第33話
もしも一呼吸分避ける動作が間に合わなければ、確実に木っ端微塵となった建物と同じ運命を辿ったに違いない。
それほど自分の身に起こった出来事は凄まじかった。
「ソーテツ! 大丈夫!」
不意にエリファスの慌てふためく声が近くで聞こえた。
宗鉄は自分の身が木っ端と化した無数の木片に埋もれている事実に気づくと、浅く呼吸を吐きながら徐々に意識を自分の身体各所に行き渡らせていく。
頭部――意識がはっきりとしているから大事には至っていないだろう。
胸部――多少息苦しいが、それは木っ端となった木片に埋もれているに違いない。
腹部――胸部と同じ、木片が乗っているから重苦しい。
右腕――五指を動かしても痛みはさほどない。うむ、大丈夫。
左腕――五指を動かすと二の腕付近がじくりと傷む。だが、何とか動かせる。
右足――微妙に脛が痛むがそれだけだ。
左足――太股の部位に多少の違和感。しかし、痛みはない。
結論――生死の境目を漂うほどの傷は負っていない。
宗鉄は閉じていた両目をかっと開けた。続いて右腕から順番に各四肢を動かしていく。
墓から蘇る屍の如き動きで幾多数多の木片の中から這い上がった宗鉄は、空中を旋回し続けていたエリファスに自分の無事を見せた。
途端、すっと伸びた宗鉄の鼻梁にエリファスは抱きつく。
「ああ、よかった! 本当に生きてる!」
よほど心配したのだろう。エリファスは宗鉄の鼻梁に抱きつきながらわんわんと泣きじゃくった。
そんなエリファスを見て宗鉄は得も言われぬ至福を感じたが、それもほんの束の間。
さすがに両の鼻孔を塞がれた状態ではまともに呼吸ができない。
「俺は大丈夫。大丈夫だ」
宗鉄はエリファス身体を優しく摑むと、そっと自分の鼻先から剥がした。
直後、宗鉄は視線を彷徨わせて自分の身を感覚ではなく視覚で確認する。
目立った傷は左腕の裂傷を除けば左太股の打撲ぐらいか。
骨も折れていないようだから運動に支障は出ないだろう。
まあ、木片に埋もれた際に衣服が破れて肉体が露になっていたが、それもあまり気にならない。
衣服よりも大きな傷を負わなかったことが何よりも幸いだった。
とそのとき、宗鉄は両手の指を滑らかに動かしながら気がついた。
「鉄砲がない!」
気づいた瞬間、宗鉄は這い蹲って無数の木片を掻き乱していく。
やがて目当ての鉄砲を見つけたときには飛び跳ねるほど宗鉄は狂喜した。
炮術師の魂である鉄砲を発見できたことも喜ばしかったが、それ以上に鉄砲には射撃に支障を出すような被害が見当たらなかったからだ。
さすがに木材部分には細かな傷こそ出来ていたものの、カラクリ部分や銃身には目立った傷はなかった。
「よかった」
一つだけ安堵の息を漏らすと、その次に宗鉄は身を焦がすほどの怒りをふつふつと燃え滾らせた。
今しがたの出来事だったので克明に思い出せる。
エリファスと夜空を眺めながら今後の身の振り方を考えていたとき、突如として正面入り口の扉が木っ端微塵に四散した。
それだけではない。
そんな正面入り口の扉をエリファスとともに呆けたまま見つめていると、濛々と舞い上がった砂塵の中からこちらに向かって飛んでくる〝何か〟に本能的に気づいたのだ。
だからこそ一足飛びに休んでいた建物から飛び降りたのだが、まさか建物自体が跡形もなく破壊されるとは思わなかった。
そう考えると、鉄砲や自分自身がこの程度で済んだのはまさに僥倖だろう。
下手をすれば建物のように木っ端と化していた可能性も十二分にあったからだ。
だが、それも喉元過ぎれば何とやら。
こうして鉄砲も自分も無事だったのだから、これから考えることはただ一つ。
「一体どこの馬鹿だ! 大筒なんて撃ち放った腐れ外道は!」
宗鉄は周囲に響き渡るほどの怒声を張り上げた。足元に散乱していた木片を踏み、鼻息を興奮した猛牛の如く荒げる。
「ソーテツ、落ち着いて!」
鬼神のように形相を厳つくさせた宗鉄に対して、エリファスは宥めつつも宗鉄の頭上を旋回し続けた。
「落ち着けだと? これが落ち着いていられるか! 下手をすればお前も俺も死んでいたかもしれないんだぞ!」
建物の残骸から宗鉄は飛び出す。
そして腰巻にかろうじて吊るされていた胴乱の中に手を突っ込み、丸めていた火縄と火打ち石を取り出した。
「どうするつもりなの?」
怪訝そうに訪ねてくるエリファスに、宗鉄は機敏な動作で火縄の先端に火打石で火を点けながら返事をした。
「決まっているだろう。こんな馬鹿な真似をした輩に一泡吹かせる。そうでないと腹の虫が治まらん」
そう怒りを振り撒いていると、集落の至るところから武器を携えた戦士たちが正面入り口の広場にわらわらと集まってきた。
おそらく、集落の宝物庫を狙っている盗賊団が懲りずに三度目の襲撃を仕掛けてきたと思ったのだろう。
異変に気づいてから広場に集まってくるまでの速度が異常に速かった。
「救世主殿!」
あっという間に数十人の戦士たちが集まってくる光景を目にしていると、不意に後方から毅然とした声が聞こえてきた。
宗鉄は顔だけを振り向かせ、声をかけてきた人物の風体を視認する。
声をかけてきたのはビュートという名前の若頭だった。
右手には半月形の長弓を持ち、背中には数十本の矢が入った矢筒を吊るしている。
「お怪我は? お怪我はありませんか?」
上半身を剥き出したまま佇んでいる宗鉄を見て、ビュートは血相を変えながら近づいてきた。
仕切りに左腕の裂傷を気にしている。
宗鉄は大丈夫だと言わんばかりに自分の胸元をぺしんと叩いた。
「心配には及ばない。まあ、危ういところではあったがな」
「それは重畳。救世主殿の御身に何かあったかと心配しました――」
そうビュートが漏らした直後であった。
「うおッ!」
「きゃあッ!」
その場にいたビュートとエリファスがほぼ同時に驚愕の声を上げた。
ビュートが声を紡いでいる途中、地面に立っていた人間の身体を大きく揺るがすほどの強震が沸き起こったのである。
それだけではなく、鼓膜を通り越して脳内にまでも損傷を与えるほどのけたたましい爆発音が響いたのだ。
一方、二人とは違って宗鉄だけは聞き耳を立てていた。
鉄砲の存在を知らなかった人間たちは集落の一角に雷が落ちたと錯覚したかもしれないが、火薬の扱いに長けていた炮術師の宗鉄にはその爆発音に似た音に聞き覚えがあった。
それは以前、水戸街道に沿った新治郡の中貫原で聞いた大筒の発射音に酷似していた。
炸裂音の大きさと建物を粉砕した衝撃力から予測すると、天正年間に薩摩の島津軍が豊後の大友宗麟に攻め入った祭に鹵獲した仏狼機砲、もしくは徳川家康公が堺の鉄砲鍛冶であった芝辻理右衛門に製造させた芝辻砲並みの大筒の発射音に近いだろうか。
だが、どうも腑に落ちない。
こちらの世界には大筒はおろか、個人が扱える鉄砲すらも普及してないのではなかったか。
鉄砲全体に視線を彷徨わせながらそんなことを考えていると、不意に右頬をエリファスに精一杯摘まれた。
右頬に感じた鈍い痛みで我に返った宗鉄は、懸命に何かを伝えようとしたエリファスに視線を向ける。
「ソ、ソーテツ! あれを見て!」
エリファスは大声を張り上げるとともに、広場の一角に人差し指を差し向けた。
直後、宗鉄はエリファスが差し向けた場所に意識を集中させる。
濃霧の如く広場を包んでいた砂塵が、吹き付ける微風によって徐々に晴らされていく。
その中で宗鉄ははっきりと視認した。
煌々と広場を照らしている篝火の炎により、数十人の人間たちが四肢を吹き飛ばされ絶命している無残な光景を。
それに近くにいれば夥しい血から漂う血臭と、身体を吹き飛ばされた人間の内腑から漂う臓臭に顔をしかめたことだろう。
遠間であるこの場所でさえ、少しでも気を抜けば吐いてしまいそうだ。
ただ、エリファスが伝えたかった事柄はそれではないらしい。
やがて完全に砂塵が晴れたとき、宗鉄の視線はある一点に釘点けになった。
最初に木っ端となった正面入り口の扉を潜り抜け、誰かが緩慢な動きで集落の中に足を踏み入れてきた。
人数は一人。
堂々とした巨躯を誇り、身体各要所に金属製の鎧を装着した異様な人間――。
「あいつは……」
身体を左右に揺らしながら酒に酔ったような千鳥足で集落の中に入ってきた人間を見て、宗鉄はようやくエリファスが伝えたかった事柄の意味が理解できた。
ピピカ族の集落を二度も襲撃した盗賊団の一人である。
それも二度目の襲撃時に自分の鉄砲により倒されたはずの人間だった。
そして他の盗賊たちとは違う異様な風体から、宗鉄はこの男こそ盗賊たちを率いる頭目だと予感していたのも事実である。
頭目と思われる男――ドゥルガーはその後、集落の中に足を踏み入れたと同時に無数の反撃を食らった。
それは見張り櫓からの弓撃であり、被害を受けていなかった見張り役の人間たち数人がドゥルガーに報復攻撃を見舞ったのだ。
それでもドゥルガーは回避行動を取らなかった。
数本の矢が剥き出しだった生身部分に突き刺さったものの、ドゥルガーは悲鳴や嗚咽すら上げず、そればかりか痛みを感じる素振りも見せないまま矢を引き抜いた。
これには宗鉄たちも驚いたが、もっと驚いたのはドゥルガーに矢を放った見張り役の人間たちだ。
見張り役の人間たちは次の矢を番えることも忘れ、呆然と口を半開きにさせながらドゥルガーを見下ろしている。
直後、ドゥルガーは右手に持っていた長大の弓矢を見張り櫓に差し向けた。
見張り櫓にいた人間たちにではなく、見張り櫓自体にである。
そして次の瞬間、宗鉄は驚くべき光景をその目にした。
鉄砲のように引金がついていた長大の弓矢を片手で持ったまま、ドゥルガーは何の躊躇もなく引金を引き絞った。
するとすでに番えられていた矢が勢いよく射出され、見張り櫓の一角に深々と突き刺さったのだ。
だが、それだけならば別に驚くに値しない。
それでも遠目から見ていた宗鉄たちが言葉も出せずに驚いたのは、見張り櫓に突き刺さった矢が炸裂玉のように大爆発を起こしたからに他ならなかった。
やがて鼓膜を刺激する爆発音が収まり、周囲を覆い尽くした砂塵が晴れていくと、そこにあったのは木っ端と化した見張り櫓の無残な姿である。
無論、見張り役の人間たちは見張り櫓と同等の運命を辿ったのは言うまでもない。
これは夢幻の光景か。
宗鉄は何度も瞬きを繰り返し、何度も目を擦った。
けれど、目の前に広がる光景に変わりはない。
視界に広がるのは吐き気を催すほどの凄まじい戦場の光景だけだった。
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