第22話

 書物で読んだ限りでは言葉の表現は色々だったが、大元の意味は変わらない。自然現象の法則を超える力を持つ者の総称――魔法使いのことである。


 この人が魔法使い? 


 ロジャーの背中を見つめていたイエラは、自分が想像していた魔法使いのイメージとはかけ離れていたことにひどく落胆した。


 半ば違法に集めた魔法に関する書物には、大昔に魔族と呼ばれた化け物の軍団と戦った勇者たちの詳細が書かれていた。


 人民を守るために死地に赴き、魔を打ち滅ぼすために戦った人類の希望の星。


 今でこそ機械技術や科学技術の発達、連合政府から勧告された政令により魔法を使う人間はいなくなったと言われているが、必ずこの世のどこかで生きているとイエラは信じていた。


 だがこんな人間じゃない。苦しんでいる人間には目も暮れず、化け物と嬉しそうに会話する人間が魔法使いのはずがない。


 奥歯を軋ませていたイエラを無視し、ロジャーと女神像は会話をしている。


「貴方が始末した人間は〈蛇龍十字団〉の裏切り者でした。そしてあろうことか潜伏していた組織から〈マナの欠片〉の研究資料を盗み出し、我らの前から逃走したのです。今となっては何故そのような愚直な行動に出たかは不明ですが」


 何やら女神像に弁明していたロジャーだったが、女神像のほうは頬を耳の辺りまで吊り上げると、先端が鋭く尖った歯を見せておぞましく笑った。


『クックックッ、何百年経トウガ人間ノ考エルコトハ変ワラン。ソノ男ハ言ッテイタゾ、娘ヲ娘ヲ、トナ』


 ズブリ、ズブリ、と肉を突き破るような不快な音が聞こえてきた。


 ロジャーを始め、イエラと護衛の兵士たちの目線がある一点に集中する。


 女神像の腹であった。


 イエラと護衛の兵士たちもこれには目を大きく見開いて顔を歪めた。


 くびれを見せていた女神像の腹――へその上の部分から人間の腕が生え出てきたのである。それも少女らしき小さな二本の腕。血は付着していなかったが、透明色の粘液がべとりと纏わりついていた。


 それだけではなかった。


 二本の腕の後に出てきたモノを見て、イエラの血の気が一瞬で引いた。


 女神像の腹から出てきたモノの正体は、カサンドラの上半身であった。


 ふくらみも乏しい裸身だったが、肌の色は女神像と同じ生気の通っていない死人のように青白かった。


『コノ娘ハ、ニーズヘッグ様ノ御身ノ一部ト同化シテイル。コレコソガ、ニーズヘッグ様復活ニ繋ガル悲願ノ証』


 ロジャーは同意するようにうなずいた。


「なるほど、文献を読んだことしかなかったので半信半疑でしたが……そうですか、これが魔王の一部である〈マナの欠片〉と融合した人間――〝カタワレ〟ですか」


『ソウダ。〝カタワレ〟ヲスベテ集メレバ、ニーズヘッグ様ハ再ビコノ世ニ蘇リ、我ラ魔族ノ理想郷ヲ築イテクダサル。ソノ為ニハ他ノ眷属タチモ蘇ラセル必要ガアル』


 一拍の間を空けると、ロジャーは胸元に右手をつけて頭を垂れた。


「同感です。私たちもこの数百年間決して表舞台に立つことなく密かに活動してきました。それもすべてはニーズヘッグ様のため。ぜひともこの機会にあなたにも協力して頂きたい」


 そのときであった。


「おや、まだこんなにも生き残りがいましたか」


 ロジャーが頭を上げると、広場に向かって何台ものけたたましいエンジン音が鳴り響いてきた。軍用車両である。


 広場に到着した軍用車両の数は十四台。ロジャーよりも先に女神像討伐に向かわせた駐留軍の先行部隊であった。


 広場を取り囲むように止まった車両からは、兵士たちが一斉にドアを開けて飛び出てきた。ライフル銃やサブマシンガンなどの軽機関銃で完全武装している。女神像を追ってここまで辿り着いたのであろう。


「査察官殿ッ、お離れください!」


 五十人前後の兵士たちは一糸乱れぬ動きで女神像を包囲すると、その中の一人――隊長らしき兵士がロジャーたちに避難するように呼びかけた。


 その瞬間、イエラは叫ぼうとした。


 広場にやってきた兵士たちは、女神像とロジャーたちの関係に気づいていない。いくら大人数で武装しているとはいえ、女神像相手に通用するとは思えない。


 そう思ったからこそ叫ぼうとした。


 ここから逃げて、と。


 しかしイエラが叫ぶ間もなく、ロジャーは特殊部隊さながらの対応を見せる兵士たちを見てほくそ笑んだ。


「魔王の眷属よ、ちょうど普通の人間が到着しました。あなたのその力、この目で直に確かめさせてもらいますよ」


 女神像は巨大な翼を大きく羽ばたかせた。


『ヨカロウ。魔術師デモナイ脆弱ナ人間ナド、虫ケラニ等シイコトヲ見ルガイイ』

 女神像は一気に暴風を纏って上空に飛翔した。すかさず兵士たちは持っていた銃をフルオートさせる。


 イエラと護衛の兵士たちは地面にしゃがみこんだ。


 何十人もの人間が撃つ軽機関銃の音は恐ろしいほど耳の奥に浸透する。そしてそれは同時に威力の凄さも物語っていた。人間の肉体だったならば蜂の巣程度では済まない。それこそ原型を留めないくらい挽き肉になってしまうだろう。


 しかしそれは人間が相手の場合であった。


 何百発もの銃弾をその身に食らったというのに、女神像には一切ダメージが見られなかった。そして銃弾は女神像の腹の部分から出ていたカサンドラにも被弾したが、結果は同じ。まったく効いている様子がない。


『オオオオオオオオオオオオオオオオ―――――――ッ!』


 空気を磨り潰すほどの咆哮が広場に響き渡る。


 女神像の口から軽機関銃の銃音を掻き消すほどの大声音が発せられると、羽ばたかせていた二枚の翼に変化が見られた。翼に付着していた小さな羽根の一枚一枚が不気味な輝きを帯び始めたのである。


 軽機関銃を撃ち終えた兵士たちは、何が起こっているのか理解できなかった。そして、理解できたときにはすでに手遅れであった。


 女神像の翼から空気を切り裂いて放たれた何十、何百の光の羽根。


 それは兵士たちの軽機関銃から発射された銃弾よりも何十倍もの威力があり、兵士たちが着用していた防弾ベストを軽々と貫通していった。


 血飛沫が舞い上がり、絶叫が木霊する。身体中を惨たらしく穿たれた何十人もの兵士たちは、あっという間に物言わぬ屍と成り果てた。その中で残ったものといえば、地面を赤く染め上げた血の海のみであった。


「素晴らしい! 素晴らしい! 素晴らしすぎる! この力があればこの世を魔が狂乱する混沌へと導くことができる!」


 瞬く間に兵士たちを皆殺しにした破壊の女神像は、高笑を止めないロジャーの元へと帰ってきた。だが、少し様子がおかしかった。顔を押さえつけながら何やら唸っている。


「ど、どうしたというのです!」


 ロジャーはすぐに女神像の異変を察知すると、心配そうに駆け寄った。


『足リナイ……足リナイ……〝贄〟ガ足リナイ……』


 よく見ると、押さえていた顔に赤い亀裂が走っていた。人間の脈のような感じもするがそうではない。パキパキと表面の外皮が剥がれ落ちてきている。


「おそらく、体内に取り込んだ〝カタワレ〟の力が不十分なのでしょう。一刻も早く〝カタワレ〟を完全体にしなければ」


 ロジャーはイエラを捕らえている護衛の兵士たちに視線で合図をした。護衛の兵士たちは合図の意味を理解したのか、イエラを女神像の前に差し出した。


「たまたま捕らえておいたのですが、こんな風に役に立つとは思いませんでした。これも運が私たちに味方している証拠でしょうか」


『〝贄〟ダ……〝贄〟ヲ喰ラワナケレバ……我ノ肉体ガ朽チ果テテシマウ』


 女神像は差し出されたイエラを見下ろしている。


 イエラはその場から逃げることも声を出すことも出来なかった。女神像は自分の顔を押さえている指の間から、真っ赤な瞳を覗かせているのである。


 蛇に睨まれた蛙どころではなかった。熱くも冷たくもない虚無の瞳に見つめられたイエラは、このとき心の底から思った。


 本物の恐怖とは、心を蝕われるということを――。


 女神像の翼がゆっくりと動いた。羽ばたかせるのではなく、イエラの身体の周囲を包み込むように動き出した。


 イエラは目線を女神像からカサンドラへと移した。


 ズブリ、ズブリ、と異様な音が聞こえた。女神像の腹から上半身ばかりか下半身まで出てきたカサンドラは、目の前にいたイエラを優しく抱きしめた。


 カサンドラの冷たい肌の感触が伝わってきた。同時に血の匂いも漂ってくる。


「い、いやだ……やめて……」


 ようやく言葉を口に出せたイエラだったが、抱きしめているカサンドラを振り解く力は出せなかった。


 イエラは心の中で必死に祈り続けた。だが、身近に迫っている死の恐怖から逃れる術など持っていない。そして、誰かが助けてくれる見込みもない。


 皮肉にも、それはイエラ自身が誰よりも理解してしまった。


 いつしかイエラの肉体は、カサンドラとともに女神像の体内へ埋まっていった。


 深い常しえの闇の中へと――。

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