第27話 復讐は蜜より甘く。

「しかしあいつら、迷惑なもんを置いていきやがって……」


 俺はうずくまったまま動かないナナを見下ろして悪態を吐く。


「突き返す暇もないくらいさっさと帰っちゃいましたしね」


 さっきまで心配そうに俺を見つめていたメアだったが、今は俺の腕をがっつりとホールドしている。

 心配が爆発した結果、密着することにしたらしい。

 ほんとなにこの可愛い生き物。

 この世の生物が全部メアなら、どれだけ幸せな世界になるだろう。

 でもその場合、確実に俺が腹上死する気がする。


「けどほんと、扱いに困るな……」

 

 正直、まだナナを見ると心臓がバクバク鳴るし、全身に血の気が引いたような冷たさが走って、胃もたれした時みたいに腹の奥がムカムカする。 


 前回と違い周りに人がいない、否が応でもナナに注目してしまう環境だからだろうか。

 こうしてメアが腕を抱いてくれていなかったら、立っていられるかも怪しいかもしれない。


「こうして顔見てんのも嫌だけど、事情くらいは聞いた方がいいんだろうなぁ……」


 ここに置いて行かれたということは話されて困るような情報は持っていないんだろうが。

 それでも、修司のことだけは聞かなければならない。


「ん~、まあどうしても、見るのも嫌なら後でその辺の森の奥に捨ててきますが……それよりも」


 唐突にメアが俺の腕から離れ、右手だけしっかりと繋いでくる。

 俺は少し動悸が早くなるが、一応メアに触れていれば何とか大丈夫そうだ。


 そしてメアはおもむろにナナへと近づき、


「いい加減起きたらどうです? いつまで寝たふりをしているつもりですか?」


 腹の奥からひり出したような、底冷えするような声でそう言って、指先からバチっと電撃を走らせた。


「いっつ――!?」


 別に寝ていたわけではなかったようだが、ナナはスタンガンより強そうな一撃を浴びて跳び起きる。


「な、なにすんのよ!」

「おはようございます♪ とりあえず、それ以上騒げばもう一回ビリっとしますよ?」


 声は冷たいまま、目だけが笑っていない怖い笑みを張り付けて、メアが指先に電撃を光らせる。

 

 いや、どう考えてもビリっとじゃない、バチっとだそれは。

 電気ショックと十万ボルトくらい差があるだろ。


「ひっ――」


 それを見たナナは怯えたように固まり、さっき電撃を浴びた部分を庇うように覆った。

 

「あはぁ。そんなに怯えちゃって、クズのくせに可愛いところもあるんですねぇ」


 楽し気な声を上げたメアは、そのままもう一発、レース地のひらひらしたトップスのむき出しの二の腕部分にバチィっ! と音がする程の電撃を浴びせる。

 

「——かはっ、なん、で……静かにしたのに……」

 

 赤くミミズ腫れのようになった二の腕を抑えながら、ナナは涙ぐんだ。


「そうやって、言うことを聞いて安心しているところをいたぶるのがいいんじゃないですか。さあ、もう一発——」


 メアは心底楽し気に、愉悦の表情さえ浮かべて完全に怯え切ったナナへと迫る。


「おい待て落ち着け。痛めつけるのは止めないけど、情報を聞き出すのが先だ」


 何が起きてるのか分からず呆然としていた俺だったが、流石にまずいと思いその手を掴んだ。


「す、すみませんつい……愛する人に酷いことされたので、そのお返しをしようかと」


 申し訳なさそうに答えるメアだが、目の奥ではナナの姿を捉え続けている。

 

 ――彼女は、怒っていた。


 最初に会った時は俺が倒れてすぐ帰ってしまったが、恐らく出会った日、俺から話を聞いてからずっと、怒りを貯めていたのだろう。

 俺だってメアを追い込んだ魔族の変態貴族はいつかぶん殴りたいと思っているから、まあ気持ちは分かる。 


 だが、今は堪えてもらわなくては。


「おいナナ……修司のことで、何か知っていることはあるか? 拠点ではどういう立ち位置だとか」


 普通に聞いたつもりだったが、自分でもびっくりするくらい冷たい声が出た。

 体は震えているのに、声に何というか、やたらとドスが聞いている。


「え、修司……? 詳しくは分からない、けど、それなりに偉いんだと思う。修司の知り合いだってことで、あたしも他の子より良い食事を貰えてたし……」


 ナナは意外そうな顔で、しかし脅しが聞いているのか素直に質問に答える。

 

 だが次いで、


「ねえ鷗外……なんでこんな、私は――」

「誰の許しを得て、私の旦那様の名前を呼んでいるんですか?」


 縋るような目で何かを言いかけたナナの頬を、メアが思い切り引っ叩いた。

 音自体はパチンという平手打ちの音だが、威力は殴打級。

 ナナはそのまま吹き飛ばされ地面に頭を打ち付ける。


 それを見て、俺の心臓がドクンと、今までとは違う感覚で跳ねる。


 なんだこれ……俺は今、スカッとしたのか?

 いやまあ確かにどの面下げて人に縋ってんだとは思ったが、ナナについてはもうどうでもいいと割り切っていたはずなのに。

 なんというか、自分が自分じゃないみたいで気持ち悪い。


「聞かれたことにだけ答えてください。でなければまた、ビリビリしちゃいますよ?」


 メアが人差し指をバチっと弾けさせると、ナナは怯えた表情でコクコクと頷く。

 もう、声を出すのも怖いのだろう。


「他に何か知っている事はあるか?」

「……分からない。私はただ、他の女子たちが魔法を覚えようとしたり、変な動きをしたら報告するだけで、他には何もしなくていいって言われてて。だから、魔法も教えてもらえなくて……」


 ナナは泣きそうな声で、そう語った。


 まあ、そうか。

 こいつはファンタジーとは無縁だったし、魔法の存在を知ってもどうしたら使えるとかは分からないのだろう。

 俺と付き合ったのも音楽の趣味が合ったからだったし、アニメとか漫画の話題を出すとつまらなさそうにしていた覚えがある。


「これ以上は、何も引き出せそうにありませんね」


 メアが冷たい声でため息を吐いて、ゆっくりと彼女に近づいていく。


「ひっ――」


 それに、怯え切ったナナが後ずさる。


「メア……殺す、つもりなのか?」

 

 その気配に危うげなものを感じて、俺は問いかける。


「安心してください。すぐに殺したりはしませんから。いたぶって、苦しめて、向こうからもう殺してって懇願してきたら、そこらの魔物にでもくれてやりますよ」


 にべもなく、さらっとメアがそう言った。

 彼女が何をしても可愛く見える俺ですら、今のメアは少し怖い。


「なにも、そこまでしなくても……」

「むしろ、オウガイさんこそ何もしないんですか? あの坊主の人も言ってたじゃないですか、煮るなり焼くなりお好きにどうぞって」


 いやまあ言ってたけども。

 当然彼女のしたことは許せないが、元の世界の法律に照らして違法といえることは何もしていないのだ。

 拷問の末殺すというのはやり過ぎな気がする。


「確かに、以前の俺なら一、二発……いや四、五発くらいはぶん殴りってやりたいと思っていたかもしれない。でも俺はもう、メアと出会えただけで十分幸せなんだよ。だから今はナナのことをどうこうしたいとは思ってない」

 

 誰だって、自分が満たされている時は他人に余裕を持って接することが出来るものだ。

 故に、俺はもうナナに対して何の感情も抱いていない。

 復讐したいとも思わないし、逆に虐げられているのを止めようとも思わない。

 無感情。無関心。それだけだ。

 

「——本当に、そうですか? それなら何故、オウガイさんの手はそんなにも冷たく震えているんですか?」


 真っすぐに俺を見据え、ぎゅっと強く、握る手の力を強めてくる。

 

「それ、は……」


 言われてまたドクン、と心臓が強く脈打った。

 何かを言おうとするが、言葉が出てこない。


「分かりませんか? オウガイさんは仕方がない人ですねぇ。では特別に、私が教えてあげます」


 メアが人差し指を立てて、教師めいた口調で無い眼鏡をくいと上に上げる真似をする。

 そのまま俺の右側にぴったりと寄り添い、手を握ったまま肩に腕を回し、耳元にゆっくりと柔らかな唇を近づけ――



「——それは、あなたがどうしようもなく彼女を憎んでいるからです。よく、思い出してみてください。彼女に裏切られた後で、自分がどう思ったのかを」



 理性を破壊する蠱惑的な声で、そう囁いた。


 言われて、俺の中に段々と当時の記憶が、感情が蘇ってくる。

 裏切られた直後の、内臓という内臓からドロドロと熱くて黒いものが溢れ出してきて、はらわたが煮えくり返るような感覚。

 家で引き籠っている時、大学を休む度に、未来が失われていく度に、何度も何度も思った。


 ――俺の人生を壊した晴野七海を、ぶち殺してやりたいと。


「思い出しましたか? そうしたらほら、こんな風にしてみたいと思いませんか?」

 

 メアが俺の方を見たまま、つま先でみぞおちを思い切り蹴り上げる。

 ナナは再び痛みに悶絶し、目に涙を浮かべている。

 

「さて、もう一度伺います。ここにいるのは私たちだけ、あなたが何をしてもそれを咎める者はいません。……それでも、オウガイさんは何もしないんですか?」


 ――何をしてもいい。


 そう言われて一瞬、俺の脳裏に今しがたのナナが蹴り飛ばされていた光景が浮かんだ。

 それをしたのが自分だったらどれだけいいだろう。

 このまま思いっきり、ナナを蹴り飛ばしたい。

 全身がそんな衝動に駆られる。


 それに反するように、頭では馬鹿げたことをするなと警笛が鳴り響いている。

 暴力に頼ってもクソ女や、自分の都合で人を奴隷にしようとするインテリ坊主たちと同じ土俵に上がってしまうだけだと、幼い頃から心のノートやらなんやらで刷り込まれた日本人の倫理観が暴力を忌避している。

 だけど、今の俺にはその暴力がなによりも甘美で、魅力的に思えた。


「……答えは、出たみたいですね。それじゃあほら、最後の枷も外してあげますから……どうぞ、復讐をご堪能あれ」


 囁きと同時にメアが俺の手を放し、ぽん、と優しく背を押した。


 それだけで、俺の理性は簡単に決壊した。


「待って、鴎外やめ――」


 声を無視して、俺はナナの横っ腹を思いっ切り蹴り飛ばした。

 

 足に痺れるような衝撃がずん、と来て、ナナが2メートルほど吹っ飛ぶ。

 ナナは呻き声を上げ、しゃくり上げながら倒れ込む。

 その髪を掴み、絶望に染まる表情をしばし見て――今度は正面から腹に膝蹴りを入れる。

 

 暴力の衝撃と、その度に上がる敵の呻き声。その全てが心地よくて。

何かをするたび、脳から出てはいけないレベルの快感があふれ出している。


 気付けば動悸は収まって、震えは消えていた。

 代わりに高揚感がひたすら溢れ出してくる。


 ——復讐は蜜より甘い。

 そんな言葉を何かの映画で聞いた気がするが、まさにそれだ。

 蜜より甘く、どんな美酒よりも心地よく脳を痺れさせる。

 どんなクスリでも、この快楽は得られないだろう。


「お願い、やめて……」


 ゴミが何かを言っているが、完全にハイになった俺には分からなかった。

 ただ鬱陶しいから黙らせようとだけ思って、馬乗りになって彼女の顔を殴り出す。


 自慢の顔もこうなれば形無しだ。

 血塗れのあざだらけで腫れあがったこんな状態じゃ、もう男に媚びも売れまい。

 ざまあみろ。いい気味だ。


 ナナは僅かばかりの抵抗なのか両腕で顔を覆ってきたが、邪魔なので土魔法で地面に埋めた。

 これでもう、抵抗も身動きも取れまい。

 魔法ってのはやっぱり素晴らしいな!


「は、はは、ははははっ! おら、もっと汚い声で鳴けよ。一体どんな気分だ? 見下して都合よく利用してた男に復讐されるってのは!」


 気付けば、俺は笑っていた。

 笑いながら殴り続けて、虐げられていたエ〇漫画の主人公みたいなことを口走っていた。

 それを恥ずかしいと思う理性も、もう残っていなかったのだ。


 笑う。殴る。笑う。殴る……

 時折場所を変えながら殴ると反応が違って面白い。


「オウガイさーん、程々にしないとすぐ死んじゃいますよー」


 遠くからメアの間延びした声が聞こえる。


 死ぬ? それは嫌だ。

 こんなに楽しい遊びが出来なくなってしまう。

 

 せっかくなら裸に剥いて異世界人か、そこらの魔物にでも犯させるかな。

 殴った後が見えないのもつまらないし、いっそ燃やしてしまうか。


 俺は歪んだ笑みを浮かべたまま、右手で火魔法を放とうとして――


「ひっ――お、お願い待って! 殺さないで!!! ……違うの、聞いて鴎外! 私はあなたを裏切ってない。ただ修司に脅されてただけなの!」

 

 おど、されてた……?


 一体こいつは、何を言ったのだろうか。

 興奮し過ぎていて、よく理解できない。

 けれどなんだかとても重要なことに思えて、とりあえず火魔法を消した。


「……ここまで、ですかね」


 メアが優しく俺をナナから引き離し、そのまま俺の頭を胸に抱く。

 とく、とく、と、ゆっくりと流れるメアの鼓動だけが俺の世界を支配する。


 そうして次第に、俺は理性を取り戻した。


「……俺は、何を」


 思い出して、おぞましさが全身に込み上げてくる。

 笑いながら人をぶん殴って、無抵抗の相手を火魔法で燃やして、魔物に犯させようとしていた。

 振り返っても自分の行動とは思えない。


 ……気持ち悪い。


「おえぇ……」


 俺はぱっとメアから離れて傍の茂みに駆け込み、胃の中のものを全てぶちまけた。


「よしよし、大丈夫ですよ」


 メアが傍に来て、優しく俺の背中をさすってくれる。

 流石に吐いた後を見られるのは恥ずかしくて、さっさと土魔法で穴を掘って埋めた。


「すみません。少し、無茶をさせ過ぎてしまいました。ただ、飲み下すだけでは決して癒えない傷もあるのだと、あなたに知ってほしくて。……これからの人生、あなたが彼女を思い出して辛い顔をするのを見たくはありませんから。というかそんな暇があるなら私とイチャイチャしてて欲しいですし」


 メアは申し訳なさそうに、俺の背を撫でる手を止めてそう言った。


 ……飲み下すだけでは癒えない傷。

 確かに、俺にも心当たりがある。


 俺は小さい頃絵を描くのが大好きだった。

 両親も俺の描く絵を毎回喜んでくれて、額を買って飾ってくれたりもした。

 だから俺は、絵を描くのが得意なのだと信じ切っていた。

 けれど、小学校に上がった直後、図工の時間に描いた絵を、クラス全員の前で担任教師に思い切りこき下ろされたのだ。

 今思えば俺はテーマとは離れたものを描いてしまっていたし、担任も厳しいだけで中身がない評判の悪いババアだったから、気にする程の事ではないのだが。

 でも、俺はそれきり絵を描くことを止めてしまった。

 描けなくなったわけではない。けれど、描こうとすると担任から言葉が脳裏に浮かんで、絵を描くことを楽しいと思えなくなってしまったのだ。


 思うに、ナナに裏切られた後、人との関わり自体が怖くなってしまったこともそれと同じな気がする。

 今はメアのおかげで立ち直れたが、元の世界では死のうとする直前だったわけだし。


「大丈夫だ。……メアの言う通り、今回の件でだいぶ心が晴れた気がする」

 

 思い出の上書きとでもいうのだろうか。

 害してきた相手を蹂躙することで、振られた記憶がナナの呻き声に置き換わって思い出しても怖くなくなった気がする。

 現にもう、俺は一切震えたりしていない。


「だからこそ……ちゃんと、ナナから話を聞こう」


 俺は短く息を吐いて、ゆっくりとナナの方へと向かった。 

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