社会不適合者の景色

シゲノゴローZZ

第1話 喋らないのもコミュニケーションの一つ

 タイトルの時点で「あっ、コイツダメだわ」「社会不適合者だわ」となった人も多いでしょう。その感性は一般人、社会適合者の感性だと思いますので、大事にしてください。

 ……今の文章を見て、どう思いましたか?

 必要なくないですか? 「一般人」の三文字。

 「社会適合者」だけでいいと思いませんか?

 「一般人」は最高の誉め言葉だと捉える人もいるでしょうが、凡人、モブと捉える人も多いのではないでしょうか。そう捉える人にとっては、皮肉めいた一文に見えることでしょう。

 「一般人」の三文字を入れることで文字数が増えたはずなのに、コミュニケーションとしてはマイナスになりました。

 ええ、わかりづらいですよね。もう少しわかりやすくしてみましょうか。

 

「タイトルだけで早合点して、他者に不名誉極まりないレッテルを貼るその精神。まさに凡人のそれです。世間体を気にするあまり、社会適合者という箔を付けようと躍起になっている哀れな凡夫。ですが、社会適合者というのは結局、大衆社会に適合している人間ということです。凡人と社会適合者はイコールの関係にありますので、どうか気を落とさずに」


 延々と書けてしまうので短めにしましたが、なんていうか……腹立ちません?

 今のは悪意のある書き方と言いますか、極端な例でしたが、言わない方がマシなレベルの余計なことばかりベラベラと話して「俺はよく喋るからコミュ強、あまり喋らないお前はコミュ障」みたいなツラしてる人は大勢います。

 言葉が出てこなくて黙るならまだしも、余計なことを言わないって選択肢を取ってる人をコミュ障呼ばわりはどうなんだと。

 まあ、相手の脳内までは見えないわけですから、仕方ないっちゃ仕方ないんですけどね。だったらせめて、お前も余計なことを言うなと。


 不服ですが、「喋らない=コミュ障」ってのはこの際、否定しませんよ。

 否定したいですけど、先ほど申し上げたとおり、脳内を見せることはできないわけですから、そこは甘んじて受け入れましょう。

 ですが、その等式が成り立つのであれば「余計なことを喋って相手を不快にするヤツ=コミュ障」も成り立つのでは?


 まあ、どんな等式があろうと、私がコミュ障にカテゴライズされることに変わりはないんですけどね。

 だって、喋らないっていうのを一つの選択肢として使うわけでもなく、職場では徹底してますもん。必要最低限以外は喋らないでおこうって。

 そりゃ、はたから見ればコミュ障ですよ。そういう扱い受けても仕方ないですよ。

 いくらでも喋れるけど、あえて喋らない。コミュ障と思われてもいいから、職場で喋らない。そもそも評価とかどうでもいい。

 はい、これが社会不適合者の思考です。


 その気になれば普通に喋ることができるし、そうすれば評価も上がる。それを理解した上で、喋らない。

 ええ、絶対にマネしちゃダメですよ。

 日本社会なんてのは、基本的にどこの会社でも、誰にでもできる、レベルの低い会話を続けるだけで評価が上がるんです。社会適合者にカテゴライズされるんです。

 得な生き方をしたいなら、喋りましょう。とりあえず喋りましょう。


 喋るのが苦手でも頑張って喋りましょう。大丈夫、難しくないです。どうせ難しい話なんてしても相手は理解できませんし、相手の心情なんて慮って喋る人なんて稀なんです。

 自分の発言によって相手を傷つける可能性があるなんて、考慮しちゃダメです。世間からコミュ障扱いされますよ。

 無神経な発言で相手を傷つけても、周りからはコミュニケーション能力が高いと評価されるんですから、ガンガン喋っていきましょう。

 私は社会不適合者でいいから、友人以外と余計な話はしません。


 タイトルにある「喋らないコミュニケーション」ってのは、あくまでも選択肢の一つです。

 社会適合者の枠に入りつつ、人と本気で仲良くしたい。そんなスケベ心を持った人だけが意識してください。

 個人そのものではなく、世間からの評価さえあればそれでいい。そんなつまらない人間には不要ですよ。疲れるだけです。


 では、スケベ適合者さんのために、解説させていただきましょう。喋らないという選択肢について。


・三分で終わる話に十分もかけない。話す量とコミュ力は比例関係ではない。


 これね、滅茶苦茶大事なことなんですよ。

 エッセイですから長々と書いてますが、口頭であれば「人の気持ちを考えて喋れ。余計なことは言わず、まず要点を伝えろ」で終わりですよ。

 補足をつけるにしたって、最低限でいいんです。

 その話を無駄に長引かせるテクニックは、アトラクションの待ち時間に披露してください。まあ、こういうヤツって、そういう時に限って、あんまり喋らないんですけどね。


・他者の陰口を言わない。


 私みたいに素行が悪いなら、何を言われても仕方ないんでしょうけどね。基本的によくないですよ。

 共通の敵ならまだしもね、個人的に嫌いとかそのレベルじゃダメですよ。付き合わされるほうの身にもなってください。

 そういう話を振られたら、作り笑いで同調せざるをえないんですよ。咎めたら、社会不適合者扱いされますから。


・作り笑いを悟る。できることなら、作り笑いをさせない。


 前述にも通ずる話ですが、気を遣わせちゃダメなんですよ。

 相手の反応がよろしくないと思ったら途中で打ち切る。それもコミュニケーション能力です。

 まだまだその話を広げることができるけど、相手が嫌がってるからやめる。喋れるけど喋らない。これが喋らないコミュニケーションです。


・言われた側の気持ちを考えて、不快にならないような言葉選びをする。それができないなら、言いたいことがあっても言わない。


 結局ね、争いの大半って言い方の問題なんですよ。些細な事で喧嘩が起きるのは、言い方に思いやりがないからです。

 同じ内容でも言い方一つで争いを回避できるんです。「ダサい」を「個性的」と言い換えるだけで、喧嘩はなくなるんです。

 適切な言葉に言い換えることができればコミュ強。

 言い換えられないから、黙るという選択肢を取れるのが真人間。

 言い換えられないから、そのまま言うのがコミュ強もどきのコミュ障。




 ざっとまとめてみましたが、いかがですか?

 え? 解説をうたってるわりに項目が少ない?

 いや、だって、一つ目の「三分で終わる話に十分もかけない」に全部詰まってるじゃないですか。

 自分語りをしないとか、一回の話の中で同じ話を繰り返さないとか、聞かれてもない情報を出すなとか、その他諸々。


 自分で言うのもなんですが、真理に到達してると思うんですよね。コミュ強ヅラしてるヤツらが理解していないことを、理解しているわけですから。

 その上で、喋らない。内心「お前もコミュ障だろうが」と嘲笑いながら、低評価を甘んじて受け入れる。

 ええ、根っからの社会不適合者ですね。人間こうなっちゃおしまいですよ。

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