そのドラマ、続きがあると思うなよ

初原ジン

プロローグ1:未来創造クリエイター

「結論から言うと、未来は変わらなかった」


PCの電光だけが光る暗闇の中、飄々と先輩は言ってのけた。


その場にいた全員が呆然と立ち尽くし、息を飲む音が聞こえる。言葉を失うとはこのことだ。現実と思惑とのギャップに、どうにか折り合いを付けることに集中して体が動かない。そしてそれは、僕も同じであった。


外音の一つすら聞こえない重い鉛で出来たこの部屋には、10人の人間が集まっている。ここに来た時、顔見知りは前に立っている羽島先輩だけだったが、かれこれ半年間もこの狭い部屋で暮らしていれば、否が応でも全員の名前を覚える。出生など曖昧な人物もいるが、どの人物も元々は先輩の知り合いらしい。


先輩の表情は見えない。モニターの煌々とした逆光に影を宿した姿は、彼のスタイルの良さを否が応でも引き立たせている。最前列にいる僕からですら、薄らと浮かぶその目は笑っているようにも悲しんでいるようにも見える。


「つまり、これまで君たちにやって貰ったことは無意味だったってこと」


ふざけるな。


驚きだけの空白の感情に、ようやく憤怒の朱が染み込んできた。


どれだけの時間を、ここで費やしたと思っている。どれだけの大切なものを、手放したと思っている。


タイミング悪く呼応するように、目の前のPCが起動する。画面上には、文書作成ソフトに無数に綴られた書きかけの文章が映っていた。僕が半年間かけて書き繋いだ、多種多様の“未来”だ。右隣のPCを見ると、同じようにそこには黒い活字が液晶を這っている。その奥のPCには、アニメの線画のようなものが描き殴られていた。


ここに来たきっかけは、ある日突然先輩に声をかけられたことだった。


彼は、同じ高校で同じ部活の1学年上の先輩だった。大学に進学してからは3年ほど顔を合わせていなかったものの、僕が就活を終えた春先のある日、一通のメッセージが届いた。


久々のやり取りに思い出話を咲かせながら、第一志望の会社に内定が決まったことを伝えると『今度お祝いに飲もう!』と先輩が言った。


大抵、こういうのは社交辞令としてどちらからアクションを起こすこともなく流れてしまう話だが、1週間後すぐに店を予約したとの連絡が入った。先輩はそういう人だった。だから、友人も多くその積極的なコミュニケーションに救われる人も多かった。


「未来を変えよう」


先輩が予約したバーの席で、初めに言われた言葉がそれだった。


どういう意味ですかと唖然としていると、彼は酒を頼むこともせず大っぴらに資料を広げ始めた。難解な話が続いたが、曰く、まもなく世界は終末を迎えるとの事だった。


先輩が話し始めた時、僕は心底がっかりした。せっかくのお祝いの席だと思ったのに、結局怪しい勧誘のためかと。噂には聞いていたが、あまり繋がりの深くなかった学生時代の知り合いから久々の連絡が来た時には、こういう話が多いようだ。半分御伽噺のように思っていたが、実際にそれを目の当たりにするとやるせない気持ちになる。


ただ──


「君ならきっと、世界を変えられる力がある」


怪しむ気持ちを持ちながらも、変な勧誘とは思えないくらい先輩の瞳は真っ直ぐで真剣だった。その瞳の美しさに、半分くらい心を委ねてしまっても良いかなと思うくらいには。


世界を変えるためには何をすれば良いですか、と冗談半分に先輩に聞くと、「町外れにある建物に1年間篭って作業をしてくれ」と言われた。ああダメだ、やっぱり怪しすぎる。僕が意を決してその場から出ようとすると、後ろ手を掴まれた。その手は異様に汗ばんでいる。


振り返ると、先輩は何かを決したように話し始めた。


「君がこの店を出て駅に着くまでの帰路で、黒猫が2匹前を通る。電車は2分遅れ、君が乗る車両に居るのは君を含めて14人だ」


突然何を話し始めたのかと眉をひそめると、先輩が続けざまに言った。


「俺の言う未来がもし本当なら、また話を聞いて欲しい」


僕はその言葉に少ないフレームで頷くと、そそくさと店を後にした。


そして、電車内で指折りを14回行った後で、僕は再び彼の元に連絡を入れた。


そこからの話は早かった。家族や内定先に必死に言い訳を投げ、僕は伝えられた日時に伝えられた建物へと赴いた。駅の本数が日に2回しか無いような想像以上の田舎だったが、その建物は周りの自然とミスマッチなくらいには、重厚な鉄で覆われた平屋だった。


中に入ると、どうやらここは地下室がメインのようだった。階段を降りると、僕と同じように集められた顔ぶれがいた。


そして、集まった10人に向けて先輩が話し始める。あまり良く知らずに来てしまったが、簡単に言うと世界の終焉を止め、未来を繋ぐために、僕達には“未来を描いて欲しい”という話だった。


未来を描くというのは抽象的な話ではなく、実際に今後訪れるであろうシナリオを文字や絵で具現化する作業をして欲しいとの事だ。方法はなんでも良い。とにかく、ありったけの多種多様な未来を創り、それをエネルギーに世界の終焉という未来を書き換えるという内容だった。


理論や仕組みは半分も理解出来なかったが、僕が先輩に選ばれた理由がようやくわかった。


僕は高校生の頃に、Web小説を書いて賞を貰ったことがあるのだ。部活内でも話題になったし、話を紡ぐ能力に僕がある程度長けていることを、先輩は知っていた。それでこの役割を任せようとなったのだろう。おそらく、他の人もそれぞれシナリオライターとしての素質を備えた人物ということだろう。


かくして、僕を含めた10人は建物に缶詰めになって、さながら週連載の作家のごとく物語を編む作業に入ったのだった。“未来”を変えるために。


しかし──


「そんな……嘘ですよね?」

「どういう事なんですか!!」


暗く狭い室内に、不安げな声が響き渡る。結果として、投げかけられた言葉が先程のものだったという訳だ。


ここに来るためには、仕事も家族も捨てて来る必要があった。何せ、本当の理由を喋れば怪しまれて止められるに決まっている。だから、先輩からも内容は他言しないようにと厳しく言われていた。今頃行方不明者扱いになっていてもおかしくない。未来が見える先輩からすれば、他に漏らさない未来を抱えた人物を選別しているはずだ。


そうして全てを投げ打って行ってきただけに、この結果に納得がいかないのも不自然ではないだろう。


いつしか悲鳴や不安の吐露は、怒号へと変貌しそうな張り詰めた空気感が漂っていた。少しでも針を通せば、途端に破裂してしまいそうだ。


「君たちの気持ちもわかる。ただ、話を聞いてくれ。これで終わった訳では無い。他にも方法がある」


必死に制止する先輩だったが、場は収まりそうな気配が無かった。他にも方法があるというのなら、それを聞いてみたい。ただ、この瞬間のために身を粉にして働いてきた僕達には、とうにそんな気力は残っていなかった。


「ふざけたこと言ってんじゃねえぞおおおおおおおお!!!!!!」


前列にいた男の1人が、嗄れた大声を上げながら先輩に向かっていった。暗闇でよく見えないが、両手には何やら黒く大きな物体を抱えて振り上げている。


それが作業用のPCだと目視出来る頃には、その物体は先輩に向けて振り下ろされていた。ズンと鈍く重たい音が怒号をかき消す。


PCの角を頭部にぶつけられた先輩は、魂が抜けたようにその場に突っ伏した。場に静寂が訪れる。PCを抱えた男の荒い息だけが場を支配した。倒れ込んだ先輩の頭からは、モニターの光に照らされて闇が流れ出した。


やってしまった。


周りがそれを理解すると、今度は先程の熱い声色とは違う、冷たい悲鳴が室内に敷き詰められた。


「もう無理だ!!!俺はここから出る!!」


作業員の一人が声を荒らげ、先輩の懐を荒々しく探る。先輩だけが持っていたこの建物のカードキーを見つけると、それを手に彼は外に向かった。何名かも後に続く。地獄だ。これまで何編もの輝かしい未来を描いてきた。しかし、そんなもの何処にもなかったでは無いか。今はただ、感情に支配された空間が黒い鉛の姿で地球にこびり付いている。


僕は、怒りと悲しみと虚しさでぐちゃぐちゃになった心のまま、ただ先輩の姿を見つめるしか無かった。ゆっくりと彼に近寄る。インターネットも遮断された環境で半年間も外に出ていない。その状態ではもはや遠い記憶だが、この辺りに病院は無かったはずだ。救急車を呼ぼうにも、圏外で繋がらない。


彼の頭から流れ出した液体が、床を伝って僕の指に触れた。温かい。このまま僕も溶けてしまった方が良い。


呆然とその瞼を見つめていると、先程駆け足で外に向かった人々がまた慌ただしい様子で戻ってきた。


「みみ、みみみ、みんな……来てくれ……」


その声は先程の張り詰めた声色とは打って変わって、恐怖に打ち震えていた。何とも忙しない感情だ。しかし、その尋常じゃない様子に僕を含めその場に残っていた人々は一斉に階段を駆け上がった。


久々に差し込む自然の陽光に、視界が真っ白に覆われる。足音だけを頼りに出口の方へと向かうと、左右から口々に声にならない声が漏れていた。


僕もようやく光に目を慣らすと、重たい瞼をゆっくりと開けた。そして、その景色が飛び込んでくる。


嘘だろ。


一瞬目を疑った。瞼を開けても、そこは先程と変わらぬ何も無い真っ白な空間だったのだ。おかしいと思って何度目を擦っても、そこには木々の緑すらなかった。連なっていた山々は山肌を見せ、あったはずの自然や人工物はどれも無くなっている。信じられないが、そこを一言で表現するには「無」という他なかった。


僅かに残った記憶と重なる、土地の凹凸や形状。そこから、場所自体がワープしたり超常現象的なことが起きた訳では無いことは理解出来る。ただ、何も無い。空は異様なまでに明るく、当然だが人一人も、それどころか動物の一匹すらそこにはいなかった。


あるのはこの重厚な建物と、そこに篭っていた僕達10人だけだ。


「本当に終わっちゃったんだ……世界」


どれくらいこの光景を見つめていただろう。周りも誰一人動こうとしない中で、思わず呟いてしまった。先輩が言っていたことは全部本当だった。そして、それを食い止めることは出来なかったのだ。描いてきた未来も紙屑となった今、他に希望と呼べるものは──


いや?


先輩は言っていた。“他にも方法がある”と。実際、まだ彼は諦めたような目をしていなかった。その瞳は真っ直ぐで、僕を勧誘した時と変わらぬままだった。


「先輩!」


思わず叫んで踵を返した。他の皆もそこに思い当たったのか、僕の後ろへと続く。


階段を駆け下りて再び床に倒れ込む先輩の手当をしようと肌に手を当てた時──全てを察した。


彼の目にはもう、そのひたむきな真っ直ぐさは無かった。この建物と同じ鉛のように、ただ重くそこにのさばるだけだ。


絶望、とはこのことだと初めて知った。全ての望みが潰えてしまった。


どうすんだよ、と後ろで誰かが囁く。それに共鳴するように悲痛な声がまた室内を占領する。世界を救う方法を知っている人物が、たった今ここには誰もいなくなった。それは即ち、完全に終わりを示していた。


僕を除いては。


「奥の部屋」


ピンと張り詰めた声に場が静まる。振幅の激しい周りの人間に嫌気がさす。


「この部屋の奥に、先輩しか入ったことの無い部屋がある。先輩はそこでいつも研究をしていた」


全員、はっとしたような顔をする。すぐに諦めるような奴らが、全てを捨ててここまで来るわけがない。


「もちろんそれを見て助かる確証は無い。もしかすると現実により絶望するだけかもしれない」


でも。


「まだ終わってねえよ」


僕の瞳は真っ直ぐだった。まるで誰かのを意志を次ぐように。

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