第十一話 ここではない別世界の光景 ②
あのときの夢の続きかもしれない。
僕は目の前に広がる光景に目を凝らす。
ふと気づくと、またしても僕は〈武蔵野ダンジョン〉とは別の世界にいた。
荒涼とした大地のはるか上――数百メートルほど上空だろうか。
あ、あの人は……
空一面に雷雲が敷き詰められている空の近く、全身が黄金色の光に包まれた黒髪の男の姿があった。
以前に夢の中で見た、強さの権化のようなたくましい男だ。
確かケン・ジーク・ブラフマンという名前だったと思う。
その黒髪の男――ケンはどんな原理かはわからないが、鳥でも到達するのが困難な高さの空中に浮いている。
「さあ、決着をつけよう。魔王ニーズヘッド」
ケンは無数の稲光を発していた雷雲に向かって言い放つ。
おだやかで深い眼差しだった。
生も死も完全に受け入れながら、それでいて純粋な闘志のみがケンの双眸からはあふれている。
『ククククッ……』
やがて雷雲から背筋が凍るほどの低い声が響き渡った。
単純に鼓膜に響いてくるのではなく、内臓までも激しく震わせる身の毛がよだつほどの声だ。
『やはり最後に我の前に立ちはだかるのは貴様か』
僕は瞬きを忘れ、声が聞こえてきた場所を食い入るように見つめる。
雷鳴が轟く雲の中から1人の男が現れた。
全身に鬼火のような青白い燐光を放っていた銀髪の男だ。
外見的には20代半ばほどに見えるが、仮に200歳と言われても信じてしまえる
着ている衣服は漆黒のゆったりとしたローブであり、先端に蛇が羽を生やした独特の意匠が施された杖を持っている。
そんな銀髪の男はケンと同じ美青年だったが、こうして傍目から交互に2人を見るとよくわかる。
ケンと銀髪の男の気質はまるで逆だった。
火と水、静と動、光と闇。
ケンが善の化身ならば、銀髪の男は悪の化身だ。
そう判断した根拠は自分にもわからない。
ただ、なぜか僕にはそのように2人のことをはっきりと判断することができた。
一方、ケンと銀髪の男は僕のことが見えていないのだろうか。
2人は僕を無視して話を進めていく。
『勇者などしょせんは各国の王どもが勝手に祀り上げた矮小な存在。我はずっと予感していた。クレスト聖教会の中で最強と謳われた大拳聖――ケン・ジーク・ブラフマン、貴様こそこの世を征服する我の最大の障害になるとな』
銀髪の男はかっと両目を見開いた。
それだけで銀髪の男の周囲の空間が歪み、巨大な青白い衝撃波が発生してケンに襲いかかる。
ケンは空中で両足を大きく開き、右拳を脇に引いて腰だめに構えた。
直後、ケンの右拳に黄金色の光が集まって凝縮していく。
その右拳からあふれる光は、さながら小型の太陽を思わせる暖かく力強い生命力の輝き。
「〈
ケンは右拳に収束させた黄金色の光の塊を、腰だめの状態から銀髪の男に向かってパンチと同時に一気に打ち放った。
ゴオオオオオオオオオオオオオオオオ――――ッ!
黄金色の光の塊が流星のように大気を切り裂き、青白い衝撃波をかき消して銀髪の男に飛んでいく。
僕は思わず顔をそらした。
黄金色の光の塊が銀髪の男に衝突したと思ったとき、視界が真っ白に染まるほどの閃光と爆風が起こったからだ。
そして僕の意識もそのままどこかへと吹き飛ばされた。
「――――」
徐々に目覚めたとき、視界に飛び込んできたのは真っ白な光景だった。
だが、目がくらむような閃光の白さではなかった。
……白い……天井?
何度も瞬きをして確認する。
間違いない。
僕の視界に映っているのは白い天井だ。
そこでようやく気づいた。
自分は柔らかなベッドの上に寝ている。
「またあの夢を見たのか」
荒涼とした大地の上空で始まった、ケンと銀髪の男との人智を超えた闘い。
その中でケンは黄金色の光を身にまとい、雷雲の中から現れた銀髪の男は青白い光を全身にまとっていた。
こうして意識を覚醒するとよくわかる。
あれは本当に夢なのだろうか?
どう考えても夢でしかありえない異常な光景だったものの、何度となく記憶をよみがえらせても細部にまで圧倒的な現実感があった。
まるでこことは違う世界で実際に起こっていた光景のように。
いや、あれは現実なんかじゃない。
夢に決まってる。
どれだけ現実感があろうと、夢はしょせん夢だ。
その証拠に人間があんな高さの空の上に浮くことなどできるはずがない。
ましてや2人は摩訶不思議な力を使って闘いを始めたのだ。
A級やS級探索者も超人的な動きをする人たちも多かったが、さすがにあんなことはできない。
うん、あんなことが人間にできるはずがない。
だからあれは夢なんだ。
などと判断した僕は、ケンや銀髪の男のことよりも別のことを考えようとした。
そうである。
今考えないといけないのはもっと別のことだ。
僕は首だけを動かして周囲を見回す。
そこは広々とした清潔な空間だった。
天井と同じ白い壁の前にはガラス窓がはめこまれた棚がいくつも置かれ、部屋の中には僕が寝ているような簡易ベッドが等間隔で並んでいる。
それだけでここが迷宮街にある簡易宿泊所でないことはすぐにわかった。
簡易宿泊所にあるのはベッドではなく布団で、しかもその布団は常にボロボロで柔らかさの欠片もなかったからだ。
僕は壁の前に置かれている棚に視線を移す。
ガラス窓越しに棚の中身を見ると、色とりどりの小さな箱や小瓶が綺麗に並べられているのが見て取れた。
あれは薬品かな。
意識的に嗅覚を働かせると、少しつんとする薬の匂いが漂ってくる。
ということは、ここは迷宮街にある病院の1つなのだろうか。
僕はそんなことを考えながら上半身を起こした。
頭痛や吐き気はなかったが、全身に鉛を流し込まれたような重苦しさがある。
何かしらの病気のせいではなく、長時間ずっと寝ていたことによる血流の悪さが原因だろう。
でも、どうして僕はこんなところで寝ていたんだろう?
僕は口元を手で覆った。
記憶の引き出しを1段ずつ開けていき、最後に覚えていた記憶をよみがえらせていく。
時間にして十数秒ほどだろうか。
思い出した……
記憶の引き出しから出てきたのは1人の少女との邂逅であり、同時に探索者たちの天敵として知られていた凶悪なイレギュラーとの遭遇――。
そのとき、ガチャッと音がして出入り口の扉が開かれた。
「あ、ようやく目が覚めたのね」
室内に入ってきたのは栗色髪の少女だった。
動きやすような純白のワンピースを着ているが、腰には丈夫そうな革製のベルトを巻いていて一振りの日本刀が差されている。
「ねえ、わたしのことは覚えてる?」
しばし沈黙したあと、僕はこくりとうなずいた。
「はい、覚えてます。成瀬……伊織さん……でしたよね?」
「うん、どうやら記憶障害なんかはないみたいね。
そう言うと成瀬さんは、満面の笑みを浮かべながら近づいてくる。
そして――。
成瀬さんは笑顔のまま刀の柄に手をかけて抜刀。
一陣の風と青白い閃光が、僕の首筋に向かって容赦なく飛んできた。
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