10 姉妹、意図せず過去と遭遇する
これは知る者ぞ知ることではあるが、現代の医学や薬学を志す者たちにとって目指すべき理想像というべき人物が、明確に居る。
それは、約八百年前に実在したという、冒険者にして薬師の【ナディージア・ヴォリナ】である。
ぶっちゃけるとナディの前々世であり、現在の名前の元となった人物だ。
あと、本人はあくまで薬師が本業で冒険者は副業であると言い張っていたようだが、その一つ前の人生が素手で巨人をも殴り倒すほどのとんでもなく物理特化型で超武闘派であった影響が如実に出ちゃっていて、狩人もしくは冒険者としての方が有名であった。よって本人があくまでそうだと言い張っても、だーれもそっちの方が本業だとは思っていなかったらしい。
それと、薬師ならばそれらしくそれなりに振る舞えば納得して貰えたのだろうが、そんなことではより良く生きられないし人生が豊かにならないと言いながら、誰も行かない秘境や危険地帯に素材集めという名目で足繁く、しかもソロで出掛けて採取に精を出していたそうだ。
ぶっちゃけ自分の所為でもある。
その他、おかしな物を蒐集する
そのため彼女が亡くなった後の店舗兼自宅には、意味不明で用途不明な物が溢れていたそうだ。まぁ、きっちり仕分けされいてディスプレイされていたため、ゴミ屋敷にはなっていなかったそうだ。理解不能な博物館のようにはなっていたが。
そんな変人であったであろう【ナディージア・ヴォリナ】だが、その遺産ともいうべき薬学書が、実は現代に
流石に原本ではなく写本になるが、それの多くは薬学を志す者たちにとっての指標となっていた――
「――そんなわけで、【ナディージア・ヴォリナ】の、書籍は、大っ変貴重、なのですよ。それが、どういう理由で、此処に在る、のかは不明で、すが、この【薬師ナディージア・ヴォリナの魔導書】、は、貴重どころか、歴史的に見て、も、大変な発見なのです。判っています、の?」
【スライム・グラトニー】から大量の育毛剤と共にドロップしたそのA3サイズの書籍を見て暫くフリーズし、だが我に返って即滅却しようとしたのをフロランスに全力で止められた上でゼェゼェ言いながら諭され、渋々今は滅却を諦めるナディであった。
「そうは言うけど、そもそも著者が違うじゃない。魔導書は本人が書いてこその魔導書でしょ。よってそれはニセモノ、マガイモノよ。はい決定」
「著者が違っても内容がしっかりしていれば問題ありませんわ。それにこのロジオン・ヴァロフという人物は弟子か共同研究者か、もしかしたら夫という可能性もありますし。あ、でもナディージア・ヴォリナは生涯独身であったといわれていますので、恋人という可能性もありますね。ふふ、これもロマンですわ」
「ンなわきゃないわよやめてよ気持ち悪い。行く先々に出没して手伝いという名目で色々邪魔するし足引っ張るしストーキングするし不法侵入してパンツ盗もうとするし、死ぬほど迷惑なのよね。挙句勝手にヒトの名前使って自叙伝出すし。マジで死ねば良いわ」
「ちょっと何言ってるか判りませんわ」
過去の出来事を思い出し、歯軋りしながら殺意マシマシに毒を吐くナディである。それに真っ当なツッコミをするフロランス。ナディージア・ヴォリナとナディが関係者であるばかりか、本人であるとは想像すら出来ないようだ。当たり前だが。
「ナディが何故怒っているのかはさておいて――」
「さておかないでよ。いいからその本寄越しなさいよ!」
「お断りですわ。これは貴重な物なのです。まず王に献上して学院に写本を置かせて貰います」
「そんなので良いなら私がいくらでも書いてあげるわよ。絶対に碌でもないことしか書いてないわよそれ」
「それを判断するのは専門家の仕事ですわ。そもそもナディ、どうしてそんなに嫌がっていますのおかしいですわよ」
「その【薬師ナディージア・ヴォリナ】って私だからよ文句ある!?」
「あらあら、うふふ。名前が似ているからってそんなウソはいけませんわ。そもそもナディージア・ヴォリナは八百年以上前の人物ですよ。まさか生まれ変わりだとでも言うつもりですの?」
「つもりもなにも、そのとおりよ!」
「魔王妃アデライドだけではなく今尚薬聖といわれるナディージア・ヴォリナの転生体でもある。さすおね」
そしてぶっちゃけるナディである。別に隠しているわけでもなく、だからといってあえて公表する必要もないから黙ってるだけだし。
そんなナディを、当たり前に疑いもせず全肯定するレオノール。自分も転生者だし、そもそもそれが一度きりだとは限らないし、複数な可能性もあると思っているからの判断だ。
だがそうしてぶっちゃけても、それがあまりに荒唐であれば信じられないものである。そしてそれはフロランスも同様で、そりゃあもう深い溜息を吐いてから、
「……良いですか、ナディ」
諭すように、語り掛けるように言――
「良くないわよ何言ってんのよ。諭す前にヒトの話を聞きなさいよ!」
――う前にそれを遮るナディ。そしてそうされたフロランスはというと、半眼のジトっとした視線をナディに向けて、盛大に溜息を吐いただけだった。
「レオノール。貴女の姉は虚言癖があるのかしら」
「そんなものは無い。お姉ちゃんは常に正しい。それにお姉ちゃんの前世は魔王妃アデライド。そしてレオも前世は魔王の第一子レオノール」
「いえいえ、違いますわよレオノール。第一子は現魔王のオードリック・アルフィ・ド・シルヴェストルですわ。これは良くありませんわね。ナディの言うことはなんでも信じてしまっていますわ」
「そっちこそ違う。魔王の第一子はレオノールで間違いない。一六歳で死んだから世に知られていないだけ。それにレオは前世も今世も生まれてから全ての記憶がある。後でヴァレリーにも訊けば良い。同じ答えが返って来る」
大真面目にそう答えるレオノールだが、やはりフロランスはどうしても信じられない。そもそも転生とか生まれ変わりとかの発想自体がないから。
「ともかく、良いですかナディ。ウソを信じさせたいなら真実を混ぜて言わないと誰も信じませんわ。そもそも明らかにウソだと判る話をしても――」
「はぁ……もう良いわ面倒臭い」
どうあっても信じないばかりか、どうしても諭してくるフロランスに、今度はナディが盛大に溜息を吐いてから言った。そういうことに労力を割くのは無駄だし、言ったとおりに面倒になったからだ。
そうして諦めたところで、あくまでもそれが妄言だと思っているフロランスが、それは良くないとばかりにまだ色々言って来るのを今度は聞き流す。言っても聞き入れないヤツの話など聞く価値がないから。そういった意味では、殊の外諦めるのが早い。
そんなわちゃわちゃが暫く繰り返され、平行線で千日手になってしまい、ナディがいい加減に我慢の限界に達した頃、【スライム・グラトニー】がリポップした。
「え、え!? どうしてこんなに早く
「んなのスライムだからに決まってんでしょ! つーか邪魔!! 【マナ・ブレード】【オーラ・ブレード】【フォース・ブレード】【ファントム・ブレード】!」
そしてナディの背に、藍と真紅、黄金と蒼白の刃がそれぞれ十二枚、計四十八枚展開される。
「【ブレード・ウィング】【フェザー・エッジ】」
それらが縦横無尽に飛び回り、完全に不意を突いたとばかりに早速動き出して触手を生やした【スライム・グラトニー】を瞬く間に切り刻み、次いで一斉に核を刺し貫いて粉微塵に砕いた。再び、瓶詰めされた大量の謎の液体と、またしてもA3サイズの書籍がドロップする。
「……え……う、うわぁ……なんか、うわぁ……」
そしてそんな瞬殺劇を目の当たりにしたフロランスは、盛大にドン引きしていた。
それを無視して、ドロップしたそれを拾って「強精剤か」と独白してからまとめて回収し、そしてまたドロップした、先程のものの倍以上ぶ厚い書籍のタイトルを見て、再び絶句した。
その書籍のタイトルは、以下のとおりである。
ロジオン・ヴァロフ著
【僕とナディージアが育む愛の日記♡】
「クソがぁ!!」
「ああああ! 待って待って貴重な資料が!」
地面に叩き付けてから思い切り踏ん付けて、両手に蒼白の炎を出して滅却しようとするナディをまたしても全力で止めるフロランス。過去も現在も、やけに変態に懐かれるナディである。
「まったく……どうしてすぐに貴重な資料を燃やそうとするんですの!? 先ほども言いましたが、これは世界的に貴重な資料なのですよ!」
「そんな
「落ち着きなさいましナディ! そもそも八百年以上前の人物ですわよ。生きていませんわ!」
「其奴は高位の森妖精で変態だから絶対に生きてるわよ! ……は!? まさかとは思うけど、未だにそんな変態日記を綴っていないわよね!?」
「本当に何を言っているのか判りませんわ」
地団駄を踏みながら意味もなく刃を飛び回らせ、まるで猛獣のように唸りながらその場にいない誰かさんへ怨嗟の呪言を吐くナディ。ちょっと手が付けられなくなっている。
何故にそんな有様になっているのかが全く理解出来ないフロランスは、取り敢えず今ドロップしたばかりのそれを、ワクワクしながら開いてみた。
其処には妖精語で――
『これは、僕ことロジオンと愛しのナディージアが育む愛の記録である』
冒頭から悪い予感しかしない文章が羅列されていた。
『僕とナディージアが出会ったのは(中略)それはまさしく一目惚れで(中略)それから僕は彼女のために昼夜を問わず自宅を見守り(中略)やっとの思いで彼女が素肌に身に付けていた純白の聖衣を手に入れ(中略)彼女が向かう先へと先回りして採取を手伝い(中略)薬の製造は僕には出来ないけどその理論はなんとなく記録出来て(中略)ああナディージア、愛しい愛しいナディージア。キミへの愛を語り尽くすのに僕は生涯を捧げよ――』
冒頭部分を流し読みし、そしてフロランスは無言でそれを閉じた。そして目の周りを揉み解し、嫌な予感に苛まれながらも続きに目を通す。
『遂にナディージアのベッドの下へ入れた。ああ、このあと愛しいキミが横になるということは、僕の上に寝るということ(中略)浴室でナディージアの美しい髪を見付けた。それにこの石鹸はいつも使っているのだろう食べてしまいたい(中略)この歯ブラシで歯を磨いているのか。これは間接的なディープキスの好機(中略)ああナディージア、この純白の聖衣を纏ったキミの大切でえっちな場所をスーハーしたいよ愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛し――』
再び、無言で閉じるフロランス。そしてゆっくり目を閉じ、同じくゆっくりと天を仰ぎ見て、次いで数度深呼吸をする。それが終わるや否や、緩やかにそれを持ち上げ――
「変態日記ですわ!」
地面に思い切り叩き付けた。
「なんなんですのこの
「だから言ったじゃない。ソレは変態だって! 信じないからそんな目に遭うのよ! あとただの変態呼ばわりはその辺の善良な変態に失礼よ! そいつは性犯罪者でストーカーなのよ!!」
「『善良な変態』には異論が多々ありますがそれよりもまず! 今まで相当数の変態貴族を見聞きしましたが、その中でも抜群におかしいですわ! なんなんですのスーハーって!? 頭おかしいんじゃなくて!?」
「え? あ、ごめんねフロウ。私アンタの弟にそれされた」
「はぁ!? ヴァレリーも変態ですの!?」
「えー。男ってさー、好きな女子をスーハーしたくなるもんなんだよ」
「し、信じられませんわ……」
その場に崩れ落ち、項垂れるフロランスである。まぁ、男は概ね変態ではあるが、節度を弁えているかどうかで色々評価が変わってくるものだ。
そして悠長にそんなことをしていると、
「お姉ちゃん。また湧いた」
またしても湧く【スライム・グラトニー】。だがまだ展開中の【ブレード・ウィング】に秒で核を潰されて崩れ落ちた。
そしてやっぱり瓶詰めされた半液体が大量にドロップし、今回もやっぱりやたらと分厚いA3の書籍が落ちた。
その瓶詰め半液体を拾って「除毛剤か」と呟き、嫌な予感しかしないその書籍を拾わずに、フロランスと共にタイトルを見る。
ロジオン・ヴァロフ著
【僕とナディージアの愛の営み♡】
「……ねぇフロウ。もう良いよね? 滅却して良いよね?」
「ええ、そうね。それはそう」
そして二人は、無言でその二冊を滅却した。後悔はしていない。むしろ清々しい気分だ。
「あと、ごめんなさいねナディ。貴女もしかして、本当にナディージア・ヴィリナの生まれ変わりなの?」
「だからそうだって何回も言ってるじゃない。でもどうしたの、いきなりそんなこと言い始めて」
「あの変態日記の内容が、ナディが指摘したとおりだったからですわ。あれは実際に見聞きしないと出ない発想ですから」
「……図らずとも変態のお陰で信じて貰えたとか、とても微妙な気分だわ……」
「ええ、本当に、なんかごめんなさい……」
「まぁねぇ。いきなり言われたら確かに信じられないかも。そういう意味では変態も捨てたモンじゃない?」
「……それより、
「えー、だから男ってみんな変態なんだよ。フロウだって結婚したら旦那に毎夜スーハーされちゃうんだからね」
「信じられませんわ! というかナディ。貴女ヴァレリーにスーハーされて平気なんですの?」
「え? あ、ほら、ヴァルってそうするだけでちゃんと一線は引いて節度は守ってくれるし……」
「……ナディがヴァレリーを愛してるというのは理解しましたわ」
「は? いやそういうわけではなく――」
そうした花も実もないような会話をしながら、今度こそリポップする前に三人はその場を後にした。
その後、この迷宮産の粘液素材が色々と有用だと知れ渡ったことにより、周囲が急速に発展していくことになるのはまた、いくらか先の話である。
そして、最初にドロップした例の【薬師ナディージア・ヴィリナの魔導書】をフロランスとナディが検証してみた結果、魔導書でもなんでもないただの妄想日記であるのが判明し、ほどなく灰となった。
あと、何故にこの【
これは遥かな未来の記録であるが、この迷宮で書籍やそれに準ずるものがドロップすることは無かった。
きっとそれは――著者の溢れる愛が起こした奇跡なのだろう。
それの対象にしてみれば、迷惑どころの話ではないが。
そうして三人はようやく【
そしてこの迷宮踏破に実は、三日くらい掛かっていたりする。
その間に、全然帰還しないことに慌てた護衛騎士のガエル氏が、救出のために迷宮へ突入しようとしたが何故か弾かれてしまい、
其処で案外優秀なガエル氏は、最寄りの冒険者ギルドへ救助依頼を出した。
で――
「……釈明を聞こうか?」
迷宮を踏破して清々しく外に出た姉妹は、戦車の前で青筋を浮かべて腕組みをするフル装備な、最寄りの冒険者ギルドの所在地である辺境都市ストラスクライドの辺境伯代理にして冒険者ギルドのガチムチマスターを目の当たりにして、フリーズした。
「王都に向かった筈なのになんで迷宮で遭難してんだよこのアホ姉妹! オメーらマジで迷宮に潜らねぇと死ぬ病気でもあんのか!? しかも不人気過ぎて誰も這入らねぇからわざわざ封印してある【
「どうどう」
「『どうどう』じゃっねぇわこちとら激怒してんだ軽口が通じると思うな!」
その後、色々な事情が複雑に絡まって激怒している辺境伯代理で冒険者ギルドマスターのシュルヴェステルの説教が半日くらい続き、正座させられている姉妹は流石に平謝りした。
ちなみに、その「姉妹」にはフロランスも含まれていたりする。
「ううぅ、これでも
「大丈夫よ。そのうちその『くっころ』がクセになるから」
「高度な助言ばかりではなく性癖に至るまで的確に助言し指針する。さすおね」
「オメーら絶対反省してねぇだろ!」
――今日も世界は優しく平和であった。
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