音波で観る世界日記

@n_g_ma_i_o

2017年7月3日 

7月に入ったとはいえ、まだ8月ほどの暑さではなかった。

しかし、梅雨が明けて暑くなってきたことは事実で、これから訪れるであろう茹だるような月を想像すると憂鬱でしかない。

布団から体を起こし、リビングに出ると母が朝ごはんの用意をしている音がした。

「おはよう」

そう呟きながらソファーに腰掛け、テレビから漏れる今日の天気予報に耳を傾ける。

「おはよう、光(こう)」

母のあいさつに、ああというように首を縦に振って返事をして朝ごはんを待っていると、ほどなくしてコツっと皿がテーブルに置かれた。

「今日もスクランブルエッグだけど大丈夫?」

いつも通りのメニューだが、朝はこれでいい。何も変える必要はない。

「大丈夫だよ。ありがとう母さん。いただきます」

そういって熱々で半熟な卵を口へ運び、ごちそうさま、とつぶやいて自室へと戻った。

自室へ入ってすぐに通学に使っているリュックとハンガーにかけてある制服を取り、寝間着を脱いで身支度をし始める。

「今日も学校か」

大きなため息交じりで口からこぼれたそれは、4月に入学して以降、ほとんど毎日のように朝になると出てしまっていた。

しかし、学校に行かないわけにはいかない。

ただでさえ学習に時間がかかるうえ、もうすぐ高校入学してからはじめての学期末テストが控えているからだ。

そのことを考えると自然と体は動いている。

洗面所で顔を洗い、歯を磨き、手で頭をなでて寝ぐせの確認をしたら出発だ。

時刻は6時30分過ぎ。

「いってきます」

母が気を付けてと返したのを聞き、明るい暗闇へと出ていく。

自宅の最寄り駅から学校へは通常なら電車と徒歩で30分ほどらしいが、実際のところ1時間以上かけてしまうことも多い。

自宅から最寄り駅までの道のりは小さかったころから使っていることもあってかもうかなり慣れたが、駅から学校まではまだ駄目だった。

いつもと同じ匂いと音がする通学路。今日は晴れている。

このままいつも通りであってくれと思いながら、注意して道を進んでいく。

駅に着いて電車に乗り、学校のある駅に着くまでの15分間はただただボーとするだけ。

そして、同じ電車に乗っている学生の声に見えない隔たりを感じていると学校の最寄り駅にいつも着いているのだ。

周りにはおそらく部活動の朝練をする学生たちの会話があり、それを耳に入れながら学校へと向かっていく。

最近ではもう遠くのほうからひそひそと聞こえることも少なくなった。

少し前の登校中でもいちいち感情をにぎわすこともなかった。

ただ、聞こえないふりをして黙っているのは気分が良いものではない。

なので、少し経った今の登校には平穏があるとは思っている。

そんなことを考えながら歩いていると学校へ着いた。

下駄箱で靴を履き替え、そのまま教員用エレベーターへ。

「すみません。乗らせてください」

そう呟きながらエレベーターに乗り込み、1年の教室がある5階へ上がっていく。

「すみません。降ります」

そういいながら廊下に出るとすぐ正面にある1年4組の教室に入り、前のドアから一番近い最前列の席に着く。

教室の中はすでに何人か学生がいたが、誰一人として声をかけてくることはない。

まあそうだよね、と思いながら、右耳にイヤホンをさして先週の授業内容を復習し始める。

だんだんとクラス内が騒がしくなっていくことで始業時間の8時半が近づいていることを教えてくれる。

みんながみんな、それぞれに対しておはようの言葉をかけている中で、すぐ後ろの席からそれは聞こえた。


「おはよう、コウモリ」


そういって声をかけてきたのはおそらくクラスの男子生徒だろう。

顔を覚えることは苦手だし、入学からずっとクラス内で孤立していた自分には友達と呼んでいい相手はいなかったので誰だか判断できなかった。

「おはようってば」

もう一度男子生徒からの声が聞こえる。

「あ、えっと、おはようございます」

そう返事をし、記憶の中にあるクラス内男子の声を思い出す。

しかし、どうしてもわからない。

挨拶をし終えるとお互いに沈黙が続き、何とも言えない気まずさが残った。

相手もそれを感じ取ったのか、再び口を開いた。

「俺の名前と顔、わからないでしょ」

「う、うん。ごめんね」

仕方ないとは思いつつも、どこか相手の声を思い出せない自分にも苛立ちを覚えてしまった。

「名前をおしえてくれる?頑張って覚えるから」

彼は言った。

「名前だけじゃ意味ないじゃん。顔まで覚えてくれないとさ」

予想していなかった返答に言葉が詰まる。

「まーでもいっか、名前は下空隼(しもぞらはやと)っていうんだ。いつか顔までしっかり覚えてね」

彼の名前を聞いたことは何度もある。しかし、声までは覚えてはいなかった。

「下空君だったんだ。ごめん、声までは覚えてなくてわからなかった」

「名前自体は知っててくれたんだ、よかったよかったー」

声と名前を認識できるようになって少しほっとした。

だが、その安心は長く続かなかった。


コウモリ。


なんだそれ。

いや、コウモリ自体は当然知っているが、挨拶の後に添えられるような言葉じゃない。

彼が自分へ向けて言った言葉である以上、当然その言葉の示すところは自分だろう。

だが、意味が分からなかった。

この疑問を彼に聞くべきか悩んでいると担任の先生が教室へ入ってくる音が聞こえ、周りにいたクラスメイトも自分の席へと移動し始め、騒がしくなった。

そうしていると彼も、じゃあまたね、と言い残して自席へ戻っていった。

とっさに引き留めることもできず、疑問が頭の中をぐるぐるとめぐっている。

そんな中でも時間は止まらず、担任のあいさつにより朝のHRが始まってしまった。

それはいつもと違う学校の始まりでもあった。


















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