大団円・鬼狩り紅蓮隊、都に帰るの事

旅支度を終えた源頼義みなもとのよりよしは、真新しい金剛杖の具合を確かめながら最後の装備点検に余念がない。金平の方はズボラなもので適当に見繕っては頭陀ずだ袋に適当に詰め込んで簡単に支度を済ませて呑気に昼寝を決め込んでいた。


頼義は立ち上がって、今自分が立っている高台の切り立った崖の端から眼下に見下ろす平安京の姿を捉えていた。目の見えぬ彼女にはその町並みは窺い知る事は出来なかったが、吹き上がる風に混じって仕事に勤しむ男女や子供たちの笑い声、往来を行き交う人々の立てる土埃や煮炊きをするはんの香りを感じ取っていた。


久しぶりに帰って来た京の都は、かつて被った鬼の軍勢の襲来による惨劇から少しずつ、しかし着実に復興を遂げているのが彼女にも感じられた。


鐘の音が低く響く。延暦寺の僧坊で昼の勤行ごんぎょうが始まったようだ。真言を唱える深く、鈍い音が遠くから響いてくるのが聞こえる。


父頼信の命を受け、頼義と金平は坂東で起こった一連の騒動についての報告をしたためた「国解こくげ」を朝廷に届けるために京の都へ再び舞い戻っていた。


結局この件に関して朝廷は一言の口出しもする事なく、坂東内における豪族同士の個人的な諍いという事で決着をすませてしまったようである。ほとんど反乱に近い行動を起こしかけていた平忠常たいらのただつねにも、押領使おうりょうしとしての宣旨せんじを受ける事なく独断で国兵を動かした常陸介ひたちのすけ頼信にもなんのお咎めも無かった。書類の上では国内はいたって平和であり「平安」そのものという体裁である。


頼義は深く息をつく。今回のように上辺だけを取り繕って、その根底にある地方と中央との乖離かいり、各地に根ざし始めている土着化した貴族たちの勢力の成長、これらを見て見ぬ振りをし続けていれば、いずれどこかで大きなとなってこの地を再び混乱に陥れる時がやって来るだろう。それは、今は辛うじて闇に潜んでいる「この世ならざるもの」たちを再び活性化させるきっかけにもなろう。



(それでも、私は……)



目を閉じたまま頼義は静かに想いを馳せる。これから先も、自分の人生に安穏は無いだろう。この国のどこに、どのような「鬼」が生まれようとも、その都度自分は赴いて彼らと対峙する。時には語らい合い、時には血を流し……。それが、この国の、この国に住む人々の幸せにわずかにでも一助となるならば、自分の人生には意味がある。彼女はそう固く信じていた。


都での任務を果たせば、また再び「鬼狩り」としての果てしない旅が始まる。


真言を繰り返す読経の声が続く。もう都までは目と鼻の先だというのにわざわざ寄り道をしてまでこの比叡山に登ったのは、この山に籠っているかつての鬼狩りの同志、大宅光圀おおやけのみつくにを訪ねるためだった。


光圀はあの後剃髪ていはつし、仏門に入り亡き父と妻の菩提ぼだいを弔う事に残りの人生を捧げると誓ったと聞く。最後に会った時の彼はすでに左腕は焼け落ち、その顔も半分は爛れた悲壮な姿であったが、それでもどこか迷いの消えた、晴れ晴れとした爽やかさが彼を包んでいるように思えた。結局お山では彼に再会する事は叶わなかったが、代わりにある物を使いの小僧から受け取っていた。


「都にいる我が子小太郎へ」と事付けられた木綿の白布に包まれたそれを開くと、中身は親鳥と雛鳥が仲睦まじく寄り添う姿の木彫りの像だった。光圀が不自由な片腕で苦労しながら彫ったものなのだろう、見た目こそ荒削りで粗末な姿であったが、頼義にはその手触りの中に彼の人柄の暖かさと、ほんの少しの慚愧ざんきの念が込められているのを感じた。



「うとう、やすかた、か……」



頼義は吹き上げる風を顔に受けながら誰に言うともなくつぶやいた。



「……ほう、このような所でその鳥の名を聞くとは思わなんだ」



頼義の後ろから何者かが声をかけた。金平ではない。初めて聞く声である。しかし頼義はこの声の主を知っているような気がした。



「かつてここでな、西の太守と並んで都を見下ろしながら『我は桓武帝の末なれば新皇とならん。汝は藤氏とうしなれば関白となるべし』などとぬかして互いに笑い合ったものよ。ふふ、良門よしかどは自分が初めて共謀を画策したと思っておったようだが、藤原純友ふじわらのすみともせがれの後始末をよしなにと頼み出たのは儂の方であったのだよ。それも、もう遠い昔の事よな……」



頼義は振り返る事なく、ただ声の主の言葉を聞いている。



「此度の件、貴公には礼を述べねばなるまいかのう。なに、息子と世間知らずな娘の世話を押し付けて、誠に相済まなんだ。父として感謝申し上げる」


「…………」


「坂東の地、お頼み申す。貴公にならお任せできよう。どうかいつの日にか、かの地に平穏の王道楽土をお築きあれ」


「……誓いましょう。私の代で叶わなくともそのこころざしは我が子が、我が子の代で叶わなくばまたその子が……幾世代重ねてでも、いつかは必ず」


「左様であるか……ああ、安心した。これで……儂も……」



虚空に吹き荒れる風の音にかき消されて、声の主が最後に何を言ったのか、頼義にはもう聞こえなかった。

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