第20話

「なぜ、わたしがあそこに隠れているとわかった?」


 宗鉄の枕頭に立っていたのはウィノラである。


「気配の絶ち方は見事だった。だが、一つだけ決定的な失敗をしたな」


 宗鉄は天井を見上げつつ、ウィノラが犯した失態をずばり指摘した。


「物ノ怪の尻尾が出ている」


 ウィノラははっとなると、顔だけを振り向かせて板屏風を見やった。


「なるほど。そう言えばお前はクアトラの姿が見えるのだったな」


 ウィノラが潜んでいた板屏風からは縞模様の尻尾がひょっこりと出ていた。


 普通の人間には目視ができない、大地の精霊の一種であるクアトラの尻尾である。


「どうせ隠れるなら物ノ怪にも注意を払っておくべきだったな。あんなに嬉しそうに揺らしていたら嫌でもわかる」


「ふむ、肝に銘じておこう」


 ウィノラは未だに板屏風の向こう側に隠れているクアトラを口笛で呼び寄せると、主人の呼びかけに応じたクアトラは嬉しそうに尻尾を振りながら出てきた。


「それで、なぜお前はあんな場所に潜んでいた? まさか再び俺を牢に閉じ込めようという魂胆じゃないだろうな?」


 と宗鉄が笑いながら言った直後、頭の先でしゅるりと何かがはだける音が聞こえた。


 それと同時にエリファスの口から「うわ~、大胆」という頓狂な声が漏れる。


 その瞬間、背筋に言い知れぬ悪寒が走った。宗鉄は上半身を起こして後方を振り向く。


「な、な、な、な、な、な、な」


 振り向くや否や、宗鉄は視界に飛び込んできた光景を見て声がしどろもどろになった。


 無理もない。


 筋骨逞しい猟師の娘を彷彿させるウィノラが、まるで初夜を迎える生娘の如き恥らいを見せつつ胸元の衣類を剥ぎ取っていたのだ。


 しかも衣類から零れ出た二つの乳房は想像以上にたわわに実っていた。


 その大きさたるや片手の掌で摑めるかどうか。


 阿呆のように絶句している宗鉄を前に、ウィノラは頬を赤らめながら言葉を発した。


「やはり牢屋での一件をまだ怒っているか。ふふ、当然だな。我ながらひどい言い草だったと後悔している」


 そう言いつつ今度は下帯を剥ぎ取ろうとしたウィノラに、すかさず宗鉄は大声を出して行為を制止させた。


「どうして止める? わたし相手では不足なのか?」


 下帯に指を掛けながらウィノラは首を傾げた。


 その表情には悪びれた様子はなく、なぜ行為を途中で止めたのかという疑問符だけが浮かんでいた。


「そんなことよりも早く服を着ろ! 年頃の娘が何を考えてる!」


 宗鉄は左手で目元を覆い隠しながら右手を大きく振った。


 しかし、当の本人であるウィノラは下帯に掛けていた指を外しただけで胸元を隠すつもりは毛頭ないらしい。


 そのため、好奇心の塊だったエリファスはウィノラの胸元まで飛んでいき、自分の顔よりも大きな乳房を見て驚嘆していた。


 そして一度ならず二度までも自分を否定されたウィノラは、つかつかと宗鉄に歩み寄って胸倉を摑んだ。


 一方、宗鉄は女とは思えないウィノラの剛力に驚愕し、覆っていた左手の隙間からウィノラの顔を覗き見る。


「頼む、異世界から訪れた救世主よ。牢での非礼は心から謝罪する。だから、わたしの願いを聞き入れてはくれないか?」


「お前の願いだと?」


「そうだ。是非ともガマラを屠ったあの力をわたしに貸してくれ」


 ウィノラは真剣な表情で宗鉄に言い寄るが、肝心の宗鉄はそれどころではなかった。


 ほんの少し目線を下げただけで張りのある乳房を拝めるのである。


 正直、指の隙間からさりげなく覗き見ていたが目が点になるほど凄かった。


「もしも聞き入れてくれるのなら、わたしのすべてをお前に捧げよう」


 宗鉄は思わず生唾を飲み込む。ちょっと待て、それはつまり……。


「男女のひ・め・ご・と」


 いつの間にか宗鉄の耳元に近づいたエリファスは、軽く息を吹きかけながら囁いた。


「うるさい! お前は少し黙ってろ!」


 楽しげに笑っていたエリファスを追い払うと、宗鉄は再びウィノラに顔を向けた。互いの視線が間近で交錯する。


「どうだろう? お前の返事は否か……それとも」


 徐々にウィノラの顔が接近してくる。それだけで宗鉄は本能的に理解した。


 このままでは互いの唇が密着するだろう、と。


(待て待て待て待て待てーっ!)


 こんな状況で接吻はだめだ。


 俺はともかく、年頃の娘がしていい行為ではない。


 次の瞬間、宗鉄はウィノラの両肩を摑んで押し離した。


「わ、わかった! わかったから早く服を着てくれ!」


 態度とは裏腹に初心者だった宗鉄は、顔を茹で蛸のように真っ赤にしながら断言した。


 本音を言えば少し惜しい気もしたが、やはり武士が身体と引き換えに助太刀を頼まれるわけにはいかない。


 自分は食い扶持浪人とは違い、役高三千六百石を頂戴している普請奉行鮎原能登守の三男なのだ。


 たとえ近い将来に追い出される身の上だったとしてもである。


「ほ、本当か? 本当にわたしの願いを聞いてくれるのか?」


「ああ。本当だ」


 何度も首を縦に振る宗鉄にウィノラは表情を明らめると、感極まったのか宗鉄の顔を自分の胸元にめり込むほど押し付けた。


「本当に感謝する。では約束通りわたしの身体を好きに――」


 とそこまでウィノラが言いかけた直後、入り口の方から数人の人間の気配を感じた。


 それと同時に扉越しでも食欲を掻き立てる芳しい匂いが香ってきたことから、ほぼ間違いなく給仕を頼まれた誰かが夕餉を運んできたのだろう。


「こんな大事なときに……すまない、救世主殿。この続きは次の機会としてくれ」


 ウィノラは抱き締めていた宗鉄から颯爽と離れると、元々隠れていた板屏風の向こう側に身を隠した。


 先ほどから鳴き声一つ上げなかったクアトラも主人であるウィノラの後に続く。


 直後、ウィノラとクアトラのあとをエリファスも追ったのだが、板屏風の向こう側を除いた途端にエリファスは大きく首を傾げた。


「ソーテツソーテツ」


 エリファスは首を傾げたまま、よく通る声で宗鉄の名前を連呼する。


「ねえねえ、ウィノラとクアトラがどこかに消えちゃったよ。出入りするための扉もないのに」


 そう言ったエリファスだったが、宗鉄から言葉は返ってこなかった。


「ソーテツ? ねえ、わたしの話を聞いてる?」


 何か様子が変だと思ったエリファスは宗鉄の目の前に飛んでいくと、ほぼ同時に宗鉄は身体を硬直させたまま床にどうと倒れた。


「あらあら」


 エリファスは床に倒れ込んだ宗鉄を見てため息を漏らす。


「女の肌に触れただけで失神するなんて〝超〟がつくほどの初心者ね」


 それから一刻ほど、宗鉄はエリファスに見守られながら延々と眠り続けた。


 無論、このことにより待ち兼ねていた夕餉を食べ損ねたのは言うまでもないが、それ以上に宗鉄は集落に起こっていた騒ぎを聞き逃していた。


 宗鉄と同じ余所者の少女が瀕死の状態で集落に現れたことを――。

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