第2話
「お前、またしても俺の話を聞いていなかったな! 一体、どれだけ俺を馬鹿にすれば気が済むんだ! 僕は由緒正しき、文武両道に長けたホリック伯爵家の長男なんだぞ!」
アールは特に「文武両道」という言葉を強調して怒鳴った。
「アールさま、まだ2週間前の武術大会のことを気にしておられるのですか?」
私の言葉にアールの表情が一変した。
今にも飛び掛かってきそうなほどの怒りの表情を浮かべたのだ。
今から2週間前、私は王立学院内で開かれた武術大会で優勝した。
準決勝で当たったアールに圧倒的な力を見せつけてである。
もしかしたらアールが妹のソフィアとの婚約に至ったのは、妹への愛以上に私への憎しみがあったからではないだろうか。
文武両道に長けたホリック伯爵家の長男が、男爵家の女に公衆の面前で武術の試合で敗北した。
ブライドが人一倍高いと噂されていたアールにしてみれば、それこそ自殺したいほど悔しかったに違いない。
ただ病的なほどプライドの高かったアールは、そこで今回の計画を思いついたのだろう。
私に婚約の最中に不貞を働いたという罪を着せるため、私と婚約している最中に平民を使って不貞の証拠として証人を用意する。
同時にソフィアとも口裏を合わせて私を罠にはめる準備もする。
ソフィアにしてみれば、これは渡りに船だったはずだ。
私は貴族社会の中では変わり者の令嬢で通っている。
日頃から貴族令嬢たちのお茶会や夕食会には一切参加せず、武術の稽古に明け暮れていた。
周囲から密かに病気などと言われていることは自分自身も知っている。
けれど、これは病気というよりも性格なのだから仕方ない。
それにこんな変わり者は周囲を探せば1人や2人は必ずいる。
それでもソフィアはそんな変わり者の私に苛立っていたはずだ。
なぜなら、こんな変わり者の武術馬鹿の私は結婚できないと散々陰口を叩かれていたからだ。
そしてこの国の貴族社会では、上の兄妹が結婚しない限り下の兄妹は結婚できない。
もしも上の兄妹が婚約している最中でもない限り、下の兄妹が誰かと婚約してしまったら当人たちには重罰が処される。
ソフィアにしてみれば、姉の私が誰かと結婚しない限りは自分は結婚できない。
しかし、いつからかは知らないが、ソフィアはアールと恋仲になっていた。
さて、ここでアールとソフィアの立場になって考えてみるとする。
自分たちの恋仲を成就させるためにどんな考えに至るか。
非常に簡単なことだ。
①アールは私ではなく父上に話を持って行って私と偽りの婚約を果たす。
②私と強引な婚約をしている最中に、平民を使って私の不貞の話を作り上げる。
③貴族たちの集まる晩餐会を開き、公衆の面前で私の不貞を明らかにする。
④自分たちの行いが正しいことを周囲に知らしめて私との婚約を破棄する。
⑤その婚約破棄に至った過程で私が罪人であることも強調し、どさくさに紛れて以前から恋仲だったソフィアとの婚約を宣言する。
⑥この国の貴族社会には病気や
という一連の流れを私が思い浮かべたときだ。
「罪人の女のくせに何を生意気な口を……あの武術大会のときは俺の体調はいつもより悪かったんだ。頭痛や吐き気もあったし、手足の震えもあった。それでも準決勝まで勝ち進み、決勝戦で体調の悪さが最悪になった。そのせいでお前に負けたんだ。そうでなければ俺が女に負けるはずがない」
全身をわなわなと震わせているアール。
その横で「してやったり」という顔をしているソフィア。
一方の私は平然さを崩さない。
この2人は何も気づいていないのだろうか。
普通に考えて公衆の面前で婚約破棄をされたら、された側の女性は驚くか悲しむかどちらかの言動を取るだろう。
だが、今の私の態度にはさざ波程度の動揺もない。
それをこの2人はまる
考えが圧倒的に足りないのだ。
私ことシンシア・バートンが公衆の面前で婚約破棄され、謂れのない罪を主張され、元婚約者を妹のソフィアに奪われた立場にあるのに、
そしてすべてが明らかになったとき、自分たちが口にしたことが呪い返しのように自分たちに跳ね返ってくることなども想像していない。
「哀れね」
と、私がぼそりとつぶやいた直後である。
大広間の出入り口の扉が勢いよく開き、大勢の兵士を引き連れて1人の男性が現れた。
「全員その場から動くな!」
凛然とした声を放った男性は、年頃の娘なら1発で恋の矢でハートを撃ち抜かれるほどの超絶なイケメンだった。
180センチを超える長身。
金糸と見間違うほどの流麗な金髪。
端正な顔立ち。
日頃から鍛えていない細身の体型。
「あ、あなたは……」
アールとソフィアはその男性を見て驚きの声を上げた。
そのイケメンの名前はアストラル・ヘルシング。
この国の王族とも懇意なヘルシング公爵家のご子息だ。
そしてヘルシング公爵家は、法律を取り仕切ることも王家に任されている。
そんなアストラルは全員を見回すと、その場に立ち尽くしているアールとソフィアを睨みつけた。
「ホリック家伯爵家の長男、アール・ホリック。バートン男爵家の次女、ソフィア・バートン。両名を兄妹不敬罪により逮捕する。そしてその2人に協力した者も
アストラルがそう言うと、兵士たちはあらかじめ打ち合わせしていたような迅速な動きでアールとソフィア、そして平民の中年男を逮捕した。
素早く3人の背後に回り、両手を後ろ手にしてロープで拘束したのである。
「一体、これはどういうことですか! なぜ、ここにヘルシング公爵家の長男であるあなたがいるのです!」とアール。
「ちょっと何なのよ! 何でわたしが逮捕されるわけ? こんなこと聞いてないわよ」とソフィア。
「待ってくだせえ、俺は本当にこの目で見たんです! 嘘じゃありません!」
わめきまくる3人に対して、アストラルは淡々と罪状を述べた。
「たった今、申し上げた通りだ。アール・ホリックとソフィア・バートンは貴族なので兄妹不敬罪が適用される。そしてそこの平民の男には幇助罪が適用される。言い逃れはやめろ」
そんな馬鹿な、と異議を申し立てたのはアールだ。
「もっとよく調べてくれ。俺とソフィアが兄妹不敬罪に該当するはずがない。なぜなら、そこにいるシンシアこそ俺との婚約中に不貞を働いた犯罪者だからだ。兄妹不敬罪において病気や罪人になったなどよほどの理由がない限り、上の兄妹より下の兄妹が先に結婚してはいけないとある。だとしたら俺が宣言したシンシアとの婚約破棄は有効だったはず。重罪人となったシンシアが結婚できない立場になった以上、俺とソフィアが婚約しても何ら問題はない」
「そ、そうですよ。アールさまの言う通りです。お姉さまが犯罪者な以上、私とアールさまは兄妹不敬罪になるはずがありません」
確かに、とアストラルは神妙にうなずいた。
「ここいるシンシア・バートンが本当に犯罪者ならば、だ」
アストラルは兵士の1人にあごをしゃくって見せた。
誰かをここに連れて来い、という合図なのだろう。
兵士の1人は黙ってアストラルの暗黙の命令に従った。
急いで誰かをこの場に連れて来る。
連れて来られたのは、年端もいかない平民の少女だった。
10歳ぐらいだろうか。
貴族の集まりの場に連れて来られたせいか、誰の目にも明らかなほど挙動不審になっている。
「アストラル、この子は?」
私が落ち着いた声で訊くと、アストラルも冷静な態度で「この子は君の無実を証言してくれる子だ」と答えた。
続いてアストラルは芝居がかった態度で貴族たちを見回す。
「そこにいる平民の男は、王都の大通りの裏で婚約中でありながらシンシア嬢が身元不明な男と不貞を働いていたと証言した。しかし、それは真っ赤な嘘だ。それはこの子が証言してくれる」
アストラルはオドオドしていた少女に優しくたずねた。
「すまない。もう一度、ここにいる全員にわかるように説明してくれないか?」
「は、はい……わかりました」
少女は自分の名前をアーニャと名乗ると、ゆっくりと話し始めた。
アーニャが口にしたことは、大通りの裏で似顔絵描きの男に金を渡しているアールの姿だったという。
「ば、馬鹿な! 知らない! そんなことはデタラメだ!」
アールは空気が震えるほど怒声を上げたが、アーニャはアストラルが後ろ盾になっていることを理解しているのだろう。
アールのことなど無視して貴族たちに詳細を語った。
フード付きだったが平民の男に金を渡していたのは、間違いなくこの場にいるアール・ホリック本人で間違いないと。
その直後、アーニャは泣き出してしまった。
アストラルにお願いされたから話しただけで、そうでなかったらこの場に来て証言などしなかったと。
理由はこの場にいる貴族なら一瞬で理解できた。
何の後ろ盾もなく平民の、しかも年端もいかない少女の証言など伯爵家のアールが知ったら簡単に握り潰すことができる。
それこそアーニャの命ごと簡単に。
アーニャの泣き声だけが響く大広間の中、血の気が完全に引いて青ざめた表情をしている人間が3人いた。
アール、ソフィア、似顔絵描きの中年男の3人である。
なぜ血の気が引いているのか私は手に取るようにわかった。
アールとソフィアは自分たちの婚約を成立させるため、私との偽りの婚約をしたばかりか、それを平民の男を使って不貞の罪を着せようとした。
その悪事をバラされてしまったので青ざめているのだ。
この罪は非常に重い。
懲役数十年、下手をすれば処刑もあり得る。
やがてアストラルはアーニャの肩に優しく手を置いた。
「怖かっただろう。もう大丈夫だ。よく勇気を振り絞って証言してくれた」
その言葉にアーニャの泣き声はピタリと止んだ。
直後、アストラルは兵士たちに語気を強めて命じた。
「そこの3人を連れて行け!」
兵士たちは「自分たちは無実だ!」とわめいている3人を大広間の外へと連れて行く。
私はその様子を無表情で眺めていた。
かわいそうなどとは思わない。
この結果はあの3人の自業自得なのだから。
そう、これは私との婚約を破棄したいために起こした彼らの罪。
このとき、私は遠ざかる3人を見つめながら苦笑した。
「最初から何もしなければよかったのに」
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