第二十話  アントン・カスケードの愚行 ③ 

「あ~あ、何てかったるいんだ」


 僕は自室のソファに腰を下ろすと、伸びをしながら背もたれに背中を預けた。


 本当ならば今すぐ王族用の衣服を脱いで酒を飲みたかったが、忌々しいことにまだカスケード国王としての仕事が残っている。


 これから宰相や家臣たちと政務のための会議をしなくてはならない。


 僕は天井のシャンデリアを見上げながら舌打ちした。


 国王の仕事というのは、実にかったるい仕事のオンパレードである。


 朝起きてからは王宮内の礼拝堂に赴き、神官たちとともに早朝のミサで神に祈りを捧げなくてはならない。


 それが終わって軽めの朝食を取ると、次にするのはカスケード城と隣接している大聖堂へ行って教会参事会に出席することだ。


 教会参事会は大聖堂の運営――つまり国教にたずさわることなので、国王の出席が求められる。


 しかし僕が参加したとしても、意見などを求められるわけではない。


 ただ列席者たちの意見交換を眺めているだけなのだ。


 何でも王族が教会参事会に出席しているという事実が大切なのだという。


 初めてその事実を知ったとき、僕は何とくだらないことなんだと歯噛みした。


 正直なところ、無断欠席しようかと思ったことも何度もある。


 だが、そのたびに宰相や他の家臣たちにとめられた。


 教会参事会の列席者は、高貴な出自の聖職者と富有な有力市民たちで構成されているため、この教会参事会をうかつに欠席すると国家運営に大きく響くという。


 また有力市民の親類縁者には同じく富豪の商人貴族が多くいるため、この者たちの機嫌を損ねたりすると教会もそうだが、カスケード王家に反感を持つ人間が出て来ないとも限らないからというのが理由らしい。


 確かにそうなると後々面倒なことにもなりかねない。


 ゆえに僕は下らない会談や教会参事会にも黙って出席していた。


 今日もそうである。


 午前中はミサや教会参事会に出席し、昼食を取ってからは王宮内の応接間で自国の貴族たちや他国の特使たちと会談したりしていた。


 このように国王の仕事は僕が考えていたよりも実に多忙だった。


 はっきり言って、どこかで気を休めなければ身体が持たない。


 なので僕は仕事の合間に暇を見つけては、こうして自室に戻ってきて心身を休めていたのである。


「ったく……早く仕事を終わらせてミーシャに逢いたいな」


 と、テーブルの上にあった飲料用の水差しに手を伸ばしたときだ。


「陛下、少しよろしいでしょうか?」


 神妙な面持ちの宰相が部屋に入ってきた。


「何だ、僕は休憩中だぞ」


「はい、それは重々承知していますが」


 そう言うと宰相は、僕の目の前のテーブルに何かを置いた。


 僕は小首をかしげる。


 宰相が置いたのは書類の束である。


「これは?」


「例の辺境にある、魔力水晶石のメンテナンスをするための技師のリストです」


「どうしてそんなものを僕が見なければならない」


「私もそう思ったのですが、魔術技師庁の大臣が是非とも陛下にも候補者を選んで欲しいと言われまして」


「まったく……」


 僕は面倒くさそうに書類を手に取った。


 魔術技師庁は国の発展に大いに関わる省庁だ。


 さすがの僕でもその魔術技師庁のトップの願い事は無闇に突っ返せない。


 なので僕は渋々ならがらも書類に目を通した。


 どうやら魔術技師庁の新人からベテランまでの履歴が書かれている。


「よくわからん。宰相、お前が適当に決めていいぞ」


「いえ、そんなことはできません。ここは是非とも陛下が選ぶべきです」


「どうせ誰が選んでも一緒だろうが」


「そんなことはありません。ですが、それでも1つ言わせていただけると、ここは新人よりもベテランを選んだほうがいいと思います」


「まあ、そのほうが確実だろうな」


「それもありますが、辺境地域にはまだまだ凶悪な魔物や盗賊の類がいます。下手に新米の技師を派遣してもトラブルになることのほうが多いでしょう。まあ、経験を積ませるというのなら話は別でしょうが」


 ふ~ん、と僕は面倒くさそうに書類をめくっていく。


 やがて僕はぴたりと指の動きをとめた。


「いかがされました」


「こいつの名前は聞いたことがある」


 僕は書類の1枚を抜き取って宰相に見せる。


「ああ……アルベルト・ウォーケンですね。この者は新米ながらも非常に優秀な技師です。まさに天才ですよ」


「ミーシャと同じ16歳なのにか?」


 もちろんです、と宰相は大きくうなずく。


「男爵家ながらも一族には優秀な魔術技師が多く、その中でもこのアルベルト・ウォーケンは幼少の頃から神童と呼ばれていたそうです。現に魔術技師庁にトップの成績で入庁し、高身長で容姿端麗。誰に対して分け隔てないその態度に、皆からすこぶる愛されているとか」


 ぎりりと僕は奥歯を軋ませた。


 ようやく思い出した。


 何度か晩餐会で顔を見たことがあり、何より健康だったときの父上も褒めたたえていたウォーケン男爵家の跡取り息子である。


「決めたぞ。辺境に派遣する魔術技師はこいつにしよう」


 僕がそう決めると、宰相は慌てた様子で「お待ちください」と言ってくる。


「あんな辺境地域にアルベルトを派遣するのは危険すぎます。まだ未熟な新米ということもさることながら、もしもアルベルトの身に何かあったら魔術技師庁――いえ、我がカスケード王国の損失になります」


「馬鹿者!」


 と、僕は勢いよくテーブルを叩いた。


「ならばなおさら、そのアルベルトには辺境に行ってもらう。それほどの逸材ならば、多少危険なこととはいえ若い内から色々な経験を積ませるべきだ」


 そうだろう、と僕は宰相に言い放った。


「ですが……やはり危険です」


「別に1人で行かせるわけじゃないんだ。大勢の護衛もいる。それにそんな都合よく魔物や盗賊に襲われるものか」


 僕は決定とばかりに宰相を下がらせた。


「アルベルト・ウォーケン」


 僕は天井を見上げながらつぶやいた。


 家柄は爵位が1番低い男爵家だったが、その頭脳と容姿は一国の国王に比肩しても遜色がないと陰で噂されていた男だ。


 そんな男は将来において、僕の目障りな存在にならないとも限らない。


 何よりミーシャがあの男の容姿に惹かれる可能性だってある。


 ならば辺境地域に送って危険に晒してみるのも面白いだろう。


 そして辺境で死んでくれても構わないし、生きて帰って来ても普通に利用すればいいだけだ。


 どちらにせよ、僕の腹はまったく痛まない。


 僕は水差しの水をグラスに注いだ。


「くそイケメンは辺境の地域で死ねばいいんだ」


 などと僕は暗い期待を込めながら、グラスの水を一気に飲み干したときだ。


 ゴホン。


 不意に変な咳音がいおんが僕の肺から鳴った。


 しかし、このときの僕はさして気にしなかった。


 軽い風邪でも引いたかな。


 そんなことを考えたのだが、このときの僕は知る由もなかった。


 この咳音こそ、遠くからやってくる死神の足音だということに――。

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