第34話

「おおおおおおおお――――ッ!」


 そんな光景をまざまざと見せられ、身体を震わせながら吼えたのはビュートである。


 仲間が次々に殺されてついにぶち切れたのだろう。


 ビュートは弓矢ではなく後ろ腰に差していた短剣を抜き放ち、ドゥルガーに向かって駆け出していく。


「待て!」


 しかし、宗鉄は駆け出したビュートに体当たりを喰らわしてその行動を阻止した。


「何をする! 離せ、離せええええッ!」


 宗鉄に身柄を拘束されたビュートは、じたばたと暴れて宗鉄を引き剥がそうとする。


 それでも宗鉄はビュートの身体を離さない。


「馬鹿な真似は止めろ! お前一人で奴に勝てるか!」


 宗鉄は暴れ回るビュートの冷静さを取り戻させようと平手打ちを幾度も喰らわせた。


 やがて冷静さを取り戻したビュートに宗鉄は真剣な表情で言う。


「お前は皆を束ねる若頭なのだろう? ならば無闇に命を捨てるような真似は止め、今自分が出来る最大限の努力に励め!」


「仲間の仇を討つのも若頭の務めだ!」


「その役目は俺に任せてお前は他の人間たちに現状を伝えろ。このままでは女、子供までにも死人が出るぞ」


 そう吼えるなり宗鉄はビュートの身体を颯爽と起こした。


「早く行け! その間、なるべく俺が時間は稼いでおく」


「だが……」


「ぐだぐだ言わずにとっとと行くんだ!」


 狼狽するビュートの背中に張り手をかまし、宗鉄はビュートをこの場から非難させた。


 元より、ビュート一人がこの場にいたところで何の足しにもならない。


 相手はそれほどの力量を兼ね備えた化け物なのだから。


「ソーテツ、もしかしてあいつは……」


 さすが物ノ怪であるエリファスは勘が鋭い。


 不可解な技を見せたドゥルガーの身体を包んでいる不穏な影に気づいたようである。


 いや、それは〝影〟というよりも〝闇〟に近いだろうか。


 ドゥルガーの全身からは夥しい量の闇が陽炎の如く湧き上がっているのだ。


 ただ、それは宗鉄とエリファスにしか見えてはいない。


 エリファスは物ノ怪だから当たり前のように見えていただろうが、宗鉄は至って普通の人間である。


 それでも普通の人間にはない〈見鬼〉の力を通して、宗鉄はドゥルガーの身体に渦巻く異常な事態を見つめていた。


 見れば見るほど怪異極まりない。


 宗鉄は無意識のうちに胴乱の中から早合を取り出し、火薬と玉を巣口から注ぎ込んだ。


 最後に銃床の底部で地面を軽く小突き、最奥部まできちんと火薬と玉を行き渡らせる。


「間違いない。奴は何かに取り憑かれている」


 そうとしか考えられなかった。


 全身から意志を持った汚泥のような闇を放出させているなど尋常ではない。


 ましてやドゥルガーはその闇を自由自在に操り、何の変哲もない金属製の弓矢を火薬付の石火矢のように変化させていた。


 そうでなければ、たかが一本の矢が突き刺さった程度で見張り櫓が木っ端微塵に粉砕するはずがな

 い。


 宗鉄は長い呼気を吐いて心身を落ち着かせ、すかさず射撃の態勢を整えた。


 身体の自由が利く立放しの構えから水平に構えた鉄砲の引金を引く。


 火薬の炸裂音が轟き、神速の速度で飛んだ鉛玉がドゥルガーの左肩に命中。


 その衝撃により後方へ吹っ飛ぶ。


「やった! 命中だよ!」


 ドゥルガーが人形の如く吹き飛んだ様を見て、エリファスは諸手を上げて喜んだ。


 今の一発で仕留めたと思ったのだろう。


(手応えは十二分にあった。しかし……)


 一方、射撃を行った宗鉄の表情は喜びに染まってはいなかった。


 宗鉄にはわかっていた。


 仕留めたと思ったドゥルガーは鉄砲で撃たれた箇所を痛がる様子も見せずに殺意を織り交ぜた視線を飛ばしてきたことに。


 さすがに顔面を保護する兜を被っていたので双眸こそ見えなかったが、大気を伝って強力な殺気が暴風の如く吹き荒れてくるのは痛いほど感じた。


 極細に削った氷柱の欠片が皮膚に突き刺さってくるようなその感触は、皮膚感覚としての痛みの中にも背筋を凍らせる冷たさが同居しているようだ。


「エリファス」


 だからこそ宗鉄は、落ち着き払った低い声でエリファスに言った。


「ひとまずここから逃げるぞ」


 空中を旋回していたエリファスの動きが止まった。


「どうして逃げる必要があるのよ? ちゃんと仕留めたじゃない」


 地面に大の字に倒れているドゥルガーに指を差し向け、エリファスはわけがわからないと騒ぎ始めた。


「仕留めてなどいない」


 宗鉄が言葉を言い終えるや否や、地面に倒れていたドゥルガーに動きがあった。


「取り敢えず逃げるぞ!」


 宗鉄はエリファスに言い放った直後、自慢の俊足を駆使してその場から駆け出した。


 数十人分の亡骸を避けるようにして、広場からやや離れた位置にある木造式の建物を目指す。


 しばらくして目的の建物に辿り着くと、宗鉄は壁を背にして気息を整える。


「一体どうしたっていうのよ? 何で逃げるわけ?」


 どうやら本当に気づいていなかったらしい。


 宗鉄は自分と違って移動するのに体力を必要としないエリファスに厳しい視線を飛ばした。


「あの者はおそらく傀儡だ。生身の身体はとっくに死んでいる」


 エリファスは呆けた表情のまま言葉を紡ぐ。


「それってつまり……」


「ああ。あやつは物ノ怪に操られている。あれではいくら肉体を傷つけようが仕留められない。物ノ怪自身を打ち滅ぼさなければ」


 死人に取り憑く物ノ怪の存在には少なからず宗鉄は遭遇した経験があった。


 厄介な相手である。生身の人間に取り憑いた物ノ怪ならば、取り憑かれた人間を多少痛めつければ離れる可能性は十分にあった。だが、取り憑かれた相手が死人だった場合はやや話が違ってくる。

 多少肉体を痛めつけた程度では片時も離れないのだ。そしてそれとは別にもう一つ厄介事が起こっていた。

「くそっ」

 射撃の装填速度を短縮させる早合が切れてしまったのだ。


 これでは次弾を装填するのに少なからず刻が入り、それに玉と火薬を先込めさのカルカも必要になってくる。


「エリファス、お前に頼みがある。木でも金属でも構わないから手頃な棒を見つけてきてくれ。早合意外で玉と火薬を込めるには巣口の幅に合う棒がいるんだ」


 言うが早いかエリファスはこくりと頷いた。


「その穴に入る程度の棒を見つけてくればいいのね? わかった。ちょっと待ってて」


 前もって鉄砲の利点と弱点を説明しておいてよかった。


 エリファスが空中を泳ぐように飛んでいく様を見つめたあと、宗鉄は建物の影からそっと顔を出して広場の様子を覗き見た。


 遠目からだったがドゥルガーの様子は手に取るように把握できた。


 ドゥルガーは酒に酔ったような足取りで広場の中を歩き回っている。


 誰かを探しているのか視覚に入った人間を無差別に狙っているのかはわからなかったが、一刻も早く手を打たなければ集落はおろか我が身が危ない。


 無論、宗鉄には集落を捨てて逃げ出すと言う選択もあった。


 だが、このときの宗鉄にはドゥルガーを放って集落から逃げ出すという手段はまったく浮かばなかった。


 腐っても宗鉄は武士である。


 そしてそれ以上に、宗鉄は困った人間を見過ごすような性格の持ち主ではなかった。


「ソーテツ! 見つけてきたよ!」


 だからこそエリファスが木の棒を見つけて舞い戻ってくるなり、宗鉄はすかさず玉を装填して発射の準備を整えた。


 次に爆風で乱れた前髪をさっと掻き上げ、高鳴ってきた心臓の鼓動を抑えるために深呼吸をする。


(さて、問題はこれからだな)


 発射準備が整った鉄砲を見据えながら、宗鉄は様々な案を巡らせた。


 相手が死人に取り憑いた物ノ怪ならば、生半可な手段を取っても水泡に帰す可能性が圧倒的に高い。


 だからといって下手な攻撃も命取りになる。


 ふと宗鉄は渋面のまま呟いた。


「んん、どうするか……な!」


 しかしその直後、エリファスは一つに束ねていた宗鉄の後ろ髪を容赦なく引っ張った。


 そのせいで宗鉄は一気に現実に引き戻され、ついでに首を軽く痛めてしまった。


「髪を引っ張るなど何を考えている!」


「そんなことよりもあれ見てよ! あれ!」


 エリファスに促されるまま宗鉄は広場を覗いた。


 瞬間、宗鉄は目の色を変えて脱兎の如く駆け出した。


 いつでも玉を発射できるように右手の人差し指を引金に添えながら――。

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