第9話 首都到着
王宮の朝は早い。
朝日が昇ると同時に、正門に掛けられた跳ね橋が下ろされ、多くの使用人や行商人、通いの兵士たちが通行証を見せながら門を潜る。
勿論、常駐する者も多く、王宮内は忙しく、それぞれに朝の仕事に取り掛かる。
ガリアロス王宮は三つのエリアに分かれている。
王宮の一階、正門を越えると先は、主に役所や警吏、裁判所などの法的機関があり、市民が入る事を許されている。
それより奥は仕切りがあり、兵士の訓練所や憲兵の待機所になっていて、警備が厳しく一般市民は立入禁止となっていた。
二階もまた政府と市民のエリアとに別れており、入れるのは許可を得た者だけであり、政府機関には立入禁止となっている。そこには国の中枢として様々は部署があり、大臣や宰相が執務をしている。
そして、三階が王の間となり、王の間は王の居住区と執務室がある。王の間には、厳選された従者と王が許した招待客だけが入ることが許される。
かつて、この地に王宮を作れと言った預言者は、三権を別々の場所に分けるべきと進言していたが、長い歴史の中で、時々の王の都合のいいように作りかえられ、何時しか現在の姿になった。
さて、最上階。王の間の朝は、王宮の中では一番遅い。
明け方まで毎夜、酒宴が開かれて、贅の限りを尽くしているのだから、それも当然である。
陽が昇り、随分してからロス王が目を覚ますと、ベッドの横にあるベルを鳴らし、従者に起きたことを伝える。すると、寝室の外で待ち構えていた従者たちが部屋に入り、身支度に取り掛かる。それが終わると、朝食の用意されているテーブルについて、暫くすると王妃が従者を従え現れて、同じテーブルにつく。
静かな食卓は食器が触れる音もしない。
「殿下」
王妃が十メートルは離れたテーブルの端から甘い声を出す。
「?」
静寂とよく通る声で、ロス王は顔を傾げて、王妃を見た。
「今宵、ルーカスの試合を組んでは如何ですか?」
「しかし、アヤツは一昨晩闘ったばかりだ。戦いは最低でも一週間の間を挟むというのが、ルールとなっているのを知っているであろう」
「よいではありませんか。わたくし、あの者が百勝して、自由の身になることを想像すると、とても耐えきれませんわ」
ミターナは、矢印のような高い鼻を横に向ける。
「……確かにな。しかし、ルーカスは人気もあるし、露骨なルールの違反は反感に繋がる。拳闘士たちのモチベーションも下がるしな。そうなると闘いがつまらなくなる」
「分かっております。しかし、休息を与えてしまうと万が一、という事もございます。ヤツは害虫のような生命力を持っております。きっと手足をもがれようが生きようと、食らいついてくるのではないでしょうか?」
「……有り得るな」
ロス王は顎を触りながら頷く。
「闘う理由は幾らでも付けられまする。一刻も早く、息の根を止めてしまいましょう」
「……しかし、相手が居らぬ。手負いとは言え、ルーカスを倒すほどの者がな」
「わらわはルーカスの死ぬところが見とうございます」
「……分かった。では、エントラントの行商人にあたってみよう。対戦相手が決まれば、今宵、ルーカスの最後の闘いにしてくれよう」
「殿下ぁ」
ミターナは甘い声と、ギラギラした熱い目をロス王に向けた。
「ちょうど野蛮なノースランドとか申す輩も今日には到着する予定です。その者の扱いも今夜いたしましょう」
「お主、何やら、いろいろと趣向を凝らしているようじゃな」
ロス王はニヤリと微笑み聞いた。
「はい。戯曲者に、とある劇を作らせております。野蛮なノースランド家の罪を白日の下に晒す作りになっておりますので、殿下もきっとお楽しみになれることかと存じます」
「ほうっ、それは楽しみじゃ」
* * *
パムル・リターは、首都グララルン・ラードに着いた乗り合い馬車から降りて、「フーッ」と大きく息をついた。
御者が馬車から荷物を乱暴に下ろしている間、リタ―は産まれて初めて訪れたグララルン・ラードの町並みに目を見張り、大きなため息をついた。
「……はあっ」
ふと、振り返ると、馬車も乗り合いの人たちもどこかへ行ってしまい、一人ポツンと取り残されていた。リターは右手に大きなカバンを、左手に地図を開き、とぼとぼと歩き始める。
何しろ、右も左も分からない。
地図は若い頃、何度かグララルン・ラードに来たことがある杜氏のカイザンが書いた相当に簡略化されたしろものである。リターは町の人に道を尋ねながら、王宮へ向かうこととした。
しかし、道を尋ねるまでもなく、すぐに王宮の位置が分かることを知ることとなる。
何しろ、グララルン・ラードの都市の四分の一が王宮なのである。町の中心に向かえば、嫌でも王宮の外堀にたどり着ける。
リターは宿屋を見つけ、そこに荷物を置いて、王宮へと向かった。時刻は朝の九時を回ったところである。ちょうど、市民への開放が始まった時間だ。順調な滑り出しであった。
このまま、王様への嘆願書を提出して、接見が許されれば、明日にはオーブンに帰ることが出来る。だが、それが、どんなに浅はかな考えであったかをリターはこの後、思い知らされる。
最初の誤算は、リターがやって来た方角が北西であり、宿を取ったのも王宮の正門の西側であったことだ。
初めてでも、王宮にはたどり着けるが、一般人が王宮に入るには跳ね橋を渡り、正門から入らなくてはならない。
西門から入ろうとしたリターは門兵に止められ、そのことを聞かされ、疲れが一気に増した。何しろ、リターの恰好は、鍔の広い帽子、厚手のロングドレスにショールを掛け、踵のある硬い革の靴を履き、大きめのハンドバッグ手にしている。
母が王に接見するのに失礼があってはいけないと嫌がるリターを強引に宥め、着飾るように言ったからだ。
「……万が一、貴族の誰か様の目に止まり、見初められるかもしれないんだから。お洒落をしていって損はないでしょう」
そう言って笑った母の顔が憎たらしく蘇る。
そのせいで、革靴で足を引きずりながら、十キロの道のりを歩く羽目になろうとは誰が想像できただろうか。
まだ春先だというのに、メイクは汗で崩れ落ち、朝、真っ暗なうちからセットした髪は乱れて、無残な姿となってようやく正門にたどり着くのであった。
息を整えながら、跳ね橋を渡りきったリターの目の前に、しかめ面をした門兵の二人が見下ろすように立っていた。
リターは会釈をして、二人の間を通り過ぎようとしたが、行く手を槍で塞がれた。
「えっ?」
たじろぐリター。
「何の目的できた?」
右の門兵が野太い声で言った。
「はい。国王に嘆願書を出しに、です」
リターは緊張しながら、バッグから嘆願書を取り出した。
兵士は訝しげに、リターの頭の先からつま先までをゆっくりと遠慮のない目で見て、嘆願書を奪い取るように手にした。
「どこの出身だ?」
「オ、オーブンです」
「ラク酒の原産地だな。その事でか?」
「はい」
「よし、通れ」
兵士は鼻を鳴らし、リターを促した。
リターは嘆願書を受け取ると、足早に兵士たちの間を通過した。
何とも嫌な気分であったが、同時に今日という日が、これ以上悪い日にならないことを祈っていた。
* * *
首都グララルン・ラードが、ソルトロードの荒野の先に見えてきた時、馬車のキャビンから子供のように身を乗り出していたビンデとトランポリンは、思わず感嘆の声を上げた。
「見えてきたよ。首都」
トランポリンが叫ぶ。
「おおっ、憧れの街。グララルン・ラード」
ビンデが歌うように言った。
グララルン・ラードの街は大小の石造りの建物でごった返しており、荒野の中に突如、現れた文明国家という迫力があった。
街に近付くと往来する人の数も増え、中心に行くにつれ、賑わいを見せてきた。それを目を丸くして見つめるトランポリン。
「母さんはグララルン・ラードに来たことがあるんだろ?」
ビンデが聞いた。
「幼い頃ね……記憶にないよ」
セッツは外も見ずに、ぼそりと呟いた。都が近づくにつれ、口数も少なくなっていた。
「俺も十年ぶりだな。あの時は観光というより、ビジネスだったからなあ。今回はちゃんと観光したいな」
「でも、街の裏通りには賑わいはないわね」
表通りは確かに賑わいを見せているが、一歩、細い通りに目をやるとヤーニャが言うように人通りは閑散としており、閉まっている店も多い。
「国王が道楽者だと、国民が苦労するってことだな」
「エフッ、この通りは、王宮まで一直線に伸びたキングスロードと呼ばれています。キングスロードはサウズ・スバートを建国したネス王を湛えて……」
アルフレドは咳ばらいをして、街の説明を始めた。
「メインストリートがこれじゃあ、先が知れているな」
しかし、ビンデは遠慮ない言葉を続ける。やがて、建物の間から王宮の高い城壁が見えてきた。
「やっぱ、来るんじゃなかったよ。本当に王様に会いに来るなんてねぇ」
セッツが、ため息交じりに呟いた。
五人を乗せた馬車は淀むことなく、一直線に王宮へと向かい、跳ね橋を越えてゆく。跳ね橋の上には観光客か、王宮に用がある人か、多くの市民がいて、通り過ぎる豪華な馬車を物珍しそうに見る者も多い。
跳ね橋を渡りきると馬車は止まり、御者が何やらやり取りしているのが外から聞こえてくる。暫くすると、キャビンの窓から兵士が顔を覗かせてきた。
「お前たちか?国王様に招待されたノースランド家の者たちと言うのは?」
ぐるぐるとキャビン内を見回して、門兵がぶっきらぼうに尋ねた。
「え?あ、ああっ……」
ビンデはアルフレドを見るが、アルフレドは素知らぬ顔をしている。
「どこから来た?」
「ナターシャ」
明らかに年下の門兵の高圧的な態度に、ビンデはムッとしながら答える。
「名前は?」
「ビンデ」
「セッツ」
「ヤーニャ……」
三人がそれぞれ答えた。
「その子は?」
「この子は、国軍の兵士の子供で、親に会いに来たらしい。旅の途中で一緒になって連れてきたんだ」
ビンデが説明する。
「そうなのか?」
門兵はトランポリンを見て尋ねた。
「は、はい」
トランポリンは緊張しながら頷く。
「それで、三人の関係は?」
「何なんだよ」
ビンデは思わず声を上げた。
「ちゃんと話が通ってないのかよ?なんで尋問されなくちゃいけないの?呼ばれたのはこっちだぞ」
ビンデはアルフレドに訴えた。しかし、アルフレドは「答えて」とだけ言う。
「だから、家族に決まっているだろう」
ビンデは投げやりに答えた。
「それは分かる。お前たちは夫婦か?」
兵士はビンデとヤーニャを指して聞いた。
ビンデは思わずため息をついた。
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