第6話 ふつつかものですが……

 助けてもらったお礼を言いたい。だけれど怖くて声が出ない。


 僕は自分の声が嫌いだ。見た目に合わない、気持ち悪いと言われたことがある。


 雨霖うりんさんにも気持ち悪いと思われたらどうしよう。そう思うと、思うように声が出ない。


 僕がワタワタしていると、


「そんな慌てなくても大丈夫だよ」相変わらず柔らかい笑顔の雨霖うりんさんだった。「会話なんて、ゆっくりやればいいの。何日とか何ヶ月とか何年とか……それくらいの時間をかけて、ようやく会話らしい会話ってできるものだからね」


 そうかもしれない。ただ話すだけなら出会って初日でもできるだろうが……ちゃんと心を通じさせた会話は長期間の関係を築かないと不可能だろう。


 それくらい気長に待ってくれているから雨霖うりんさんには余裕があるらしい。今日会話できなくても明日がある。明後日もあるし来月もあるし来年もある。それまで……本気で待ってくれるつもりらしい。


 しかし……僕は今、感謝を伝えたい。


 その気持ちを汲み取ってくれたのか、雨霖うりんさんが言う。


「そうだね……じゃあ、スマホ持ってる? アドレス交換しようよ」


 コミュ力おばけ……なんで初対面の相手にアドレスとか聞けるの? コミュニケーション能力高すぎない? 僕には絶対に真似できない……


 そのまま僕はスマホを取り出して、チャットアプリのアドレスを交換する。このチャットアプリ……入れたは良いが、一度も使ったことがなかったやつだな……ポイント受け取りのために企業のアカウントを友達登録しただけにとどまっていた。


 そんなチャットアプリに雨霖うりんさんのアドレスが表示される。生まれて初めて女性のアドレスを見た気がする。


 さっそくチャットアプリにメッセージが送られてきた。


『届いた?』


 なるほど……チャットアプリなら僕も会話できるかもしれない。


『届きました』

「よかった」雨霖うりんさんがつぶやいてから、またメッセージ。『なぜ敬語?』

『そっちのほうが安心できるので……』

『そっか』納得してくれた。『そういえば自己紹介してなかったよね。私、雨霖うりんすず


 すずっていうのか……それは知らなかった。


『僕は――』僕も自己紹介をしてから、勢いのままに、『今日はありがとうございました』

『感謝されるようなことをしたっけ?』

『ノートの件で……』

『そんなの気にしなくていいよ。キミはなにも悪くないし』僕がちゃんと喋れていたら、雨霖うりんさんの手を煩わせるまでもなかったのだ。『むしろ、私がもっと早く気づくべきだったよね』

『そんなことは……』


 ……なんか普通に会話できているな……僕もチャットアプリを使えばちゃんと会話できたようだ。僕すらも知らなかった。


 しかし順調に物事が進んでいると、不安になってくるのが僕という生き物である。とはいえ問題が起きても不安になるんだけれど。というか常時不安なのだけれど。


『ごめんなさい……』

『なんで謝るの?』

『僕がちゃんとしゃべれていたら、こんな手間はかからないのに』

『こっちは気にしてないよ。チャットでしゃべるのがキミの言語ってだけ』……僕の言語……? 『日本語とか英語とかフランス語とか、いろんな言語があるでしょ? その中には筆談とか手話とか、こうやってチャットで話すというのも含まれているんだよ。その中でお互いが意思疎通できるものを選べば、なんの問題もないよ』


 ……チャットも言語の1つ……なるほど。その考え方はなかったな。


 それにしても雨霖うりんさん……チャット打つの速いな……さすが現代のギャル。僕より速いかもしれない。


 暇なのか気を使ってくれているのか、雨霖うりんさんが話題を提供してくれる。


『ご趣味は』

『お見合い……?』

『ふつつかものですが……』


 こんな冗談も言う人なんだな……


 ともあれ……僕の趣味か。それは1つしかないな。

 

『趣味はゲームです』

『ゲームか。私は昔、ピコピコするやつをやっただけだよ』同年代だよな? 『ゲーム好きなの?』

『はい』


 それは自信を持って断言できる。


 それと……なぜか雨霖うりんさんと話すのは安心感があった。チャットで会話しているのが原因かもしれないけれど……とにかく、雨霖うりんさんなら僕の話を簡単に否定したりはしないと思った。


『私は好きなもの、ないんだよね』少し、雨霖うりんさんの表情に影が差す。『そりゃ美味しいものを食べたら幸せだし、楽しいと思うことはたくさんあるよ。でも、なにかに夢中になったって経験がないの』

 

 夢中になった経験……

 

 僕にはある。ゲームに夢中になった経験がある。


 雨霖うりんさんにそれがないというのは意外だった。


 そして……かなり真剣に悩んでいるようだ。


『私の友達は好きなことがあるんだ。周りの人も、これが好きだっていつも言ってる。部活とかやって……一生懸命1つのことに打ち込んでるんだ』たしかにうちの部活動は盛んだ。『私には、なにもないの』


 なにもない。


 ……なんだか僕程度では想像もできないような悩みが、彼女にはあるようだった。


「私、このまま大人になるのかな」雨霖うりんさんはチャットではなく、言葉で言う。「好きだって言えるものがなにもないまま生きて、大人になって……そのまま死んじゃうのかな。目標もなんにもなくて……このままなのかな」

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