モあトリアム

牛本

モあトリアム


「何の為に生きているのだろうか」


 大学四年生。

 冬。

 暖房の効いた生ぬるい部屋の中で、私はそんな取り留めもないことを考えているのだった。


「……はぁ」


 耳に当てていたスマホを「ぼんっ」とベットに投げ置き、ワンコインで手に入れたしまむらパジャマで赤くなった目元を擦る。


「いて」


 流石ワンコイン。

 繊維がしっかりとしていて、目元の赤みは増すばかりだ。


 簡潔に言えば。

 この時期に未だ内定ゼロ。


 それがモラトリアム特有の思考の原因であった。


「私って、なんの為に生きているんだろう」


 再度、口に出す。


 先程のは愚痴。

 今のは自分への問いかけだ。


「好きなことだけして生きていきたーい。……って言うか、生きるってそういうことなんじゃないの~」


 私に言わせてみれば、やりたくもない仕事をお賃金の為にしている人間は総じて死んでいるのと同じだ。

 肉体的な死ではなく。

 そう、言わば――人生の死。


「私は生きて、生きたいんだよ~。ゲームしてマンガ読んでYouTube見てさぁ……それで、やりたいことを仕事にしたいってだけなんだよ」


 そんなに難しいことを言っているだろうか、と思う。


 いや、実際にそれが可能か不可能かで言えば可能なのだろう。

 ただ、持続可能かどうかで言えば、少し話は変わってくることも分かる。


「サステナブルってやつ? 就活で聞き疲れたよ」


 サステナブルモラトリアム。

 言い換えればニートだろうか。

 全く、死にたくなる程に憧れてしまうよ。


 私の夢は小説家であるが、小説家はどうにも目指すには金が掛かりすぎる。

 まあ、言ってしまえば娯楽でしかないのだから、社会には必要ない余分なものなのかもしれないが。

 しかしその余分なものこそが、社会の発展に繋がっていくのではないだろうか。


「私が大統領になったら、小説家の為の国家を形成するんだ」


 総理大臣ではない。

 どうせなら、三権分立だってなくしてしまおう。

 サブカル大国にするのだ。

 このお賃金ゾンビ蔓延る日本を。


 私は「ぐっ」と目元を拭い切ると、身体のバネを利用してベットから起き上がる。

 ペタペタと素足で床のゴミを回収しながら冷蔵庫へと向かうと、酒を手に取った。


「あいつらがお賃金ゾンビなら、私はモラトリアムゾンビかなぁ……」


 ――ぶしゅ、と。


 この音が気持ちよくて、この瞬間だけはゾンビどものことを忘れてしまえる。

 まあ、節度を保ってはいるのでいいだろう。

 自分の限界も把握している。


 モラトリアムに限界はないが。


「この瞬間が永遠に続けばいいのに」


 自衛隊になろうかな、と母親に言ってみたことがある。

 自衛隊がどんなもんか、実際に働いてみないと分からないが、それでも私なりの考えがあった。


 そもそも私は自堕落な人間であるからして、規律のある場所での生活が望ましかった。

 一般企業に入社したところで(出来なかった訳だが)ダラダラとモラトリアムな夜を過ごす未来が見える。そうなった場合翌日の業務に差し支えるだろうことは火を見るよりも明らかだ。

 それならばそれを許さない環境に身を置くのはアリだろう。


 他にも、自衛隊は金が貯まるらしい。

 所謂飲みなどに頻繁にいけば金はなくなるというが、酒はさして好きでもない。現在の私の姿を見ればその言葉の説得力のなさに失笑が生まれるだろうが。

 貯蓄が出来ればあとは投資にでも回してファイアが出来るという寸法さ。


「完璧……」


 モラトリアムな気分にさせてくれる魔法の液体は既に飲み干され、その最後の一滴まで逃すものかと短い舌を飲み口に伸ばせば、舌先に触れるアルミとアルコールの香り。


 少し湿った舌で口内に香りを届けてやりつつ、ワンモア酒を手に取って私はベットへと舞い戻る。

 ベットはモラトリアムな揺り籠だ。柔らかな感触が私を包み込む。

 フワフワとした気分で母親の言葉を反芻する。


「――そんなことの為にあんたを生んだんじゃない、ね」


 全く。

 ばかばかしい。


「あんたの為に生まれてきてやった訳じゃない。私は私の為に生まれたのだ」


 生んでくれてありがとうという気持ちはある。

 同時にとんでもない時代に生んでくれたなという恨みもある。

 愛憎は表裏一体の感情なのだ。


「日本は昔、私みたいな人たちがたくさんいたらしい」


 定職に就かず、金に困ればその場で稼ぐ。

 日々をなんとなくで過ごし、好きなもの達との交流で暇をつぶし、やりたいことをやる。


「それが生きてるってことだよねー」


 それがどうだ。

 子供の頃から習い事をさせ、他国語を学ばせ、友人を選別させ、小中学校でお受験をさせ、いい高校いい大学に入学することこそが正義であり、その先に有るのはお賃金ゾンビと来た。


 それだけなら、まだいい。

 その先に目的があるのならば。


「ないんだろ。お前らには」


 いつか来る死の為に苦しみながら生きる。

 それは生きてると言えるのか。


 最近ではどうやら晩婚であったり、結婚をしない選択をする若者が増えているという。更には結婚したはいいものの子供を作らないという選択まで、現実的な選択肢として提示されている。


 その理由はなんだ。

 聞いて呆れるが、どうやら金が無いことが大きな要因だそうだ。


「馬鹿め」


 それならば猶更、何故やりたくもない仕事をするのだ。

 独身のやつにしてもそうだ。

 やりたくもない仕事でお賃金を頂き、コンビニで買ったホットスナックやお惣菜なんかを食べる生活を独身貴族などと宣ってはいるが、そんなものは死体バカ舌貧乏だ。

 タンポポでも食ってろバカなんだから。

 

 自分の人生を闇雲に食い潰し、訳も分からぬまま、たった百余年(長く生きたとしてもだ)しかない人生の内の半分を失う。

 その結果得られるものは、将来が不安定な老後生活。


「自分が賢いなどと言うつもりはない。ただ、お前らも馬鹿なのだと言いたい」


 日本は好きだ。

 いい国だ。


 サブカルが豊富で、飯が美味く、治安がいい。

 最高の国ではないか。


 ただ、やはり――息苦しく、生き苦しい。


「モラトリアム。モラトリアム」


 人生は死という抗いようのない結末までのモラトリアム期間だ。

 その人生を瞬き一回分すらも大切にしていきたいと思うのだ。


「ままならないね」


 ゴロンと寝返りを打つとスマホを手に取る。

 スマホに映るのは就活サイト。

 結局私もお賃金を求めるさもしい人間。

 ゾンビ一歩手前の腐りかけだ。


 ただ、なんだって腐りかけが一番美味いと言うだろ。


「来世なんかに期待はしてない」


 宗教を馬鹿にするわけではないのだが(宗教と言う集金体系には憧れすら抱く)、その宗教を信じ、来世と言うものに期待しているやつは総じて馬鹿だと思う。

 来世なんかある保証はないし、あったとして、何故今世上手くいっていないやつが来世上手くいくと思うのか。


 それに、来世に記憶が引き継がれるわけでもあるまい。

 今幸せでないなら、それに意味はあるのか。


 ちなみに神はいると思っている。

 なので私の今世が上手くいかなかったら一発ぶん殴ってやろうと思う。

 その前に今の総理大臣をぶん殴って私が大統領になってやろうかな。


「お」


 そんなことを考えながら就活サイトを流し見していると、とある項目に目が留まった。


「日本大統領……こんなの募集してるんだ」


 私はそれに応募してみた。




 雪が溶けると何になるかという問題がある。

 理系は水と答え、文系は春と答えるらしい。


 私は圧倒的に文系だが、そんなものは水に決まっているだろう。


 ともあれ、春が訪れた。


「みなさーん! こんにちは」


 英語に直すと「Hello,everyone」。

 日本語には様々な表現があるが、使い方をミスるとその場に適していない言い方になってしまったりするので困る。

 TPOが大事ということだ。


 そんなことを考えながら、私は胸いっぱいに、春の訪れを吸い込んで。

 眼前に広がる聴衆を睨みつける。


「私は日本初の大統領になりました~!私の言うことは絶対である為、逆らったやつは皆殺しでーす!」


『ふざけんなー!』という野次が飛んでくる。

 私の眼はその野次を見逃さず、華麗に打ち返す。

 気分は大谷翔平だ。


「お前、死刑ー!」


 私が頭上まで掲げた腕を振り下ろすと同時に、野次を飛ばした男は頭を弾き飛ばされ死んだ。


 満足のいく結果に私は大きく頷く。


「日本は今後、やりたいことをやって暮らしていける国家を目指しまーす! お前ら、月10万円支給するのでやりたいことだけやってください! それ以上稼ぎたかったら稼いでもいいよ!」


『ワー!』と歓声が広がる。

 私は満面の笑みで応えた。


「イエーイ! じゃあ、解散!」


 三か月後、日本が滅んだ。

 私は死に際、天に手を伸ばして願った。


「もっと……モラトリアム」



 目を覚ます。

 私は床に寝転がり、天井に手を伸ばしていた。


 床に転がっている数本の空き缶を見るに、酔って寝てしまったようだ。

 バカバカしい夢を見たな、などと思いながらも、私は小さく笑みを浮かべる。


「なんか、少しだけスッキリした気分」


 夢のおかげかなと、繊維が破壊と超回復を繰り返しているのではないかと疑わざる負えないパジャマで、口元のゲロを拭う。

 もしかすると、吐いてスッキリしただけかもしれない。


 フラフラとした足取りで洗面台まで辿り付くと、うがいをして顔を洗う。


「……ふぅ」


 モラトリアムは、終わりがあるからこそのモラトリアムだ。

 終わりがないモラトリアムなんて、つまらないのだろう。


 ただ、やはり求めてしまう。


 この感情に名前を付けよう。


「もっと……more。moreモラトリアム」


 例えば――モあトリアム、なんてどうだろうか。


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