


 ふと僕はあの夢のことを脳裏に思い浮かべる。


 そういえばあの夢にも【聖気練武】という言葉が出てきていた。


〈賢聖〉と呼ばれていたミザリーという女性や〈勇者〉と呼ばれていたロイドという男性が口にしていたことで、そのミザリーやロイドは僕と同じ黄金色の光をまとっていたケンに対して【聖気練武】の〈大周天〉を解いてくれと言っていた。


〈大周天〉を解く。


 五感からするとケンはミザリーたちに〈大周天〉という何かしらの力を与えていて、その力を戻して本来の力を取り戻してほしいと言ってように今は思える。


 そんなことを考えていると、成瀬さんは「ここにいても埒が明かないわね」と漏らした。


 僕は自分の右手から成瀬さんに目をやる。


「あなた、確か名前は拳児くんだったわよね?」


「そうです。拳足の「拳」に児童の「児」と書いて「拳児」といいます。僕を拾ってくれた亮二さんがつけてくれた名前です」


 成瀬さんは小さくうなずくと、僕に対して深々と頭を下げてきた。


「まずはわたしをイレギュラーから助けてくれたことに感謝します。本当にありがとう。そしてさっきは君を試すような真似をしてごめんなさい。とりあえず、その他もろもろお礼がしたいから一緒に来て。2日も寝ていたんだから身体のほうはもう大丈夫でしょう」


 そこで僕はまたしても思い出した。


「あれ? 成瀬さん、あなたはあのとき足に怪我を負っていたはずじゃ……」


「そのことも含めて説明するから。まずはわたしと一緒に来てちょうだい」


「ど、どこへですか?」


 決まっているじゃない、と成瀬さんは胸を張って答えた。


「わたしのお爺さまのいる会長室よ」




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る