第25話 妃候補

「あなた様がこのようなひなびた城を訪れて下さるとは、思ってもおりませんでした」

 言ったのは、病死した第三王子マルバスの母であるミリアムだ。

 マルバスの死後、たった一人の子供を喪ったミリアムは後宮を去り、この城で隠棲している。

「本来ならもっと早くお伺いすべきでしたが、今までは行動に制約を課せられる身分でしたので」

 ミリアムの向かいに座り、そう言ったのはフォルカスだ。

 相変わらず、温和な微笑を整った顔に浮かべている。

「……ご結婚なさったそうですね」


 幾分か微妙な表情で、ミリアムは言った。

 結婚と共に親王位を剥奪され皇宮を離れる事になったのだから、「おめでとうございます」とは言い難い。

 それに、テレンティウス伯爵は元々アグレウスの公子を娘の夫に望んでいたのに、皇位継承権を持つ親王が婿養子に出されるのは異例だ。

 そしてその言葉と表情から、ミリアムが王都を離れてからも宮中の出来事にある程度、通じているのだと、フォルカスは思った。


「すでにお聞き及びでしょうが、妹のグレモリーも結婚が決まりました」

 微笑を浮かべたまま、フォルカスは言った。

 ミリアムは、やはり曖昧な表情で頷く。

 内親王の宣下が無かった公女とは言え、女皇の直系の孫が商人に嫁ぐのも、やはり前例が無い。

 しかしながらその商人は単なる平民では無く莫大な財産と影響力を持つ豪商で、グレモリーとの婚姻に先立って準男爵の爵位を与えられている。

 一方のフォルカスも、何の後ろ盾も持たない親王から、裕福な貴族の後継者となっている。

 つまり彼ら兄妹は、身分の点では降格される事になるが、実質的にはそれまでよりも優位な立場になった事になる。


 その微妙な立場にいるフォルカスが一体、自分に何の用なのかと、ミリアムは内心でいぶかしんだ。

「ここは良いお城ですね」

 ミリアムの内心になど全く頓着しないかのように、窓から外を眺めてフォルカスは言った。

 王都からかなり離れているので周囲には他の城や貴族の屋敷など無くひっそりとしてはいるが、周囲の森は美しく庭の手入れも行き届いている。

 元は皇家が狩りの折に使う城だったので、こじんまりはしているものの佇まいは優雅で、内部も趣味の良い家具が配置され、居心地よくしつらえてあった。

 幾ら建物が立派でも訪れる者の無い館はうらぶれた感じがするものだが、この城には静けさの中にも一種の活気が感じられる。

 ミリアムが遠く離れた宮中の事情に通じているのは、ここを定期的に訪れて報告する者がいるからなのだろうと、フォルカスは思った。

 そしてそう考えたからこそ、彼はここに来たのだ。


 母の故国を滅ぼされたフォルカスとは異なり、ミリアムの祖国はヘルヘイムの保護国として、一応は国の体面を保っている。

 名目上の君主は大公の地位にあったマルバスだが、実際の政務はヘルヘイムから派遣された文官たちと、彼らに協力してヘルヘイムによる保護国支配を容易にしている本来の廷臣たちだ。

 そして彼ら本来の廷臣たちに取ってミリアムは主筋しゅうすじであり、マルバスが死んだ今もそれは変わらない。


「それで……本日はどのようなご用件で?」

 痺れを切らし、ミリアムは言った。

「まずはマルバス兄上のご逝去、お悔やみ申し上げます」

 優雅に頭を下げて、フォルカスは言った。

 そして顔を上げた時、その口元から微笑は消えていた。

「兄上が亡くなった原因について、お話しなければならない事があります」

「……まさか」と、ミリアムは不安そうに眉を顰めた。


 マルバスの死の直後にアールヴに対する毒殺未遂事件が起こった為、マルバスの死も何者かに毒を盛られた結果ではないかと、当時、宮中では噂する者がいた。

 その噂はミリアムの耳にも入っていたが、マルバスは生まれつき病弱であったしミリアムの立場が他の嬪に比べて弱かった事もあって、ミリアムは真相究明を願い出る事も無く、ただ子息の死を受け入れる他は無かった。


「今からお話する事は、単なる噂ではなく、確かな筋から聞き知ったものです」

 声を潜め、フォルカスは言った。

「確かな筋……とは?」

「その者の名を明かす事はご容赦頂きたいのですが……端的に申せば、マルバス兄上の死の原因となった行為を行った本人です」

「……!」

 ミリアムは、驚愕に目を見開いた。

「ではまさか……マルバスは本当に何者かに毒――」

 自分の唇に指を当て、フォルカスは相手の言葉を遮った。

 そして、席を立ってミリアムの隣に歩み寄り、その耳元に口を寄せる。

 それから、二言三言、何かを囁いた。

「……そんな……」


 青褪め、うわごとのようにミリアムは呟いた。

 フォルカスは、ミリアムの悲愴な気持ちを共有するかのように、沈痛な面持ちで頷く。


「本日は、この事をお知らせする為に参りました」

 席に戻り、静かにフォルカスは言った。

 ミリアムは俯き、握り締めた拳が震えている。

「…………赦せない」

 喉から搾り出すような声で、呻くようにミリアムは言った。

 その言葉に、フォルカスは満足そうに、微笑した。



 フレイヤがヨトゥンヘイムを訪れた翌朝、ヒルドは夜間の警護を何事も無く終了した事を衛士に告げて引継ぎを済ませ、護衛官や衛士の為の食堂で朝食を採った。

 再び次の夜勤にそなえて仮眠を取る前に少し身体を動かそうと思い、庭に出る。

 花や植樹を眺めながら歩いていると、噴水の傍らに人影があった。

 ヒルドの立てた微かな足音に、その人影が振り返る。

 前の日に会った、フレイヤの女官のファウスティナだ。

「また会ったわね。と言うより、ここにいればあなたに会えると思っていたわ」

 言って、ファウスティナは口角を上げる。

 ヒルドは微かに眉を顰めた。

「……何故ここに私が来ると思ったんだ?」

「その肌の色ならば、あなたは屋外の方が好きでしょう? 髪や瞳の色から察するに、その肌色は生まれつきでは無いわね」


 確かにその通りだと、ヒルドは思った。

 前の日にも、不寝番に備えて休憩中であるのを言い当てられた。

 少し考えれば判る事かもしれないが、こうも色々、図星を指されるのは薄気味悪い。


「そんなに警戒しないで。昨日も言った通り、私はあなたとお友達になりたいの」

「アルヴァルディ様の異性の趣味を聞きだすのが目的ならば、私に訊くだけ無駄だぞ」

 やや憮然として、ヒルドは言った。

「あなた、私が嫌い?」

 色違いの瞳でまっすぐにヒルドを見つめたまま、ファウスティナは訊いた。

 前日もそうだったが、その余りの率直さに、ヒルドは再び意表を突かれる。

「……昨日、初めて会ったばかりなのに、嫌うとか嫌わないとか、判断するだけの材料が無い」

「でも、エレオノラよりはマシだと思わない?」


 ファウスティナの言葉に、ヒルドは昨日会ったもう一人の女官を思い起こす。

 二人とも人形のように無表情で、感情を持たないかのように冷ややかに話していた。

 が、ファウスティナがそんな態度を取るのはエレオノラのいた時だけで、ヒルドと二人きりの時には、多少は心安い感じを見せている。

 だがそれでも、ヒルドはファウスティナに親しみを感じる事は出来なかった。

 ファウスティナが口角を上げるのは笑っているつもりなのだとは判ったが、それでも笑顔には見えない。

 無理に作り笑いを浮かべようとして、失敗しているようにしか思えないのだ。


「エレオノラはマクシミリアヌス公爵の末娘で、家柄や年齢の点からして、私と彼女がオリアス様のお妃の最有力候補なのよ。お妃になったら、あなたの女主人って事になるわね」

 ファウスティナの言葉に、ヒルドは幾分、たじろいだ。

 高級な侍女としか思っていなかったが、その認識は修正する必要がありそうだ。

「ヘルヘイムとヨトゥンヘイムでは色々と習慣も違うようだし、こちらに味方になってくれる人がいれば、私も心強いわ」

「……残念だが、私の立場ではご期待に応えられない」

「あら、どうして? ヨトゥンヘイムの女戦士は、ヘルヘイムの女官と友達になる事を禁じられてでもいるの?」

「私はフレイヤ様の護衛の為にここにいるのだ。今はその任務に集中しなければならないし、他の事にかまけている暇は無い」


 ヒルドの言葉に、ファウスティナは一旦、口を噤んだ。

 表情もなく、暫くヒルドを見つめる。


「オリアス様って、ひどくお忙しそうよね」

「――え? あ……ああ……」

 唐突な問いに、ヒルドは思わず答えた。

「女皇陛下は、オリアス様があまりお側にいられない事を、とても残念がっておられたわ。陛下をお慰めになるオリアス様は、とてもお優しそうだった」

 オリアスとフレイヤの会話を思い起こすように、宙に視線を漂わせてファウスティナは言った。

「でもそれはお母君が相手だからであって、戦士たちには厳しいのでしょうね」

「そんな事は無い。我々に対してもお優しい方だ」

「……あなたが特別という訳では無く?」

「昨日も言った通り、アルヴァルディ様は、性別で戦士を差別なさったりはしない」


 ファウスティナは、再び口を噤んだ。

 色違いの瞳で、まっすぐにヒルドを見つめる。

 それから口を開きかけた時に、時を告げる鐘の音が響いた。


「もう行かなければ……。またお話しましょう」

 きゅっと口角を上げてファウスティナは言った。

 やはり笑顔には見えないと、ヒルドは思った。



「誰だ今の別嬪」

 ヒルドが建物の中に戻ろうとした時、声を掛ける者があった。

 同僚の護衛官であるスルトだ。

「……フレイヤ様の女官の一人だ」

「ずいぶん、親しそうだったじゃないか。俺にも紹介してくれないか?」

「アルヴァルディ様のお妃候補だそうだ」

 ヒルドが言うと、スルトは「マジか」と呟く。

「ヘルヘイムの女ってのは、やっぱり違うな。フレイヤ様は別格だが、それにしても侍女たちも美女揃いじゃないか」

「おかしな考えを起こすなよ? 我々はアルヴァルディ様の側近護衛官であり、フレイヤ様の護衛が任務だ」

「言われなくても判ってる。だが、目の保養をするくらいなら構うまい?」


 狼を思わせる外見に不似合いな、どこか無邪気に思える笑顔でスルトは言った。

 その子供っぽい笑顔とファウスティナの冷たい作り笑いは対照的だと、ヒルドは思った。


「で、アルヴァルディ様のお妃候補って、どの程度、確かなんだ?」

 スルトの問いに、ヒルドは眉を上げる。

「もう一人の女官とさっきの女官が、家柄と年齢の点で最有力候補なんだそうだが、本人がそう言っていただけだからな」

「ヴィトル殿ならば、もう少し詳しく知ってるかな」

「ヴィトル殿ならばご存知だろうが……」

 それを知ってどうする? と、ヒルドは訊いた。

「別にどうもしないが、アルヴァルディ様のお妃なら俺たちにとっても主人に当たる。興味を持って当然だろう?」

「……そうかも知れないが、王族のご成婚というのは政治的な問題も絡むのだろう? 正式発表も無い内に、我々が騒ぎ立てるべきじゃない」

 ヒルドの言葉に、スルトは大袈裟に肩を竦めた。


 この時の会話が後にどんな結果をもたらす事になるのか、ヒルドには予想もつかなかった。

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