第11話妖精神殿の玉座
中央へ向けて歩き出して直ぐアンマリアは、妖精界に存在する建物の内『歴史ある』建物に共通する法則が、この場所にも当てはまることに気が付いた。即ち、使う者のことを何も考慮していないということだ。
継ぎ目の無い純白は遠近感を容易に狂わせる。強すぎる明かりのせいで自分の影が生じないのは立ち位置が解らなくなり不快だし、歩く足音の反響も、常に浮遊する妖精たちは当然考慮していないのだろう、生じる不安定な響きのずれが少しずつ神経を削っていく。
そしてこれは獣人ならではだろうけれど、ここでは一切の臭いがしないのだ――満ちている魔力の静謐さといい、いっそ神経質なまでに不純物を消し去ろうとしているような印象がある。
妖精の考える不純物の箱には、間違いなく、妖精以外の全てを放り込んであるのだろう。あまりにも最適化された神殿は結局上位存在のためのものであって、ヒトにとって過ごしやすい空間ではけしてない。
とはいえ、アンマリアの繊細な感想は魔術師とは共有できそうになかった。きょろきょろと周囲を観察するレギンの口からは、ほお、だの、はぁ、だの嘆息ばかりがこぼれている。
『ふむ…………こうして歩いてみると、【水晶宮殿】を思わせる作りだ。知っているか、アンマリア?』
水路の一つに沿って歩きながら、レギンは少々の興奮を滲ませながら言った『海を渡った遥か南方の、風女神の土地にある神殿なんだが』
勿論アンマリアは首を振った。
魔術の歴史について多少は勉強したけれど、所詮は【煤と煙突の街】を出たことの無い獣人である。海というものを実際に見たことさえ無い――妖精界に来るときに列車が通ったあの、霧と漂流物で覆われた巨大な水たまりを数に入れないとして、だけれど。
アンマリアの答えを予測していたように、或いは気にしていないかのように、レギンは話を続けた。
『全てが水晶で作られた、神代の女王のための宮殿だ。【星と月の女王】の玉座はもちろん、床板の一枚に至るまで全てが水晶で作られていてね。水晶は魔力を吸収して浄化する――自然界に存在する属性付きの魔力を、扱いやすい無属性の魔力に還元する効果を持っているんだ。そうした仕組みを生かして周囲の魔力を浄化し、ろ過し、中央の玉座へと導くいわば、魔力収集装置なわけだ。集まる魔力量といったら凄まじいの一言だ。南方大陸名物である大密林の真っただ中にあるためだろうが、木々や川、更には生き物たちの持つ魔力でさえ循環の輪に入れ込んでいる。正しくあの玉座を得た者は、辺り一帯の森を支配する力を得るも同然というわけだな』
警戒のためだろう、同行させているゴーレム二体とアンマリアは顔を見合わせた。
岩を何個か組み合わせて作られたような、雑なヒト型のゴーレムたちは、子供のように無邪気な――無機質な目で兎人の少女を見上げている。
何もなくこの子たちと、草原でも散歩したいものだけれど。あいにく今はそれどころではないし、彼らもそのために生まれたわけでもない。アンマリアはため息を吐きながら、レギンの方に向き直った。
「ここもそうした目的なのでしょうか」
『水路の配置やそれに伴う魔力の流れを見るに、汚水に含まれる魔力を吸い上げて集めているのは明白だ。問題は、誰が玉座に座っているのかだが…………』
「それこそ明白なのでは? ここは女王陛下の城の真下なのですから、玉座に座ることが出来るのはただ一体の妖精だけです」
『そうだな、そう考えるのが自然だ。だが――何か引っかかるんだ』
首を捻るレギンを、アンマリアは不思議な気持ちで眺めた。
いっそ哀れみさえ感じた――常日頃斜に構えてうがった見方ばかりしているから、単純明快な答えが目の前に現れても、疑いの心を捨てられないのだ。もっともこういった欠陥は、魔術師という生き物に共通する事実かもしれない。賢いというのは、とかく生き難い性質なのだろう。
不意に、先を歩いていたレギンが立ち止まると、肩越しにちらりと視線を――マスクの暗いガラス越しにだけれど――向けた。
『何か失礼なことを考えているな、アンマリア』
「いいえ、別に」
『君の普段の言動や性格を鑑みれば想像がつくぞ。僕のことを疑い深い、心配性の患者だと思ったのだろう』
「そこまでのことを思ってはいません! ただ単に、自分でも『これが最も自然な考えだ』と思っているのに、どうしてそれが正解だと言い切らないのだろうと思っただけです」
『簡単な話だ、アンマリア。君は魔術師について多少学んだようだが、その本質を知らない。魔術とは何か、それはただ一言こういえば済む――不自然を誤魔化す詐術だと』
どうして、とアンマリアは不思議に思った。魔術師について語る時にはいつも、どうしてレギンはこんなにも、無表情を徹底するのだろう。
無表情に、無感情に。
さも客観的に見たら当然の評価です、と言いたげな他人顔をしながら、魔術師の事を語るのだ。しかも、悪いように。
『まだ中央までは歩くようだし、道すがらの世間話として少し話すんだが。魔術というのは生じた現象だけを見るのなら、まさに不自然そのものだ。マッチも無く火を生み出し、低所から高所へ水が流れ、人形が糸も無く動き回り、使い終わった食器から汚れだけを浮かび上がらせて飛ばしたり…………全く不自然だ』
「便利ではありますけれど、まあ、自然な現象ではないですよね」
『その通り。誰だって、魔術師自身だってそう思うだろう。だが魔術師は魔術を使う。不自然だと思いながら、火種無しで火をつけている』
「杖と呪文で魔力を制御するのですよね?」
『制御、ふむ、その言葉は解りやすいかもな。千年を超えた霊木やら月の光だけで育った枝やら、或いは宝石を加工したり、魔術師ならば誰もが皆、自分自身を杖に込める。呪文は…………まあ、先祖伝来のものが多いかな。自分でアレンジするやつも多いが、ある程度そういう才能が必要になるからな』
レギンは肩を竦めると愛用の杖を取り出し、手のひらで器用に回転させた。『僕は雪越えの葡萄の枝を加工している。何しろ次男坊でね、本家筋の霊木は使わせてもらえないんだ』
「素敵な装飾ですね。それがレギン様の、魔術の要というわけですね」
アンマリアの言葉に、レギンは首を振った。
『そういうわけじゃない。というか、そうだな、どちらかというのならこれは、【レギン】という存在の要だ。魔術の行使という点では、寧ろ重石でしかないよ』
「存在の要?」
アンマリアはレギンの言葉を反復し、考えながら口を開いた。「………つまり、魔術の暴走を防ぐ役目というわけですか?」
『理解の早い生徒だな、好かれも嫌われもする素質だ。まあその通り、と言っておこうか。結局のところ魔術とは、魔力に物を言わせて不自然を押し通す力技だ。何の制限も設けず使っていては、ふと、『魔力で火をつけれるんだよな』と思った瞬間に目の前で炎が燃え上がることになる。しっかりと、『杖と呪文を合わせないと火はつかない』と自分自身に決めておかないと、歩くマッチの怪物に成り果ててしまうということさ』
「なるほど。実際は杖も呪文も無くても魔術は使えるのですね」
『魔力に適正さえあればね。それでも、走る馬の上で逆立ちしながら読書するような曲芸じみた離れ業だが。失敗すれば死ぬし、出来たところで、真っ当な生活には全くもって必要のない技術さ。毎日そんな恰好で読書しているやつのことを、普通は変人と呼ぶだろう? 魔術師はそうならないように充分に気を付けている。だが、好き好んでそんな芸当をやるやつもいる――それが魔女だ』
そして、とレギンは杖をしまう。『妖精もそんな変人のお仲間だ。魔力と意思だけで魔法を使う。そんな変人が作った建物だぞ? 僕らが予想する程度の答えで収まるとは、正直言って思えないね』
「なるほど………ごもっともかもしれませんね」
『事実を整理しよう。勿論このままあと数分歩いて行って、中央に着いた時点で答えを見るのも一つの選択ではあるが、出来ればその前に、何が起きても驚かない程度の心構えはしておきたい。
まず大前提として、この場所の機能は間違いなく汚水を集めて魔力を抽出するというものだ。これは汚水の性質、それから水路の配置からもそうわかる。これは事実として
それはアンマリアも同意できる。
実際の下水も同じように、汚水を集めて処理していると聞いたことがある――魔術師の中にはここと同じように、汚水を魔術的に加工して燃料にしようという研究をしている人もいるとか。
そうした知識、それからレギンの魔術師然とした知見を合わせれば、分析は正確だろう。
問題は、そのあと。
「誰がこの魔力を使うのか、ですよね………」
『そうだな。或いは………何に使われているか、かな』
「何に、ですか?」
『要するに、ここで集めた魔力は実は何処にも行かず、ここで何かに使用されているんじゃないかということさ。先ほどの話にも出た水晶宮殿は魔力を無色にして、どんな魔術にも応用できるように蓄える仕組みだが、ここの魔力はどう見ても属性が付いている。光だ。魔力に指向性を持たせているんだ』
「詰まり、その…………」
アンマリアは周囲をぐるりと見まわして、耳をそばだてた。「………ここでは常に、何らかの魔術が発動しているのですか?」
『妖精の仕業なら、魔法だろうな。規模や強度で言えば魔術と比べると圧倒的だし、幅も広い。だが何しろ使用者が妖精だ、維持しよう、という意識に関しては希薄だと言わざるを得ないだろう』
「そこをカバーするための、神殿ですか」
『そうだな。神殿というのはあらかじめ決めておいた魔術を継続させる効果がある、自立的に魔術を使い続けてくれるわけだな。そして妖精が作るのであれば、魔法を継続させることが出来ると考えるべきだろう』
「魔法の、継続………ということは………それだけ重要で、しかも、誰もあまりやりたがらない魔法ということですよね?」
『ふむ。君と僕とは情報を共有している。とすれば恐らくは、考えていることは一緒だろうな。だとすれば泥翅がここに、彼らにとっては地上以上に住みづらい場所に、わざわざ巣くっている理由も理解できる――さて、そろそろ答え合わせだ』
レギンの言葉の通り、道しるべになっていた水路はもう終着点にたどり着いていた。六本の水路がそれぞれ異なる方向からやってきて、目の前で合流している。汚水…………いや、もはやそれはそんな名前で呼ばれるべきものではない。長い長い道のりを経て至った妖精の神殿で魔力に還元され、一種の霊水とまで昇華されているようだ。この水を瓶に詰めて売ったら、魔術師相手に一財産築けるだろう。もしかしたら来歴を知っても、込められた魔力の濃厚さと天秤にかけるかもしれない。
そんな濃厚な魔力の水が、一か所に注がれている。部屋の中央、妖精神殿の玉座に当たる場所へ。
アンマリアの身長分くらい低く落ち窪んだ位置に水路は到達していた。二人とゴーレムたちはゆっくりと慎重に近付いて、覗き込んだ。
「あれは、純白の…………箱?」
水路それぞれに接続する地点を頂点とした、完全な六角形。
表面には装飾も何もなく、床や壁と同じように繋ぎ目の無い白い素材で作られた箱。大きさは、膝を抱えたアンマリアが中に入れるかどうかというくらいだろう。それが魔力の水を注がれながら、くぼみで浮かんでいる。
『やはりな』
レギンはくぼみの周囲を回りながら、箱の周囲を観察している。『水路の魔力はあの箱に流れていき、そこからどこにも行っていない。水だけは排出されているようだが、この神殿の機能は全て、あの箱のためにあるとみて間違いないだろう』
「…………レギン様、あちらを」
『っ、やはりいるか』
アンマリアの鼻が、特徴的な無臭を捉えた。これだけ魔力で満ちた空間ではありえない、魔力の匂いが無い場所。
音も気配も無い、けれども無いこと自体がいることを証明する妖精界の怪物。それが箱にしがみつき、突き破ろうと懸命に嚙り付いている。
だが――レギンもアンマリアも、それがここにいることを確信していた。この箱の用途を推測した時点で、いなくてはおかしいとさえ思っていた。なぜならば。
「やはり…………輝きの妖精の墓か」
その言葉に反応したかのように。
泥翅がのっそりと、顔を持ち上げた。
『…………』
「…………動きませんね」
箱の一角にしがみついた泥翅は確かにアンマリアたちの方を見た、けれどもそこからは移動しようとしない。それどころか直ぐに顔を背けて、箱を齧る作業に戻ってしまう。
『光の魔力に晒されているのだから、動き回れないのは当然だろうが…………それにしても、だな』
「私たちの予想が正しかったということ、ですか?」
『まあ、そうだろうな』
セラ・キールの話にあった、輝きの妖精。
彼の死体は処分することも出来ず、また通常の妖精のように魔力に還元されることも無く、区画ごと封印された筈――それが、ここだ。
「女王陛下の城の真下に、そんな怪物を封印しておくなんて…………」
『我らが祖国では考えられないだろうな。女王本人の気質はともかく、側近たちが危険を許しはしない。だが、歴史的に見ればそれほどおかしな行為でもないんだ。敵対者や怪物を討伐して得た領地では、討伐者は自らの威光をもって彼らの恨みや怒りを鎮めなくてはならない。化けて出る、なんて噂をされては困るだろう? だから、敵を倒した強い自分が蓋をしているから問題ないと、周囲にアピールする必要があるわけだ』
それに、とレギンは肩を竦める。『ここでは女王は最強の妖精だ。自分が最も恐れる怪物こそ、目の届くところに置きたくなるものだろう』
話をしている間も、泥翅は懸命に箱を齧っている。
その必死さは、箱の中に自らの祖たる存在がいると解っているかのようだった。自らの魔力喰いの能力を使って、魔力で作られた箱を壊そうとしているのだ。
「…………」
『あの必死さに絆されるなよ、アンマリア』
動揺を見透かすかのようにレギンが警告する。『あれは単なる本能でさえない。もし泥翅が僕の考える通りの存在なら、あぁなった時点で意識と呼べるものはないんだ――これだけ祖先に近づいていては、本能さえない。ただ、あの箱の中にいるやつの命令に従っているだけだ』
「それはそれで、哀れですね…………」
『そう思うのなら、楽にしてやるべきだろうな。とはいえ下手に攻撃も出来ないな…………』
「光を当てるのはどうでしょうか? 先ほどの海月のゴーレム、あれを上に置くとか…………」
『魔力を喰われて終わるだろうな。それに忘れてないか? ここは光に満ちている。あの泥翅はご機嫌ではないものの、光そのもので何かしらのダメージを受けているようには見えない。これ以上の光の魔力を出すことは出来ないな』
「お困りのようですね?」
明らかに、手詰まり。
終点を前に足踏みをするアンマリアたちの頭上から、声が聞こえてきた。輝くような白灰の魔力と共に、セラ・キール、妖精女王の片腕が、頭上から舞い降りてきた。
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