*3* 白いお花とかわすキス

 薬術師は、新しい街へやってくると、まずその土地の地理や地質について入念に調べる。


 自生する植物の中から、使えそうな薬草をピックアップするためだ。


 そのおかげなのか、朝っぱらからの全力エスケープは、地理を熟知したわたしの完全勝利で幕を閉じた。


「ぜぇっ、ぜぇっ……これでもう、だいじょ……うぇっぷ」


 リバースするのは、なんとか耐えることができた。


 思えば、昨日は朝イチで仕事をドタキャンしてからそのまま爆睡をキメたので、丸一日なにも食べてない。極度の空腹状態で全力疾走したせいで、頭がぐわんぐわんする。


 あかん、なにか、なんでもいいから木の実でも食べないと、低血糖で倒れてしまう。


 よろよろと木の幹づたいに歩くと、鬱蒼とした森の中で、ピンポン玉くらいの大きさの黄色の実を見つけた。


「やった……助かった!」


 わたしは地面へひざをつくと、ハートを逆さにつるしたように成った黄色の実……ではなく、そのとなりに咲いた白いお花をつみ取って、ちゅうと吸った。


 ほんのちょっと、スズメの涙くらいの量だけど、ほんのり甘い蜜が、舌先から全身に染みわたる。


「わ、こっちにもある……あっちにも!」


 街を出たこのあたりは来たことがなかったけど、幸いなことに、群生地を見つけたらしい。


 点々と咲く白いお花を摘んではキスをくり返していると、背中に痛いくらいの視線を感じる。


「あっ、ごめんごめん! きみも吸ってみなよ。はい、チーゴの花」

「……なんで」


 お花を差し出したら、その分うしろに下がられた。

 うん……物理的にも精神的にも距離を感じるね?


「これはチーゴ。チーゴの実は甘くて美味しいんだけど、食べごろは実が赤いとき。熟しすぎると黄色になっちゃうの。その分、こっちの白いお花が栄養をいっぱい吸ってるから、蜜を吸うと力が出るよ」

「…………」

「ほんとだって! 毒なんてないよ! わたしがピンピンしてるのが証拠ですっ!」


 まぁ、遅効性の毒をもった植物もあるけど……それは話題に出さないのが気遣いってものだろう。


「きみもなんにも食べてないでしょ? 少しでも口に入れないと、倒れちゃうよ」


 チーゴの花を差し出すけど、少年はわたしを睨みつけて、ふいっと顔をそむける。


 それから、じぶんの手で摘んだチーゴの花へ、半信半疑といった面持ちで口づけて──


「……!」


 ぐわっと、両目を見ひらいて固まった。よくよく見てみれば、サファイアみたいにきれいな瞳だなぁ。


「ふふっ、美味しくてびっくりした? 目がこぼれちゃいそう」

「……るさい」


 ぼそりとつぶやいた少年が、投げやりに白い花を放る。


「こらっ! ポイ捨てしちゃだめでしょう! はいこれ回収しまーす!」

「なっ……なにしてる! 俺が口をつけたやつだぞ!?」

「あ、そういうの気にするタイプ? 大丈夫、ちゃんと洗って使うから。チーゴの花を乾燥させて粉末状にすると、いい風邪薬にもなるんだよね」


 ちなみに、低級ポーションの原料のひとつだったりもする。かさばらないから、結構な量がマジックバッグに入るし、持ってて損はないもんね。


 腰をかがめてチーゴの花を摘むついでに、口をひらく。


「ねぇ、きいてもいい? きみ、名前は?」

「……」

「あ、先に名乗れって話だよね。わたしはリオ。薬術師をしてるの」

「……」

「なんで倒れてたの?」

「……」

「ひょっとして……お店から逃げ出した?」

「っ、あんたには関係ないだろッ!」


 無視を決め込んでいた少年が、最後の問いに過剰な反応をみせる。


 おぉ……これはビンゴかな。


「きみを突き出したりとかしないから、安心して。かくいうわたしも、ちょーっとお仕事で失敗しちゃって追われてる身ですし……」


 白いお花でマジックバッグがいっぱいになったところで、パンパンッと手のひらについた葉っぱをはらい、ふり返る。


「行くところがないならさ、次の街まで、いっしょに行かない? 旅は道連れ世は情け、だよ」

「……断る」

「えっ……大丈夫なの? ひとりで食べてける? お母さんのところに帰れる?」

「こどもあつかいするなぁっ! 俺はもう十六だっ!」

「あら、そうなの。わたしは十八よ。わたしから見たら、きみはこどもだね」


 精神年齢はゆうに三十路超えだし、歳のはなれた手のかかる弟でも目にしている心境だ。


 前世では人見知りもしてたけど、そんなザマじゃ今世では生きていけないので、それなりのコミュニケーションスキルは獲得した。


 いやぁ、わたしも成長したなぁ。外見は若返ったけど。


「知らないっ、気安く話しかけるな! 俺はひとりで……!」


 ぐぅ~ぎゅるる。


 威勢よくさわいでいた少年が、うそみたいにおとなしくなった。


 バッと顔をそむけたけど、耳が真っ赤になってるから、それは無駄な抵抗ってもんだ。


「あははっ、ねぇねぇ、チーゴの花を処理するの、手伝ってくれない? そしたら、ちょっとリッチなサンドイッチを食べられそうな気がするの」


 なけなしの所持金だけど、お腹が空いてる子を放っておくくらいなら、よろこんで散財しようじゃありませんか。


 長い長い沈黙があって、真っ赤なままうつむいた少年が、のそりとこっちに向き直った。

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