4 外へ

 凍り付いた道に雪が落ちていく気配で、ロゼは目を覚ました。

 格子のはまった窓の向こうに、光というにはまだ頼りない色が差している。太陽が地平線から顔を出す前の、忍びやかな静寂が満ちていた。

 いつもなら体を丸めて、寒さに震えている時間。今日は少しも寒くないのは、ロゼの体を包み込んでいる存在がいるから。

 まるで長い間離れ離れだった恋人同士のように、ジュストはロゼをかき抱いて、ロゼはそれに応えた。

 ロゼは呼吸が触れる距離で、初恋の人の寝顔をみつめる。少年から青年になった彼は、あどけなさが消えた分端正になった。あの頃の優しさも持ちながら渇望のような情欲でロゼを求めて、ロゼは自分が愛されているような錯覚を抱いた。

 けれど彼を愛しているのなら、一夜の相手など忘れさせてあげなければ。ロゼは激痛のような胸の痛みを飲み込んで、自分を包む腕から抜け出た。

「……どこに行くの」

 寝台から足を下ろしたロゼを、ジュストは身を起こして抱き寄せる。背中ごしに触れる肌にまた体は歓喜して、ロゼの声が震えた。

「水を汲みに」

 ジュストはロゼを離さないまま少し思案すると、荷物を引き寄せて水筒を取り出す。ロゼがジュストの意図に気づく前に、彼は水を含んでロゼと唇を合わせた。

 渇いた喉にいきわたるように水が注がれていく。その心地よさに、ロゼは思わず目を細めて身を委ねていた。

 ふと唇を合わせたことに気づいて、頬が赤くなる。昨夜、唇も何度も触れ合った。けれど性行為としてではなく触れたのが恥ずかしくて、とっさに視線をさまよわせる。

「嫌?」

 問いかけられて、ロゼは言葉に迷った。きっとどんな言葉も、ロゼの赤くなった顔を見たら何の説得力もない。

 ジュストはロゼを仰向けに寝台に横たえると、言葉を奪うようにして深く口づけた。

 このままでは、ずっとつながっていたいと願ってしまう。ロゼが自らの願いを裏切って、ジュストから逃れようと身をよじったときだった。

 ロゼはふいに周りの空気の匂いが気になった。閨房の湿った、埃の混じった空気を吸い込むと、たまらなく気分が悪い。

 思わずジュストから離れると寝台を下りて、うずくまって咳きこんだ。すぐにジュストが駆け寄って、ロゼの背をさすりながら心配そうに訊ねる。

「どうした? 気分が悪い?」

 地上を支配した有翼人種は、交わった体を変異させてしまう。性行為に慣れている静牢の無性たちも、一晩にいくたびも行為をされると具合を悪くすることがある。

 けれどロゼの体内を走った変異は、覚えがあるものだった。まさかとその可能性から目を逸らしながら、ロゼはジュストを見上げて言う。

「少し体が弱いのです。薬をもらいに行って参りますので……」

 もうお帰りください。ためらいながらそう口にしようとして、ロゼはジュストが眉を寄せたのに気付く。

 ジュストはロゼを抱き上げて寝台に座らせると、そっと両手で喉に触れる。

「すまなかった。こんな空気の悪いところに夜通し籠めて。つらかっただろう」

 彼はロゼにシーツを巻き付けてその上から自分の外套をまとわせる。ロゼはジュストを制止しようとしたが、空気を吸い込むとまた咳が出た。かわいそうにとジュストはロゼの背をさすって、自らも服をまとうとロゼを抱き上げる。

 ロゼを守るように抱きながら、ジュストは閨房を出た。ずっと安息を与えてくれた静牢をあっけなく出てしまって、ロゼは寂しいと思う間もなかった。

 どこへと掠れた声で訊ねたロゼに、ジュストは大丈夫とささやく。ジュストはロゼを別の宮に連れて行った。見覚えのある従僕の無性たちが、慌てたようにジュストを迎えた。

 ジュストは彼らに短くいくつかのことを命じると、自分はロゼを連れて寝室に入った。そこは木造りの温かい風合いの部屋で、南向きに位置していた。ジュストは寝台にロゼを座らせて自らも隣に腰を下ろすと、従僕から湯気の上がったカップを受け取る。

「飲んでごらん。喉にいいはずだ」

 それははちみつの香りのする甘いお茶で、ロゼの喉に優しく染みわたる。体も暖まって、そして体がほぐれたからなのか、意識を鈍くするような眠気がやって来る。

「仕事に、戻らないと」

 次第に抗えないほどの眠気に包まれて、おかしいと思った。ロゼはカップを置こうとしたが、ジュストはロゼの手からカップを受け取ってテーブルに置くと、ロゼの背をゆっくりとさする。

「今は体を暖めて、ゆっくりおやすみ」

 だめ、早くここを離れなければ。ロゼは必死で首を横に振る。

 自分の体内で起きている変調は、五年前の狂乱のときと同じ。有翼人種の女性は誰よりも早く、自らに宿る命を知る。どんな相手からその命を受け取ったとしても、たまらなく愛おしく感じる。

 けれどジュストはどうだろう。一夜の相手の子など求めるだろうか。ロゼの変化を知ったら、優しかったその瞳は軽蔑の色に染まるに違いない。

 ロゼの頭を胸に抱いて、ジュストは低めた声でささやいた。

「君は望んではいないだろう。どうか私を許してほしい」

 愛しい人の腕の中で休める幸福と、じきにそれを失う哀しみが、ロゼを縛るように眠りに招いていった。

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