第3話 入学式と不穏な訪問者

『 GA歴八十七年 四月二日 九時三十分 』


 『扇風機妖魔せんぷうきようま』との戦いが終わり、一同はようやく落ち着きを取り戻していた。


 『応急キット』を淡々と片付ける七代比智ななしろひさと。その傍らでは、三雲堅蔵みくもけんぞうが大胸筋を誇示するかのように、ひたすらポージングを繰り返している。


 そしてその横では、みことの辛辣な一言をまともに受け、七代一斗ななしろいっとが肩を落としたまま、しょんぼりと項垂うなだれていた。


 そんな賑やかでどこか滑稽な様子を眺めているうちに、七代命ななしろみことの頬には自然と笑みが浮かんでいた。


(……なんだか、こういうの、久しぶりな気がするです)


ほんの一瞬でも、緊張の糸がほぐれたのが、自分でも分かった。


「そういえばわたし、『妖魔』の姿……結局見られなかったです。バクマは見えたですか?」


 みことがふと隣に目をやると、彼女の傍らで静かに宙に浮いていたのはペッポッドのバクマだった。小さく傾きながら回転し、浮遊位置を少し調整する動作はまるで、呼吸をするかのように自然だった。


「いいえ、命様みことさま。私のセンサーにはフォルムが記録されておりましたが、やや距離がございましたのと……堅蔵様けんぞうさまが視界の大半を遮っておりまして。残念ながら、直接の視認は叶いませんでした」


 バクマは宙に浮いたまま、丁寧に語尾を区切りながら答える。


「……堅蔵叔父けんぞうおじさんが壁だったんですね……」


 みことはチラリと堅蔵けんぞうの方を見やり、小さく溜め息をつく。全身の筋肉を隙あらば見せつけようとするその姿に、苦笑とも呆れともつかない表情が浮かんでいた。


「で、どんなフォルムだったです?」


「はい、簡潔に申し上げますと……“扇風機”のような外観でございました」


 その返答にみことは数秒の沈黙ののち、ゆっくりと目を見開いた。


「扇風機……です? じゃあ、『扇風機妖魔せんぷうきようま』ですね!」


 勢いよく命名したみことの声には、ほんの少しだけ誇らしげな響きがあった。思わぬ発見にわくわくしているようでもあり、久しぶりに“日常”が戻ってきたような安堵も混ざっていた。


 と――そのタイミングで、堅蔵けんぞうが筋肉の動きを強調するように肘を曲げ、胸を張りながらゆっくりと近づいてきた。


「おう、呼んだかみことちゃん! 次は腹筋のターンだぞ!」


 バクマの宙に浮いた影が、そっとみことの前へ移動し、まるで彼女をかばうかのような位置に入った。


(……やっぱり、ちょっと恥ずかしいです)


 みことは目を伏せ、小さく肩をすぼめた。


* * *


「ふっ……んんっ!―― 壁って……ひどいなぁ。――初対面なのに、よく私の名前を知っていたね? えーっと?」


 荒い息を吐きながらも、堅蔵けんぞうはじわじわと込み上げてくる闘志を抑えきれずにいた。『扇風機妖魔せんぷうきようま』との激闘の余熱がまだ胸の奥でくすぶっている。全身にみなぎる血潮が、次なる戦いに向けて身体を温めているようだった。


 彼の視線の先では、一体のヌイグルミ型ペッポッド――バクマが、ふわりと空中に浮かんでいた。短い手足を軽く動かしながら、まるで空中に腰を据えるように安定した姿勢を保っている。


「バクマと申します。以後、お見知りおきください、堅蔵様けんぞうさま


「ふんっ!―― バクマくんかい。よろしく頼むよ」


 どこか芝居がかった名乗りに、堅蔵けんぞうは戦闘直後の興奮をほんの少しだけ和らげながらも、目元は鋭さを失わない。


「初期設定のゲノム照合の時に、命様みことさまの家族構成および関係者情報は、『ガイアネットワーク』を通じてすでに登録されております」


「そういえば、そんな機能あったね…… ――んぬっ!」


 堅蔵けんぞうは一歩足を踏み込み、踏みしめる地面の感触を確かめるように力を込めた。その動作一つ一つに、筋肉がまだ高ぶっているのが分かる。頭の片隅では冷静さを保っているつもりでも、身体はまだ戦場の延長にあった。


堅蔵様けんぞうさまは、ポッドをご使用になられないのですか?」


「ふぅ……う”んっ!―― 自分の感覚を邪魔されたくないんだ。まあ、『GA通信』用にブレスは着けてるけどね」


 バクマはぴたりと堅蔵けんぞうの横に並ぶように浮遊位置を移動し、その場でくるりと小さく旋回して見せた。礼儀正しくも、どこか可愛げのある動きだった。


「なるほど。鍛錬と戦闘が主なお役目であれば、確かに不要かもしれませんね」


「ふんっ!!―― って、ちょっと待ってよバクマくん。表向きは酒屋の店員ってことになってるんだけど?」


 思わず堅蔵けんぞうの眉がピクリと動いた。こういうボケは放っておけない性分だ。


「はっ、申し訳ありません。その設定を一瞬、失念しておりました」


 バクマは空中でピタリと静止し、小さく頭を下げるようなジェスチャーを見せた。無表情の顔ながら、どこか申し訳なさそうな空気をまとっている。


 堅蔵けんぞうはその様子を見て、わずかに肩の力を抜き、鼻から短く息を吐いた。心のどこかに、ほんのひとときの安らぎが差し込んだ気がした。


 バクマはふわりと空中で姿勢を整え、一拍置いてから穏やかに問いかけた。宙に浮いたまま、静かに堅蔵けんぞうの方へ向きを変える。


「ところで堅蔵様けんぞうさま。本日、なぜこちらへ救援に来られたのですか?」


「ふんぬっ!―― 実はね、今朝うちの隠密おんみつが、ある筋から襲撃の情報を仕入れてさ。まあ半信半疑だったけど……来てみたら案の定で、ちょっと焦ったよ」


 言葉に合わせて堅蔵けんぞうは両腕をゆっくりと広げ、ぐっと胸を張った。

 そのせいか、彼の動きにはどこか舞台俳優のようなキメがあり、必要以上に堂々としていた。


「……堅蔵様けんぞうさま。そろそろ、そのポージングをお控えいただけませんでしょうか?」


「えっ、どうして? ――ふぅぅぅんっ!―― 右がトニー、左がマイケル。見てごらん、二人ともバクマくんに会えてすごく喜んでる」


 堅蔵けんぞうの胸筋が左右交互にピクリピクリと動き、力強く誇らしげに跳ねていた。その動きに合わせ、彼自身の表情にも少年のような無邪気さが滲む。戦いの興奮をどこか誇示せずにはいられないのだ。


「……はあ」


 バクマは宙に浮いたまま、目に見えぬまばたきをするような微かな間を置いた。そして、少しだけ高度を上げると、くるりと一回転してから、また堅蔵けんぞうの目線の高さまでゆっくり降りてくる。


「ところでバクマくん、君、本当にAIかい?」


 堅蔵けんぞうは目の前にふわりと佇む奇妙な存在をまじまじと見つめる。ぬいぐるみのような外見と、執事のような口調。どこをどう取っても不可思議で愛嬌があり、しかし戦場では頼りになりそうな気もする――そんな混ざり合った印象が、今の堅蔵けんぞうには妙に心地よかった。


「はい。れっきとしたAIでございます」


 バクマは胸に手を当てて小さく一礼し、再びその場に静かに浮かびながら応えた。まるで自分がAIであることに誇りを持っているかのように。


 * * *


 堅蔵けんぞうは戦闘の熱もようやく冷め、肩の力を抜きながら、ブレスに浮かぶ時刻をおもむろに見やった。


 彼の表情には戦いを終えた後特有の静けさが宿っている。興奮が去った今、代わりに場の空気を整える役目を自覚していた。


「ねぇみことちゃん、入学式に遅刻しちゃうよ。けっこう凄い時間だけど」


「あれ……!?バクマ時間?」


 堅蔵けんぞうの肩の上方で、ふわりと浮かんでいたバクマがすっと宙を滑るようにみことの前に降り立つ。手を胸に当てるような動きで、丁寧に告げた。


「9時40分です、ホームルームは完全に終わっていますが、入学式には走れば間に合います」


「やばっ!堅蔵叔父けんぞうおじさん、ヒサ兄!!行ってくるです」


 みことは目を見開き、全身に電流が走ったように一気に覚醒する。戦いによる恐怖も、驚きと焦りで吹き飛んでいた。

 瞬間的にきびすを返す彼女の姿に、堅蔵けんぞうは微笑を浮かべ、戦いとはまったく別の優しさを滲ませた。


「後はやっておくから心配しないで行ってきなさい」


 娘のように思っているみことの背中をそっと送り出すような言葉だった。もう危険はないと判断したからこそ言える、守る者の余裕と責任がその一言に込められていた。


 比智ひさとも腕を組んだまま、軽くあごをしゃくって言葉を重ねた。

 表情にはややぶっきらぼうな兄貴分らしさがにじみ出ているが、その声は温かかった。


「おぅ、いってこい」


「ほらっ、イチも行くですっ!」


 みことがそう叫びながら駆け出した瞬間、一斗いっとはその場に硬直したように立ち尽くした。

 しばし呆然としたあと、彼はその呼びかけを心の奥で何度も噛みしめ、目尻にぐしょりと涙を溜めながら、感情の奔流ほんりゅうに身を任せた。


「ミコトがぁオデにぃぃ、ごぇがげでぐれだぁぁぁ……ぐふふ……」


 一斗いっとの顔は、笑顔と涙がぐしゃぐしゃに混ざり合い、まるでホラーと喜劇の境界を彷徨うかのような、なんとも不気味な表情を浮かべていた。

 傍らでバクマが静かに宙に浮かび直し、その様子を無言で見守っている。微妙に距離を取っているあたりに、彼の“学習能力”の高さが垣間見える。


 だが次の瞬間、一斗いっとはぴたりと顔を引き締め、すっと背筋を伸ばした。

 まるで何事もなかったかのように涼しい顔を作り直し、堅蔵けんぞう比智ひさとへと向き直る。


「では、師匠ししょう比智兄上ひさとあにうえわたくしも行ってまいります」


 深く一礼したその動作には、どこか武士らしいおごそかさと滑稽こっけいさが同居していた。

 そしてそのまま、一斗いっとみことの後を追うように、颯爽と駆け出していった。


 彼の背を見送りながら、堅蔵けんぞうはふっと小さく鼻で笑った。


 戦いの朝は終わった。

 あとは、それぞれの新しい一日が始まる――。


 * * *


「ふう、やっと行ったな」

 堅蔵けんぞうがぽつりと呟いた。肩の力が抜けたように息をつきながらも、その表情にはどこか満足げな色が浮かんでいる。


 みこと一斗いっとも無事に送り出せた。ほんの少しだけ、父親のような安堵が胸を撫でていた。


 ふと隣に立つ比智ひさとの存在を意識し、軽く首を傾ける。


「ところで比智ひさとは学校大丈夫なのか?」

 堅蔵けんぞうが尋ねた声には、気遣いと少しのからかいが混じっていた。


「まあ、俺は大丈夫だよ、何せ成績トップだからな!」

 比智ひさとは胸を張って自信たっぷりに言った。


 だがその言葉の裏には、「自分のことは心配しなくていい」と言いたい、年下なりの配慮も込められていた。


「そうか。『GFBI』には俺の方から報告しておくから比智ひさとも早く学校行きなさい」

 堅蔵けんぞうはふっと笑いながら言った。


 その声音には、比智ひさとに対する信頼がにじんでいる。たとえ口では小言を言っても、この少年がしっかり自分の道を歩いていることを、堅蔵けんぞうは誰よりも理解していた。


 比智ひさとは言葉に出さずともその信頼を感じ取り、軽く頷いた。


『…… GFBIとは、『Gaia Federal Bureau of Investigation(ガイア連邦捜査局)』の略称であり、ガイアが運営する自浄機能組織である。


 その最大の目的は、ガイア国内の秩序維持にある。事件が発生した場合に限らず、事件の予兆や兆候があれば独自の判断で捜査に乗り出すという、きわめて自主性の高い機関である点が特徴だ。


 また、その捜査活動は完全に独立しており、組織内部における腐敗や治安の悪化を未然に防ぐ「監視者」的な役割も担っている。


 活動の結果は、関係する当事者だけでなく、その近親者(家族・恋人など)に報告することを主な活動としている。 ……』


「まだ、朝飯あさめしを食い終わってねぇから一回帰るよ。じゃあ叔父貴おじき、後はよろしく」


「はいよ」


 堅蔵けんぞうは皆を見送ると後始末を始めた。


(襲撃の情報……やっぱり、少し違うけど比智ひさとの声に似てるよなぁ?)


「それにしても一斗いっとのヤツ、なんだあの言葉遣いは・・・今日の訓練は百倍だな」


 * * *


『 GA歴八十七年 四月二日 九時五十五分 』


 『扇風機妖魔せんぷうきようま』は、バクマ、堅蔵けんぞう、そして一斗いっとの奮闘によって、どうにか退けられた。


 その直後――みことは入学式に遅れまいと全力で駆け出し、ようやく『神代中学校じんだいちゅうがっこう』の正門前にたどり着いた。


「はぁ……はぁ……ふぅぅ……でっ、バクマ、今何時です?」

 息を切らしながら問いかけたみことの額には汗がにじみ、胸の鼓動はまだ収まらない。心の中では(遅刻じゃない……よかった……)と必死に落ち着こうとしていた。


「9時五55分でございます。……ギリギリですが、間に合いましたね。急ぎ、入学式の会場へ参りましょう」

 バクマはみことの隣で静かに宙に浮かびながら、変わらぬ丁寧な口調で告げた。その丸い体はふわりと安定した動きで、みことの歩調に合わせて滑るように並んでいた。


『…… 『神代中学校じんだいちゅうがっこう』は『神代小学校じんだいしょうがっこう』や『神代高校じんだいこうこう』と共に地上で最初に設立された由緒ある学び舎である。


 その歴史は西暦の時代まで遡り、長きにわたり多くの人材を輩出してきた伝統校として知られている。 ……』


 みことはふと足を止め、後ろを振り返った。はるか後方、一斗いっとが必死に走ってくる姿が見える。先ほどの戦いで力を使い果たしたのだろう、足取りは重く、なかなか追いつけずにいた。


 それでも――みことが振り返ったのに気づいた一斗いっとは、全力で手を振って応えた。


 その顔はというと……涙によだれ、さらには鼻水まで垂れ流し、もはや形容のしようがなかった。


「うわっ……イチの顔、気色悪きしょくわるいです……」


(あんな顔でこっちに向かって来るなんて……わたし、知りませんから……)

 呆れと戸惑いが入り混じった気持ちで、みことは小さく身震いする。


 そんなみことに、バクマが変わらぬ落ち着きで告げる。


 彼はみことの肩口ほどの高さでふわりと浮かび、ゆっくりと旋回しながら宙を漂っていた。表情こそ乏しいものの、その所作には常に丁寧な気遣いが滲んでいる。


命様みことさま、入学式の会場は大講堂だいこうどうでございます。私は内部には入れませんので、外で待機しております」


「うん、ありがとうバクマ」

 みことは一つうなずくと、改めて気を引き締めるように胸元に手を当て、静かに歩き出した。


 * * *


 みこと大講堂だいこうどうのエントランスにある生徒用の入口から中へ入ると、すぐに教師が現れ右端の最前列へと案内された。


 この大講堂はエントランスから続く1階の入口を起点に地下2階まで緩やかに下りながら座席が並ぶ造りになっている。広さと奥行きを兼ね備えたまさに壮観な空間だった。


 席に着いたみことは、ふと二階席や三階席に設けられた保護者席に目を向けた。すると、自分のすぐ隣に位置する二階席の最前列で母の華豊かほうと父の朱角あけすみが並んで座っているのを見つけた。


「パパぁぁ、ママぁぁ」

 みことは大きく手を振りながらも、どこか遠慮がちに声を張った。


(あ、気づいてくれた! ふふっ、パパったらもう泣いてるし。ママは……やっぱり相変わらず美人だなぁ)


 華豊かほう朱角あけすみを確認したみことは次に生徒席の方を確認し始める。


「うーーーん、居ないですね。わたしの後に一席空いてるです、それと左端の一番後ろも一席空いている……」


(恐らくイチは左端の一番後ろですね。じゃあわたしの後の席が那岐紗なぎさですかね?)


『…… 那岐紗なぎさ……本名は伊波那岐紗いなみなぎさ。十二歳。

 みこととは同じ病院で、同じ日、同じ時刻に生まれた幼なじみだ。一斗いっとも含めた三人は、物心つく前から一緒に育ってきた仲でもある。


 那岐紗なぎさ一斗いっとに好意を抱いており、一斗いっともまた、彼女に特別な想いを寄せていた。 ……』


 生徒たちの席順は、右端から入試成績の上位者順に並ぶ決まりだった。


 主席合格のみことが右側最前列に座っているということは、成績の悪い一斗いっとが左端の一番後ろであろうことも、みことにはわかっていた。


 そんな中、みこと那岐紗なぎさの姿を探していたが、その時……大講堂の後方にある扉が、勢いよく開かれた。


「大変、申し訳ございません!!」

 大きな声で謝罪をし一礼しているのは一斗いっとである。


(うわぁぁ、イチだ。全員に注目されてるです……ん?なんか若気にやけながらこっち見てる……あぁぁぁ、こっち来たです……あっ先生に止められてるです……うわっ!暴れだした……今度は先生三人で止めに行ったぁぁ!……ああ、ダメでしたイチの奴やっぱ強いです……)


 その時だった。


 音もなく、一斗いっとの目の前に一人の男性が現れた。かっちりとしたダークブルーのスーツに身を包み、額にはしわを刻んだ険しい表情。まるで空気ごと凍りつかせるようなその登場に、生徒たちの視線が自然と集まる。それは、七代朱角ななしろあけすみみこと一斗いっとの父親だった。


(うぇぇぇい……パパ登場です!!)


 一斗いっとはその迫力に完全にひるみ、動きを止めた。朱角あけすみは無言のまま拳を固めた。そして――その拳を、容赦なく一斗いっとの頭頂部へ振り下ろした。


「……っ!」


 鈍い音が響いたわけではない。しかしその一撃が放つ威圧感に、大講堂を包んでいたざわめきが一瞬で消え去る。そこにあったのは、張り詰めたような静寂だった。


(パパ、流石さすがです……イチが一発で大人しくなったです)


 場の空気を凍らせたまま、朱角あけすみは軽く頭を下げてから、そのまま小走りで保護者席へと戻って行った。あくまで静かに、しかし誰の目にも、その場の秩序を一瞬で正した存在として強く映っていた。


(はぁやっと入学式始まりそうだな。でも那岐紗なぎさがまだ来ない。どうしたんだろう?)


 彼女の心配を余所よそに入学式が始まった。


 * * *


『 GA歴八十七年 四月二日 十一時三十分 』

 入学式も終わり『七代家ななしろけ』の面々めんめんは『神代中学校じんだいちゅうがこう』正門前の広場に集まっていた。


「ミコちゃん、妖魔ようまに襲われたんだって?比智ひさとから連絡受けたときは心臓止まるかと思ったよ」


 父親らしき男がみことに優しく話しかけた。


『…… みことのことを「ミコちゃん」と親しげに呼ぶこの男の名は、七代朱角ななしろ あけすみ。『七代家ななしろけ』の父であり、婿養子として迎えられた人物である。

 黒髪のくせ毛を短く整えた髪型に、アジア系らしい健康的な肌。そして、深いダークレッドの瞳が印象的だった。その目の色は、長男の祈琉いのるや次男の比智ひさととも共通しており、彼らの間に確かな血のつながりを感じさせる。

 引き締まった体躯に柔らかな笑みをたたえる姿は、まさに知性と包容力を兼ね備えた“イケオジ”そのもの。

 医師としての資格も持ち合わせており、現在は『光次幻科学こうじげんかがく』の第一人者として知られる存在だ。『神代大学じんだいだいがく』の研究所では、『虚空ネットワーク』の構築をはじめとした数々の革新的な研究に取り組んでおり、理論と実践の両面において卓越した科学者である。 ……』


「はいです……トカ婆からは妖魔退治ようまたいじ仕方しかたを教わってたんです……けど……怖くて……」


 みことは瞳に涙を浮かべ、うつむいてしまった。


みこと……ホントに無事で良かったわ、凄く心配したのよ」


 優しく話しかけてきたその女性は、そう言ってみことをそっと抱き寄せた。


『…… この女性の名は七代華豊ななしろ かほう。『七代家ななしろけ』の母であり、途轍とてつもない美貌の持ち主だ。ブロンドのロングヘアには緩やかにパーマがかかり、欧州系らしい白い肌がその美しさを一層引き立てている。

 医師免許も取得しているが、現在は夫・朱角あけすみと共に『神代大学じんだいだいがく』の研究所に籍を置き、『ゲノム・バイオ科学』の分野の科学者として活躍している。冷静さと情熱を兼ね備えた才色兼備の女性である。 ……』


父上ちちうえ母上ははうえそれがしが『扇風機妖魔せんぷうきようま』を討ち果たしたのでござる!」


 一斗いっとが胸を張り、誇らしげに声を響かせた。


「……そうか、一斗いっと。よくやったな」


 朱角あけすみがひとつ頷いた、その直後――


「だがなっ!!入学式のあの騒ぎはなんだ!!」


 怒気を帯びた声とともに、表情が一変する。まるで鬼神のような形相だった。


「ひぃぃっ、父上ちちうえぇぇっ!ま、誠に申し訳ございませぬぅぅぅ!!」


 一斗いっとは謝罪の言葉を発すると同時に音を立てず滑るように後ろへ下がり、その勢いのまま膝をついて土下座した。無駄のない一連の動きはまるで反射のようで頭が地面に触れる瞬間まで淀みがなかった。


 一斗いっと朱角あけすみに叱られている横で華豊かほうみことはどこか楽しげに、和やかに言葉を交わしていた。


「ねぇミコト、そういえば二人のクラス分けはどうだったの?」

わたしは一組でイチは三組です」

「そう、一斗いっとと同じクラスではなかったのね」

「はい!やりました。わたし、グッジョブです」

みことはサムズアップを決めると、得意げにニヤリと笑ってみせた。


「ぬぅぅぅ、みことと同じ空間の空気が吸えないとは……無念」


 朱角あけすみに叱られていたはずの一斗いっとが、いつの間にか姿を現したかと思うと、すぐに肩を落とし、落胆した顔を見せた。


 華豊かほう一斗いっとの割り込みにふわりと微笑みを浮かべるだけで、まるで軽く受け流すように、そのまま穏やかに話を続けた。


「そう、いつも同じクラスだったから安心してたのだけれど」

「そうなんです。小学校の頃は何故かいつも同じクラスでマジで鬱陶うっとうしいです」

「こらっ!そんな汚い言葉使っちゃ駄目よ」

「あっ、ごめんなさい」


 * * *


 三年前のある日の授業で……

 九歳のみこと一斗いっとは同じ教室で授業を受けていた。


「それでは、『ガイア』の五大原則についておさらいしましょうか。」

 教壇に立つ女性教師が穏やかに語りかける。

「『ガイア』には憲法や法律は存在しません。その代わりに、五大原則が定められています。今から皆さんの机のホロスモニターに表示しますね。」

 各生徒の机からホロスモニターが現れガイアの五大原則が表示された。


「じゃあ・・・七代命ななしろみことさん」

「はいです」

「起立して音読してもらえますか」

「分かりました」


 みことの机から出現したホロスモニターはみことの動きに合わせてみことが見やすい位置に移動した。


『…… 【ガイア・五大原則】

 一.共通言語は旧日本語

 ガイアでは、共通言語として旧日本語を使用する。ただし、他の言語での会話や読み書きについては禁止することはなく、自由に使って構わない。


 二.団体ごとのルール運用

 規模の大小にかかわらず、各種団体は自らルールを定め、その運用を行うことを認める。


 三.衣食住の保障と通貨運用

 ガイア国民には衣食住の最低限を保障する。通貨としては旧日本円が採用されており、各団体や個人に対し、年に一度、適切な金額が発行されることとする。ただし、その通貨の価値や使用方法については、各団体ごとに考え運用することを求める。


 四.土地の分配と建国の自由

 浄化を終えた土地は、希望者に分配する。ただし申請をする必要があり申請の際には用途を明確に記載すること。審査を通過すれば正式に与えることとする。

 また、これらの土地が将来的にガイアから独立し新たに国として建国することも認める。ただし、建国する場合は下記条件を満たさなければ認められない。

 1.言語は共通言語の日本語

 2.ルールの規定

 3.国民に対しての衣食住の確保

 最後に、最初の10年間はガイアからの支援を受けられることとする。


 五.弱肉強食と個人の正義

 ガイアでは「弱肉強食」という考えが最大理念であり、誰もが自らの正義を貫くことが尊重され、これこそが行動の指針となる。 ……』


「はい上手に言えましたね、ありがとうみことさん」

「では、最後の国王の言葉を、七代一斗ななしろいっとさん」

「はっ!」

「同じく起立して音読してください」

「御意」


『…… ガイアの最大理念……弱肉強食。この掟が揺らぐことなど断じてない!我とガイアに異を唱える者がいるならば、相応の覚悟を持って来るがよい!


 文句もんくのあるヤツはいつでもかかってこい!!


 ガイア国王 高天原総司たかまのはらそうじ ……』


「もの凄く気合が入っていてとても良かったですね、ありがとう一斗いっとさん」

「このように『ガイア』には憲法や法律は無く各種ルールは……」


 * * *


(そういえば、五大原則の授業の時にイチが国王様のお言葉をでっかい声で叫んでて恥ずかしかったです)


「ねぇねぇ、それよりも那岐紗なぎさが入学式に来てないんですよ」

 みことが何気なく口にしたその言葉は、明るく弾んでいた。けれど、その裏にはずっと胸の奥に引っかかっていた違和感があった。


「えっ那岐紗なぎさ、来てないのか?」

 一斗いっとが驚いたように声を上げる。思わず顔を上げて辺りを見回したが、やはり那岐紗なぎさの姿はどこにも見当たらない。焦りにも似た感情が胸をざわつかせる。


「イチは黙ってて。ねぇパパ、ママ、何かしっているです?」

 みことが口を尖らせて一斗いっとを制し、朱角あけすみ華豊かほうに真っ直ぐな眼差しを向けた。どこか不安げな声音には、確かめずにはいられない必死さがにじんでいる。


 その問いかけに、朱角あけすみ華豊かほうは顔を曇らせた。言葉を発しようとして、一瞬視線を交わす。

 やがて、どちらも何も言えぬまま、神妙な面持ちで沈黙するだけだった。


 その空気を感じ取ったみことも、さっきまでのはしゃいだ様子をぴたりと止めた。

 胸の奥がぎゅっと締めつけられるような不安に変わり、目に見えない冷たい風が心を撫でていく。

那岐紗なぎさ……どうしたんです?)

 みことの心に、静かなざわめきが広がっていった。


 * * *


 そこへ、スーツ姿のナイスミドルな男性が現れた。


朱角あけすみさん、ご無沙汰しています。」

「あっ、淳二じゅんじくん。ご無沙汰です。」


『…… 彼の名は大石淳二おおいしじゅんじ朱角あけすみの実弟である三雲堅蔵みくもけんぞうとは小・中・高と同じ学校に通った旧友であり、昔からの腐れ縁だ。


 高身長でがっしりとした体格、短く整えた黒髪に、日焼けしたような地黒の肌。優しげな黒い瞳と落ち着いた雰囲気が印象的な、まさに“イケオジ”である。


 現在はGFBI刑事部捜査一課の課長を務め、階級は警視長。ベテランらしい経験と、人懐っこさを併せ持つ頼れる一課長いちかちょうだ。 ……』


「先ほどはお電話で失礼しました」

 大石おおいしが穏やかに頭を下げた。立場が変わっても、旧友への礼儀は忘れない。その姿勢には、警視長としての風格と変わらぬ人懐っこさが滲んでいた。


「いえいえとんでもない。淳二じゅんじくんもお変わりなく」

 朱角あけすみがにこやかに応じた。どこか懐かしさを感じさせる口調には、長年の付き合いゆえの信頼と親しみが込められている。


華豊かほうさんもお元気そうで何よりです」

 大石おおいし朱角あけすみの隣に立つ華豊かほうに向け、柔らかく微笑んだ。その目元には、旧知の人と再会できたことへの嬉しさが宿っている。


「お久しぶりね淳二じゅんじさん。冬子ふゆこさんもお変わりない?」

 華豊かほうもまた、大石おおいしとの再会に穏やかな笑みを見せた。長年変わらぬ礼儀正しさと、柔らかい物腰が印象に残っていたのだろう。


「はい元気ですよ。いつも冬子ふゆこには助けられてます」

 大石おおいしの言葉には、家族への感謝が自然とにじんでいた。公務に追われる日々の中で、妻の存在がどれだけ支えになっているかを、心から実感しているのだろう。


「そう、そういえば咲子さきこちゃんは何歳になったの?」

 ふと華豊かほうが思い出したように尋ねる。あの小さかった子が、もうずいぶん成長しているのではと、興味深そうに目を細めた。


「もう五歳になりました」

 嬉しそうに大石おおいしが答えた。成長の早さに驚きつつも、娘の姿を思い浮かべているのか、その表情はどこか誇らしげだった。


「じゃあ、そろそろパパ離れかな?」

 冗談交じりに華豊かほうが言うと、思わず場に柔らかな笑いが広がる。


「いやぁまだまだ大丈夫……だと思いたいですね」

 苦笑しながら答える大石おおいし。その胸中には、できることなら今のままの関係をもう少しだけ続けていたいという、父親としての切ない願いもあった。


「そうね。でもいつまでも続かないわよ」

 華豊かほうが笑顔で釘を刺す。自身の子育ての経験から、親離れの時期は意外と早く訪れることを知っているのだろう。


「はい、覚悟してます」

 大石おおいしもまた、静かにうなずいた。その声には、少し寂しさと、しかし確かな覚悟が混ざっていた。


 朱角あけすみ華豊かほう、そして大石おおいし――三人は穏やかな笑みを交わしながら、久々の再会に花を咲かせていた。

 その空気を感じ取ったのか、みことがひょいと三人の間に割り込んできた。無邪気な動きに、大人たちの視線が自然とそちらへ向かう。


「あーーー! 一課長いちかちょうさんです」

 みことがぱっと目を見開き、大きな声で叫んだ。まるで有名人でも見つけたかのような反応に、周囲の空気が一瞬和んだ。


 その声に気づいた大石淳二おおいしじゅんじは、優しい笑みを浮かべながらみことの方へと歩み寄ってきた。懐かしさと成長した二人への感慨が、胸の奥にじんわりと広がっていく。


みことくん、一斗いっとくん。入学おめでとう」

 大石おおいしが丁寧に祝福の言葉を述べると、みことは元気に返事をした。


「ありがとうございます」

 無邪気な笑顔で礼を述べるみこと。その表情には、大石おおいしとの再会に対する嬉しさと、少しの誇らしさが滲んでいた。


恐悦至極きょうえつしごくにございます」

 一斗いっとはいつもの侍言葉で、かしこまった様子で一礼した。その顔には緊張も混じっているが、どこか嬉しそうな照れも見え隠れしていた。


「三年ぶりかな? 二人とも大きくなったね」

 感慨深げに語る大石おおいしの声には、まるで親戚のような温かみがあった。


 しかしその笑顔が、ふいに引き締まる。表情が徐々に真剣なものへと変わっていく。


「二人とも少しお話しがあるのだがいいかい?」

 大石おおいしの声は落ち着いていたが、その口調にはただならぬ気配が感じられた。


「あーーーっ!! イチが大桜を倒して逃げた件ですぅぅ?」

 みことが、真剣な表情で言った。表情こそ真面目だが、その口ぶりは妙に鋭く、大石おおいしの言葉の真意を勘ぐっている様子が見て取れた。


「逃げっ……ってちがっ……あれはみことを助ける為に仕方なく」

 一斗いっとは思わず取り乱す。胸の奥にあった罪悪感が一気にあふれ出し、必死に弁解しようとするも、言葉が追いつかない。


 やがて彼は下を向き、悲壮な表情で黙り込んだ。そして、しばらく葛藤した末、何かを決意したように顔を上げる。瞳の奥に覚悟の色が宿っていた。


大石殿おおいしどの。逮捕してください、潔く犯行を認めます」

 そう言って頭を下げ、両手を差し出した一斗いっとの声は、どこか達観していて、やけに落ち着いていた。まるでそれが自分の責務だと言わんばかりに――。


一課長いちかちょうさん。イ、イチが犯人です。しょ、処刑してください……早く……ふぅふぅ……早く……」

 みこともまた興奮気味に大石おおいしに詰め寄る。目は潤み、呼吸は乱れ、想像の中で一斗いっとの罪をどれほど重く見積もっているのかがありありと伝わる。


「少し落ち着こうか、みことくん。『神代大桜じんだいおおざくら』の件も報告を受けているよ。後で事情は聞く必要はあると思うが、その件ではないんだ」

 大石おおいしは冷静に、しかし柔らかく否定した。その穏やかな声色は、子どもたちを動揺させぬようにとの気遣いが感じられた。


「ほらっ、一斗いっとくんも、いつまでも頭さげてないで。両手もいいから」

 大石おおいし一斗いっとの差し出した手をそっと下ろし、軽く肩をたたいた。過剰な責任感で自分を追い込む彼の心を、少しでも和らげてやりたいという思いがそこにあった。


 その様子を見ていた華豊かほう朱角あけすみは、苦笑いを浮かべながら大石おおいしに小さく会釈した。子どもたちの想像力の豊かさと、旧友への信頼からくる安心が混ざったような表情だった。


「ふぅ……」

 軽く息をついた大石おおいしは、空気を切り替えるように一歩前へ出た。その仕草には、職務に戻る者としての凛とした気配があった。


一斗いっとくん、みことくん、お話ししたい事がありますので、『神代署じんだいしょ』までご同行願えますか? 親御おやごさんも一緒にお願いします」


「なんです?」

「なにごと?」


 みこと一斗いっとは、思わず声を揃えて聞き返した。大石おおいしのあまりに真剣な表情に、ふたりの中に不安が広がる。無意識に、ふたりは父と母の方へ視線を向けた。


 朱角あけすみ華豊かほうもまた、表情を引き締めて静かに頷いた。

 その目は、何かただならぬ事態が起きていることを、子どもたちに黙して伝えていた。


 * * *


『 GA歴八十七年 四月二日 時刻不明 』

 とある廃工場はいこうじょう。錆びた鉄骨が軋み、割れた窓から冷たい風が吹き込んでいた。その奥、瓦礫の間に、深い傷を負った老人が倒れている。


 その目前に、何者かが音もなく現れた。


「……まだ、生きておるか?」


 低く、重みのある声に、老人はかすかに目を開いた。


「そ……その声は……大連様おおむらじさま……」


 薄れゆく意識を、必死に気力で押し戻しながら、言葉を絞り出す。


面目めんぼく……ございません……。奴らを、あなどっておりました……」


 大連様おおむらじさまは静かに歩み寄り、威厳を湛えた口調で応じた。


「今のそなたでは、敵わぬも当然のこと。あやつらは、幾千年にわたり数多の格闘術と武術を取り入れ、独自に昇華させた流派。かつて戦った陰陽道の者に近き力を持つが、あやつらは対妖魔のみに特化し、技を研ぎ澄ませた一族にてある」


「そ……そうでありましたか……。大連様おおむらじさま……お願い申し上げます。今一度、機会をお与えくだされ……」

「他にも手は打っておるが、そなたには長きにわたり仕えてもらうたゆえ、ここで捨てるは忍びぬ」

「で、では……」

「良かろう。ただし、今のそなたを癒しただけでは、太刀打ちできぬ。……致し方なし。新たなる力を授けようぞ」


「……呑まれるでないぞ」


 そう呟いた大連様おおむらじさまは、右手を手刀に整え、額にそっと当てた。その位置――上丹田じょうたんでん。静かに術を開始する。


「……我が力の根源を、ここに」


 指先が淡く白い光を帯びはじめる。そのまま手刀を額から離し、正面へと差し出す。


「……我が力の根源よ、真理を纏え」


 その声と共に、手刀から白き炎が音もなく噴き上がる。炎の中には金色の粒子が浮かび、幻想的な輝きを放っていた。


 大連様はその手刀を、老人の上丹田じょうたんでん中丹田ちゅうたんでん臍下丹田せいかたんでんへと順に当てていく。そして、ふっと手を離す。


「……我が力にて、この者の魂と自我の回復を願う」


 その言葉が終わると同時に、老人の全身を白い炎が包み込んだ。炎の揺らめきが徐々に静まりゆくにつれ、傷は塞がれ、荒れていた呼吸も静かに落ち着いていく。


「……癒えたようであるな。では、次なる段へ移ろう」


 再び手刀を老人の臍下丹田せいかたんでんに当てる。


「……闇に潜みし彷徨さまよえる魂よ――応えよ」


 白き炎が青紫色あおむらさきの炎へと変化し、周囲に妖気めいた気配が立ちのぼる。大連様おおむらじさまは目を閉じ、長く沈黙したまま、何かを感受するかのように微動だにしなかった。


 やがて、その瞼が鋭く開かれる。


「……我が問いかけに応えし魂よ――ここへ!」


 その一喝とともに、大連様おおむらじさまは一歩身を引いた。


 次の瞬間、老人の身体から黒いもやが噴き出し、全身を包み込む。


「ぐわぁぁぁっ……はぁ、はぁっ……うわぁぁぁぁっ!」


 老人は苦悶の声を上げ、激しくのたうち回る。

 やがてその苦しみはぴたりと止み、静けさが訪れる。


 そして――


 老人は、ゆっくりと立ち上がった。だが、その姿はもはや「人」ではなかった。扇風機のような構造を持つ頭部に手足が備わり、さむらいの装束をまとった異形の存在――

 人と妖の狭間にある、未知のものへと変貌していた。


(……融合度、一割といったところか)


「……どうであるか?」

大連様おおむらじさま、深く感謝申し上げます。この力があれば……次こそは……」

「うむ。なんとかなったようであるな。しばしは静養いたせ。くれぐれも、力に呑まれるではないぞ」

「はっ!」


 その返答を最後に、大連様おおむらじさまの姿は煙のように掻き消えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る