第四話 今までになかった不思議な力
「――――――――ッ!」
僕は声にならない声を上げて跳ね起きた。
何度も瞬きをしたあと、首を激しく動かして周囲を見回す。
「…………あれ?」
やがて視界に飛び込んできたのは、数馬さんたちと探索していたダンジョン内の光景だった。
あの石造りの廃墟や鮮血に染まった大地はどこにもない。
代わりにあったのは、微風によって波のように揺れる青々とした草原の大地。
僕は顎を上げて空を見上げる。
あの空一面を覆っていた、身も凍るような黒雲もない。
あるのは青空の中に仲良く並んでいる太陽と月だ。
それだけで十分に理解できた。
ここは〈武蔵野ダンジョン〉の1Fであり、数馬さんたちに暴行を受けた草原の一角だった。
そうだ、僕は数馬さんたちから暴力を振われたんだ。
慌てて僕は自分の身体の怪我の具合を確かめる。
しかし、ここで僕は妙なことに気がついた。
「全然痛くない」
そうなのだ。
意識を失う前にあれだけ数馬さんたちに蹴られたというのに、僕の身体はかすり傷1つ負っていない。
荷物持ち専用の衣服――探索者用の戦闘服より作りが安っぽい――には蹴られた痕跡が残っていたものの、肝心の身体をどれだけ確認しても骨折どころか打撲の跡がないのだ。
まさか、あれは悪い夢だったのだろうか。
いや、違う。
数馬さんたちに暴力を振われたのは夢ではない。
夢だったのはあの異様な風景と、異様な格好をしていた人たちのほうだ。
勇者、魔法使い、クレスト聖教会、大拳聖、魔王、アースガルド。
こんな単語はダンジョン内で聞いたことがなかった。
おそらく、頭を強く蹴られたことで変な夢を見たのだろう。
などと勝手に納得したとき、僕はふと遠くのほうを見て仰天した。
ご、ゴブリン!
十数メートル前方に、いつの間にかゴブリンが1匹だけ佇んでいたのである。
緑色の肌にハゲ頭。
長い鼻と耳をしていて、人語を話さずに「ギャギャギャ」と不気味に鳴くのが特徴だ。
戦闘力は限りなく弱い。
それこそE級の探索者でも数人でかかれば簡単に倒せる雑魚魔物である。
ただしそれはダンジョン協会の探索者試験に合格し、それなりの戦闘訓練を積んだ探索者と呼ばれる人間に限った話だった。
言わずもがな、僕は探索者ではなく単なる雑用兼荷物持ちでしかない。
生前の亮二さんから最低限の武術の手ほどきを受けたことはあるが、どうも僕は亮二さんが設立した【疾風迅雷】の正式なメンバーとなった途端、全身に鉛を流し込まれたように身体が重くなってしまった。
それだけではない。
病気でもないのに全身の筋力が格段に落ちた感覚があったのだ。
それ以来、僕は毎日が九死に一生ぐらいの覚悟で雑用と荷物持ちを続けていたのだが、その雑用と荷物持ちの仕事すらなくなってしまった。
そして今まさに命すらもなくそうとしている。
「……くそっ」
僕はゴブリンを睨みながら歯噛みした。
どうやらゴブリンはすでに僕を獲物として捕捉しているらしく、右手に持った棍棒を振り回しながら猛進してくる。
正直なところ、機動力も戦闘力も圧倒的にゴブリンのほうが上だ。
たとえ振り返って全力で逃げ出したとしても、1分もかからずに追いつかれて撲殺されるだろう。
では、このまま黙って殺されてもいいのか?
嫌だ!
こんなところでゴブリンに殺されたくない!
どんどんゴブリンが近づいてくる中、僕はついに覚悟を決めた。
最後の最後まで抵抗してやる。
どうせ殺される運命でも、逃げながら殺されるよりも闘って殺される運命を選びたい。
などと決意したのも束の間、予想以上にゴブリンの動きは速かった。
僕が闘う意思を固めた直後、あっという間に間合いを詰めてきたゴブリンの棍棒が振り下ろされる。
狙われたのは僕の頭部だ。
まともに食らえば頭蓋が陥没して即死するだろう。
そのことが頭をよぎったため、僕は咄嗟に闘う意思が萎えて防御の体勢を取ってしまった。
両目を閉じると、頭上の上に両手で「✕」の字を作って攻撃を防御しようとしたのだ。
だが生身の状態でゴブリンの棍棒を防げるわけがない。
僕の脳内には、自分の両手の骨が叩き折られる光景が浮かんだ。
すると――。
バガンッ!
僕の耳に何かが打ち砕かれる衝撃音が響いた。
今の音は一体?
僕は両目を開けると、目の前にいるゴブリンを見て目を丸くする。
「ギャギャ? ギャギャギャ?」
ゴブリンは激しく動揺していた。
無理もない。
ゴブリンの持っていた棍棒が真ん中からへし折れていたからだ。
続いて僕は足元に視線を落とす。
ゴブリンと僕の間の地面には、棍棒の破片が落ちていた。
それで僕はハッと気づく。
まさか、僕が両手で防御したことで棍棒がへし折れた?
理由はさっぱりだったが、そうとしか考えられなかった。
実際に僕の両手には棍棒が当たったときの衝撃が伝わっていたからだ。
けれども痛みはまるでなかった。
それこそ子供に優しく叩かれた程度の衝撃しかなかったのである。
「ギャギャギャギャギャ――――ッ!」
棍棒が折れたことで動揺したゴブリンだったが、そこは魔物の端くれである。
すぐに棍棒の持ち手の部分を捨て、今度は素手で殴りかかってきた。
「く、来るな!」
僕は条件反射的に両手を突き出した。
ズドンッ!
カウンター気味に僕の両手がゴブリンの身体に触れるや否や、ゴブリンの小さな身体は突風に煽られたように後方へと吹き飛んでいく。
「え?」
ゴブリンは草原の上を何十回と転がった末にようやく止まった。
さああああ、と草原が揺れる心地の良い音だけが流れる。
時間にして10秒ほどだろうか。
ゴブリンはまったく起き上がる様子もなく、10メートル以上は吹き飛んだ場所に倒れたままになっている。
僕はおそるそおるゴブリンに近づいた。
もちろん、不意を突かれることを想定する。
近づくまでに手ごろな大きさの石を手に持ち、また襲ってきたら殴ろうと考えたのだ。
ところがゴブリンを見下ろせる位置まで来たとき、僕は石を持って警戒することは無意味だと察した。
死んでいた。
ゴブリンは口から大量の血泡を垂れ流して絶命していたのだ。
よく見ると、身体には僕の掌の痕がくっくりとついている。
僕は石を捨てると、わなわなと震えている自分の両手を見た。
そのとき、僕の両手の周りに不思議な力の圧を感じた。
僕はじっと目を凝らす。
ズズズズズズズズズズ…………
一瞬、僕は何が起こっているのか理解できなかった。
不思議な圧の正体を感じ取ろうと目を凝らすほど、僕の両手に黄金色の光がまとわれていたのが視認できるようになったのだ。
この黄金色の光には見覚えがある。
気を失っていたときに見た夢の中で、ケン・ジーク・ブラフマンという黒髪の男が全身にまとっていた黄金色の光とまったく一緒だった。
「ど、どうしてあの人と同じ力が僕に……」
そうつぶやいた直後だった。
「ギョオオオオオオオオオオオオオオオオオオ」
どこからか空気を振動させるほどの雄叫びが聞こえた。
下腹まで響くような魔物の叫び声である。
僕は雄叫びとも叫び声とも聞き取れた声の発生源に目をやる。
草原エリアの奥には、鬱蒼とした茂みと大きな木々が連なる森林エリアが広がっている。
まさにその森林エリアから聞こえてきたのだ。
でも、少しおかしい。
ここから森林エリアまで300メートル以上は離れている。
そんな遠くからの魔物の声がなぜ今になって聞こえたのだろう。
とはいえ、今はそれ以上に考えることがあった。
魔物の声は明らかにゴブリンのような低級魔物が発する声量ではない。
荷物持ちだったとはいえ、僕はそれなりに魔物を見てきた。
もしかすると、イレギュラーと呼ばれていた凶悪な魔物の声の可能性もある。
だとしたら近づかないのが賢明だ。
僕は身体ごと振り返り、森林エリアからもっと遠ざかろうとした。
だが、1歩踏み出したときに別の声が聞こえた。
――アンタなんかに絶対に殺されるもんか
僕はすぐに足を止め、顔だけを振り返らせた。
聞こえてきたのは、強気な中にも怯えた色が含まれている少女の声だった。
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