9 姉妹は魔王と邂逅する

 ナディは前世で結婚しており、そして子供も産んでいた。二百人くらい。なので当然旦那とチューもしていたし、なんならちょっとイロイロ盛り上がってベロチューだってしていたし、十八歳未満お断りなイロイロも、そりゃあもうしていた。夫婦なんだから当たり前だし、王妃であったから儲ける義務があるから当然である。ちょっと人数がアレだけど。


 だがそれはあくまで前世での話であり、今世ではそんなことをしたことは一度たりとも無い。そもそも生きるだけで精一杯だったし。


 つまり、ナディは生まれてこの方そういう色恋沙汰には一切縁が無く、異性とそういう関係に発展したことも無く、当然そういう出来事とは完全に無縁であった。既婚で子持ちのおじさんとかとは仲良くさせて貰っているが。とか。


 よってそんな出来事や経験はついぞなく、今後も聖女と呼ばれても遜色ないくらいに身綺麗に生涯を閉じるつもりでもあった。


 だがそんな思惑や目標を、突然現れた黒衣の男が一瞬で奪ってしまった。


「助けてくれたのには礼を言うわ。ありがとう。それで、まず言い訳を聞きましょうか」


 正座をする黒衣の男の前で仁王立ちになって腕を組み、ものすごーく冷たい視線を向けながらナディが言った。


 それに対する男の返答は、


「言い訳はない。後悔も反省もしていない」


 中性的だが物凄く凛々しいイケ顔で、ちょっと格好良さげだけど状況を鑑みるに説明も釈明も一切意味を成さずに問答無用でギルティと判決が下るであろう要らん言葉を宣い、彼は――ファルギエール侯爵家の三男であり【真銀級ミスリル】冒険者でもあるヴァレリーはそう言った。そして何故か凄く嬉しそうである。


「うーわ。サイテー発言来たよ。なんなのアンタ。突発的に発情する病気でもあんの? 死ねよ」


 更に視線が冷たくなるナディ。まぁ当然である。そして一般的に、そんな視線を向けられればちょっとは居心地が悪くなるだろうし、大なり小なり罪悪感が滲むものだ。というかそれ以前に怖い。


「ああ……そうだよ、それでこそ――」


 だがそれでもやっぱり例外はあるもので、現在ナディの絶対零度な視線を浴びている彼――ヴァレリーが正にそれだった。なんならちょっとヤバめにし。


「――それでこそアデリーだ」


 そして一切の反省も後悔もなさそうなコイツをどうしてくれようかと思案しているナディへ、ヴァレリーは熱っぽく続けた。


「え? なんて?」


 そんなどこかで聞いた愛称を耳にして、熱くなった頭が一気に冷える。そうしてキョトン顔になるナディを嬉しそうな、それでいて泣きそうな表情で見つめながら、更に続けた。


「何度生まれ変わったって、絶対に忘れないし間違えない。この世に絶対はあると気付かせてくれた愛しいキミは、アデライド・ゾエ・ド・シルヴェストル。ボクの愛する、無敵で素敵な奥さまだ――」


 その名は誰も知らない。そう、知っているのは自身と前世の夫、そして第一子であったレオノールだけ。


「――きっと今の名前は違うんだろうけど、ボクはアデリーと再会出来てとても嬉しいんだ。それに早逝してしまったレオノールにも逢えるなんて、これ以上の幸せはない」


 可能性はあった。何故ならナディ自身が生まれ変わっているし、そしてレオノールもそうだから。


 だがそれだけで確証が得られるかというと――


「だからボクはキミへの、アデリーへの愛を抑えられなかった。なんなら今すぐ子作りしたい」


 あ、これマジで魔王ヴァレリアだ。ちょっと良い雰囲気をぶち壊す本能と煩悩に忠実な最低発言といい、先程のアリを一掃した固有魔法といい、更にはといい、正しくコレはアレであった。

 もっともそれだけでそう判断出来るのは、ナディが魔王妃アデライドとして三百年弱も共に過ごして添い遂げたからだ。あとベロチューの癖とか同時に色々サワサワする癖とかちょっとした弱点を知っているところとか。傍から見ていると鬱陶しいくらいに仲が良かったそうだし。


「うん、まぁ、アンタがヴァルだってのは理解したわ」

「お姉ちゃん。理解出来ちゃったの」

「あ、うん。この変態加減といい本能と煩悩に忠実だけどその対象がアデライドだけだとか、エロいクセに節度があるところとか


 ちょっと何を言っているのか判らなくなるレオノールだった。だが、まぁ、あの固有魔法を使えるのは前世の父親である魔王ヴァレリアだけだし。それに数千を超える【セレストアント】を同時に一撃で屠れる非常識っぷりは、前例を並べるまでもなく魔王ヴァレリアしかいない。


「アンタがヴァルだってのは理解したわ。でも私が訊きたいのはそういうコトじゃなくて、なんで初対面の私にいきなりチューしたのかってコトよ!」

「したかったから」

「ほ?」

「愛するにチューしたいって思うのは自然なことでしょ」

「……うん、紛うことなくヴァルね……」


 以前も述べたが、彼のそういうことに対する発想は思春期男子そのものであった。


「ボクは何度生まれ変わっても姿形が変わっても、例えアデリーがスライムに生まれ変わってたとしても見つけ出して愛する自信がある」

「……うわぁ……なんていうか、うわぁ……相変わらず想いが重い……」


 正座から片膝立ちになり、左手を自身の胸に当てて右手を差し出した。ナディは盛大に引いている!


「それはそうと。なんで氾濫中の迷宮に潜ったんだい? まさかアデリーとレオだとは知らなかったけど」


 右手を差し出すポーズはそのままに、僅かに首を傾げて今度はヴァレリーが訊いた。その質問に、互いに視線を交差させたナディとレオノールは同時に首を傾げ、


「なんだ、やっぱり氾濫してたんだ。初見だったから判らなかったわ」

「この湧きが標準だと思って入れ食いで狩ってた。おかげで大儲け」

「あー、うん。アデリーだ。あとレオが静かで大人しかったのは体が弱かったからだと確信したよ」


 そんな二人をそう評価するヴァレリーだった。


「それはそうと。このアホほど落ちてる魔結晶どうするの? 言っとくけど私たちが倒したんじゃないから全部ヴァルのものよ」


 魔王時代から一対多が得意で、戦時では単騎で数万の兵を戦闘不能にした実績持ちは健在だと考えながら、床一面を埋め尽くしている直径20センチメートルほどの青白い魔結晶と、奥にある女王アリのものらしき1メートルくらいの群青の魔結晶を指差すナディ。だがヴァレリーはやっぱり首を傾げていた。

 関係ないが、敵兵を戦闘不能にはしたが致命傷は与えていなかった。その方が軍隊としての被害が大きいから。魔物相手には使えない戦術だけど。


「何言ってるの。ボクのものは全部アデリーのものだよ。ボクはアデリーがいれば世界すら要らない」


 キラキラした目でそんな重いことを言う。恵まれた環境に生まれ変わったからか、金銭絡みの重要性が判っていないらしい。盛大に呆れるナディであった。脳内が愛しいで一色な思春期男子的思考だという理由もあるが。


「それから……またボクの初めても貰ってくれるとうれしぶふぅ!?」


 頬を赤らめてモジモジする。ナディの膝が顔面にクリーンヒットした!


「ああん? 寝てんのかテメェ? 良い度胸だこの年中真っサカりなエロザルがぁ! テメェが際限なく年中サカってたからこちとら二百五十年の大半が妊婦だったんだろうが! 今世じゃあどうやらヒト種に生まれ変わったみてぇだから今度こそ引導渡してやらぁ!!」

「お姉ちゃんステイ。前世のお父様は不滅だったから問題なかったけど今回は大問題。しかも三男とはいえ侯爵令息。引導渡したら良くも悪くも死罪確定」

「ぐう……そうだった。ホンット厄介ね……」


 追撃の手を止め、歯噛みするナディであった。ただそうはいっても【真銀級ミスリル】だけあって頑丈なヴァレリーに、まだ成長が十全ではないばかりか過負荷が残っているナディの物理打撃など効果がある筈もなく、なんなら御褒美にしかなっていなかったりする。


「それにそういうお母様も結局受け入れてたからお父様だけの責任じゃない。本当にイヤなら断れば良かったのに」

「え? あ、だって……ヴァルったら凄くてきもちい……」

「犬のゴハンにもならないとはこのこと。でも今は他人なんだからお互いに自重して」

「そんな! このボクの熱く滾る若さ故の純情が理由なく反抗して暴走しそうになる想いを抑えられるだろうかいや無い! だからアデリー。今世でもボクと結婚してくれ」

うるせぇわ」

「それはただの性欲。発散したいならそういうお店に行って」

「絶対嫌だ。ボクはアデリー意外とそういう関係にはなりたくない!」


 鬱陶しいくらいに一途な元魔王様であった。ただ世の中にはそれくらい想ってくれるのならと受け入れる場合も有るには有る。


「私は初対面のアンタとそういう関係になるのは御免被るわ」


 だがナディにそれは当て嵌まらない。そればかりではなくそう言い即却下している。


「そもそもな前提として、アンタ私の名前すら知らないでしょう。でもそうね。私の名前を考えても良いわ」


 鼻で笑いながら、冷たい眼差しのまま髪を掻き上げつつそう挑発する。その仕草と眼差しと口調の全てがヴァレリーの性癖に突き刺さり、だがそれだけでイロイロ捗りそうになる情欲を必死に抑え込むヴァレリーであった。元ではあるが、意外と残念な魔王様である。


 実際問題として教えてもいないのに正確に言い当てろとか、意地悪以外の何ものでもない。言外にその気が一切無いと言っているようなものだ。


「問題ない。ボクはキミの全てを理解出来る自信がある。何故ならボクは、こんな世界なんかよりキミを愛しているから」

「うわぁ、重いわぁ。なんていうかこー、荷重量が500%増えるくらい重いわぁ」

「ボクはそれほどキミに恋焦がれ愛しているんだ。そんな愛しいキミの今世での名前が知りたい。ボクはファルギエール侯爵家の三男、ヴァレリー・ヴァレリア・ド・ファルギエール」

「……ナディよ」


 膝蹴りを顔面に喰らってもノーダメなヴァレリーが、その琥珀の瞳をキラキラさせながら訊いて来るのに対し、冷めた表情のナディが名乗る。それを聞いた瞬間、彼は輝かんばかりの笑顔を浮かべた。


「ナディ……良い名だ。きっと生きるために、生き残るという意思でそう名乗ったんだね。流石だよ」


 既に述べているため理解出来ているとは思うが、現在名乗っている「ナディ」は〝自称〟薬師として生きた三番目の人生での名であり、名乗った理由は特に無い。まぁ、三番目のときはちゃんとした理由はあったが。


「やはり僕の伴侶は前世でも今世でも来世でもキミしかいない」

「いやちょっと何言ってるのか判らないんだけど」

「大丈夫だよボクはちゃんと判っているから。そうか、僕の伴侶は今世ではか。ああ、僕は幸せだよナディ」

「え……うっそぉ……」

「どうしたのお姉ちゃん」

「レオどうしよう。ノーヒントなのに一発で言い当てられたよ。誰にも言っていないし、なんなら冒険者登録でも表記しなかったのに。私お嫁にされちゃう」

「お姉ちゃん。実はちょっと嬉しいでしょ。此処まで一直線に打算もなく想いを伝えられるのは嫌じゃないよね。元とはいえ流石の魔王。さすまお」

「レオがヴァルを褒めちゃった!?」


 そんなわちゃわちゃしている姉妹を、ホッコリしながらヴァレリーは見詰めていた。その視線は完全にお父さんである。


 結果的に、それは今決めるべきことではなく、取り敢えず迷宮をなんとかしてから考えるということにした。落とし所としては妥当だが、ぶっちゃけ問題を先送りしただけである。ナディとしてはこのまま自然消滅してくれるか、もしくは問題自体から逃げられれば良いなぁとか考えていたが。


 そうしてドロップアイテムを拾う気のないヴァレリーの代わりにアホほど落ちてる魔結晶を魔法で回収し、ヴァレリーの【ストレージ】へ有無を言わさず突っ込んでから最終層である四二階層へと降りて行く。もちろんヴァレリーも一緒だ。


 そして、降りた先の四二階層で――


「……わー、キレーなあおぞらだねー」


 ナディが開口一番そう棒読みで言い、


「そう。ホントそう」


 レオノールがそれに相槌を打つ。


「おーそう来たかー。こんなパターンは初めてだなぁ」


 更にヴァレリーが妙に楽しそうに感嘆した。


 ――四二階層。其処は雲一つない蒼穹が広がっており、そして地面も岩ではなく草原になっていた。


 爽やかな風が吹き三人の体を優しく撫でるその光景は、見渡す限り同じような風景が広がっており、そしてそれは地平線の彼方まで続いていた。


 そう――全周そのような光景であり、遮蔽物や目立った起伏もなく、潜って来た筈の階層門すら無くなっていた。


 ストラクチャである【クリスタ・マイン】 の最下層が領域型フィールドに変貌しているという異例の事態に、三人はただ呆然と――


「メンドクセ!」

「気分はすっかりストラクチャなのに領域型フィールドに変わるとか性格が悪い。これは責任問題を問うべき」

「こりゃまいったね。侯爵家ウチの仲間という体のお目付け役を置いて来ちゃったから大騒ぎになるよ。良い気味だ」


 ――しないで思い思いに文句だったり意地の悪いことだったりを言っていた。

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