【短編】私とあなたが婚約破棄に至った病
岡崎 剛柔(おかざき・ごうじゅう)
第1話
「シンシア・バートン。今日この場を借りてお前に告げる。お前との婚約は破棄だ。もちろん異論は認めない。お前はそれほどの重罪を犯したのだから」
シンシア・バートンこと私は、勢いよく人差し指を突きつけてきた伯爵子息のアール・ホリックを見つめ返した。
私は周囲の人間から見えないように嘆息する。
現在の時刻は夜。
ここはホリック家内の大広間であり、大勢の貴族たちを招いての晩餐会の最中だった。
そして私とアールの2人は大広間の中央にいる。
アールに大広間の中央まで来るように言われたからだ。
だが、まさか公衆の面前で婚約を破棄されるとは思わなかった。
「ちなみに私と婚約破棄をする、その重罪とやらを教えていただきませんか? まさか、私の家柄との差が嫌になったとかいう理由ではありませんよね? ここにお集りのお歴々の中には知らない方も多いと思いますが、私との婚約を望んだのはアールさまのほうですよ」
私の家は爵位の1番低い男爵家だ。
一方でアールの家柄は貴族階級では上から3番目の伯爵家。
傍から見たら釣り合う家柄同士ではない。
それでも私とアールが婚約に至ったのは、アールが病的までに求婚を申し出てきたからだ。
私に直接ではなく、バートン男爵家の当主――つまり、私の父上にだ。
そのことを1週間前に唐突に父上から告げられた私は、嬉しさではなくダークブラウンの髪が風もないのに揺れ動くほどの怒りが湧いた。
あのときのことは今でも思い出せる。
私は父上に猛抗議した。
「お父さま、私はアールさまと婚約など致しません。第一、よく考えてください。私はアールさまとほとんど接点はありません。それこそ王立学院内の武術大会で剣術の手合わせをしたぐらいです。それなのに、いきなり私と婚約したいなどというのはおかしすぎます」
「ならん。これは当主である私が決めたことだ。それにこんな良い縁談などない。お前は可愛らしい妹のソフィアと違い、日頃から武術の鍛錬にうつつを抜かす淑女とは思えない野蛮な娘に育った。ならば普通の貴族との縁談など到底考えられない。学院を卒業するまでは面倒を見るが、そのあとは知り合いの豪商に嫁がせる」
私が呆然とする中、父上はまくし立てるように言った。
「ちょうど私の知り合いの豪商に嫁を探している男がいる。年齢は40を超えて離婚歴はあるが、お前のような野蛮でがさつな娘でも後妻として引き取ってくれると言ってくれた。どうする? 同じ17歳のアールさまの伯爵家に嫁ぐか、40を超えた私よりも年上の男の元に嫁ぐか。どちらがいいかお前が決めろ」
そのとき、私の心は急激に冷めていった。
「わかりました。たった今決めました。
などと1週間前の記憶を思い出していると、数メートル前から「おい!」という怒声が聞こえた。
「お前、何をぼうっとしている! 俺の話をちゃんと聞いていたのか!」
「……すみません、どこまで話されたのですか?」
私が落ち着き払った声で訊きなおすと、アールは無視されていたことに腹立ったのか顔を真っ赤にして地団駄を踏んだ。
「だからお前との婚約破棄に至った理由だ! お前は伯爵子息の俺と婚約関係にありながら、別の男と浮気をしていた! これは死に値する重罪だ!」
「どういうことですか?」
「どうもこうもない。それをこの俺に教えてくれた女性がいたんだ」
アールがそう言うと、私たちの元に1人の女性が歩み寄ってきた。
私は特に表情も変えず、大広間の中央に近づいて来る女性を見つめた。
ソフィア・バートン。
紛れもない私よりも1つ下の実妹である。
アールはおもむろにソフィアの肩を抱いた。
「この彼女の名前はソフィア・バートン。俺に実の姉の不貞を教えてくれた勇気ある女性だ」
「まったく、お姉さまには見損ないました。まさか婚約中に他の男と不貞を働くなんて」
そう言ったソフィアは悲しそうな顔で首を左右に振る。
うなじの辺りまでしか髪を伸ばしていない私と違い、貴族令嬢の見本のようなソフィアの髪は背中まで伸ばされて綺麗にすいてある。
「私が別の男と不貞を働いた……その確固たる証拠はあるのですか?」
私がたずねると、アールは「もちろんだ」と叫ぶように答えた。
「おい、ここへ証人を連れて来い!」
アールが出入り口の扉に向かって叫ぶと、衛士の1人が大広間の中央に誰かを連れてきた。
どこからどう見ても平民の中年男だった。
あまり稼ぎがないのだろう。
ボロボロな衣服を着ていて、とても清潔な感じには見えない。
「おい、お前はこの女が俺とは違う男と密会しているところを見たんだろう?」
はい、と中年男は答えた。
「間違いありやせん。あっしはこの目でそこの令嬢の方が、王都の通りの裏で男と口づけしているところを確かに見やした。4日前のことですかね。男のほうはフードを被っていたので顔は見ていやせんが、身長や体格からここにおられる伯爵の子息さまとは別人だったのはわかります」
うん、とアールは満足気にうなずいた。
「それで、そのあとお前はどうした?」
「へい、あっしは大通りで似顔絵描きをしている者です。それで、その令嬢の方の似顔絵を描き、色んな人間に聞き込みをした結果、男爵家のシンシア・バートン嬢だと判明しました」
「ほう、それで?」
「もちろん、すぐにバートン男爵家へと向かいました。最初は門番たちに邪険にされましたが、すぐにそこへソフィア嬢が現われて話を聞いてくれたのです」
「間違いないな、ソフィア」
アールが中年男からソフィアへと視線を移す。
ソフィアは「すべて合っています」と胸を張って言った。
「ここにお集りの皆さま方、確かにお聞きになられたでしょう。ここにいるシンシア・バートンは、私が求婚して婚約したにもかかわらず、別の男と街中で不貞を働いた。こんな許しがたいことはない。もはやシンシア・バートンは貴族令嬢の風上に置けぬ罪人になったことは明白」
ですから、とアールは恍惚な表情で言葉を続けた。
「俺はシンシア・バートンと婚約を破棄するに至ったのです。そして俺は平民の言葉を聞き入れ、実の姉の不貞を俺に報告するという行動をしてくれたソフィア・バートンの勇気ある行動に感銘を受け、俺はソフィア・バートンとあらためて婚約することをここに宣言します」
大広間内のざわつきが一気に増した。
それはそうだろう。
私とアールとの婚約記念パーティーに呼ばれたのに、宴もたけなわな頃になって私との婚約を破棄する発表に続き、いきなり現れた私の妹との婚約を発表するなど異例だ。
事実、他の貴族たちは何が起こっているかわからず困惑している。
しかし、この場で困惑していない人間が3人だけいる。
その内の2人は薄笑いを浮かべているアールとソフィアだ。
理由はわかっている。
これがアールとソフィアが仕組んだことということが。
なぜならアールが真に結婚したかったのは私ではなく、私の妹であるソフィアのほうだったからだろう。
しかし、この国の貴族社会には病気や罪人になったなどよほどの理由がない限り、上の兄妹より下の兄妹が先に結婚してはいけないという兄妹不敬罪という特殊な罪が存在する。
これを破れば当人たちには重い処罰が科せられることになる。
今回のケースに当てはめるなら、私が誰かと結婚ないしは婚約しないとアールとソフィアは結婚できないということになるのだ。
だから2人はこんなまどろっこしい計画を立てたのだろう。
自分で言うのもあれだが、私は同年代の貴族令嬢たちよりも体格がよい。
ドレスがパンパンになるほどの筋肉の持ち主ではないが、幼少の頃から淑女の礼儀作法よりも貴族の子息たちが最低限身につける武術のほうに関心があった。
そのため、私はバートン家の護衛騎士たちに剣術や体術を習い、日頃からその武術を朝と夕方に欠かさず稽古していた。
それは王立学院でも変わらず、私は授業の合間に暇を見つけては学舎の人気のないところで武術の鍛錬を密かに行っていた。
やがてその成果を周囲に知らしめることが起こった。
王立学院内で定期的に開かれる、木剣を使った武術大会である。
これまで武術大会は男性のみが参加するものだったが、昨今、この国では男女平等の兆しが広まっている。
そんな世論の風潮も相まって、武術大会に女性も参加できるようにしようという意見も出ていた。
だが、その程度では男女混合の武術大会など開かれない。
しかし、今年になってから王立学院の武術大会に女性の参加が認められた。
その男女混合の武術大会を開く後押しをしたのは、とある変わり者の公爵家の人間の口添えがあったからだ。
それに応じて開催された男女混合の武術大会だったが、そもそも日頃からお茶会をして愚痴をこぼすことを生きがいとしている貴族の令嬢たちがそんな野蛮なことに参加するはずがない。
だが、私は満を持してその武術大会に参加した。
理由はある人と約束したからだ。
その武術大会で私が優勝した暁には……。
「おい、シンシア・バートン!」
私はハッとする。
顔を上げると、私の視界に顔を真っ赤にして両頬を膨らませていたアールの姿が飛び込んできた。
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【あとがき】
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