第16話 発奮

 「テンちゃん、なんか雰囲気が変わったね」




 前期授業初日に遭遇した痴漢が、またしても現れた。

 バスが停留所に停車した時、人が入れ替わる一瞬の隙を突き、そらのお尻をひと撫でするてのひら

 あっと思ってすぐに振り向いたものの、人混みに紛れて犯人は分からなかった。


 「…………」




 大学に着いても苛立たしさが収まらない。

 日課となっている、昼の3組ガールズの会食——と言うと聞こえはいいけど、ただの昼食——で、痴漢の話題に触れた。

 電車通学の花之木はなのき千晴ちはるも同様の被害に遭っていた。

 「ほんと許せないよね」と憤慨する女子たち。


 「私も高校生の時は何度か痴漢に遭っていたから、大学に入って髪色を変えて、メイクをちょっとキツ目にしたら寄り付かなくなったよ」

 と言うえのき飛鳥あすかに皆が「それは”あるある”だね」と同意する。


 「でも飛鳥の場合はさぁ…」

 前里まえさとあおいが飛鳥の顔から少し視線を落として見たのは―—。


 「なによ?」


 皆が一堂に、隠し切れない飛鳥の大きな胸を見る。


 「女も見惚れるわ」



 

 世の中には女の敵を撃退する強い女もいるけど、反撃されたら…と思うと何も言い出せない人の方が多いんじゃないかな? そんな結論で終わりそうになった時、天がポツリと呟いた。


 「でも、いつか捕まえてやりたい」


 「おおっ、テンはポジティブだな」

 飛鳥が感心して言う。




 次の授業が始まる時間になり、それぞれが履修科目の教室へ向かう。

 南が天の顔を覗き込んで言った。初めて私と会った時は何かに怯えていたようだったのに、今のテンちゃんはとても心が強くなった気がする、と冒頭の言葉を発する。


 「テンちゃんは顔立ちも整っていて、りんとしているね」


 「なにそれ? 褒めても何も出ないよ」


 「でも考え方は冷静で、ミステリアスなところもある。“クールビューティー”って感じ」


 「クールビューティー?」


 ふふっ、と笑って南は教室へ向かって行った。




~~~~~ ~~~~~ ~~~~~


 明け方に降った雨の所為ためか、朝は冷え込んでいた。

 バスに乗り込む乗客も、厚手の上着の人が多い。しかし、丘陵地帯の住宅街を走行する頃には、暖房の効いたバスと満員の乗客の熱気で、車内は徐々に窓が曇るほど蒸し暑くなってきていた。


 早く着かないかな…。


 誰もが同じことを考えているだろうなと、つい頬が緩んだ時、以前と同じように痴漢の手が尻の割れ目を撫でる。

 「あっ…」

 思わず小さく声が出てしまった。

 いや、声は出すべきだ。捕まえたいと思っていたのだから、振り向いて、相手の手を掴んで…。




 できなかった。

 その瞬間は驚いて、体が硬直してしまって。まるで金縛りにでも遭っているようだ。


 動けずにいた直後——。

 背後から落ち着いた声で「やめなさい」と言う人がいた。

 その声と同時に、乗客を搔き分けて目の前まで来た女の人が、天に何かを見せた。

 目の前に出されたのは警察手帳だった。


 「警察です。大丈夫ですか?」





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る