第8話 王都リースリング

 ガヤの町で一晩を過ごし、その後もセラ達はなるべく大きな街を選んで宿泊する。

 大きな街には冒険者財団ファウンデーションの宿があるからだ。

 そして6日目、太陽が真上に登った頃、順調すぎる旅はあっという間に終わり、最終目的地の王都リースリングに馬車は到着した。


「ようやく目的地が見えてきたぜ……」


 さすがに6日も馬車を操るのに飽きてきたのか、御者台で手綱を握ったケイがお役御免とばかりに肩を回して両手を伸ばす。

 スプマンテの街から街道沿いに北へ約600km。

 赤煉瓦の敷かれた街道の先には、巨大な石壁で囲まれた城塞都市が見えてくる。

 アウスレーゼ王国の首都リースリングだ。

 街に近づくにつれ、街道沿いにはテントやバラック小屋の出店が増え、人々が行き交う雑多な賑わいが見えてくる。

 スプマンテの街と違い、城壁の外にも多くのテントがあり、中には仮組とは思えないほどしっかりした建物も見受けられた。

 焼肉や香草の匂いと共に、食べ物を売る呼び込みの声が騒がしくなってくる。


「さあさあ、リースリング自慢の腸詰肉ソーセージはいかが?

 香辛料たっぷりのおいしいソーセージだよ。

 これに甘いソースをかけた焼き芋と一緒に食べると最高だよ~」


「暑い時には香り豊かなエール酒はいかがかな?

 一口飲めば渇きが癒され、たちまち元気がわいてくるよ!」


 馬車の横からは、勧誘の声がこれでもかと聞こえてくる。


「……なんかどれも旨そうだな。ちょっと、ここいらで昼飯にしないか?」


 ケイが手綱を握ったまま周りを見渡し、舌を鳴らす。


「ううう…… とにかく早く街へ入ってよ。ボクは具合が悪いんだよう……」


 馬車の中から、メグが泣きそうな声でケイに訴えた。

 街道に煉瓦が敷かれているといっても、現代のアスファルトのように平らではない。馬車などが幾度も通ってるせいで、道には深い轍がいくつもできていた。

 この二頭立ての高級馬車キャリッジには、サスペンションとして板バネがついているが、現代のエアーサスなどに比べるとはっきりいって乗り心地は悪い。

 とくに轍だらけの街道を走ると、上下の揺れがひどいのである。 

 ちょっとしたロデオマシーンの気分が楽しめる仕様なのだ。

 馬車の椅子には豪華な刺繍のクッションが敷かれているのだが、それも6日に渡る旅の揺れで悪酔いしたメグには気休めにすぎなかった。


「お前は馬車で横になって寝ているだけのくせに、なにがつらいってんだよ!

 6日も運転しているオレの方がよっぽど疲れてるぜ」


 クッションの薄い椅子に座っているケイは、メグの愚痴に対し御者台の後ろにある連絡窓からきつい言葉を返した。


「えうーっ、そんなこと言われてもボクは乗り物に弱いんだよう……」


 言われてメグが情けない声を出す。


「こんなに何事もなく目的地に着くとは正直、意外だったわ……」


 セラが地図を確認しながら窓の外の巨大な城塞を眺める。

 毎日、宿に休みながらの旅とはいえ、馬車の中で厚綿服キルトの上に通気性の悪い板金鎧プレートメイルを着用した状態は、筋力ランクBの肉体を持っている女神官であっても蒸し暑く、少なくない負担だった。

 ならばプレート鎧を脱げば簡単なのだが、旅の途中で発生する、このゲーム特有の突発性遭遇ランダムエンカウンターの危険を考えると、みんなが生き延びる可能性を高めるために、我慢して着ておく事をセラは選択したのだった。だが幸か不幸か、セラの覚悟は杞憂に終わった。


(ゲーム中は何も考えてなかったけど、板金鎧みたいな通気性の悪い重装鎧を着るのは思ったよりたいへんだな。

 こういう長旅用にもっと使い勝手の良い魔法付与の鎖帷子チェーンメイルでも持っておくべきだった。

 防御性能が落ちる上、ゲームでは荷物になるからと全部売ってしまった。

 防御力は低いけど、実際に着るならメグやケイのような軽い服の魔法使いや、盗賊がうらやましいよ。まあ今更だけど……)


 鍋島のセラが目をつむったまま、考えを巡らす。


「そういえばセラ、まずは王城にいるバルバレスコ侯爵の妹さんに会うんだろ?」


 鍋島の気苦労など考えた風もなく、隣で同じ板金鎧を着ているはずのアキラが呑気に尋ねてくる。

(小畑の奴はなぜ平気なんだろう?

 重装備のはずなのに、僧侶の僕みたいな負担はまったく感じていないようだ。

 戦士の体力なら、この世界ではたいした負担にはならないのか?)


 セラは残ったわずかな元気を絞り出し、しかたなくアキラの質問に答えた。


「……そこが思案のしどころなのさ。元のシナリオ通りなら、城はたぶんドレイク司令官に支配されているだろう。

 サシカイア王妃に直接会いに行くのは、敵に捕まりに行くようなものさ」


「なんだって? じゃあせっかくもらった紹介状が何の役にも立たないじゃないか。

 城に行かないってんなら、いったいどこに行くつもりなんだ?」


「もちろんテーブルトークRPGで情報収集といえば酒場に決まってるよ。

 今回のシナリオによると、北の寺院の情報を持っているドワーフ冒険者が

 この街の酒場に待っていることになっているんだ。

 となれば、この街の冒険者財団ファウンデーションの酒場が一番会える可能性が高いってことさ」


「なるほど…… とりあえず情報を持っているドワーフの冒険者を探せばいいのか」


 二人が会話をしている間にケイが馬を器用に操り、リースリングの門近くまで人波を縫って馬車を進めていく。

 時間はちょうどお昼時で、門の前には街に入ろうとする商人や街の住人達で行列ができていた。

 行列の間を二人の兵士が巡回して、入場者たちの通行証や身分の確認をしている。

 まわっているのは若い兵士と中年兵士の二人組だ。

 主に質問をしているのは若い兵士の方で、中年の兵士は横からその様子を見ているだけに見える。

 通行証を持っていない者には身分を確認し、街に来た目的を聞いて入町税を取っているようだ。


「おい、近くまで兵士達が来ちまったぞ。どうすればいいラパーナ?」


 ケイが不安そうにセラに尋ねた。


「ケイ、馬車を止めてちょうだい。御者台に一緒に乗ってわたしが話をするわ。

 わたしの方が交渉力が高いからね」


 ケイが馬車を止めると、セラは扉を開けて梯子を登り御者台へと移る。

 馬車の外は日差しが強いとはいえ、風があるせいか中に比べると空気が美味しく感じる。

 窓を開けているだけでは、やはり馬車の中は蒸れる。

 外は風が吹いているせいか思ったより涼しくて気持ち良かった。

 そのままセラはケイと御者台に並んで座り、しばらく待っているとすぐに自分達の前まで二人組がやってきた。

 もうすぐというところで、目の前の荷馬を連れた中年の商人と若い兵士が、何やら言い争いを始めてしまった。


「おいおい、リースリングの街中では背中を向けて馬に乗れって、そんな無茶苦茶な話があるか! 俺は身体が弱いから馬に乗ってここまで来てるんだ。

 俺に曲芸師にでもなれっていうのか?」


 馬に乗った男は、あきれた規則を押し付ける兵士に食ってかかる。

「無茶苦茶だろうと何だろうとこれは王令だ! 逆らうならお前を謀反人として

 牢に入れなければならなくなるぞ」


 若い兵士も、歯向かう相手には慣れているのか一歩も引く様子はない。

 高慢な態度で商人を威圧してくる。


「ふざけるなっ! 去年、この街に商売で来たときにはこんな変な規則はなかった。

 王令と言えば何でも通ると思っているのか? 

 この国はみんな頭がおかしいんじゃないのか」


 商人も頭に来たのか、売り言葉に買い言葉で兵士に噛みついた。


「貴様っ、商人風情が王に逆らうばかりか、王国を侮辱するような発言までするとは、もはや聞き捨てならんっ!」


 若い兵士は商人の言葉にキレたのか、右手で腰の長剣を引き抜いた。

 一気に緊張感が広がり、剣を見た商人の顔が青ざめていく。


「ちょっと待ってよ、兵士さん。さすがに剣で脅かすのはやりすぎじゃない?」


 流血沙汰を予感したセラが馬車を降り、あわてて止めに入った。


「なんだ貴様? 見慣れない女だな。この男の仲間か?

 邪魔立てするというなら貴様も同罪だぞ!」


 兵士は剣を向けてセラを威嚇してくる。


「ま、待てジーク。この女性の聖印ホーリーシンボルをよく見ろ。

 ガイバックス神殿の聖女様だぞ……」


 もう一人の中年兵士にジークと呼ばれた男はハッとして、セラの胸にぶら下がっている白く輝くメダルを見た。

 聖印にはガイバックスの象徴である創造の紋様が刻まれている。

 聖印にも階級があり、セラが持つ白銀の聖印は最上位の聖者にしか所持を許されていない。

 白銀の聖印は磨かれた鋼鉄の聖印と似ているため、よく見ないと気付かないことがあるのだが、中年の兵士はすぐに見分けたようだった。


「ちっ、聖女様が言うんじゃ、話を聞かない訳にもいかねえ……」


 舌打ちしてジークが剣を鞘に戻す。


「ほらほら、商人さんも冷静になって。馬を降りて歩いて街に入れば問題はないのよ。ここには商売にきたんでしょう。それとも喧嘩をしにきたのかしら?」


「た、たしかに商売だが……」


 商人も冷静になったのか、セラのいうことを聞いて仕方なく馬を降りた。


「ほら、兵士さん達も彼が馬を降りれば問題はないでしょ?」


「まあ、馬さえ降りればな……」


 ジークと呼ばれる若い兵士も不満そうな顔でこたえる。


「しょうがねえ、通行税は銀貨三枚だ。荷馬が一頭いるから全部で六枚だな。

 払ったら貴様はもう行っていいぞ。ただし、街中で馬に乗っているのを見かけたら

 即しょっぴくからな!」


 商人は兵士に銀貨を支払うと二頭の馬を連れてとぼとぼと門の中へ歩いていった。

 セラが肩を落として前を行く商人を、気の毒そうに見送る。


「ジーク、この方たちにはわしが対応しよう」

「え、デニス隊長がですか?」


 ジークと呼ばれた兵士は驚いた様子だったが、提案には素直に従った。

 この中年の兵士はずいぶんと若い兵士に信頼されているようだ。


「いやいや聖女殿、先程はウチの若い者が失礼をしましたな。

 わしはデニスという者です。

 まあ、初めての者が聞けばおかしな王令だと思う人がいても不思議はない。

 街中では逆向きにしか馬に乗ってはならない、というものですからな。

 わしには王の真意は図りかねますが、この王令で傍若無人な輩が減ったのは確かです。ところで通行証か身分証はお持ちですかな?」


 デニスに対し、セラは身分証として預かっている四人分の冒険者財団員証を取り出して兵士に見せた。


「ほほう、やはりあなた方は冒険者でしたか?しかも白銀級とは、その若さで大したものですな。この街には何の用で来られたのです?」


 デニスはにっこりとしながらセラ達に尋ねる。


「リースリングには仕事を探しに来たの。ここにも冒険者財団はあるんでしょ?」


「この街に仕事ですか? スプマンテが景気が悪いとは聞きませんがね……」


 デニスが不思議そうな顔をする。


 そう言いながら横目で馬車に付いているバルバレスコ侯爵の紋章をちらりと確認した。


「……この国では街中で馬に乗る者は逆向きに乗らなければならんのですよ。

 先程お話した通りです。治安維持が主な理由ですがね。

 ところであなた方の乗っているのは馬車ですなあ……

 馬車は後ろ向きに乗れという直接の指示はありませんが、解釈によっては王令に違反しているともとれます。

 しかも四頭立ての高級な馬車のようだ。

 外国人の通行料は普通は一人銀貨三枚ですが、

 ただこれだけ立派なものとなると、この馬車はもう最高級の商品といってもおかしくない。

 そうなると通行料は合わせて金貨六枚というのが妥当な値段でしょうな」


 困った表情をしてデニスが話す。


「おいおいおっさん、足元を見すぎだろ?

 せいぜい一人銀貨五枚として金貨二枚というのがいいとこじゃあねえのか。

 オレ達を旅慣れていないと思って舐めんじゃねえぞ」


「いやあ、これでも安く言っておるつもりですよ。

 なんせガイバックス神の聖女様が一緒ですからな。

 儂はこう見えても敬虔なガイバックス教の信者ですから」


「まあまあケイ、いいじゃないの。

 兵士さんの仕事はいろいろとたいへんなんだから……」


 セラはケイをなだめながら、言われたとおり金貨六枚をデニスに手渡した。


「お嬢さん、ようこそリースリングへ。我々はあなた方を歓迎します。

 ここは素晴らしい街ですよ。あなた方にはきっといい仕事が見つかるでしょう」


「ありがとう、隊長さん。そちらもお仕事がんばってくださいね」


 セラが愛想のいい声で中年の兵士に別れを告げる。


 冒険者達の乗った馬車が街の中に消えてしまうと、若い兵士がたまらずデリムに話しかけた。


「隊長いいんですか? バルバレスコの腕利き冒険者なんかを通してしまって……

 早くドレイク司令官に知らせないと、後でたいへんなことになるのでは?」


「いいんだジーク。相手はあの若さで白銀級冒険者だぞ。

 装備を見ただろ? 我々が逆立ちしても歯が立たんよ。

 おまけに若いガイバックスの女聖者までいるんだ。

 我々が大ケガをした時どうする?

 あの方達が頼りなんだぞ。儂はガイバックス教の敬虔な信者だからな。

 それに風というのは、いつ風向きが変わるかわからんものなんだ」


「……風向きですか?」


 突然、変な例えを出されてジークがキョトンとする。


「若いお前にはまだわからんだろうが、風をうまく読んで立ちまわるのが、この仕事で長生きするための秘訣さ。さあ文句を言わずに仕事に戻るんだ。

仕事が終わったら今日は酒を奢ってやるぞ。さっきの冒険者達は気前が良かったからな」


 笑いながらデニスは次に順番を待っている人間のところまで歩いていく。


 納得のいかないジークだったが、この隊長の言うことで今まで間違ったことは一度もなかった。

 ジークはさっきの冒険者達のことは忘れて言われたとおりに元の仕事を続けることにした。

 一方、無事に門を通り抜けたセラ達はというと……


「おい、ラパーナ。ちょっとさっきの対応は甘かったんじゃないか?

 交渉すれば絶対にあと金貨一枚は値切れたぞ」


 御者台の横で不満そうにケイが口を尖らせる。


「ケイのいうとおりだけど、あそこで交渉に失敗すると大騒ぎになっちゃうし。

 トラブルはなるべく避けたいの。お金に困ってる訳じゃないんだから金貨の一枚や二枚なんてどうでもいいじゃないの」


「そりゃあそうだが、なんか納得がいかねえ。

 ちくしょう、ギルドに着いたら旨いものをたらふく食いまくってやる」


 ケイは文句を言いながらも、人にぶつからないよう街中を馬車で器用に走らせる。

 倉橋本人に乗馬経験はないはずだが、ケイという女盗賊はかなり馬の扱いに慣れているようだった。

 広い石畳でできた街の目抜き通りを進むと、人の往来はそれなりに多くなる。

 だがアウスレーゼ王国の首都にしては少し寂しい感じだ。

 街の角ごとに兵士が立っており、物騒な雰囲気が漂っている。

 城外の雑多な賑やかさに比べると城内は落ち着いているように感じた。

 突然、大きな笑い声がしたので慌ててそちらを振り向くと、後ろ向きで必死に馬を操ろうとする哀れな中年男の姿があった。

 どうやら先ほど兵士と揉めていた商人のようである。


「さっきのおっさん、結局我慢できずに馬に乗ったのか……

 だが後ろ向きで馬乗りなんて意外とやるじゃないか」


 ケイが御者台から商人を見て、めずらしく褒め言葉を口にした。

 続けて様子を見ていると後ろ向きで馬に乗るのはやはり無理があるようだった。

 男は思わず馬の尻から手を滑らせると、悲鳴を上げて地面に転げ落ちていった。


「……可哀想に。後ろ向きで馬に乗るのは常人には不可能ね。

 これでは実質乗馬禁止令と同じだわ」


「まあ、オレなら乗れるけどな」


 ケイの口元がニヤリと歪む。

 観衆が男の周りに集まって騒いでるのを尻目に、馬車はどんどん先へと進んだ。

 先ほどの騒動以外には、他にトラブルは見当たらないようだった。

 リースリングの街もホームタウンのスプマンテと同じくらい都会のはずだが、王令のせいか街は人通りも少なく、なんとなく寂しげに感じられた。

 静寂な街並みを、時折見かける歩行者を避けるようにケイの操る馬車が軽快に駆け抜けていく。

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