会いに
翌日、僕は休みなのだが仕事の日と同じ時間に起床した。
ガーデニング用の草を刈る小さなカマとクマデ、軍手を用意した。
カマの刃の部分は保護カバーを紛失してしまっているため、怪我をしない様に新聞紙で包んでいる。
7時に家を出て、高速に乗り、休憩をしながら2時間掛けて 山梨に来た。
萌の父親はロシア人で母親は東京生まれの日本人。
父親はメンズブランドの社長を務めている。
富士山が好きな父親の希望で山梨に豪邸を建てた。
僕は車でその豪邸を通過する。
母親がガーデニングをしている後ろ姿を見て、唇を噛んだ。
合わせる顔がない。
それに僕の目的は萌の両親に会うわけではなく、 萌の墓参りに来たのだ。
萌が行方不明になって1年経った頃、萌の両親が空っぽの墓を建てた。
『初乃咲之家』と彫られた墓石の周りには、雑草ひとつ無かった。
墓石に汚れは見られなかったが、冷たい湧き水を汲んで来ていたので洗うことにした。
四方木 梓:「久しぶりだね、萌」
灰色の墓石を撫でながら、話しかける。
中には何も無いので話しかけても意味は無いが、僕は話しかけずにはいられなかった。
四方木 梓:「なかなか萌の情報が無くて、君を見つけられない。萌……どこに居るんだ」
冷たい水を上から掛けてあげる。
四方木 梓:「片腕でも何でもいい。萌の一部さえ見つかれば、君も犯人も探し出せるんだ」
以前、萌の髪の毛に触れてみたのだが、その髪の毛は萌が殺された時のものではなく自然に抜け落ちた時のものなので、僕の手は反応しなかった。
それに萌がまだ生きているから反応しなかった可能性もある。
僕はその少ない可能性に期待してしまうようになった。
だが期待したって4年も行方不明の萌が生きているなんて考えられない自分もいる。
仮に生きていたとして、モデルとして芸能活動をしていた萌なのだから目撃者がいてもおかしくないが、4年前に消えた新人モデルの事なんて世間は忘れてしまっているだろう。
事件が進展していないので、メディアに取り上げる事もなかった。
水を掛けながら神隠しにあった萌のことを考えていると、僕の名を呼ぶ声が聞こえた。
???:「梓くん? あら、梓くんじゃない」
懐かしい声に振り返らなくても分かる。
萌の母親、
四方木 梓:「お久しぶりです」
振り返って頭を下げる。
紗栄子:「本当に久しぶりね、元気だった?」
両手に花を抱えた紗栄子さんは僕を見て微笑んでいた。
僕は申し訳ない気持ちに駆られた。
四方木 梓:「はい……まぁ、元気です」
紗栄子さんは洗い終わった墓に花を供え始めた。
紗栄子:「お掃除、ありがとうね。萌も喜んでるわ」
四方木 梓:「いえ、そんな……」
紗栄子さんの背中を見つめ、そんな言葉しか言えなかった。
紗栄子:「ねぇ梓くん、このあと時間あるかしら? 出張中のお父さんがイギリスから美味しい紅茶を送ってくれたの」
連絡はたまにしていたが、顔を合わせるのも家に上がるのも2年以上していなかった。
こちらを向いた紗栄子さんと目が合い、正直気まずいと思ってしまった。
返事に困っていると、紗栄子さんが眉をハの字にする。
紗栄子:「……お仕事だったかしら?」
首を傾げる動きに合わせて、ゆるく巻かれた黒髪が肩の上で揺れる。
四方木 梓:「あ、いえ。夜に打ち合わせがあるので、少しだけなら……」
夜には火茂瀬と歌姫の話を聞く事になっているので、本当に少しだけだが、お茶を頂くことにした。
紗栄子:「嬉しいわぁ」
本当に嬉しそうな顔をしている紗栄子さんを僕の車に乗せ、先ほど通り過ぎた豪邸の前に車を停めた。
庭に咲いている花の香りが風と共に僕の鼻をくすぐる。
甘く切ない懐かしい匂いだ。
昔から紗栄子さんは美味しいお菓子や紅茶などがあると、よく僕たちを家に招いてくれた。
紗栄子:「今持って来るから、適当に座っていてちょうだい」
紗栄子さんは嬉しそうに小走りでキッチンに消えてしまった。
僕は言われた通り、L字型の白い革のソファーに腰を下ろした。
目の前には背の低いガラステーブルと大きな液晶テレビ。
そのテレビを囲う様に置かれた棚には萌の写真が所狭しと並べられていた。
壁にはファッションショーに初めて出演した時の写真が額に入れられ飾られていた。
僕と一緒に写っているものもある。
どの写真も萌は笑っていた。
この笑顔に会いたい。
紗栄子:「お待たせ」
鼻の奥がつーんとした時、紅茶の香りを連れて紗栄子さんが現れた。
四方木 梓:「いい香りですね」
紗栄子さんは甘い香りを振り撒くティーカップと生クリームを乗せたシフォンケーキを2つずつ、テーブルに並べた。
紗栄子:「砂糖はお好みで。ケーキは私の手作りで甘さ控えめよ」
フワフワしたシフォンケーキを指して微笑む。
僕は紅茶に手を伸ばし、一口啜る。
甘くフルーティな紅茶が口いっぱいに広がる。
四方木 梓:「すごくいい香りですね。落ち着きます。僕これ好きです」
紗栄子:「あら、良かった」
紗栄子さんはシフォンケーキをつついていた。
紅茶の甘みが残っている内に生クリームを付けずにシフォンケーキを一口。
紅茶の甘みとプレーンのシフォンケーキが良く合い、とても美味しい。
四方木 梓:「お義母さんのケーキはいつ食べても美味しいですね」
そう言って二口目のシフォンケーキを含んだ。
紗栄子:「あら、うふふ。ありがとう。……あのね、お父さんが、梓くんに会いたがってたわ」
先ほどまでニコニコしていた紗栄子さんは、突然真剣な声色になった。
紅茶を飲んでいた僕は隣に座る紗栄子さんに視線を移した。
『僕も会いたいです』とは言えなかった。
会いたくない訳ではないのだが、警察として事件を解決できていない以上、やはり会いにくい。
紗栄子:「萌が行方不明になって梓くんとも連絡あんまりしなくなっちゃって、子供が一気に2人も居なくなっちゃった気がして悲しかったわ」
紗栄子さんは自分の顔が映り込む紅茶を見つめていた。
紗栄子:「梓くんは私たちの息子なんだから。もう家族なのよ」
紗栄子さんは一筋の綺麗な涙を流していた。
雫が手の中のティーカップに落ちたのを見て、紗栄子さんは指先で優しく涙を拭った。
紗栄子:「いつでも来ていいからね」
僕の方を振り向いて笑顔を見せてくれた。
その笑顔は萌とよく似ていた。
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