第4話
源内は宗鉄のあまりの声量に驚き、餅を喉に詰まらせたように激しく咳き込む。
「この馬鹿、いきなり大声を出すんじゃねえ! 死ぬかと思っただろうが!」
目眉を天高く吊り上げた源内は宗鉄を睨みつけるが、叱られた宗鉄本人はまったく悪びれた様子もなく本音を打ち明けた。
「源内先生、どうかお願い致します。わたしを長崎遊学の供にお連れ下さい!」
「何だと?」
これにはさすがの源内も驚きを隠せなかった。
「お前さん熱でもあるのか? 長崎に行きたいなんて一体どういう風の吹き回しだい?」
最初こそ源内は何かの冗談と笑っていたが、宗鉄自身は冗談どころか大真面目だった。
両手を畳の上につけ、真剣な眼差しで源内を一心に見据える。
そんな宗鉄の態度を見て、源内は笑うことを止めて表情を引き締めた。
「……どうやら冗談ってわけでもなさそうだな。となると、俺に聞いて欲しい願いっていうのもそれか?」
宗鉄は額が畳に触れ合うほど平伏し、そのままの姿勢で源内に頼み込む。
「いかにも。是非、此度の長崎遊学にわたしをお供に」
一心不乱に頼み込む宗鉄に対して、源内は神妙な顔つきで唸る。
「俺が長崎に遊学するのは学問の研究のためだ。それに俺の身分は一介の浪人者とそう対して変わらん。そんな者の旅路に普請奉行の息子を連れて歩くとなると鮎原様の名に傷がつかんか?」
宗鉄はゆっくりと頭を上げた。
「とんでもない。それどころか天下に名が知れた平賀源内先生の供を務めることが出来れば父上も喜ぶはずです。それに先生も知っての通り、わたしは普請奉行の息子といえども家督とは縁がまるでない三男です。次男の宗一郎は本石町の高良家に婿養子が決まりましたが、わたしにはそんな縁談はさっぱり。実家では冷や飯食いと疎まれる始末ですしね」
「まあ気持ちもわからんではないが。お前は少々別のことで名が知れ渡り過ぎたかもな」
宗鉄は「そうでしょう」とずいっと身を乗り出した。
「ですからお願い致します、源内先生。どうか私を長崎に同行させて下さい。決して先生にはご迷惑は掛けませんし、何でしたらわたしを中間者のように使って頂いて結構です」
瞬き一つせずに必死に懇願する宗鉄の全身からは、切腹を控えた者のような悲壮感が漂っていた。
それこそ、源内が同行を拒否すればこの場で腹を切りかねないほどに。
「わかったわかった! わかったからそんなに近寄るな!」
正座した状態からじりじりと近寄った宗鉄を一喝し、源内は大きく肩を竦めた。
「ちょうど俺も一人旅は辛いと思っていたからな。お前がそこまで同行したいと言うのなら断る理由はない」
「ほ、本当でございますか!」
「おおよ。学者に二言はない」
源内は両腕を組みながら胸を張ると、宗鉄は表情を緩ませて満面の笑みを浮かべた。
「よかった。もしも断られたら用意した品々が無駄になるところでした」
胸元を擦りながら安堵の息を漏らした宗鉄だったが、漏らしたのは何も安堵の息だけではなかった。
さりげなく意味深な言葉も吐いたのである。
「用意した品々?」
無論、源内は宗鉄が漏らした意味深な言葉を聞き逃さなかった。
首を軽く傾げて宗鉄が何を用意したのか訊く。
そのときであった。
「ごめんください」
正門の方から初老と思われる男の声が聞こえた。
間延びした声で「ごめんください」という言葉を何度も繰り返している。
「はて? 今日は来客が多いな」
源内は来客を出迎えるために立ち上がろうとしたが、その動きは右手を突き出した宗鉄に制止された。
「先生が手を煩わせることはありません。あれはわたしが呼んだ者ですから……あ、草履を借りますね」
宗鉄は颯爽と立ち上がり、裏庭からではなく書斎から玄関口に向かった。
ほどしばらくして再び書斎に戻ってきた宗鉄の手には、黒みを帯びた茶色の容器が握られていた。
丈夫そうな赤紐が括りつけられており、どうやら腰に巻いて携帯することができるらしい。
「何なんだそれは?」
「はい。実は中間の茂吉に頼んで旅路に必要な道具を届けて貰うように頼んで置いたのですが、荷物が多いせいかひとまず優先しておいた胴乱を先に持ってきたとか」
胴乱というのは、鉄砲を撃つために必要な火薬や玉を入れる特殊な容器のことである。
火縄鉄砲は一発撃つたびに時間と多くの道具を必要とする。
火薬や鉛の玉はもちろん、火薬を着火させるための火縄や巣口(銃口)から玉と火薬を押し込むカルカ。
その他にも玉を作る鋳鍋や玉の材料となる鉛板、溶かした鉛を玉に形成させる玉型など大量の道具を常に携帯していなくてはならない。
無論、それは戦が絶えなかった戦国の世のことだったが。
「何て用意周到な奴だ。お前、最初から俺が反対しても強引についてくるつもりだったな」
宗鉄は大きく首を縦に振り、胴乱を景気よく叩いた。
「源内先生ほどの器量を持ったお人ならば快く許可してくれると思ったまでですよ」
宗鉄が真っ白な歯を見せつけるように屈託のない笑みを作ると、源内はこめかみを押さえながら長いため息を吐く。
「呆れるほどの行動力だな。俺もガキの時分には天狗小僧と呼ばれたもんだが、鉄砲小僧には形無しだぜ」
「いや~、そんなに褒めても何もでませんよ」
「褒めてねえよ」
その後、宗鉄と源内は異国や長崎について談話した。
源内が舶来品を扱っていた日本橋の長崎屋でカランスと言う阿蘭陀人に西洋の知識を教授されたことを話すと、宗鉄は五年前に両国で見世物になっていた「マンボウ」という名前の珍しい巨大魚を見たときの感想を話した。
このように二人は刻を忘れて異国談義をしていると、不意に書斎の中に暖かな春の風が入ってきた。
長机の中に置いていた書物の項がぺらぺらと捲れる。
「さすがに開けっ放しはまずいな。宗鉄、悪いが障子を閉めてくれねえか」
突風に飛ばされた台本を拾い始めた源内は、左右に全開していた障子を閉めるように宗鉄に頼んだ。
宗鉄は文句も言わずに機敏な動作で障子を閉めようと立ち上がる。
ところが宗鉄は立ち上がるなり、その場から一歩も動かなかった。
仁王立ちのまま書斎から一望できる裏庭をじっと見つめるのみ。
「おい、どうした?」
裏庭を睨みつけている宗鉄を見て源内は首を捻ったが、すぐにはっと気づいた。
「宗鉄……まさか、俺の庭に何かいるのか?」
屋敷内にある庭には小さな池が造られ、清らかな水の中には源内が買い集めた鯉が優雅に泳いでいる。
築地塀の傍に植えられた柿の木にも白黄色の花が咲き、初春のうららかな風を受けてゆらゆらと揺れていた。
情緒豊かな光景である。
しかし、宗鉄の双眸にはそれ以外のモノが見えていた。
「ええ。まったく厄介なものです」
黒目が常人よりもやや大きな宗鉄の瞳には、柿の木の横に案山子のように佇んでいる黒い物体がはっきりと映っていた。
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