第15話 いつまでも愛してる

 家に帰ると早々に千花は荷物を取り上げられ、脱衣所へ連行された。


「灯子さん?」

「疲れた体にはしっかり休息。後のことはやっておくからゆっくりお風呂に入りなさい」


 それでも戸惑う千花を残したまま灯子は脱衣所を出ていく。

 やらなければいけないことは沢山あるが、ここで出たら灯子に戻されるだろう。

 千花は大人しく衣服を洗濯かごに入れると4日ぶりに自宅の風呂を満喫した。






「さっぱりした」


 風呂から上がった千花はタオルを首にかけたままリビングに戻った。


「なんかいい匂い」

「流石大食らい。美味しいものには敏感ね」


 千花が鼻を動かしながらダイニングに吸い寄せられる。

 灯子はそんな千花に見せつけるように大皿に盛った唐揚げを出す。


「美味しそう」

「でしょう。今日は特に奮発したのよ。さあ、夕飯にするから恭さん呼んできて」


 千花は言われるがままリビングでくつろいでいる恭の方に向かっていき、その足で自分の席へ座った。


「いただきます」

「どうぞ。召し上がれ」


 ずっと空腹だった千花は手を合わせるとそのまま大口で食べ物にかぶりついた。


「美味しい?」

「おいひい」


 元気にかぶりつき、好物の味に笑顔になる千花を見て灯子は微笑む。


「良かったわ元気になって。ねえ恭さん」

「ん?」

「そうだね。いつも帰ってくると疲れた顔してるから」


 千花の向かいに座る2人は娘の食事姿を見て何か話している。


「千花ってあまり学校行事に乗り気じゃないし。何か終わった後は気分も沈んでいるようだから。特に今日は何か考え事してるようだったし」

「え、そ、そうかな。いつも通りだと思うけど」


 2人に見つめられ、千花はこそばゆい感情を隠すことができずに引きつった笑みが出てしまう。


「無邪気に笑って食べてるところを見るのが好きなのよ。だから暗い顔してるとつい気にしちゃうのよね」


 そんな風に言われると今後どんな顔をして食事をすればいいかわからなくなるじゃないかと千花は文句を言いそうになる。 

 そんな中、恭が灯子を窘める。


「あまり茶化してはいけないよ。千花だって色々気にする年頃なんだから」

「だって嬉しいんだもの。それに、千花が後どれだけ家にいてくれるのかもわからないんだし」


 灯子の言葉に千花は箸を止める。


「もう千花も15歳かと思うと早いわね。初めて会った時は言葉も喋れない赤ちゃんだったのに」


 灯子が固まっている千花の顔を見て微笑みながら話す。


「あの時は驚いたね。まさか買い物をしていたと思っていた妻が赤ん坊を連れてきて子どもにするって言った時には頭でも打ったのかと」

「失礼ね。だって林に可愛い子どもが落ちてたからつい連れてきちゃったのよ」

「字面だけ見たら誘拐だよ」


 2人が千花を拾った話を笑いながらしている間、千花の心臓は激しく鳴り響いていた。

 あの日から覚悟は決めていたが、いざ2人を目の前にすると声が出なくなる。


(でも言わないと。あの子とも約束して、安城先生ともけじめをつけるって言ったんだ)

「灯子さん、恭さん」

「ん?」

「どうしたの?」


 2人の注目が集まる中、千花の心拍数はどんどん上がっていく。

 本当はこの場から逃げ出したいが、覚悟を決めて顔を上げる。


「私を拾って、後悔はなかったの?」


 最後の方は尻すぼみになってしまったが、2人にはしっかりと伝わっていた。

 重い沈黙の後、灯子が口を開く。


「何言ってるの」


 千花は灯子の言葉に身を強張らせる。

 しかし次の言葉は予想外のものだった。


「後悔なんてしたことないわよ」

「……え?」


 責められるものだとばかり思っていた千花は灯子の返答を聞き返してしまう。

 顔を上げた千花の目に映った灯子の顔は何を言っているのかという感情をこめていた。


「後悔なんてしてたらもっと幼い頃に施設に渡してるし、毎日娘のためにお弁当を作ったり家事をしたりしないわ」

「でも私、血が繋がってるわけじゃ」

「あなたは昔からおっちょこちょいだから、産まれてくるお腹を間違えたのよ。それに、産みの親より育ての親とも言うでしょ。ねえ、恭さん」


 灯子に話を振られた恭は迷うことなく首を縦に動かした。


「千花が何に迷っていたのかはわからないけど、灯子も僕も千花を選んだことに悔いは一切ない。いつまでも、どこに行っても、千花は可愛い娘だよ」


 2人の言葉に千花は膝に置いていた手を強く握りしめ、下唇を噛む。

 耐えきれなくなり下を向いた千花は震えながら掠れた声で呟く。


「ありがとう……お母さん、お父さん」


 千花は涙をぐっと堪えながら両親に礼を言う。

 そして、決心は更に揺らぐことになった。




 2時間後、食事を終え自室に戻った千花は邦彦からもらった電話番号のメモを見つめながら眉を寄せた。

 両親との間に自分が作った壁は取り除けたが、自分が結局何をしたいのかはまだわかっていない。

 千花は元々正義感が強く、困っている人を助ける性格だったからこそ今自分の感情が制御できない。


『千花ちゃんが消えることなんてありえないけどね』

『千花がいつまでこの家にいてくれるかわからないんだから』


 家族や友達の言葉が千花の頭の中を巡る。


(私もできることならここから離れたくない。でも)


 あの夢のように悪魔によって人々が虐げられているところを見たら、力の使える千花は動くべきではないか。


『あなたが断っても深追いはしません』


 そう言っていた邦彦だが、内心では候補である人間を増やしたいのではないか。

 断りたいが異世界へ行きたい。

 死ぬのは怖いが悪魔から皆を救いたい。

 様々な感情が入り混じり頭を抱える千花に誰かが声をかけてきた。


「千花、入っていい?」


 ドアの向こうからは灯子が千花を呼ぶ声が聞こえてきた。

 千花は慌ててメモを手帳に挟んで隠す。


「とう……お母さん!? どうしたの?」


 千花は何事もなかったように平静を装って自室の扉を開ける。

 外にいた灯子はマグカップを2つ持って待っていた。


「久しぶりにゆっくり話そうと思ってね。大丈夫?」

「大丈夫だよ。ちょっと散らかってるけど」

「あなたの部屋はいつでも散らかってるでしょ」


 千花が部屋に通すと灯子は仕方なさそうに部屋の様子を見ながら千花のベッドに腰かける。


「話って何?」


 千花はマグカップを受け取りながら灯子が来た理由を聞く。


「さっきあなたを拾った話で色々思い出してね。この際あなたに昔話でもしようと思って」


 灯子はマグカップの中に入っているコーヒーを眺めながら呟く。

 言われてみれば千花は自分が赤ん坊だった頃の話を聞いていない。

 拒否してきたからでもあり、灯子達が避けてきたこともある。


「千花は祖父母……私達の両親に会ったことはないわよね」

「うん」

「あれはね、私も恭さんも絶縁してるからなの。千花を養子にするって決めた時に大喧嘩してそれっきり」


 千花は目を見開いて硬直する。

 自分のせいで2人は親を手放したのかと罪悪感が押し寄せる。


「気にしないで。何もその場の勢いで言ったわけではないし、たとえ千花がいてもいなくても疎遠になるのは時間の問題だったから」


 千花が首を傾げていると、灯子がぽつりぽつりと全容を話してくれた。

 灯子と恭が結婚したのは25歳の時だった。

 双方共に両親とは苦にならない関係性だった。

 だが3年経ってからは恭の両親からいびられるようになった。


「あの人達は昔の風習が強くてね。3年も子どもができない女はいらんって言われて。うちの親も急かしてくるし。恭さんは庇ってくれるんだけどあっちの方が優勢だから」


 2人は急かされるまま不妊治療を行うことになった。

 しかし現実はそう甘くなく、1年、2年経っても子どもができることはなかった。


「毎日毎日責められて疲弊してる中で更に最悪なことが起きてね。治療しすぎてもう子宮が機能しなくなったんですって。そしたら今度は離婚しろって脅迫されてね。私は精神的に参っちゃって。恭さんがいなかったらもっとひどくなってたわ」


 思った以上に酷な話に千花はただ石のように頷くだけしかできなかった。


「ただ私ももう限界でね。実の両親も味方してくれないし、買い物で子どもと幸せそうにしている親子を見て糸が切れちゃって。自殺しようと山に入ったの」


 灯子から物騒な言葉が飛び出し、千花はむせながら灯子の顔を凝視した。


「じ、自殺?」

「もう何もかもが嫌になってね。首を吊ろうとロープも買って。さあ準備万端。死ぬぞって思った瞬間赤ん坊の声が聞こえてきたの」


 山を散策し、死に場所を決めていた灯子の耳に、必死に泣いて居場所を知らせてくる声が聞こえてきた。

 灯子が気になってそちらへ行くと肌寒い山の中に白いおくるみに包まれてカゴに入っている小さな赤ん坊がいた。


「その時に初めて思ったの」


 『ああ。私の赤ちゃん、ここにいたんだ』って。


「そこからはほとんど無意識だったわ。カゴのまま家に連れ帰って。恭さんに説明して。でも役所に行く前に皆からまあ反対されてね。どこの馬の骨かもわからない子どもなんて気持ち悪い。その子を捨てるか縁を切るか選べって」

「それで」

「もちろん子どもを選んだわ。私が死ぬのを防いでくれて、ここまで幸せにしてくれた救世主を無下にできますか」


 そう言った灯子の表情は清々しかった。

 両親に悔いがないのならと千花もこの話はここでおしまいと考えていたが、灯子はまだ何かあるらしく口を開いた。


「私は千花を見つけたその日から決めたの。この子の足枷にだけはならない。この子が幸せだと思える道を選ぼうって。だから千花」


 灯子は顔を上げ、千花としっかり目を合わせる。


「東京で何があったのか、教えて」

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