ゴートと空き部屋Ⅰ

 ウォルタの街の中通りにある、ヘリオス探偵事務所は四角い二階建ての建物だ。事務所が入る前は、一般の住まいとして使われていたらしい。そのため間取りも内装も、どこかアットホームな雰囲気が漂っている。


 一階には広間に当たる談話室と、そのほか生活に必要な設備がそろっている。通りに面した南側の玄関を起点に、西方向へ伸びる廊下の先に階段があった。建物の構造に沿って、段差の途中で直角に曲がるその階段から、二階へ上がることができる。

 

 二階には、先程説明したとおり二つの部屋がある。

 階段を上ると、今度は東方向にまっすぐ廊下が伸びているが――その廊下が、二階の間取りを真っ二つに割っているのだとイメージしてもらえれば、わかりやすいと思う。廊下の左右に部屋が分かれていて、表の通りの様子がよく見える南側が所長室で、反対の北側が空き部屋だ。


(ドアの位置は所長室が奥で、空き部屋のほうが手前にある……)


 階段から離れた僕は、真っ先に近くにある空き部屋のドアノブに手をかけた。所長室のティーカップは後で片づけよう。いまは居心地の悪さから逃げるため、一人で落ち着ける場所に引きこもりたかった。


 仕事の依頼のほとんどが手紙で来ることが多いものの、依頼人が直接事務所へ訪問してくる時もある。その場合は、所長室か、この空き部屋に依頼人を通してじっくり話をうかがうのだ。


 空き部屋のドアを開ける。僕はささっと、なかへ身を滑り込ませた。


(ギルとの約束の時間まで、三十分もない。それまで、この部屋で――)


 背中向きにドアを閉めて、僕はふぅと息をつく。

 ところが、それと同時であった。ペラリと、紙をめくるような音が室内から聞こえた。


「うわっ!」

「…………」


 思わず、肩が跳ね上がる。まさかこの空き部屋に、すでに先客がいようとは思わなかった。


 大げさな声を上げる僕とは正反対に、ドア元から右手――部屋の壁際のソファに座るその人物は微動だにしなかった。彼は淡々と、ひとり静かに本を読み続けている。


「なんだ、ゴート……君がいたのか」

「…………」


 どっしりと重量感のある体格――その姿で部屋の隅を陣取る様は、一瞬、彫像かなにかと錯覚してしまう。この事務所の人間で、彼が一番背が高くてガタイがよいのだから、僕の感覚もそれなりにうなずけるはずだ。


 彼の名は、ゴート・イラクサ。

 ヘリオス探偵事務所に所属する、探偵の一人である。


 少し赤めに焼けた肌に、短く刈り込まれたくすんだブロンドの髪が、彼の容姿の特徴だ。ゴツい見た目と合わせて、いつもしかめつらしい顔をしているものだから、よく依頼人を怯えさせてしまう。探偵よりも、ガードマンとかと間違われてしまうことが多いとか。


 ギル、シルバー、メイラ、マリーナ、そしてこのゴートが、現在事務所にそろう探偵たちだ。そこに見習いの僕ことハロウと、ロイを加えると七人になる。

 これが新聞広告にうたわれている、デュバン・ナイトハート所長が将来を期待する七人の探偵たちなのであった。


「あー、もしかして、この部屋で仕事中だった?」


 僕は入口に立ったまま、おずおずと尋ねてみた。僕の問いにゴートは首も振らず「……いいや、ただ昔の資料を読んでいるだけだ」と、これまた抑揚のない声で返してきた。


「そう……」


 僕が短くつぶやいて、会話は終了する。


 このゴートという男、見た目の雰囲気とまんまおなじで、中身もとんでもなく無口で無愛想なのだ。

 けして、悪いやつではないということは承知している。事務所内の人間関係も険悪ではないが……それにしたって、自ら口を開く機会が少なすぎるのだ。正直、この四カ月の間で、もっとも謎の多い人物に値する。


(どうしようかな……)


 僕は首を少し傾けて、背中のドアを見た。向かいの所長室に行くという手もあったけれど……さすがに、あそこに入り浸るのは決まりが悪い。


「なぁ、ゴート。君の邪魔はしないから、僕もこの部屋を使わせてもらってもいいかな? どうにもね、一階の連中がにぎやかすぎて落ち着かないんだよ……」


 また、ペラリと本のページをめくる音がする。ゴートはまったく僕になんか興味がないようで、その視線は手元で開いた本にだけ向けられていた。

 ただ、口だけがぼそっと動いて「俺の部屋ではない。好きに使えばいいだろう」と彼はつぶやいた。


「ありがとう、助かったよ」

「…………」


 僕が軽い感謝を告げても、やっぱりなにも応えない。それでもいいやと思いながら、僕はポケットから懐中時計を引っ張り出した。時刻は、六時四十分である。


(どうせ、あとわずかな時間なんだ。ゴートと二人っきりでいるのは緊張するけれど、向こうは僕に無関心のようだし……)


 とりあえず、ドア元から離れようとした。その時、ふいに僕の紅茶色の前髪をひんやりした風がすくう。


 室内なのに、風? 僕がきょとんとして、再び吹いた風の方向へ視線を向けると――西側の窓辺に目が留まった。縦に長い、長方形の上げ下げ窓である。この部屋に一つしかないその窓の向こうで、夕刻の暗がりのなかを雨粒の線がきらめいていた。


「……あそこの窓が開けっぱなしじゃないか」


 開いた窓から、雨風が侵入する。閉め忘れたのかなと、ゴートのほうを見るも、彼はやっぱり手元の本に集中していて反応しない。単に、僕のことをわずらわしく思って無視しているだけなのかもしれないが。


 考えてもしかたがない、僕は窓辺へと向かった。中途半端に開いている窓を下ろそうと、木枠に手をかける。

 だが。


「ん……んんっ?」


 下ろす窓が動かない。

 ぐっと手に力を込めても、きしむ音すら立たなかった。んぎぎ……とムキになってうなっていると、背後からぼそっとした声が聞こえる。


「その窓、壊れて閉まらないぞ」


「ハァハァ……そういうことは先に言ってくれよ」


「秘書のシトラスが言っていたが、明日、業者を呼んで見てもらうらしい。だから、窓はそのままということになっている」


 木枠から手を離して、僕はしげしげと半開きの窓を見つめた。少し身を屈めて、開いた窓の位置に頭部を合わせる。


「ということは、今晩はずっと開きっぱなしになるのか。それは不用心だよ……でもまぁ、この幅なら泥棒も入ってこれないかな?」


 試しに、開いた隙間に頭をくぐらせてみた。外は雨が降っているため、雨粒が冷たい――じゃなくて、僕の頭は難なく隙間を通ることができた。


(だけど、肩が無理だな)


 よほど華奢きゃしゃな人間でないかぎり、この隙間を通り抜けることはできないだろう。これなら泥棒も入ることはあるまい。……もっとも、二階の高さをわざわざ登ってまで、侵入しようとする人間がいるとは思えないが。


 壊れた窓は事務所の西側に面しているため、景色は見えない……見えるのは、おとなりの建物の壁だけだ。左向きに首を傾ければ、建物の合間から中通りが見えた。


 ふいにその中通りを、ひづめの音とともに一台の馬車が走り去る。僕は慌てて、窓から首を引っ込めた。

 きっとあれは、デュバン所長が乗った馬車にちがいない。外から変なところを見られたんじゃないかと思うと、恥ずかしさから顔が熱くなった。


 ほてる顔に、雨にぬれた髪の冷たさが心地よい。髪についた雨粒を払いつつ、僕は窓辺を離れた。そして今度は、おもむろに室内を見まわしてみる。


『空き部屋』というのは、あくまでも事務所の人間が口にしている呼び名であって、なにもがらんどうの部屋ということではない。所長室とおなじく、こちらも必要最低限の調度品はそろえてあった。

 主に来賓用らいひんようのソファ、飾り気のないシンプルな卓、ほかチェストなどなど……それから書き物机があるため、書類整理などの仕事にもってこいの部屋なのである。


(そういえば、昨日僕はこの部屋で夜通し書類整理の仕事をしていたんだっけ……)


 書き物机に手を置いて、ふと思い返す。脳裏によみがえる昨晩の記憶に引きずられて、睡眠不足だったことも思い出した。なんだか急に体がだるくなったようで、乾いた目を手でこする。


(この部屋は、よくギルのやつが仮眠を取るために使っているんだよな。部屋の鍵を閉めて独り占めするもんだから、みんなに文句を言われてて……)


 あいにく横になれるソファは、いまゴートに陣取られている。ぼんやりと彼のほうを見ていると、視線が合った。けげんそうに睨まれたので、僕はごく自然を装って舌を動かす。


「き、昨日、僕が仕事をしていた時は……あー、普通に開け閉めできたんだけれどなぁ。この窓いったい、いつ壊れたんだろう」


 適当につむいだ言葉だったけれど、ゴートは「今日の午後に、メイラがな」と返してきた。わりと律儀な性分なのかもしれない。


「いらついていたのか、力まかせに窓を開けようとしてこうなったらしい。本人は自分のせいじゃないと、さらにヘソを曲げていたがな」


「ハハハ……まぁ、そうだね。この建物も古いし、窓の枠が歪んでいてもしかたがないよな」


 相変わらず、彼は手元の本に集中している。だが、二、三度会話が続いたことでちょっと調子づいてきたと僕は感じた。


 僕は珍しく彼と――ゴート・イラクサと、このまま話を続けてみたくなった。それはたぶん、さっきの階段上かいだんうえでの疎外感からくるものだろう。誰かとおしゃべりすることで、空虚な気を紛らわせたかった。


(ゴートは無口で無愛想だけど、根は僕とおなじで真面目な人間だ。彼も年の近い若者に当たるけれど……どうにもほかの連中とちがって、富や名声といった欲にがっつく様子は見られないな)


 僕は、もう一度時計を見た。その後で、空き部屋のドアのほうへ視線を投げる。ドアの向こうは静かで、まだギルが帰ってきた気配はない。


 階段を下りて談話室へ行くのは、最悪、今晩の主役が到着してからでいいだろう。その間、僕はゴートとの談話を試みることにした。

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