帝都大学医学部附属病院の煙草部屋・最後の夜

高橋 拓

甲斐なき星が夜を明かす。


「おう!ラキスト。退院が決まったってー。」


殺風景な光が病床に入る夕方六時過ぎに、ヌチャヌチャと味のしない病院食を食べ終わると、いそいそと病室を出て喫煙室へ向かう俺に、ガンキュウが長い廊下を笑顔で走りながら声をかけてきた。


「おめでとう。じゃ、煙草部屋まで競争しよ。」


ガンキュウは、前に聴いた話だと元運動部らしく、その足の速さに追いつける訳がない。本人は、ただの元運動部と言うが、その走る姿はプロのように美しく軽い。でも名前も知らない仲間。ここの病院はみんな仲間。なんの病気で入院してるかも知らない仲間もいる。そんな東京大学医学部付属病院の煙草部屋の奇々怪界なお話である。



急いで走り咳き込みながら喫煙室に着くと、千客万来に、ンガ、ヨメイが、煙草に火を点けるところだった。ゴールと叫びながら先に着いていた

ガンキュウが、ちょっと不機嫌そうだったので、


「ガンキュウには、全然追いつけないよー。」


と言い、勝利の火。ライターを顔の前に差し出した。その瞬間、ガンキュウは両腕をクルクルとストレッチするように回し始めた。するとヨメイがおもむろに煙草に火を点けてゆっくりとボロボロのパイプ椅子へ座り開口一番にこう言った。


「俺、後一ヶ月くらいらしい・・・?ぜ。」


その台詞を聞いたンガが大丈夫。大丈夫。まず落ち着こう。みんなが集まってから話を聞こうと赤マルの煙草の箱をトントンと指先で叩いていた。

とりあえず一番手前にあるボロ椅子に座ったラキストは、喫煙室にかけてある時計をさらっと眺めてからガンキュウも座りなよと新品の椅子を差し出してから、いつものメンツが揃うのを待った。いつも大人しい性格のヨメイは古時計をじっと見つめながら、煙草の煙で大きな鯉の滝登りを練習していた。するとデカい声で、組長が喫煙室に入ってきた。


「お!俺が教えた鯉の滝登りをやってるかい。」


今日も組長は機嫌が良いらしい。後は、アシポッキリと三輪の花。あとは、まあまあその時次第。

ちなみに、組長は新宿歌舞伎町の組の組長だからそうみんなに呼ばれている男だ。


ガッキュ、ガッキュ、ガッキュ、一階の喫煙室に、長い杖をつきながらアシポッキリがやってきた。一応、この喫煙室の主であり、組長よりも偉い。ドスンとボロボロボロのソファーに座ると、いきなり屁をして恥ずかしそうにしている。すると、おもむろにわかばの箱を出してはちょいちょいと一本煙草を取り出して、ガンキュウに熱い視線を送った。ガンキュウはそれに気がつくと、お気に入りのジッポーをシャキャンと開けて、火を差し出した。一瞬で火が点く技を、毎回、淡々とこなしながらクールの箱からトトット煙草を出して火を点けた。そして、二度見の視線をヨメイに向けた。その次に、あごをコクコクしてから気分良く煙を急上昇させながら壁に寄りかかった。


「俺、来月の中頃みたい、そのそ、死ぬのが。」


その瞬間、組長がちょっと不機嫌そうな顔をした。アシポッキリ。ガンキュウ。ンガ。は、冷静な顔を他所よいその台詞を聞いていた。


組長から順番に、その台詞の答えを導き出した。


「地獄。」


「天国。」


「来世。」


「そうか。」


「天国。」


ざざっとみんなが、正解を出すと粋な組長が、


「ニューヨークに行きたいかー?天国に行きたいかー、ま!大体の人間は地獄だ、地獄の三丁目。」


男子全員、三輪の花。アブラ。マシ。マシマシコ。の可愛くて美人な三人の患者さんが、カラカラと点滴を引きずりながら登場するのを待っていた。女子の匂いは薬臭いこの帝都病院ではこの世の天国だと、男子全員一致の隠し事でもあった。


 喫煙室は、病院の手術室のように静かになった。みんなが言葉選びを高速で暗算している。多分、物凄く勉強が出来なかった組長でさえ、そこそこの大学生のように計算をしている。このいたたまれない空気圧を破るのは、誰なのか?誰の順番なのか?男子全員が神の一言を探っていた。神様。仏様。どうか誰かに言葉の力をください。閻魔大王様。恐怖を取り除く地獄の言葉をください。そうみんな願うと、ヨメイがいそいそと変えたばかりの綺麗な入院着のポケットを探り始めた。


「みなさん、良かったら僕の名刺をあげます。」


空気圧を、破ったのはヨメイ本人だった。丁寧な日本人サラリーマンスタイルのお辞儀をすると、

銀色の名刺入れから名刺を数枚取り出していた。


「初めまして、さくら銀行の若林と申します。」


そう言いながら一枚、一枚、配り始めた。アシポッキリ。組長。ガンキュウ。ンガ。の順番で、丁寧に深々と、秋に黄金色へ広がる田園の稲穂のように頭を下げた。その後の背筋がピンと伸びた姿には覚悟と迷いがなかった。まるで、昔の日本映画で観た出兵前の兵士のような立ち姿だ。そして、ヨメイが一瞬光ったように見えた。


「ラキストさんも是非ありがとうございます。」


丁寧に、その差し出した名刺を受け取ると、一礼した。すると、ンガがゆっくりと言葉を放った。


「俺も余命宣告は、一年なんだ。癌だから。」


続けて、アシポッキリもポツリと言葉を絞り出した。


「俺も来週左の足を切るよ、それで駄目なら。」


ヨメイは、二人の告白を聞いてからもう一度、軽く一礼をした。そして、みんな各々の銘柄の煙草に、そっと火を点けはじめた。すると喫煙室は一揆に真っ白くなり、煙草の煙は交じり合いながら天へ向かっていった。そして、誰も一言も話さなくなった。そんな時に、噂の三輪の花がケラケラと笑いながら喫煙室にやってきた。心臓が鳴る。


 遠くからケラケラと聞こえた声が、喫煙室に近くまで来ると、煙草を吸う男子達は各々の仕草を取り始めた。喉仏を鳴らす者。顔を拭き始める者。足を軽快に鳴らす者。目の焦点を動かす者。


「おっす!こんばんは!みんな元気か!オス。」


マシが、元気な声で喫煙室に入ってきた。それに合わせて、アブラとマシマシコも入ってきて、開口一番に、軽い会釈と共に笑顔を振りまいてきた。


「こんばんは〜、皆さんお元こ?うふふふ。」


軽いジャブをいれてくるアブラ。マシマシコは、

いつも大人しい子なので、男子の視線が一点に集中した。喫煙室の古時計の針は、午後七時半を過ぎていた。


「こんばんは。」


「オッス!」


「元気ですかー、元気があればなんでもできる」


「今日も、御三方は可愛くて美人ですねー。」


「こんばんは。」


「おばんだす。」


喫煙室は、突然の来客対応で賑やかになるともう青々しい高校一年生のAクラスのようになった。



その夜の学校は、五月蝿かった。Aクラス全員の集合写真を撮れるくらい五月蝿かった。まだクラスは出来たばかりで、相手の名前もろくにしらない。丁度、クラスメートのヨメイのことが若林と言う名字とわかったばかりだ。担当の先生の名前は、ちゃんと知っている。まだ教室内で煙草を吸う悪ガキの集まりだと担当の先生が匙を投げない時代だ。たまに保健の先生が見回りに来るくらいだと、全員が一致団結の最悪の同級生達だ。優等生は、ガンキュウくらいだと想われる新入生の集まりだった。


「はいはい!三輪の花さん達、静かに静粛に。」


そう声を発すると、クラス委員長のアシポッキリと副委員長の組長が、すらすらと語り始めた。


「こちらヨメイさんは、もうすぐ転校です。」


「はいそうそう、名前は若林君と申します。」


すると三輪の花は、同時に会釈をして質問が始まった。ヨメイは告白の覚悟を決めたように話した。さくら銀行の課長職をやっていること。彼女は、いないこと。少し年が離れている妹さんのこと。どんな病気か簡単な説明。神を信じてる事。


ラキストは、ヨメイをじっと見つめていた。もう会えるのは、今日が最後なんだと言葉を探した。


「若林君、今、一番にしたいことは?なんな。」


「結婚、自分じゃなく妹の結婚式に出たいよ。」


そう言うと、妹さんのことを楽しそう話した。妹さんの情報は、お婿さんを貰うこと。式は静岡県で行うこと。ペットを飼っているとか、その他、お洒落から、頭の良さまで尽きることなく話すので、貧乏ゆすりをしていた組長が話の腰を折り、今時の芸能人の誰に似ていると、軽く質問した。


「誰に似ているのかなー?広末涼子かなー?。」


「妹の花嫁姿を見るまで、生きてられるかな。」


喫煙室に居た全員の頭の中に、同時に曲が流れるとアシポッキリが、俺は、大ファンと立ち歌う。


「とっても、とっても、とっ・・、大好きよ。」


そう叫びながら、突然、抱きついて頭と肩を撫でると、子供のようにエンエンと泣き始めてしまった。大好きと輪唱していた三輪の花は、急な展開にびっくりしていた。まあまあとンガとガンキュウが、アシポッキリの肩をポンポンと叩いた。揺らすように肩を叩いた。またバンバンと勢い良く背中を叩いて、四人はモルモットように震えた。


「若林。アシポッキリ。泣くなよ、ずるいよ。」


「判る。判った。お前の言いたい事と同じだ。」


アシポッキリ。ガンキュウ。ンガ。ヨメイ。そこに、アブラ。マシ。マシマシコ。Aクラスの仲間は、涙腺を緩め貰い泣きした。副委員長の組長だけは、苦虫を噛み潰したよう泣いていなかったが、喫煙室にある古時計は誰かの余命に向かって進みながら、決して時間を停めることはなかった。


「漢に産まれたからには仕事が一番じゃけん。」


そう口にすると、まずまずみんな座れと促した。


「ちょいまー、みなさん座れや〜。五分だけ俺の話を聞け、聞いとけ、損はないから。でー、まー、みなさん知っている通り、俺は、組長と呼ばれている。それは想像していると思うけど、裏稼業に従事している本物の組長や。組は新宿歌舞伎町にある二次団体や。まー、名刺を交わしたいところだが、あるちゃあるが、さくら銀行と俺の名刺じゃ素人に迷惑をかけてしまう。ふ〜、ふ~、素人さんを脅すのは簡単や。簡単な。ふー、なー、若林。さくら銀行の通帳は、俺もお世話になっておる。俺は、桜が一番に好きだからのう、良い銀行だ。うん、ところで言いたいことは、漢が五人も揃ってめそめそ泣いているのは、好きじゃないなー、漢が五人もや。俺は、弱いもんイジメをしたことは、小学生の時からないんや。一度もや!そやからいつもいつも負けていた。世の中に、強すぎるヤツなんて幾らでもいる。ただ、俺が言いたいのは、漢に産まれたからには、母ちゃんから産まれた時にしか鳴くな。泣くのは精々、小学生に上がるまでやろ!まあまあ訳は判るが、腹をグッとこらえて泣いちゃいけわんやろ。ふー、それを言いたかっただけだ。だけだ。ってそろそろ八時も過ぎたからピザの出前を頼もう。」


「ドミノピザのピザを頼もう、頼もう、頼む。」


副委員長の号令に、委員長のアシポッキリも習いそう言うと、みんなで今日食べるピザ会議をした。喫煙室に来た当初に、ラキストも驚いたが、今となっては煙草部屋の恒例のピザハウスパーティーだ。帝都大学医学部付属病院で、煙草を吸いにくる患者さんが、もしかしたら一番驚く学校行事だ。今日は、ベストメンバーなので、美味しいピザ屋への電話注文は、速く決まるだろう。   


「どもマシです、帝都大学医学部付属病院の喫煙室になんですけど、いつもどおりピザを三枚。」


その電話をかけると、マシは任務遂行したように

バージニアに、シュっと火を点けた。アブラもマシマシコも、各々の煙草に綺麗な指先で火を点けた。全員に火が行き渡ったところでアブラが一言。超、嬉しいそうな仕草で、鋭く言い放った。


「私、食べるの好き。ヨメイ君もタイプだよ。」


そう言うと、女の子らしい仕草をしてちょこんと体育座りをした。ヨメイも綺麗な姿で、ボロいパイプ椅子へ座り、真っ直ぐにアブラを見つめた。


「嬉しいお言葉を、ありがとうございました。」


「お二人、お熱いお似合いヒューヒューだね。」


アシポッキリが冷やかすと教室には、またガヤガヤの各々のヒストリーが、始まった。名前や職業。学校の話。両親の話。政治。経済。文学。絵。好きなアーティスト。漫画。映画。サブカルチャー。自分の知っていることを、なんでも良いから喋りっぱなしで、ドミノピザが届くのを待った。古時計の針が八時半を過ぎると遠くからバイクの音がした。青色の宅配バイクが、帝都大学医学部付属病院の裏側の入口に停まると、元気な好青年が喫煙室まで走ってきた。すると組長が、財布からお金をスッと一万円を出してお釣りはいらないと言った。


「お前、学生か?勉強の足しにしろ。がんばれな。立派になれな。成り上がれな。よしよし。」



 帝都大学医学部付属病院の裏口を、宅配バイクが勢いよく走り去って行った。排気音が遠くなると、Aクラス全員が届いたドミノピザを取り始めた。ミックス。ポテト。蟹。食べることが、生きることに繋がるように、全員一生に挨拶をした。


「よし、いただきまーす!いただきまーす。」


嬉しそうに食べる。アブラ。マシ。マシマシコ。

アシポッキリ。組長。ガンキュウ。ンガ。ヨメイ。ラキスト。これを毎日、毎日、やっている。

毎夜、恒例のアメリカンスクールのダンスパーティーみたいな馬鹿騒ぎの時間がやってきた。フロアに流れるレコードは、ラブミュージックに切り替わり、1990年代の音楽が流れ始めた。今日のDJのおすすめは、小沢健二の今夜はブギーバック。


それぞれ好き好きのピザを食べながら時間が流れていく。味気ない病院食。検査。点滴。問診。宣告。生きた心地のしない病院の中で、束の間の生きるを味わった。ここは、日本国で一番の病院。帝都大学医学部付属病院。ここでの治療が駄目なら天国か地獄。フランダースの犬のラストのように白衣の天使が降りてきたら最後。真っ暗闇の霊安室で家族とのお別れが待っている。Aクラスのみんなは、迷いがない。ただ今日も生きていることに感謝の晩餐会だと言うことを。


「今夜は、看護師さんの見回りこないね。」


そうマシマシコが言うと、ガンキュウがこう言った。


「俺、明日、右目の眼球を採る手術するんだ。」


軽い感じで言ったので、みんな冷静に手術が成功するように、ピザで乾杯をした。古時計の針は、もうすぐ九時になるところだった。あらかた食べ終わる頃に、喫煙室へ病院の先生が訪れた。組長に用事があるようで、神妙な顔をして名前を読んだ。


「こんばんはみなさん、早乙女さんちょっと。」


早乙女さんと呼ばれた組長は、ちょっとバツが悪いように喫煙室から出ていった。みんなは、早乙女という名字にゲラゲラと笑いをこらえるのに必死で、ンガは口の中に残るピザを吹き出した。

そして、先生と三分ほど何か深刻な顔をしながら話す組長に、みんなの視線が集中した。喫煙室の時計の針が一瞬止まったようにラキストには見えた。間もなく組長は、顔を下に向けて戻ってきた。


「みんな聞いてくれ、俺は死ぬことになる。」


そう言うと途端に泣きだした。突然の号泣に、アシポッキリ。ンガ。が、ゲラゲラ笑いだした。続けてアブラ。マシ。マシマシコ。もクスクス笑いだした。組長は、子供のように号泣してから高笑いをしてこう呟いた。


「悪や、悪いことばかりしたのでバチがきた。」


呟きからまた号泣し始めた組長の背中は震える。

裏社会で場数を踏んできた漢の叫びは喫煙室の中に響き渡った。ガンキュウ。ラキストは天を仰いでから同時にこう呟いた。


「漢は、泣くなって言っていたのは組長でしょ。」


更に、泣きだした組長を誰も慰めなかった。アシポッキリ。ンガは、呆れた顔をしながら続けてこう言った。


「地獄だね。確実に地獄だね。いや地獄だね。」


アブラ。マシ。マシマシコも黙ってうなずいた。するとヨメイが、ゆっくりと天井に煙草の煙を吐くとこう怒鳴った。


「覚悟を決めろやチンカス。漢が廃るぞ、ボケ。修羅場を何度も潜ってきたんだろ。悪いこともいっぱいしたんだろ。そんなに死ぬのが怖いか?。」


喫煙室は、静まり返り全員硬直した。その言葉は、怒りと悲しみが交じり合う男の優しさ。憂い。救い。神の言葉が降りてきたように見えた。

もし神様がこの喫煙室に居るならヨメイに乗り移ったと誰もが思い、自分と照らし合わせた。そして、ガンキュウが弟子のようにこう呟いた。


「神様は、誰でも許してくれるよ。地獄なんてない。あくまで人間への戒めであって地獄なんてない。そもそも誰もが見たことのない地獄や天国なんてない。この世は、死ぬことだけが平等だ。」



続けるようにガンキュウは、嬉しそうにこう話した。


「ラキストは、明日退院なんだよ。生きてこのAクラス。帝都大学医学部付属病院を卒業なんだよ。生きて生きて生きてが、明日からまた始まるんだよ。噂じゃ世界で三本指に入る外科医が最先端医療を施したんだって。ラキストにとっては嬉しい門出の夜なんだよ。もう季節は、夏の終りだけど、泣くならそっちの方じゃね。良かったよ。」


ようやく組長の泣き声が止んた。するとアシポッキリが煙草に火を点けてラキストにどんな手術だったか聞き始めた。ンガも興味津々に煙草に火を点けて話してくれるのを待った。ヨメイは嬉しそうに微笑む。アブラ。マシ。マシマシコも安堵した表情で組長にいい話は聞いときなと言った。


ラキストは、申し訳なさそうにポツリと話した。

「詳しい話は抜きに、実は、劇症肝炎になって意識不明になったんだ。で、目が覚めたら余命宣告。で、帝都大学医学部付属病院へ転院してきて、まあまあ色々あってから兄弟から兄弟間生体肝移植を受けたんだ。なんか京都大学と臨床実験を競争しているらしく、急遽決まった手術方法だったらしい。そんなことより死を覚悟して肝臓を三分の一くれた兄弟のことを想うと生きた心地がしない。死を覚悟した兄弟は、神風特攻隊だと想う。言いたいことは、山程あるけど、助かったのは兄弟のおかげ。同時期に同じ手術をした人は、結局、目が覚めなかったけど。いろんな人の力を借りたまでさ。兄弟には一生頭が上がらない。」


ンガは残りのピザを食べながら頷いた。アシポッキリは、また煙草に火を点けて煙を吸い込んだ。

アブラ。マシ。マシマシコは小さな拍手をした。

組長は、赤い目をしながら拳を握った。ガンキュウは、ボロボロのパイプ椅子に座り軽い運動を始めた。ラキストは、申し訳なさそうにはにかんだ。喫煙室に居た神様は何処かに消えたようだった。ヨメイは、両手の腕を組み黙った。


「生きるってなんだろうね。いつか人間は死ぬのに生きるってなんだろうね。運命って言葉は信じない。だって、小さい子供なんかが、病気や事故で死んだら、それが運命って可愛そうじゃん。なんの為に産まれてきたって話だよ。いい歳した大人が死ぬのはありだけどさ。やっぱり生きていたいよ。生きてなんぼだよ。神様はやっぱり残酷だよ。」


大人しいマシマシコがそう言うと、アブラもマシも頷いた。そうこうしてるうちに、見回りの看護師がやってきて消灯の時間を伝えた。


「あらあら部屋が真っ白ね、もう寝る時間よ。」


アブラとマシは、毒ついた。看護師にではなく神にだった。


「価値のない命なんてないのに、神様を蹴りたくなる。」


それを聞いてラキストは、ラッキーストライクの煙草の火を消して最後の挨拶をした。


「俺が、先に助かってごめんなさい。別に善い行いなんかしたこともないのに。先か後かだけで、いつか終わる命。何年生きれるか分かんないけど、もうみなさんに逢えたので、怖い物なんてありません。Aクラスのみなさんに多幸あることを祈ってます。今日の夜のことは絶対忘れません。空に流れ星を、晴れに虹を観たら必ず祈ります。」


するとおもむろに組長が、凄んだ顔をしてラキストに名刺を渡した。


「ラキスト、退院おめでとう。新宿歌舞伎町の組事務所に電話をかけておくから、一千万円、お金を貰いに行け。これからの何かに役に立つから。最後に善をさせてくれ。俺からのありがとう。とことん生きろよ。生きまくれ。生きてなんぼた。」


見るからの厳格な裏社会の名刺にラキストは、ビビった。組長の声もドスがきいていて無下に断われなかったが、みんながお金を取りに行けと茶化してくる。こうして、アシポッキリ。組長。ンガ。ガンキュウ。ラキスト。アブラ。マシ。マシマシコは、自分の病室にゆっくり歩いて戻った。また明日から苦しい治療が待っている。本当の明日が来るのは、この中の何人なのかは、神様のみが知る。こうして帝都大学医学部付属病院の煙草部屋の夜は、今日も終わった。命の時を刻む古時計は午後十時を指していた。




 あれからもう私は、五十歳になっていた。今でも煙草の煙をゆっくり吐くと、あの時のみんなを想い出す。きっと天国しかないと考えるようになった私は、朝、目覚めると神に感謝する。毎日、

あの長い、長い夜を抜けたことに不思議と違和感はない。ガンキュウとは、あの年の冬に帝都大学医学部付属病院の待合室で出会った。片目に眼帯をして嬉しそうに話かけてきた。私も話せることは、全部話した。またいつかと約束して…。




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帝都大学医学部附属病院の煙草部屋・最後の夜 高橋 拓 @taku1998

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