下総千葉郡千葉妙見社・千葉小次郎、鬼狩り紅蓮隊と対峙するの事(その二)

静かに、そして力強く、大宅光圀はそう言い放った。再び光圀が太刀に手をかける。その姿には微塵の殺気も無い。



「鬼狩り、鬼狩りとな?ふふ、お前がそれを名乗るのも皮肉だが、しかし……明鏡止水、殺意も、自我も、剣を握ることすらも捨てたか……やはり達しておるではないか、『剣禅一如けんぜんいちにょ』の境地に」



千葉小次郎ちばのこじろうが指を鳴らす。その音に呼応するかのようにまた骸骨兵がしゃどくろたちが襲いかかる。今度は一歩を踏み出すまでも無く白骨の兵士たちは横薙ぎにされ吹き飛んだ。到底光圀みつくにの剣が届く距離では無い。金平にもその太刀筋は見えなかった。だが地面の土煙も骸骨兵の残骸も、今間違いなく光圀が「抜いて」「斬った」事を示していた。



(……読めねえ!?おいおい、おっさん、この一瞬のうちにどんだけ達人の域に到達したってえんだよ!?)



後ろで光圀の背中を見ていた金平は、その自然体の立ち姿に寸毫ほどの隙も無いのを見てとった。今の光圀にはおそらく手に太刀を持っているという自覚すらあるまい。ただそこにあり、ただその時が来れば意識するまでも無くその太刀は刃を振るい敵を倒すだろう。頼義にも、今の光圀はまるでその気配が追えない。まるで大気に溶けてしまったかのような恐るべき自然との一体感を彼女は感じていた。



「よくぞその境地にまで辿り着いたな光圀よ。全てを失った貴様ならではの『道』であったか。ふふ、どうだ我が友よ、『道』を開いたその心境は……?今の貴様ならば『剣聖』の域に到達することもできよう。先ほど貴様をクズと呼んだ非礼は詫びねばなるまいな。ではこのから貴様に褒美を取らせよう……新しき『自分』に目覚めるが良い、光圀よ!!」


「!!」



小次郎がそう言葉を発した瞬間、金平と穂多流は信じられないものを見た。さっきまで自然体で静かに構えていた光圀が突然苦しみだしたかと思うとまるで激痛を抑えるかのように自分の左腕を右手で強く握りしめだしたのだ。その左腕は見る見るうちにドス黒く染まり、肥大化し、鋼線のような硬い剛毛に覆われて行った。



「な……!?おっさん!!」



なおも光圀の左腕は変化へんげし続けて行く。爪が伸び、血管が浮き上がり、隆とした筋肉が膨れ上がる。その腕はまさしく……



「鬼……だと!?」



金平には光圀の身に何が生じているのかわからなかった。ただ言えることは、今光圀の左腕を侵食しているのが「鬼」のであるという事だけだった。光圀は今、「鬼」に変化しようとしている!?



「姉上も土壇場でとんだ遊興を残して行ったものよ。さあせいぜいあらがうが良い光圀、さもなくばその『俺』の左腕がたちまち貴様を食うぞ。もがけ、苦しめ、どうあがいても最後には貴様の身体全て、新しい『俺』となって貰い受けるがな。ははははははは!!!」


「ぐっ……ぐはっ!!があああああああああああ!!!!!!」



光圀が激痛に耐えかねて獣のような絶叫を上げながらのたうちまわる。頼義にも光圀の身に一体何が起こっているのかはわからない。だが今小次郎が発した言葉を瞬時に整理すると、どうやらあの「左腕」は千葉小次郎の「鬼」の腕のようだ。それがどのような経緯いきさつで光圀の腕に取り付けられたのかは知れぬが、あの腕は光圀の身体を侵食し、最終的に彼の全身を乗っ取り、新たな「千葉小次郎」として再生する、という事らしい。


左腕の「鬼」の部分が次第に肩口にまで侵食して行く。やがてその侵食は光圀の頭部にまで到達していった。



「な……!?」



金平は見た。光圀の顔が、「鬼」に侵食された部分から別人の顔に書き換えられて行く所を。金平はその顔を知ってい。その顔は……



「千葉の、小次郎……!!」



顔の半分は光圀の、もう半分は千葉小次郎の顔が、その顔の「小次郎」の部分だけがニヤリと邪悪な笑みを浮かべた。苦悶と愉悦、相反する二つの表情が一つの顔面の上に形成されている。金平はこれほど恐ろしい人の顔というものを見たことがなかった。



「ははは、さあ今こそ生まれ変われ大宅光圀おおやけのみつくによ、の『千葉小次郎』となりて共にこの坂東を地獄に変えてやろうぞ!!」



金平は彼らしくもなく、この情景を前に自分が何をすべきか身体を動かせないでいた。今目の前で起こっている事があまりにもこの世の常識とはかけ離れすぎていてまるで現実感が無い。穂多流もまた魔に魅入られたように呆然とした面持ちで身体を硬直させている。



「きん、ぴら……」



いつの間にか隣にいた頼義が金平の裾を掴む。その手は小刻みに震えているように感じる。彼女もこの異様な光景に怯え、恐怖しているのか。


いや、違う


震えているのは頼義本人ではなく、彼女が手にしている「七星剣しちせいけん」だった。その反りの全くない直刀じきとうはまるで仇敵に出会った歓喜に打ち震えているかのように頼義の手の中で激しく振動を繰り返していた。



「金平、しっかり『私』を押さえていて……これなら、この剣ならあの『鬼』を……!」



頼義が前に出て「七星剣」を構える。その切っ先を、未だ悶え苦しんでいる「鬼」になりかけの光圀の喉元に合わせた。金平はその刀身に周囲の大気から何か目に見えない「力」のようなものが集まっているのを感じた。頼義の長い髪が逆立つ。その霊力を制御するのに必死なのか、額に汗を浮かべ、苦悶の表情を見せる。



「……くそっ!!」



金平の思考がそこで停止する。元より考えて行動を起こす男では無い。金平は反射的に頼義の手を持ち、後ろから支えながら共に「七星剣」を握りしめる。凄まじい「力」が溢れんばかりに刀身から吹き荒れるのを感じる。その刀身、真っ新な傷ひとつない刃を見て、金平は初めて「七星剣」の名の由来を理解した。



(これが……『七星』か!?)



「力」が集約して行く「七星剣」が一層輝きを増して行く。その刀身にが星のように煌めく。その七つの光が刀身に「北斗」の像を結ぶのが見えた。



「なるほど、それで『七星剣』ってかあ!!」



金平が叫ぶ。盲目の頼義にはその「七星」を見ることは叶わなかったが金平のいうことの意味は理解できた。この刀身に宿った七つの星辰が、その聖なる力なら、あの「鬼」を……!!



「させぬ!!」



小次郎は今更ながらに頼義の手にした剣が必殺の「鬼狩り」の宝具であることを悟った。まさか、こうなることを恐れて遠い昔に、唯一自分を殺す事のできる可能性のある宝剣が、巡り巡ってこのタイミングで再び己の前に姿を現わすとは……!


表情かおの無いが頼義たちに殺到する。二人は「七星剣」の力を制御するのに手一杯で応戦にまで手が回らない。金平が手を離せば頼義一人でこの宝剣の威力を制御できるか……?


絶体絶命の金平たちに肉薄する骸骨兵たちの目の前に、何かが飛び込んできた。鳶の「残雪」が羽根を広げて行く手を塞いだのだ。一瞬動きを止めた骸骨兵に向かって、頼義たちの頭上から穂多流が続いて飛び込んできて、両手に持った諸刃の二刀でを払いのける。



穂多流ほたる!?」



穂多流の右腕からは、先程頼義に噛み付かれた傷口の出血が治まる事なくまだ血を流し続けている。その痛みをこらえながら、穂多流は必死になって頼義たちに近づけさせまいと奮闘した。



「頼義さま、今……!!」



穂多流が叫ぶ。その絶叫を合図に、頼義と金平は意を決して渾身の力を込め、「七星剣」を振り下ろした。

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