第3話影の後を追って

 銀舌地区の目抜き通りの賑わいは、午後に差し掛かると幾分か和らいでいた。太陽が頂点に達した時点で獣人たちは手早く出店をたたみ、仲間内で茶やケーキを嗜みながら集う妖精たちをあしらっている。

 こういうところは流石に妖精界でわざわざ生活しようとする獣人たちですね、とアンマリアはいつも感心する。彼らは全く妖精たちの特徴を良く捉えている。妖精たちはどんなものにでも直ぐに興味を持つけれど、その熱意は消しても燃え上がらせても危険なのだ。こちらに興味を持っていない妖精は勿論危険だけれど、興味を持たれ過ぎるのはそれ以上に危険だ。燃やさず、消させず、好奇心の火をほどほどに燻ぶらせ続けるのが妖精相手に商売する基本といえる。

 アンマリアは今のところ商売を行うつもりはないけれど――レギンが言うところの『厄介ごと』の見返りに多少なり収入を得たので――そういう考え方だけは、しっかりと理解しておきたいところだ。


『それで、どの辺りだ?』


 尋ねるレギンの声は籠っていてひどく聞き取りづらい。

 彼が『対魔力呼吸補助機マナ・マスク』と呼ぶ鴉の仮面のせいで、高原を吹き抜ける風のような――アンマリアは勿論高原に行ったことは無いけれど、【煤と煙突の町】で生まれ育った者は皆、爽やかな冷たさを感じるという意味でそのフレーズを使いたがる――いつもの声とは似ても似つかない状態だ。

 耳には自信のある兎人でさえそう感じるのだから、恐らく他のヒトとのコミュニケーションにはとても苦労することになるだろう。もっとも、妖精界の住人は大半が五感の優れた獣人と、話をあまり聞かない妖精だから苦労も何もないかもしれないけれど。


「私が影を見たのはあの辺りです」

 ガラス窓の前に立ち、そこに映るであろう路地を示した。「出てこようか戻ろうか、悩んでいるような素振りでした」

『君が見たのが僕の知る、いわゆる妖精殺しの影なら当然だろうな。午前中なら妖精たちも大勢うろうろしていただろうし、商売する獣人たちもいただろうからな』

「妖精がいたら出て来にくいんですか? 何となく、逆のように思いますけれど」

『まあ、僕も実際に知っているわけじゃないんだが……ここは商売をする通りだろう? ということはうろつく妖精たちは金、妖精金貨を山ほど持っている筈だ』


 これだ、とレギンが取り出したのは、妖精界で一般的に――少なくとも【白き背びれ島】では一般的に流通している金貨だ。表面には女王のシルエットが、裏には1、5、10のいずれかの数字が刻まれていて、その数字分の価値を示している。


「はあ、まあ買い物するためには持っているとは思いますけれど……あれ?」

 アンマリアはスン、と鼻をひくつかせた。「……?」

『あぁ、獣人はそういうのに敏感なんだったな。そう、妖精金貨は魔力が込められている――というよりは、これは全て、妖精女王が魔力を固めて作った物なんだ』

「全て? ええっと、それはこの島で流通している金貨全て、という意味じゃあ無いですよね?」

『あいにくその通りの意味だよ。どのくらいの数かは知らないが、全て、だ。全く呆れた魔力量だよ、妖精たちが大人しく従うのも理解できる』

「何とも、妖精らしい力技ですね……もしかして手形とかそういう仕組みを知らないのでしょうか?」

『銀行はあるがね、我らが祖国よろしく黄金を預けて引き出すみたいな仕組みにはなっていない。それに考えてみろ、妖精たちがキラキラの黄金を預けてペラペラの紙切れと交換したがると思うか? 忘れがちだろうが、この世界で経済という概念が成立しているのは妖精たちがそれを気に入っているからだ。利便性なんて二の次だよ、妖精連中が楽しめるかどうかだけが、世界の基本的な仕組みなんだ』

 それに、とレギンは金貨を器用に弄んで見せた。『これをまき散らすことこそが、女王陛下の目的とも言える』


 アンマリアは首を捻り、直ぐに思い当たった。


「それが先程の話ですか、女王は安全を保障しているという……」

『そうだ。何しろ女王の魔力だからな、持っているだけで半端な呪いは弾かれるし、そこに影除けの魔術――妖精だから魔法か――を仕込むくらい簡単だろう』

「なるほど。だから、金貨が集まっている目抜き通りに、あの影は出てこれなかったのですね」

『君の見間違いでなければだがね。おっと、気を悪くしないでくれよ? 何度も言うがこの妖精界において、影というのは最も対策された疫病なんだ。あってはならない、無いことが普通。だから見間違いというのは寧ろ、願望に近いな』


 アンマリアは無言でジッと、レギンの仮面を睨みつける。時として沈黙は雄弁より明確に抗議の意思を示せると、彼女は理解している。そして同じように理解している魔術師は肩を竦めると、それ以上の問答は無用とばかりに足早に、少女が示した路地の方へと向かっていく。

 完全装備の紳士が鴉顔で歩いている様は程ほどに注目を集めるけれど、魔術師だと解ると直ぐに、妖精たちは興味を失くして離れていった。秘密主義の魔術師は妖精たちを楽しませるつもりが無いと、妖精側も理解しているのだろう。寧ろアンマリアの方に視線を向ける妖精が多く、少女は曖昧な笑みと当り障りの無い振る舞いで切り抜けながら、レギンに続いて路地へと入っていった。


 スッと、気温が下がったような気がした。


 屋根同士が隣接している関係で日陰になっているせいかもしれない、とアンマリアはジャケットの前を閉じた。肌を氷が撫でていったような、体温を少しだけ奪われたような、生きるために必要な何かが足りていないような奇妙な欠乏を感じる場所だと、彼女は内心で評していた。

 それともこれは心因性の感覚だろうか。母様を失った経験とその原因と目される影が立っていた場所だという情報が噛み合って、何の変哲もない路地にも嫌な感覚を覚えてしまっている、ただそれだけなのかしら?


『…………』


 幸いにも錯覚というわけではなさそうで、レギンもまた、緊張感を漂わせながら路地の様子を窺っている――仮面のせいで表情は読めないけれど、多分。

 アンマリアも同行者を参考にして、周囲に警戒を向けてみた。兎人は視力が弱い代わりに耳と、犬人ドギィほどではないけれど嗅覚も良い。魔力か、そうではなくとも何かがいたのならその痕跡を見逃さないくらいには、アンマリアは自分の感覚を信頼していた。

 だから暫くの後、少女は静かにため息を吐いた。


「何もありませんね…………」


 匂いも、魔力も、何も感じなかった。

 映った位置から考えられる辺りをくまなく探したけれど、影はおろか、誰かがいた痕跡さえ何一つ残っていない。ただ得体のしれない悪寒だけがあったけれどそれは、アンマリアの内側の問題だと片付けることが出来そうだった。


『ふむ…………何もないな』

「そうですね」

 アンマリアは気まずい思いを拭うように、レギンの背に出来るだけ明るい声を掛けた。「どうも見間違いだったようですね、すみません、レギン様」


 レギンは答えず、キョロキョロと周囲を見回している。

 それから数歩通りの方へ戻り、そこから改めて、慎重に路地の奥へと歩を進めていく。それを何度か繰り返して、レギンは首を傾げた。


『…………何もないな』

「そう言っているじゃないですか」

 アンマリアは思わず率直な感想をこぼしてしまった。「ご足労かけてしまったのは申し訳ありませんけど、そんなに何度も言うなんて少し、意地が悪いというものですよレギン様」

『僕を何だと思っているんだ、君は』

 レギンはため息を吐くと、アンマリアの下へ戻ってきた。『そういう話じゃない、僕は、何もないと言ってるんだ』


 だからそうだと言っているじゃあないですか、と言いかけて、アンマリアはレギンの仮面、その両目に嵌められたレンズの奥から鋭い視線を感じて口を閉ざした。

 どうやら魔術師はふざけているわけでもなければ、獲物をいたぶる残忍さを獲得したわけでもないらしい。周囲の様子に彼を真剣にさせる何かがあっただろうか、アンマリアは再び感覚のセンサーを周囲に向けたけれど、返ってきたのは結局先ほどと同じく不在の証明だけだった。


 レギンはあっさりと答えた。『その、『何もない』という感覚こそが僕にとっては注目に値する状況だ。もしかしたらこの空白こそが、君の見た影が実在することを証明するのかもしれない』

「はあ、どういうことですか?」

『無こそ有の証明であるということだ』

「どうして魔術師という人種は、相手にも理解できるように話すということが出来ないんでしょうか?」

『先ほどまでのしおらしい態度はどこへ仕舞ったんだ? まあいい。君、ここには何もないと言っただろう? 勿論僕も、魔術師としての観点から言わせてもらえばここには、何もない。全く、何も、ない』

 と、レギンは言い放った。『ほんの少し街を出歩くのに、どうしてこの魔具を装着していると思う? 家の周りでゴーレムを三体も稼働させ続けて魔力を浪費しているのは何故だ? 君たち獣人は魔力に馴染みがあるから忘れているかもしれないが、この世界の空気は僕たち人間には有害なんだ。魔力が濃すぎるからね。だが…………』

!」

 アンマリアは悲鳴にも似た声を上げた。「!」

『ところで僕が回りくどい言い方をするのは、こうして結論を君に盗られるからだよ…………まあ、そういうわけだ。妖精界においてこれだけ魔力が無い場所なんてあり得ないんだ。ここで何らかの大規模な魔法が使われたか、或いは、。結論はそのどちらかだろうな』

 ずっと考えていたんだ、とレギンは呟く。『この妖精界で、あの妖精たちに完全な消滅を与えるのはどんな生物だろう、とね。死という概念が存在しない妖精相手だ、ただの手段じゃない。どんな魔導書にも妖精を殺す手段なんて書かれていないし、それはもう、本自体が魔法と化した古文書でも同じことだ。だが、妖精界においては禁忌という形で、存在が明白に語られている。詳細を調べることは出来なかったが、仮説を立てることは出来たからな』


 それが魔力の消失だと言いたいのだと、アンマリアも察することが出来た。口を挟むとまたうるさそうだから、黙っていたけれど。


。妖精は、その肉体のほとんどが魔力で構成されている。彼らに死が存在しないのは、寿命となると魔力に還り、次の妖精にいうなれば転生するからだ。だから逆に、妖精を殺すならその構成する魔力に対して干渉する手段こそが、相応しいというわけだ』

「あれ、でも、羽の汚染だとレギン様は言ってましたよね? 魔力の消失は汚染とは違うでしょう?」

『おそらく、捕食と繁殖の違いだと思う。君の見た影は――敬意を表して死の影と呼ぼうか――魔力を食べるのだろう。ここらの魔力が無いのがその証だ。そして生物である以上繁殖、或いは増殖の手段があるはずだ。それが妖精の汚染なんじゃないか? 羽を汚染して数を増やし、大気の魔力を喰って成長する。少なくともこの場に魔力が無い以上は、死の影に魔力を消費する何らかの性質があると見て間違いはないだろう』


 レギンの言うことはもっともだった。気を使わない表現をするのなら、『もっともらしかった』だけれど。

 未知の生物に対する分析としては、まあ適当であるだろうとアンマリアは感じた。状況から類推するにしては、完全に筋が通っている。博物館というよりはサーカスの見世物小屋にいそうな想像図だけれど、妖精が絡んでいるのなら、どんな無茶苦茶な生物が存在していてもおかしくない。


『君の母君は妖精界出身だっただろう、その辺り、何か話は聞いてないのか?』

「母様は、あまり故郷の話はしてくれませんでした。良い思い出は無かったのかもしれませんし、話すことに飽きていたのかもしれません。魔術師の家で働いていたのですから」

『まあ、魔術師にとっては何度聞いても良い話だろうからな、妖精界の事情なんて。知ってるか? 妖精界へ侵攻して魔力の素材を強奪しようという計画が、魔術師の間で流行ったことがあったそうだぞ』

「それはまた…………」

『実行した馬鹿も居たそうだ。わざわざ移民局の関与していない道を作って、三人ほど、仲間同士連れ立ってね。結果としては、道の出口に呻き声をあげる柳が三本立った。木こり役に選ばれた局員には、同情を禁じ得ないな。さて、その辺りを見てみてくれ』


 レギンが示した先の地面には木製の格子が嵌った穴があった。ヒトが一人、どうにか入れそうな穴は覗き込むと真っ暗で、奥から水の流れる音が微かに聞こえてくる。


「排水溝、でしょうか?」

『妖精はともかく獣人がいるから、当然下水道もあるだろう。そして魔力が無いのはその辺りまでだ。詰まり、』

「影は中へ逃げた?」

 思わず言ってから、アンマリアはレギンの視線に気付いた。「すみません、教え方が良いもので、直ぐに気付いてしまったんです」


 不満そうにレギンは鼻を鳴らして、それから穴へと慎重に近付いていく。


『…………付け加えるなら、影はまだ近くにいるだろう。これだけ魔力が濃い世界で、いつまでも虚無が放置されるとは思えないからな』


 その推測が正しかったことは、案外直ぐに証明された。

 近付いたレギンの目の前で、穴から、漆黒の影が突然立ち上がったのだ。

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