厄介払いされた聖獣王女ですが、冷徹なはずの皇帝陛下に甘やかされています
岬えいみ
第1話 モフモフ王女、花離宮へ献上される(1)
「魔法」や「獣人」が存在しているが、その力の源となる「マナ」が減少し、希少となっている世界『マルス』。
生態系の中で圧倒的多数を占める「人間」の強者たちは、大航海時代を経て、開拓という名の侵略を進めている。
大海に浮かぶ、とある小さな島国にも、巨大な軍艦の影が迫っていた――。
――ぴょこんっ!
「ふぁっっっ!」
春の花を思わせるピンクゴールドの髪の間から、ふいに飛び出した三角形の獣の耳。
シャムール王国の第一王女、フラン・ミア・シャムールは、慌てて自分の頭頂部を押さえつけ、ふわふわのケモ耳をなんとか隠そうと奮闘した。
今は王城の中にあるホールで、大事な恒例式典の最中だ。多くの国民も参列し見守っている中、象徴となる王族が騒いだり、無様な姿をさらしたりすることは許されない。
(だけど、どうしてもくしゃみが我慢できなくて……バカ! 私のバカ~っ!)
家族である父王バウム、母王妃ベラ、そして妹王女のマーガレットは、辟易した表情を浮かべながら、冷ややかな視線をフランに向けて流している。
「まったく、見苦しいわね……!」
「もう、お姉様ったら恥ずかしい……」
母と妹の小言が、鋭敏になった大きな耳に嫌でも飛び込んできた。式典の顔である父王は、顔を真っ赤にして怒りに身を震わせている。
思うように引っ込んでくれないケモ耳が、手の中で力なく萎む。
この行事が終わったらひどく叱責され、罰としていつもの廃宮に閉じ込められることになるだろう……。
(どうして私だけ、皆と違うのかしら……)
家族からの長い説教のあと、予想どおり離れの宮で謹慎するよう命じられたフランは、何度となく使用したことのある居室の窓辺から茜色の空を眺めて、寂しさを紛らわせていた。
お供もつけられず放り込まれた、ひとりぼっちの閉鎖空間。
王城の敷地内にあるとはいえ、森の奥に隠すように作られ、普段は使われることのない廃された宮殿。とても王族が使うような場所ではない。
もう頭上の耳も引っ込んで、恥ずかしくない姿に戻ったのに……そうまでして人目にさらしたくないと家族から思われている自分を、フランは情けなく、悲しく思った。
シャムール王国は、先祖に獣人族を持つ者たちが集まって興した国だ。
遠い過去には、人から獣へと自由に姿を変えたり、鋭い嗅覚や聴覚をもって「我らは世界で一番強い種族だ」なんて偉ぶったりもしていたらしい。
その傲慢さが原因で、獣人は武器を持った人間たちによって乱獲され、絶滅の危機に瀕することになった。捕まった獣人たちは、見世物にされるか奴隷同然の扱いをされて、悲惨な目に遭い、散っていったと記録されている。
こうした失敗から、この国では先の時代は黒歴史とされ、稀に現れる「先祖返り」は、国を滅亡へと導く不吉な存在と見なされていた。
だが、時と共にその血も薄れ、もう何十年も先祖返りは報告されなくなって久しい。
両親も、双子の妹であるマーガレットも、欠点のない普通の人間の姿で生まれ、高貴な王族として国民から信望されている。ただひとり、異能の力を備えて生まれてきた、フランを除いては――。
そう、フランは獣人化の能力を持つ「先祖返り」であった。
フランは人間の体にケモ耳と尻尾だけを生やした半獣の姿に変身することができ、または子狐くらいの大きさの完全な動物の姿になることもできる。
けれども能力の発動は不安定で、体調不良や、気持ちが弱ったりすると勝手にケモ耳が出てしまったり、不安定でコントロールがきかない。
おまけに容姿についても、父は褐色の髪に灰色の瞳、母と妹は滑らかな蜂蜜色の髪と翠眼をしているのに、フランの髪色は異質なピンク色で、瞳の色は目も覚めるような鮮やかな金――。
誰にも似ていない容姿のせいで、本当に呪いがかかっているのではと陰口を言われたことも、一度や二度ではない。
(……いけない、くよくよ考えていたら、また獣の姿になってしまうわ……)
そう思いながらも、どうしようもなく気分は落ち込んでくる。
うつむき、どんぐりのような丸い目を潤ませた、そのとき。
「フラン様」
どこからか、低くて張りのある声をかけられて、フランは顔を上げた。
草間を踏み分け、近づいてくるのは、近衛騎士団の若き団長であるアルベールだ。
「アルベール! 来てくれたの?」
「もちろんです。王族の皆様をお守りするのが、騎士の使命ですから」
爽やかな笑顔に、沈んでいた気持ちは吹き飛んだ。
幼い頃から王女姉妹の護衛役として仕えてくれている彼だけは、フランに対しても差別することなく、親切に接してくれる。
落ち着いた茶色の髪と同色の瞳、笑うとえくぼの出る甘やかな童顔。だが騎士団の長となるため厳しい鍛錬を積んだ肉体は逞しく、格好よく引き締まっている。
アルベールは、窓から身を乗り出すようにして喜びを表したフランの前に立つと、丁寧に一礼をし、肩に担いでいた荷袋を下ろして、行商人のように品物を広げはじめた。
「いろいろ必要と思われる物をお持ちしましたよ。今夜は少し冷えそうなので、追加の毛布と、お夜食用のお菓子。それから、よく眠れるよう香りのいい茶葉……」
王の許可なく騎士が勝手に宮殿内に立ち入ることはできないため、届け物は窓越しの受け渡しとなる。
謹慎処分中のフランに差し入れなど、家族が許すはずはない。優しい彼は、内緒でここを訪れ、気遣ってくれているのだ。
「まぁ、私の大好きなお菓子ばかり! ありがとう、すごく嬉しいわ……!」
「フラン様の笑顔を拝見することができて、光栄です」
微笑まれて、浮き立つような気持ちになる。喉の奥が詰まって、胸の奥に温かい光が灯ったかのようだ。
(アルベール、大好き……)
この時間が少しでも長く続くようにと懸命に話題を探すも、残念ながら彼は任務に戻らねばならず、すぐに別れのときが訪れてしまう。
「フラン様。警備は万全にいたしますので、安心してお休みください。……それでは」
離れていく背中を、せつない気持ちで見送った。
しかし、彼のおかげですっかり心は癒やされて、気持ちは上向いている。
心臓が、トクトクと元気よく高鳴っていた。
フランの年齢は十九だが、婚姻先は決まっていない。縁談が持ち上がることがあっても、不吉な先祖返りは嫌だとすぐに相手から断られてしまうからだ。
厄介者扱いされている自分が、婿をとって王家を継ぐことはありえない。王座に興味はないし、そちらのほうは、美しくしっかりした妹に任せればいい。
(私は、ただ……ありのままの自分を愛してくれる人と、幸せになりたい――)
そしてその相手がアルベールであったなら、どんなにいいだろう。
ほのかな恋心は、孤独なはずの夜を上書きし、明るい未来に心躍らせる時間となった。
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