第六話     無双の臥龍と未熟な鳳雛

「ほう……南蛮国にも〝天理てんり〟の気を使える奴がいるのか」


 面白い、と生身の武蔵が獰猛どうもうな笑みを浮かべた直後である。


じつの心を道として、兵法を正しく広く明らかに行い、大きなるところを思い一つにてくうを道とし、道をくうとす。これすなわち、気の境地なり。これ即ち――天理の境地なり」


 アルバートと同じく呪文のような言葉を生身の武蔵が一息で言い切ると、下丹田の位置に目をくらませるほどの黄金色の光球が出現した。


 また、その光球からは火の粉を思わせる黄金色の燐光が噴出し、あっという間に黄金色の燐光は光の渦となって武蔵の全身を覆い尽くしていく。


「おおおおおおおおお――――――ッ!」


 大気を震わせるほどの気合の声を発しながら、黄金色の燐光をまとったアルバートが武蔵に向かって突進する。


 その踏み込みの速さは重い甲冑を着た人間の動きではなかった。


 一方、武蔵は二刀下段の構えを瞬時に変化させた。


 右手の小刀を自分の膝の上に来るように置き、左手の大刀を天高く上段に構えて迎え撃つ。


 勝負は一瞬だった。


 疾風の速度で一気に間合いを詰めたアルバートは武蔵の胴体を袈裟掛けさがけに斬りかかったが、武蔵は逆下段に構えていた小刀で内側からアルバートの斬撃を弾き返したのである。


 それだけではない。


 武蔵は上段に構えていた大刀をアルバートの頭部に振り下ろした。


「あ!」


 伊織の口から驚きの声が漏れた。


 武蔵はアルバートの頭を兜ごと叩き斬らず、ギリギリの位置で大刀を〝寸止め〟したのだ。


 時間にして十秒ほどだろうか。


 しんと静まり返った室内において、完璧なせんを取られたアルバートは「参った。我の負けだ」と押し殺した声で言った。


 そして互いに戦意が消失したからなのか、武蔵とアルバートの全身を覆っていた黄金色の燐光は徐々に光を失って消えていく。


「なぜ、剣を止めた? 貴公の腕ならば、兜ごと斬れたはずだ」


アルバートの問いに武蔵は「愚問ぐもんだな」と言って大刀をアルバートの兜から離す。


「お主が俺の立場なら同じことをしたはずだ……お互い、こんなところで無駄死にだけは出来んよな」


 武蔵の答えを聞いて、アルバートは静かに笑った。


「〈天理てんり〉を使えることにも驚かされたが、それ以上の剣の腕前にその思慮しりょの深さ……このアルバート、腹の底から感服いたした」


 そう言うとアルバートは何歩か後退して長剣を鞘に納めた。


謙遜けんそんするな。お主の技量も相当だ。それに勝負とは天、地、人が組み合った結果にすぎん。次に勝負すれば立場が変わるやもしれん」


 アルバートから完全に闘気が無くなったと判断したのだろう。


 武蔵は小刀を鞘に納めると、左手に持っていた大刀を右手に持ち換えて静かに納刀した。


「それにしても南蛮国の侍も中々よな。〝天理〟の気の練りも見事だったが、すり足での突進から繰り出した打ち込みたるや、まさに天を切り裂く雲燿うんようとも呼ぶべき一撃であったわ」


 武蔵は屈託くったくのない柔和にゅうわな笑みを作ると、「あるばあと殿、こちらこそ感服いたした」と一礼する。


 そんな剣士としての度量を大きく見せた武蔵に対して、伊織は「かっこいい」や「ほれた」などの感情よりも目の前の人物が本当に自分が知る〝宮本武蔵〟なのか疑問に思った。


(何だったの今のは……)


 白煙の武蔵とアルバートの不思議な攻防もさることながら、生身の武蔵とアルバートの下丹田に発生した発光現象なども、異世界に来る前には見たことがなかったことである。


 それこそ史実の武蔵は二刀流を使い生涯で無敗を誇る剣聖だったが、下丹田に出現した黄金色の光球から火の粉のような燐光を出して、ましてやその燐光を全身に纏って闘うなどという記述はどこの書物にも書かれていなかったからだ。


 あれは幻覚だったのか、それとも異世界における何らかの魔法が影響したことだったのか。


 伊織が目の前で行われた超常的な一戦を思い出していると、ふと目の奥を火箸ひばしき回されていたような頭痛が消えていることに気がついた。


 なぜ急に頭痛が起きて急に治まったのか伊織が理解できないでいると、アルバートは相手に対しての礼儀だったのか兜を脱いで武蔵に深々と一礼する。


 伊織が察したようにアルバートは老人であった。しかし、年老いた印象はまったくない。


 彫りの深い端正な顔立ちの中には、猛禽類もうきんるいを思わせる鋭い両眼が収まっており、綺麗に刈り揃えられていた髪は銀色と見間違うほどの白髪をしている。


 顔のしわの数からすると年齢は六十歳を過ぎているかもしれない。


 けれども引き締まった顔つきは、歴戦の古強者ふるつわものの威圧感が感じられた。


雲燿うんよう……稲妻いなずまごときなどとはめすぎだ。ましてや、貴公のような剣士と剣を交えたことは今後の成長のかてにどれほどなるか分からんほどだ。ゆえに貴公に対しての興味が尽きぬ。差し支えなければ、貴公の剣流と最後の技の名も教えてはくださらんか? 異世界の〈外の者〉……失敬、ミヤモト・ムサシ殿」


 武蔵は「何を馬鹿な」と両腕を組んだ。


「お主も武人のはしくれならば、武人が流名や技の名など軽々しく教えんことは分かっているだろうに」


「それなりの礼を尽くすとしてもか?」


「あいにくと南蛮国の金などに興味はない。それにお主のような一角ひとかどの武人に流名や技名を教えては、こちらが不利になるほどの返し技を生み出されるとも――」


 限らんからな、と武蔵が二の句をつむごうとしたときであった。


円明流えんめいりゅう……有無二剣うむにけん


 伊織がぼそりと呟いた言葉に、武蔵は恐ろしいほどの速さで反応した。信じられないとばかりに瞳孔を拡大させ、床に座り込んでいた伊織に身体ごと勢いよく振り向く。


 そして武蔵は早足で伊織に近づくと、冷たい目で伊織を見下ろした。


「娘、今……何と申した?」


 武蔵はすらりと大刀を抜くと、呆然ぼうぜんとしていた伊織の首元に刃を突き付ける。


「正直に答えよ。なぜ、お主が円明流を知っておる? なぜ、あれが円明流の秘奥義――有無二剣だと知っておるのだ?」


 武蔵から感情のない低い声で質問された伊織はふと思った。


 自分の人生はここで終わるかもしれない、と――。

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